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その華の名は

篠原皐月

(10)制裁は、忘れた頃にやってくる

「カテリーナ、手を貸すぞ。立てるか?」
「ええ、大丈夫。痛っ!」
「おい、無理するな」
「カテリーナ、ちょっと脚を見るわよ?」
 支えて貰いながら立とうとしたカテリーナだったが、力を入れた瞬間左足首に走った激痛に、再び地面に座り込んだ。それを見たリリスが彼女に了解を取り、素早くブーツと靴下を脱がせてズボンの裾を捲り上げると、赤黒く腫れ上がった足首が現れる。


「うわ……」
「えぇ!」
「これは酷い。ここまで腫れているとは思わなかった。よほど変な転び方をしたな」
 女生徒達が顔色を変える中、イズファインは溜め息を吐いて遠慮の無い感想を述べた。それにカテリーナは反論できず、小さく肩を竦める。


「良く分からないけど、多分ね。模擬剣がちょうど左右の足の間に入って、咄嗟に踏ん張れなかったし」
「仕方ない。取り敢えず、医務室まで抱えて行くぞ」
 すぐさま最善の方法を選択したイズファインが、カテリーナを素早く横抱きにしながら立ち上がる。しかし急に視界が変わったカテリーナは、慌てて固辞しようとした。


「え、あ、ちょっとイズファイン、歩けるから大丈夫よ!」
「そうは言っても、無理に歩いたら時間がかかるし悪化する。処置をして貰ったら、医務室からは松葉杖を貸して貰える筈だ」
「そうは言っても、人目があるんだけど!」
 既に周囲の生徒達から冷やかしの声が上がっており、さすがのカテリーナも狼狽したが、イズファインはすこぶる冷静だった。


「緊急事態だから諦めるんだな。すまないが君達はカテリーナの剣を片付けて、着替えも回収して、寮の部屋に届けて貰えないか?」
「分かりました、カテリーナをお願いします」
「後片付けと着替えが終わったら、私達も医務室に行きますので」
「寮へは私達が一緒に戻りますから」
「そうしてくれ」
 尋常では無い腫れ方をしている足首を目の当たりした彼女達は、真顔でイズファインに頷き慌ただしく動き出した。


「やれやれ、前期最後の授業で、とんだ災難に巻き込まれたな」
 医務室に向かって歩き出しながらイズファインが同情するように話しかけると、カテリーナは少々面目無さそうに応じる。


「本当に、油断は禁物という事ね。しくじったわ。イズファインに迷惑をかける事になるなんて」
「怪我人を医務室に運ぶ位、何でもないが?」
「そうかもしれないけど、かしましい連中が見ているし。変な噂が立ったりしたら、サビーネ嬢が気を悪くしないかと思って」
 噂好きの、特に貴族階級の女生徒達が、自分達を遠巻きにしながら何やらこそこそ
と囁き合っているのを認めたイズファインは、カテリーナが心配している内容を理解したが、何でもない事のようにあっさりと流した。


「ああ……、そういう意味か。だが彼女に関しては、そういう方面の心配は不要だと思う」
 それを聞いたカテリーナは笑い事ではない状況であるのは分かっていたが、思わず冷やかしてしまう。


「あら、私と怪しいなんて噂が立っても、彼女はそれを鵜呑みにして怒ったりしないで、貴方を信じてくれる筈ってのろけているわけ? ご馳走様」
「あぁ~、いや、そうじゃなくて……。一応、今のカテリーナは男装と言えるし、彼女が好きな男恋本のワンシーンのようだと喜ぶかと……」
 微妙に困惑しながらイズファインが告げた内容に、カテリーナは一瞬思考が停止したが、すぐに盛大な溜め息を吐いた。


「そういう事を平然と言えるなんて……。貴方は私が思っていたより、かなり心が広かったのね……」
「自分では、それほど心が広い人間ではないと思う。だが彼女は多少思い込みは激しい所はあるが素直だし、明るくて陰湿な言動とは縁がないし、多少独特な趣味嗜好に対して一々文句をつける事は無いかと思っているだけだ」
「『多少独特』で片付けてしまうあたりは、充分寛容だと思うわよ?」
「そうか? 俺はこの事がサビーネの耳に入るより、ナジェークの耳に入る方が遥かに心配だ」
「え? どうして?」
 突然予想外の事を言われたカテリーナは本気で戸惑ったが、対するイズファインも何とも言い難い顔になりながら話を続けた。


「『どうして』って……。一応非公式だが、君はナジェークの恋人だし。俺が抱き抱えているのを目撃したら、下手したら気を悪くするだろうから」
「あの人の事は、計算ずくの非公開擬似婚約者位に思っているんだけど?」
 だから向こうも、そんな変な嫉妬はしないだろうと思いながらカテリーナが応じると、イズファインの顔が僅かに引き攣った。


「カテリーナ……。本当にナジェークと、結婚する気はあるんだよな?」
「取り敢えずあの人が、私の考えや生活に制限を加えないと確約して、実行してくれるならね」
「頼むから、やっぱり嫌だとか駄目だとかは止めてくれよ? 周囲の被害が甚大になるのが確実だ」
「そんな事を言われても……」
 公に付き合っていない状況で、何をどうしろと言うのだと彼女が内心で愚痴っていると、唐突に聞き慣れた声が聞こえた。


「イズファイン。今日は随分変わった事をしているな。カテリーナ嬢、こんにちは」
「げっ……」
「……あら、お久し振り」
 進行方向を塞ぎながら一見爽やかに声をかけてきたナジェークに、イズファインは小さく呻き、カテリーナは苦労して笑顔を取り繕った。するとここでイズファインが、弁解がましい台詞を口にする。


「や、やあ、ナジェーク。剣術の訓練中に彼女が足首を怪我したから、医務室まで運ぶところなんだ。ちょっと酷い腫れで、歩くのが大変そうだから」
 それを聞いたナジェークは笑顔をそのままに、眼だけを物騒に光らせた。


「……へえ? 単に転んだとかでは無いよな? 彼女はそんな迂闊者では無いし」
「あ、ああ……、確かにそうなんだがな……」
「イズファイン? 彼女は授業中に、誰かに突き飛ばされたのか?」
「い、いや、突き飛ばすとか、そんな物騒な話では」
「じゃあ何だ?」
「何だと言われても……」
(え? 何なの、この二人の間に漂う、何とも言えない緊張感は?)
 何やら顔色を悪くしながら言葉を濁しているイズファインを見ながら、カテリーナは困惑した。しかし未だ彼に抱えて貰っている現状を思い出し、さっさと話を終わらせた方が良いだろうと判断する。


「単に、バーナムが投げた模擬剣が私の足元に飛んできて、それに私が足を取られて転んでしまっただけよ。そういうわけでさっさと医務室へ行って、処置して貰いたいんだけど。ここを通して貰えるかしら?」
「これは失礼。イズファイン、彼女を医務室へ連れて行ってくれ」
「ああ、それじゃあ」
 ナジェークが僅かに表情を動かしたものの、すぐに進路を譲ってくれた事に安堵したカテリーナだったが、彼と別れて少ししてから、ある事を思い出した。


「あ……、今日はこの足だから、例の部屋に行けないと言うのを忘れたわ。でも事情は分かっているから、大丈夫よね」
「…………」
 そう自分自身に言い聞かせていると、何故かイズファインが沈鬱な表情で溜め息を吐いた。


「イズファイン、どうかしたの?」
「いや……、ナジェークの奴、絶対バーナムに制裁するだろうなと……」
「たかが怪我くらいで?」
「自分に関係のない事ではあいつは比較的寛容だが、関係がある事では容赦ないからな。在学中は無理だろうが、五年以内に何かやらかしそうだ……」
 大真面目にそんな事を言われたカテリーナは、心底不思議そうに首を傾げる。


「五年経ってから制裁? そんなに時間が経ってしまったら、もうどうでも良いじゃない」
「カテリーナ……、君はまだまだ考えが甘いな」
 呆れ顔で感想を述べた彼女を、イズファインは少々残念そうな顔で見やってから、彼女を両腕で抱えたまま器用に医務室のドアを開けた。







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