その華の名は
(17)妹からの疑惑の眼差し
自身の誕生日パーテイーで、大多数の出席者が予想していなかった騒動が勃発してから二日後。カテリーナが例の隠し部屋に出向くと、ナジェークが楽しげに声をかけてきた。
「やあ、首尾良く縁談粉砕おめでとう。彼については幾つか方策を考えていたんだが、実行に移す前に君があんな暴挙に出るとはね。今回は君の行動力を、完全に見誤っていたよ」
「それはそれは……。無駄骨を折らせて、誠に申し訳ありませんでした」
「君らしいと誉めたつもりだったのに、気を悪くしたかな?」
「当たり前です」
ツンと顔を背けたままクッションに座った彼女を見て、ナジェークは笑みを深めながら次の話題を出した。
「ところで、ガロア侯爵家の領地で生活している君の次兄夫婦の間に、もうじき子供が産まれるそうだね」
それを聞いたカテリーナは、うんざりした顔を彼に向けながら答える。
「本当に、耳が早いのね……。確かにジュール兄様のところに、来月産まれる予定だけど。それがどうかしたの?」
「待望の初孫だし、生まれたら侯爵夫妻は、嬉々として領地まで顔を見に行きそうだなと思って」
「だから? あなたには全く関係が無い話でしょう?」
「それを上手く利用すれば、君も長期間領地に行けそうだなと思ってね。社交シーズンと重なる、来年の長期休みの期間に」
含み笑いでそんな事を言われたカテリーナは、少し考え込んでから慎重に尋ね返した。
「それで、長期休みの間のお見合い攻勢を、回避し易くすると?」
「まあ、そんな所かな。加えて恋人らしく、君とゆっくり外で会う時間を作ろうと思ってね。時期を合わせて、私も行くつもりだよ。今から楽しみだな」
ナジェークが事も無げに口にした台詞を聞いて、カテリーナは思わず声を荒げた。
「行くつもりって……、まさかうちの領地に!? 一体、どうやって!? 周囲に行き先を言ったら不審がられるでしょうし、公爵家の嫡男が行き先も告げずに出かけられるわけ無いでしょう!?」
「そこは万全に準備を整えておけば問題ないし、心配要らないよ」
変わらず冷静に続けるナジェークに、彼女は唖然としながら呟く。
「……本気なの?」
「私が嘘を言っているように見えるかい?」
「全然見えないから困っているわ」
「君は相変わらず正直だな。……ところで、また手を触らせて貰って良いかな?」
カテリーナは途端に表情を険しくし、相手を鋭く睨み付けた。
「今度は何を企んでいるの?」
しかしナジェークは、飄々と話を続ける。
「純粋に、君の手を触りたいだけだが。下手に香水臭くて、手入れに時間をかけている作り物じみた手よりも、私的には君のようなしっかりした手の方が好ましいと思うよ」
大真面目にそんな事を言われて、カテリーナは溜め息を吐きながら手を差し出した。
「『しっかりした』ね。物は言いようだわ……。こんな荒れている手で良かったらどうぞ」
「ありがとう。だけど自分で言うほど、荒れてはいないよ?」
にこやかに自分の手を握ったりさすっているナジェークに、カテリーナは完全に毒気を抜かれた。
(本当に調子が狂うわね)
そこである事を思い出した彼女は、素直にそれを口にした。
「手袋の事だけど、どうもありがとう」
「どういたしまして」
「どうしてあれをくれたの?」
「恋人の誕生日だし、プレゼント位贈るだろう?」
相変わらず手を触りながらの台詞に、カテリーナは疲労感を覚える。
「恋人、ね。それなら私も贈るべきかしら? 未来の婚約者に対して」
「今現在は対外的には無関係なのだし、別に気を遣わなくても良いさ。でも生真面目な君の気が済まないと言うのなら、丁度長期休暇中に誕生日を迎えるから、君の様子を見に行った時に渡して貰えれば良い」
「暗に要求しているわよね!?」
「とんでもない。私は謙虚な人間だと、自負しているよ」
「『謙虚』という言葉の意味を、この際きちんと調べ直した方が良いと思うわ」
臆面もなくナジェークが言い切り、カテリーナは盛大に顔を引き攣らせた。
(本当に掴み所の無い、変な人だわ)
そしてまだ平然と自分の手を握っているナジェークを、カテリーナは何とも言い難い表情で眺めていた。
※※※
「できる事なら、知りたくなかったですわ……。自分の兄が、女性の手を撫で回すのが趣味の変質者だったなんて……」
冷め切ったお茶を飲みながらそこまで無言で話を聞いていた妹が、痛恨の表情で呻いた台詞に対し、ナジェークは如何にも気分を害した風情で、語気強く言い返した。
「随分と人聞きが悪いな、エセリア。そこは断固として否定させて貰おう」
「どこをどう否定されるのですか?」
「私が真っ先に好きになったのは彼女の内面で、身体で一番先に好きになったのが手だと言うだけの話だ。決して女性の手であれば、誰の手でも良いと言うわけではない」
「……威張って言う程の事でも無いと思いますが?」
「加えて今現在では、彼女の全身を愛している」
「更に変態臭漂う台詞を、真顔で口にするのは止めていただけません!? 何だかこの間のカテリーナ様の心労が薄々察せられて、妹としてとても申し訳無い気持ちになってきましたわ!」
涙目になって声を荒げたエセリアを見て、ナジェークは少々困ったように肩を竦める。
「だから誤解だと言うのに……。私は十分紳士だよ?」
「お兄様と『紳士』の定義について、一晩中語り明かしたい気分にもなってきましたわね!」
そこでドアの方からノックに続いて、落ち着き払った声がかけられた。
「ナジェーク様、エセリア様。失礼いたします」
「ああ、ルーナ」
「どうかしたの?」
「夕食のお時間です」
「…………」
冷静にそう告げたルーナは黙り込んだ兄妹に構わず、二人の間にあったテーブル上のカップを片付け、持参したテーブルクロスを手早くセットした。そして自分に続いてワゴンを押してきた侍女と分担して、手際良くワイングラスに続いて前菜、スープ、パン、主菜の皿を並べる。
「主菜の鹿肉のローストは、食べやすいように既に厨房で切り分けて貰いました。どうしてもテーブルが狭いもので、ナイフの置き場所や使う時にお困りかと思いましたので。マナー違反ですが」
確かにテーブル上にはスプーンとフォークしか揃えられておらず、しかも既に皿に乗せられている状態を認めて、エセリアは心得たように頷いた。
「ありがとうルーナ。ここは大丈夫だから、あなたも今のうちに夕食を済ませてきて」
「かしこまりました。少しの間、失礼いたします。後でお二人に、食後のデザートとお茶をお持ちします」
「お願いね」
そしてルーナが一礼して姿を消すと、ナジェークが妙にしみじみとした口調で述べる。
「本当にルーナは優秀だね。もう勤続何十年かの貫禄さえ感じるよ」
「お兄様、話を逸らさないでください。今までで教養科終了時期までの話ですから、次はまた違った展開があったのでしょうね? 先程はガロア侯爵家の領地を訪ねる話にも、触れておりましたし」
「それに関しては、ちょっと予定通りにはいかなくてね」
「予想外の展開ですわね! これぞ恋愛物の醍醐味ですわ! さあ遠慮無く、吐くだけ吐いて下さいませ!」
「エセリア……。仮にも食事中に、口にする言葉では無いと思うよ?」
テーブル上に所狭しと皿が並べられた状態でも、しっかり書き取り用の用紙とそれを押さえるペーパーウエイトのスペースは確保されており、ナジェークはルーナの有能さを改めて実感した。
加えて目を爛々と輝かせつつ、右手にペン、左手にフォークを手にした妹の姿を目の当たりにし、彼女の気が済むまで話さないと本当に解放して貰えないと悟ったナジェークは、もう何度目になるか分からない溜め息を吐いてから、徐に口を開いたのだった。
「やあ、首尾良く縁談粉砕おめでとう。彼については幾つか方策を考えていたんだが、実行に移す前に君があんな暴挙に出るとはね。今回は君の行動力を、完全に見誤っていたよ」
「それはそれは……。無駄骨を折らせて、誠に申し訳ありませんでした」
「君らしいと誉めたつもりだったのに、気を悪くしたかな?」
「当たり前です」
ツンと顔を背けたままクッションに座った彼女を見て、ナジェークは笑みを深めながら次の話題を出した。
「ところで、ガロア侯爵家の領地で生活している君の次兄夫婦の間に、もうじき子供が産まれるそうだね」
それを聞いたカテリーナは、うんざりした顔を彼に向けながら答える。
「本当に、耳が早いのね……。確かにジュール兄様のところに、来月産まれる予定だけど。それがどうかしたの?」
「待望の初孫だし、生まれたら侯爵夫妻は、嬉々として領地まで顔を見に行きそうだなと思って」
「だから? あなたには全く関係が無い話でしょう?」
「それを上手く利用すれば、君も長期間領地に行けそうだなと思ってね。社交シーズンと重なる、来年の長期休みの期間に」
含み笑いでそんな事を言われたカテリーナは、少し考え込んでから慎重に尋ね返した。
「それで、長期休みの間のお見合い攻勢を、回避し易くすると?」
「まあ、そんな所かな。加えて恋人らしく、君とゆっくり外で会う時間を作ろうと思ってね。時期を合わせて、私も行くつもりだよ。今から楽しみだな」
ナジェークが事も無げに口にした台詞を聞いて、カテリーナは思わず声を荒げた。
「行くつもりって……、まさかうちの領地に!? 一体、どうやって!? 周囲に行き先を言ったら不審がられるでしょうし、公爵家の嫡男が行き先も告げずに出かけられるわけ無いでしょう!?」
「そこは万全に準備を整えておけば問題ないし、心配要らないよ」
変わらず冷静に続けるナジェークに、彼女は唖然としながら呟く。
「……本気なの?」
「私が嘘を言っているように見えるかい?」
「全然見えないから困っているわ」
「君は相変わらず正直だな。……ところで、また手を触らせて貰って良いかな?」
カテリーナは途端に表情を険しくし、相手を鋭く睨み付けた。
「今度は何を企んでいるの?」
しかしナジェークは、飄々と話を続ける。
「純粋に、君の手を触りたいだけだが。下手に香水臭くて、手入れに時間をかけている作り物じみた手よりも、私的には君のようなしっかりした手の方が好ましいと思うよ」
大真面目にそんな事を言われて、カテリーナは溜め息を吐きながら手を差し出した。
「『しっかりした』ね。物は言いようだわ……。こんな荒れている手で良かったらどうぞ」
「ありがとう。だけど自分で言うほど、荒れてはいないよ?」
にこやかに自分の手を握ったりさすっているナジェークに、カテリーナは完全に毒気を抜かれた。
(本当に調子が狂うわね)
そこである事を思い出した彼女は、素直にそれを口にした。
「手袋の事だけど、どうもありがとう」
「どういたしまして」
「どうしてあれをくれたの?」
「恋人の誕生日だし、プレゼント位贈るだろう?」
相変わらず手を触りながらの台詞に、カテリーナは疲労感を覚える。
「恋人、ね。それなら私も贈るべきかしら? 未来の婚約者に対して」
「今現在は対外的には無関係なのだし、別に気を遣わなくても良いさ。でも生真面目な君の気が済まないと言うのなら、丁度長期休暇中に誕生日を迎えるから、君の様子を見に行った時に渡して貰えれば良い」
「暗に要求しているわよね!?」
「とんでもない。私は謙虚な人間だと、自負しているよ」
「『謙虚』という言葉の意味を、この際きちんと調べ直した方が良いと思うわ」
臆面もなくナジェークが言い切り、カテリーナは盛大に顔を引き攣らせた。
(本当に掴み所の無い、変な人だわ)
そしてまだ平然と自分の手を握っているナジェークを、カテリーナは何とも言い難い表情で眺めていた。
※※※
「できる事なら、知りたくなかったですわ……。自分の兄が、女性の手を撫で回すのが趣味の変質者だったなんて……」
冷め切ったお茶を飲みながらそこまで無言で話を聞いていた妹が、痛恨の表情で呻いた台詞に対し、ナジェークは如何にも気分を害した風情で、語気強く言い返した。
「随分と人聞きが悪いな、エセリア。そこは断固として否定させて貰おう」
「どこをどう否定されるのですか?」
「私が真っ先に好きになったのは彼女の内面で、身体で一番先に好きになったのが手だと言うだけの話だ。決して女性の手であれば、誰の手でも良いと言うわけではない」
「……威張って言う程の事でも無いと思いますが?」
「加えて今現在では、彼女の全身を愛している」
「更に変態臭漂う台詞を、真顔で口にするのは止めていただけません!? 何だかこの間のカテリーナ様の心労が薄々察せられて、妹としてとても申し訳無い気持ちになってきましたわ!」
涙目になって声を荒げたエセリアを見て、ナジェークは少々困ったように肩を竦める。
「だから誤解だと言うのに……。私は十分紳士だよ?」
「お兄様と『紳士』の定義について、一晩中語り明かしたい気分にもなってきましたわね!」
そこでドアの方からノックに続いて、落ち着き払った声がかけられた。
「ナジェーク様、エセリア様。失礼いたします」
「ああ、ルーナ」
「どうかしたの?」
「夕食のお時間です」
「…………」
冷静にそう告げたルーナは黙り込んだ兄妹に構わず、二人の間にあったテーブル上のカップを片付け、持参したテーブルクロスを手早くセットした。そして自分に続いてワゴンを押してきた侍女と分担して、手際良くワイングラスに続いて前菜、スープ、パン、主菜の皿を並べる。
「主菜の鹿肉のローストは、食べやすいように既に厨房で切り分けて貰いました。どうしてもテーブルが狭いもので、ナイフの置き場所や使う時にお困りかと思いましたので。マナー違反ですが」
確かにテーブル上にはスプーンとフォークしか揃えられておらず、しかも既に皿に乗せられている状態を認めて、エセリアは心得たように頷いた。
「ありがとうルーナ。ここは大丈夫だから、あなたも今のうちに夕食を済ませてきて」
「かしこまりました。少しの間、失礼いたします。後でお二人に、食後のデザートとお茶をお持ちします」
「お願いね」
そしてルーナが一礼して姿を消すと、ナジェークが妙にしみじみとした口調で述べる。
「本当にルーナは優秀だね。もう勤続何十年かの貫禄さえ感じるよ」
「お兄様、話を逸らさないでください。今までで教養科終了時期までの話ですから、次はまた違った展開があったのでしょうね? 先程はガロア侯爵家の領地を訪ねる話にも、触れておりましたし」
「それに関しては、ちょっと予定通りにはいかなくてね」
「予想外の展開ですわね! これぞ恋愛物の醍醐味ですわ! さあ遠慮無く、吐くだけ吐いて下さいませ!」
「エセリア……。仮にも食事中に、口にする言葉では無いと思うよ?」
テーブル上に所狭しと皿が並べられた状態でも、しっかり書き取り用の用紙とそれを押さえるペーパーウエイトのスペースは確保されており、ナジェークはルーナの有能さを改めて実感した。
加えて目を爛々と輝かせつつ、右手にペン、左手にフォークを手にした妹の姿を目の当たりにし、彼女の気が済むまで話さないと本当に解放して貰えないと悟ったナジェークは、もう何度目になるか分からない溜め息を吐いてから、徐に口を開いたのだった。
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