その華の名は

篠原皐月

(6)勘違いの信奉者

 例の隠し部屋に先に入り、持ち込んだ椅子に座りながら本を読んでいたカテリーナは、日差しが差し込む窓を見やりながら、誰に言うともなく呟いた。
「そろそろ来る頃かしら。今回は相手の出方を見るだけで良いわよね」
 すると程なくして想像通り、ナジェークが本棚をスライドさせて出入り口から姿を現す。


「やあ、カテリーナ。今日も来て……」
 しかし自分が手にしている本のタイトルを確認したらしい彼が、挨拶を不自然に途切れさせた事で、カテリーナは自身が推理していた内容を確信した。


「あら、ナジェーク。一時間ぶりね。私に何か、言いたい事でもあるのかしら?」
「手にしているそれは……」
「マール・ハナー著『紅の乱舞』よ。斬新な設定の上、なかなか興味深いお話ね。世間でこういう物が広まっていたとは、最近まで夢にも思わなかったわ」
「…………」
 しみじみと感想を述べる自分を、何ともいえない表情で眺めていたナジェークに、カテリーナはからかうように声をかける。


「私がこれを、どうやって入手したのか聞かないの?」
 その問いかけに、彼は溜め息を吐いてから答える。


「それを借りているのではなく、入手しているという事実を聞いた上で、わざわざ詳細を聞こうとは思わないよ」
「確かに、時間の無駄ね。それなら続けて質問させて貰うけど、確かシェーグレン公爵家にはご令嬢が二人いらしたわね?」
「ああ。姉のコーネリアと、妹のエセリアだが。それが何か?」
「それならどちらがマール・ハナーの名前で、これを含む数多くの作品を発表されているの?」
 そこでさり気なく口に出した内容に対するナジェークの反応は、カテリーナの予想以上だった。


「……ははっ、いきなり何を言い出すのかな? れっきとした公爵家の令嬢が、埒もない本を書いて売りさばいているわけないだろう?」
「反応するまで不自然に間が空いたし、顔が引き攣っているわよ? 官吏を目指すなら、腹芸は必須ではないの? まだまだと言う事ね」
 してやったりという顔でカテリーナが告げたが、ナジェークは平静を装いながら反論しようとした。


「カテリーナ。一体何を根拠に、そんな荒唐無稽な推測をしたのかな?」
「この登場人物の描写から考えるに、ジェストのモデルはあなたよね?」
「はぁ? そんな事は有り得ないだろう?」
「あら、まるで読んだ事があるような反応ね。全く予備知識が無ければ、あなただったら『それはどんな男性なのかな?』と、興味津々で尋ね返してくると思うのだけど」
「…………」
 とぼけようとしたナジェークだったが、あっさり切り返されて口を噤んだ。そこをカテリーナが、容赦なくたたみかける。


「そうなると作者は公爵家縁の人間、かつ色々問題があるこの作品が、制限がかけられるにしても一般に販売されているからには、公爵夫妻が黙認しているとしか思えない。そうなるとお二人の近親者が作者だと考えるのが、妥当だと思うのだけど。反論があるのなら伺うわ」
 悠然として自分の反応を待つ彼女を見たナジェークは、舌を巻いた。


「やはり君は、大したものだよ。あそこでラミア夫人に遭遇したとしても彼女が漏らす筈は無いし、純粋な推理だけでそこまで到達するとはね」
「それなら、やはりそうなのね」
「ああ。マール・ハナーは、妹のエセリアだよ」
(想像してはいたけど、改めて口に出して言われると微妙な心境だわ)
 観念したらしいナジェークが自分の推理を認めた事は純粋に嬉しかったが、内容が内容だった為、カテリーナは何とも言えない表情になった。


「それは、未来の王太子妃、ひいては未来の王妃としてはどうなのかというコメントは避けるけど……。あなたの妹さんが色々な意味で非凡な方なのは、凄く実感できたわ」
「ああ。自身の姉妹と比べると、私は単に他人と比べて多少頭の回転が早いだけの、秀才でしか無いのさ」
 皮肉っぽい口調で肩を竦めながらナジェークが言った内容に対して、カテリーナが軽く顔をしかめながら言い返す。


「……今の台詞、色々な意味で、突っ込みどころが満載なのだけど?」
「事実だから仕方がない。人心掌握術に長けている以上に、行動力も実行力も持ち合わせている姉と、常に予想の斜め上の発想と、成果をとことん追求する天才肌の妹に挟まれた自分の女性を見る目が、年々シビアになっているのを自覚しているよ」
「どんな風にシビアになっていると言うの?」
 ふと興味をそそられた彼女が尋ねてみると、ナジェークは疲れたように椅子に座ってから、しみじみと言い出した。


「自分の結婚相手の条件だよ。彼女達に盲目的に迎合されるのは困るけど、反感を持たれるのも困る。それでいて我が家と釣り合いが取れる格式の家の人間で、多少の事では動じない人間でないといけない」
「それなりにいるのではないの? シェーグレン公爵家は交際範囲が広いし、王妃様との繋がりもあるから、縁を結びたいと考える家は多い筈よ? 例えば……、そう、マリーア様とか。他にも同じ年頃の令嬢は何人も」
「残念な事にマリーア嬢を筆頭に、悉く姉と妹の信奉者と化していてね」
「……それは確かに少々、問題があるかもしれないわね」
 どこか遠い目をしながら、自分の台詞を遮りつつ告げてきたナジェークから、カテリーナは微妙に視線を逸らした。そのまま十数秒、少々気まずい沈黙が漂ってから、ナジェークが気を取り直したように言い出す。


「まあ、どのみち、いつかは君に説明しなければいけなかった事だし、それが省略された上、そういう嗜好に嵌まる事もなく、姉妹の事はそれはそれとして割り切ってくれているみたいだから、益々好条件なのが判明したかな?」
「何がどう好条件だと言うの?」
「この事実を知った君は、世間に公表するつもりはないのかな?」
 そう探るように口にしたナジェークだったが、カテリーナは呆れ気味に言い返した。


「はぁ? どうして公表しなければいけないの? 国教会からも内々に許可を得ているみたいだし、書きたい方は書けば良いでしょう? 別に私自身が、不利益を被っているわけでは無いのだし」
「しかしアーロン殿下派の家なら、王太子派の家のスキャンダルを嬉々として公表するのでは?」
「スキャンダル、ねぇ……」
 そこでカテリーナは、難しい顔で考え込みながら意見を述べた。


「仮に、この事実を公表した場合、それによって今以上に世間の認知度が上がるのではない? そうなると表立って非難しながら、陰でアーロン殿下派の家の奥方や令嬢にも、信奉者が増えそうな気がするけど」
「……そうかもしれないね」
「あ、なるほど。寧ろ公表すべきではないの? と言うかエセリア嬢は、公表する最も効果的なタイミングを、狙っているのかしら?」
「え? それはどういう意味だい?」
 全く予想外の事を言われて困惑しきったナジェークに、カテリーナは真顔で持論を展開した。


「だってそうなったらエセリア嬢の作品を通して、水面下で意志疎通と親交を深めた女性達の間で、派閥対立が解消するかもしれないわ。対立は、相互の無理解と誤解から始まるのですもの。エセリア様は本当に、それを狙っているのかしら?」
「確かに対立と言うものは、無理解と誤解から始まるかもしれないが」
「凄いわ。そんな深謀遠慮の末、自分が非難の矢面に立つ危険を敢えて犯して、男恋本を発表するなんて……。それを貴族間の融和政策に利用するとは、さすがは未来の王妃陛下と目されるお方。それを容認するシェーグレン公爵夫妻も、なんて度量が大きい方でしょう。兄夫婦なんか小物過ぎて、お二人と比較するのも失礼だわ」
 深く納得し、感心しきった様子で感想を述べたカテリーナを見て、ナジェークは顔を引き攣らせながら言葉を返した。


「いや、家族を好意的に評価してくれるのはありがたいが、妹はただ単に、自分の趣味嗜好を追求しているだけで」
「実の兄が、そんな理解の無い事で良いの? 本当にあなたは多少見た目が良くて、単に勉強ができる秀才に過ぎないみたいね」
 そこで彼女に冷たく切り捨てられたナジェークは、苦笑いする事しかできなかった。


「参ったな……。私は自分自身で、従来のご令嬢達とは違う意味での、妹の信奉者を誕生させてしまったらしい……」
 そう愚痴っぽく呟いたナジェークだったが、すぐに気持ちを切り替え、真剣な面持ちで口を開いた。



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