その華の名は
(2)秘密の共有
「それにしても……。第二教授棟を指定してきた意味が、全然分からないわね。どうしてこんな所に呼び出すのかしら」
ナジェークの指定した日時に、指定された場所に向かって階段を上がっていたカテリーナは、スカートのポケットと、袖の内側に隠し持って来た物を触りながらひとりごちた。
(何か不埒な事を企んでいるとしても、緊急用の笛と殴打用の短昆は持って来たから不安は無いけど。さすがに剣を寮の自室に持ち込めないけど、これ位の自衛手段は当然よね)
そんな不穏な事を考えながら階段を上がりきり、廊下を歩き始めた直後、すぐ横の扉が開いて声がかけられた。
「やあ、カテリーナ。ここだよ」
「……いきなり現れないで貰えるかしら?」
「話は後。取り敢えず人目が無いうちに、入って貰えるかな?」
「分かったわ」
本気で驚いたものの辛うじて面には出さずに応じた彼女を、ナジェークは笑顔で促した。それを受けて、カテリーナも周囲を見回してから、軽く顔をしかめつつその部屋に入る。
「それで? 大して付き合いの無いあなたが、こんな人気のない所にわざわざ私を呼び出した理由を教えていただけるかしら?」
「そう警戒しなくても……。君の事だから、男の呼び出しに丸腰で来るわけ無いだろう? 生憎とこちらは物騒な物の類は何も持ち合わせていないし、十分叩き伏せられると思うよ?」
「それはどうも。その申告を、信じられたらの話ではあるけど」
軽く両手を上げながら悪びれずに語ったナジェークだったが、カテリーナは緊張を解かないまま素っ気なく応じた。しかし彼は気を悪くしたりせず、壁に設置された本棚に歩み寄る。
「それで、ここに君を呼び出した理由だが、ちょっとした秘密を二人で共有しようと思ってね」
「秘密?」
「ああ、ちょっと待っていてくれ」
首を傾げたカテリーナの前で、ナジェークは本棚の左側に立ち、それを両手でゆっくり反対側に押し出した。
「よっ……、と」
すると作り付けと思われたその本棚は、音も無く滑るように横に移動し、人が一人くぐれる程度の穴が壁に現れる。それを目の当たりにしたカテリーナは、呆気に取られた。
「はぁ? 何よ、これは?」
「いわゆる、隠し部屋への入り口だね。中を見てみるかい?」
「そうね。せっかくだし、見せて貰うわ」
好奇心に負けた彼女は油断しないまま穴をくぐり抜け、壁の向こう側に入ってみた。そしてさほど広くない場所を、ざっと観察する。
「幅は狭いけど、ちゃんと窓があるのね。それに開けられるの?」
「ああ、掃除をするついでに、ちゃんと空気の入れ換えもすませた」
その台詞に引っかかりを覚えたカテリーナは、ナジェークを振り返って尋ねた。
「掃除って、誰が?」
「俺が」
「何のために?」
「淑女をお招きするのに、埃だらけのままにはしておけないだろう?」
「シェーグレン公爵家では、掃除は使用人任せにしていないの?」
「綺麗になるのを見るのは楽しいだろう? それに寮の部屋は基本的に、自分で掃除するものだし」
(それはそうでしょうけど……、片手間に掃除したにしては、妙に綺麗な気がするのよね……。いえ、そんな事より)
閉め切ってある筈の室内が綺麗な事に関しては納得しかけたものの、カテリーナは根本的な疑問を口にした。
「ちょっとお尋ねしますけど、先程あなたはここを『隠し部屋』と仰いましたよね?」
「確かに言ったね。それが何か?」
「それなのに、どうして一生徒にしか過ぎないあなたがそれを知っていて、平然と入り込んでいるの?」
「窓が多かったんだ」
「はい?」
「この第二教授棟は中央に入口と階段があって、左右に廊下が伸びている造りだろう?」
「そうだけど、それが?」
話が逸れたように感じながらも、怪訝な顔でカテリーナが話の先を促すと、ナジェークが淡々とこの間の事情を説明した。
「廊下から見た部屋割りから考えると、どうも外から見た時に窓の数が一つ多い気がしてね。入学直後に敷地内の建物を全て見て回った時にそれに気付いたから、2ヶ月程かけて、この棟のこの階の研究室や倉庫の管理担当者と知り合いになって、不自然では無い理由を付けて室内の窓を確認して回ったんだ」
「何を些細な事にこだわっているのよ……。それにあなた、相当暇なのね」
そこまで聞いたカテリーナは完全に呆れ顔になったが、ナジェークは彼女の皮肉を笑って受け流した。
「そうしたら案の定、やっぱり窓が一つ少ないだろう? 反対側は角部屋の教授室だし、怪しいのは階段に隣接したこちら側だと見当を付けたんだ」
「そこまでは分かったけど、そもそもこの倉庫は普段、教授や事務係官が施錠管理している筈よ。それなのに、どうして平然と入り込めるのかしら?」
「入学以来、事務係官室に入り浸って事務作業を手伝ったり、差し入れをしたりして友好関係を築いているから。そのついでに隙を見てここの鍵の型を取って、合鍵を作らせて貰った」
「本当にろくでもないわね!」
「まあ、そう言わずに。良かったらこれを進呈するよ」
苦笑しながら差し出された鍵を、カテリーナは胡散臭そうに見やる。
「……どういう事かしら?」
「単に君が、煩わしさを感じない空間が欲しいんじゃないかと思っただけだ。カフェとか図書室とかでも、絡まれる時は絡まれるだろう?」
「人目を気にして、こそこそ隠れろと言うの?」
「こそこそ? 君はこれまで、単独行動が噂の的になると考えて、人目の無い場所を探していたのか?」
神経を逆撫でするような物言いをされたカテリーナは、小さく舌打ちしてから言い放った。
「そんなわけ無いでしょう? 一人だろうが周りに人がいようが、私は行きたい所には行くし、やりたい事をやるわ」
「だから君が来たい時に、ここに来れば良いだけの話さ。喧噪とは無縁のここに本でも持ちこめば、集中できる事請け合いだ」
(それはそうかもしれないけど……)
大して広くはないスペースを改めて見回してから、カテリーナは確認を入れた。
「因みに、他に合鍵を持っている人は?」
「僕だけだね。この資料室は、通常の授業とかでは使わない物が保管されているから、事務係官も滅多に出入りしないし」
「あなたもここを利用しているの?」
「そうだね。なかなか快適だよ」
「…………」
平然とそう述べたナジェークを、カテリーナは僅かに眉根を寄せて凝視した。その視線を受けて、ナジェークがからかうように言い出す。
「おや? 密室で男と二人きりと言うのは、やはり淑女の嗜みからは外れるのかな? それとも剣術ではなくて格闘技には、少々自信が無いとか?」
「ふざけているの?」
「いたって真面目に話しているつもりだが。確かに人目は少ないが、この棟が全くの無人になる事態は考えにくいし、大声で叫んだり派手な物音を立てれば、さすがに誰かに気付かれるさ。その場合こちらは、ちょっとした隠れ家を白日の下に晒され、ついでに不名誉も背負う事になるわけだ」
(言っている事は正しいけど、笑いながら口にしているところがね)
どこまで本気か分からない様子の彼に、カテリーナは内心で苛ついたが、それは面には出さずに肩を竦めた。
「台詞だけは神妙だけど、表情と口調に悲壮感が皆無なのが興醒めだわね」
「それは失礼」
(本当に、掴み所の無い人ね。でも、まあ良いわ)
皮肉を口にしても、相変わらず捉えどころがない笑みを浮かべているナジェークを見て、カテリーナは気持ちを切り替え、彼に向かって手を伸ばした。
「それなら遠慮無く、使わせていただくわ」
「どうぞ。ただし出入りする時、他の人間に見られないように気を付けて。さっきも言ったけど、本来出入りする人がいない場所だから、不審がられる事は確実だ」
「気を付けるわ」
自分の手のひらに乗せられた小さな鍵を見ながら、カテリーナは自分の単調な生活の中で生じたちょっとした変化を、密かに喜んでいた。
ナジェークの指定した日時に、指定された場所に向かって階段を上がっていたカテリーナは、スカートのポケットと、袖の内側に隠し持って来た物を触りながらひとりごちた。
(何か不埒な事を企んでいるとしても、緊急用の笛と殴打用の短昆は持って来たから不安は無いけど。さすがに剣を寮の自室に持ち込めないけど、これ位の自衛手段は当然よね)
そんな不穏な事を考えながら階段を上がりきり、廊下を歩き始めた直後、すぐ横の扉が開いて声がかけられた。
「やあ、カテリーナ。ここだよ」
「……いきなり現れないで貰えるかしら?」
「話は後。取り敢えず人目が無いうちに、入って貰えるかな?」
「分かったわ」
本気で驚いたものの辛うじて面には出さずに応じた彼女を、ナジェークは笑顔で促した。それを受けて、カテリーナも周囲を見回してから、軽く顔をしかめつつその部屋に入る。
「それで? 大して付き合いの無いあなたが、こんな人気のない所にわざわざ私を呼び出した理由を教えていただけるかしら?」
「そう警戒しなくても……。君の事だから、男の呼び出しに丸腰で来るわけ無いだろう? 生憎とこちらは物騒な物の類は何も持ち合わせていないし、十分叩き伏せられると思うよ?」
「それはどうも。その申告を、信じられたらの話ではあるけど」
軽く両手を上げながら悪びれずに語ったナジェークだったが、カテリーナは緊張を解かないまま素っ気なく応じた。しかし彼は気を悪くしたりせず、壁に設置された本棚に歩み寄る。
「それで、ここに君を呼び出した理由だが、ちょっとした秘密を二人で共有しようと思ってね」
「秘密?」
「ああ、ちょっと待っていてくれ」
首を傾げたカテリーナの前で、ナジェークは本棚の左側に立ち、それを両手でゆっくり反対側に押し出した。
「よっ……、と」
すると作り付けと思われたその本棚は、音も無く滑るように横に移動し、人が一人くぐれる程度の穴が壁に現れる。それを目の当たりにしたカテリーナは、呆気に取られた。
「はぁ? 何よ、これは?」
「いわゆる、隠し部屋への入り口だね。中を見てみるかい?」
「そうね。せっかくだし、見せて貰うわ」
好奇心に負けた彼女は油断しないまま穴をくぐり抜け、壁の向こう側に入ってみた。そしてさほど広くない場所を、ざっと観察する。
「幅は狭いけど、ちゃんと窓があるのね。それに開けられるの?」
「ああ、掃除をするついでに、ちゃんと空気の入れ換えもすませた」
その台詞に引っかかりを覚えたカテリーナは、ナジェークを振り返って尋ねた。
「掃除って、誰が?」
「俺が」
「何のために?」
「淑女をお招きするのに、埃だらけのままにはしておけないだろう?」
「シェーグレン公爵家では、掃除は使用人任せにしていないの?」
「綺麗になるのを見るのは楽しいだろう? それに寮の部屋は基本的に、自分で掃除するものだし」
(それはそうでしょうけど……、片手間に掃除したにしては、妙に綺麗な気がするのよね……。いえ、そんな事より)
閉め切ってある筈の室内が綺麗な事に関しては納得しかけたものの、カテリーナは根本的な疑問を口にした。
「ちょっとお尋ねしますけど、先程あなたはここを『隠し部屋』と仰いましたよね?」
「確かに言ったね。それが何か?」
「それなのに、どうして一生徒にしか過ぎないあなたがそれを知っていて、平然と入り込んでいるの?」
「窓が多かったんだ」
「はい?」
「この第二教授棟は中央に入口と階段があって、左右に廊下が伸びている造りだろう?」
「そうだけど、それが?」
話が逸れたように感じながらも、怪訝な顔でカテリーナが話の先を促すと、ナジェークが淡々とこの間の事情を説明した。
「廊下から見た部屋割りから考えると、どうも外から見た時に窓の数が一つ多い気がしてね。入学直後に敷地内の建物を全て見て回った時にそれに気付いたから、2ヶ月程かけて、この棟のこの階の研究室や倉庫の管理担当者と知り合いになって、不自然では無い理由を付けて室内の窓を確認して回ったんだ」
「何を些細な事にこだわっているのよ……。それにあなた、相当暇なのね」
そこまで聞いたカテリーナは完全に呆れ顔になったが、ナジェークは彼女の皮肉を笑って受け流した。
「そうしたら案の定、やっぱり窓が一つ少ないだろう? 反対側は角部屋の教授室だし、怪しいのは階段に隣接したこちら側だと見当を付けたんだ」
「そこまでは分かったけど、そもそもこの倉庫は普段、教授や事務係官が施錠管理している筈よ。それなのに、どうして平然と入り込めるのかしら?」
「入学以来、事務係官室に入り浸って事務作業を手伝ったり、差し入れをしたりして友好関係を築いているから。そのついでに隙を見てここの鍵の型を取って、合鍵を作らせて貰った」
「本当にろくでもないわね!」
「まあ、そう言わずに。良かったらこれを進呈するよ」
苦笑しながら差し出された鍵を、カテリーナは胡散臭そうに見やる。
「……どういう事かしら?」
「単に君が、煩わしさを感じない空間が欲しいんじゃないかと思っただけだ。カフェとか図書室とかでも、絡まれる時は絡まれるだろう?」
「人目を気にして、こそこそ隠れろと言うの?」
「こそこそ? 君はこれまで、単独行動が噂の的になると考えて、人目の無い場所を探していたのか?」
神経を逆撫でするような物言いをされたカテリーナは、小さく舌打ちしてから言い放った。
「そんなわけ無いでしょう? 一人だろうが周りに人がいようが、私は行きたい所には行くし、やりたい事をやるわ」
「だから君が来たい時に、ここに来れば良いだけの話さ。喧噪とは無縁のここに本でも持ちこめば、集中できる事請け合いだ」
(それはそうかもしれないけど……)
大して広くはないスペースを改めて見回してから、カテリーナは確認を入れた。
「因みに、他に合鍵を持っている人は?」
「僕だけだね。この資料室は、通常の授業とかでは使わない物が保管されているから、事務係官も滅多に出入りしないし」
「あなたもここを利用しているの?」
「そうだね。なかなか快適だよ」
「…………」
平然とそう述べたナジェークを、カテリーナは僅かに眉根を寄せて凝視した。その視線を受けて、ナジェークがからかうように言い出す。
「おや? 密室で男と二人きりと言うのは、やはり淑女の嗜みからは外れるのかな? それとも剣術ではなくて格闘技には、少々自信が無いとか?」
「ふざけているの?」
「いたって真面目に話しているつもりだが。確かに人目は少ないが、この棟が全くの無人になる事態は考えにくいし、大声で叫んだり派手な物音を立てれば、さすがに誰かに気付かれるさ。その場合こちらは、ちょっとした隠れ家を白日の下に晒され、ついでに不名誉も背負う事になるわけだ」
(言っている事は正しいけど、笑いながら口にしているところがね)
どこまで本気か分からない様子の彼に、カテリーナは内心で苛ついたが、それは面には出さずに肩を竦めた。
「台詞だけは神妙だけど、表情と口調に悲壮感が皆無なのが興醒めだわね」
「それは失礼」
(本当に、掴み所の無い人ね。でも、まあ良いわ)
皮肉を口にしても、相変わらず捉えどころがない笑みを浮かべているナジェークを見て、カテリーナは気持ちを切り替え、彼に向かって手を伸ばした。
「それなら遠慮無く、使わせていただくわ」
「どうぞ。ただし出入りする時、他の人間に見られないように気を付けて。さっきも言ったけど、本来出入りする人がいない場所だから、不審がられる事は確実だ」
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