その華の名は

篠原皐月

(16)取り敢えずの勝利

 完全に頭に血を上らせ、夜会から戻る馬車の中で散々カテリーナに対して悪態を吐いたエリーゼだったが、当然それで治まる筈も無く、早速翌日報復に出た。


「お義姉様。外出から戻ってから侍女に聞いたのですが、私が自室で保管していた衣装を、私に断り無く勝手に処分されたそうですね?」
「まあ……、エリーゼ。それは本当なの?」
 挙動不審な侍女に出迎えられたカテリーナがそれを見逃す筈もなく、彼女を語気強く問い質してその事実を聞き出した。そして彼女は夕食の席で義姉を告発し、イーリスも咎める視線を向けたが、エリーゼは恐れ入ったりせずに堂々と言い返した。


「それがどうかしましたか? あのような男装など、人前で披露するなど恥知らずにも程があります。私は侯爵家の品位を保つ為に、当然の事をしたまでです」
「それでは今後出席を予定している、伯爵家とシュレイバー公爵家の夜会には、丁重にお断りの連絡をしなければいけませんわね。お義姉様の責任ですので、よろしくお願いいたします」
 それを聞いても怒り出す事は無く、カテリーナが逆に淡々と用事を言いつけてきた為、エリーゼは腹を立てて言い返した。


「なんですって!? どうして参加を取り止めなければいけない上、私がその連絡をしなくてはいけないの!?」
「ですが先日の夜会で、私の装いを大層お気に召していただいた方々から、自分が主催する夜会でも男装して来場して、場を盛り上げて欲しいと要請を受けまして。それを無碍にお断りできるような方々ではありませんから、全員とお約束したのですわ」
「なんですって!?」
 会場中の話題を独り占めしただけでは無く、女性達にさり気なく働きかけ、しっかり言質を取っていたカテリーナがそれを披露すると、エリーゼは声を荒げた。それを聞いたジェフリーとイーリスは無言で顔をしかめたが、カテリーナはそれに気付かないふりで、恨みがましく話を続ける。


「男性用の礼服は幾つか作らせておきましたから、長期休暇中に参加する夜会には、問題なく着用できると考えておりましたのに……。すっかり予定が狂ってしまいましたわ。これはどう考えても、お義姉様の責任ですもの」
「ふざけないで! 普通のドレスで出席すれば良いだけの話でしょう!?」
「そんな事をしたら、期待されていた皆様が落胆されるのが確実です。それだけでは済まずに『キャステル家の夜会では大いに場を盛り上げておられたのに、私の要請など取るに足らない、我が家は配慮するに至らない家だと言うことかしら』などと非難されたら、どう釈明するおつもりですの?」
「それはっ……」
 その可能性を問われたエリーゼは咄嗟に言い返せず、食堂内に気まずい沈黙が漂った。そんな中、疲れたように溜め息を吐いてから、イーリスが娘と嫁に言い聞かせる。


「仕方がありませんね……。カテリーナ。大至急、衣装を仕立てさせなさい。皆さんを不快にさせる事は、慎まないといけないわ」
「ですがお母様。来週半ばには、ニスモー伯爵家の夜会があるのですが……」
「割増料金を払って急がせれば、なんとかなるでしょう。今後のエリーゼの衣装代に回す分を、そちらに優先的に回せば良いわ」
「なんですって!?」
「取り敢えず、何着必要なの?」
 予想外の事を言われたエリーゼは怒りの声を上げたが、カテリーナ達は彼女を無視して話を進めた。


「長期休暇中に、あと四回夜会が予定されていますので、最低でも四着は必要です」
「じゃあ早速、あなたが以前衣装を仕立てた店に遣いを出しなさい」
「分かりました」
 神妙に頷いたカテリーナだったが、納得できなかったエリーゼは、姑にくってかかった。


「お義母様! どうして私の予算から、カテリーナの衣装の仕立て代に回さなければいけないのですか!?」
 その抗議に、イーリスが素っ気なく言い返す。


「あなたが勝手にカテリーナの衣装を処分した事が原因なのだから、当然でしょう? そもそもカテリーナが出席する夜会の段取りは、全てあなたとジェスランが整えたのだから、二重の意味で責任を取る必要がある筈よ」
「あんまりですわ! まだ引き取りに行かせていない代金未払いの、これからの夜会で着るドレスもありますのよ!?」
「あなたはもうドレスを山ほど作っているでしょう? カテリーナは着て行く衣装が全く無くて困っているのよ? それに他の予算を回すとなると、執事達の余計な仕事が増えるでしょう。使用人達の面倒を増やさないで頂戴」
「お金を動かす事位、どうとでもできる事ですわ!」
「第一、一度着たドレスを着て、再び公の場に出るなど、侯爵家の人間としての品位が疑われます!」
「私は公の場で、何度も同じ衣装を着ているが?」
「…………」
 エリーゼを援護する為にジェスランも訴えたが、ここで如何にも不機嫌そうにジェフリーがその台詞を一刀両断し、室内には先程以上の重苦しい沈黙に包まれた。そのまま十数秒が経過してから、ジェフリーが重々しく決断を下す。


「着る衣装が無いと言うなら、夜会など出なくて構わん。お前達はもう一年以上領地に出向いていないし、暫く王都を離れて領地の様子を見てこい」
「そんな!」
「お義父様!」
「分かったな!? くだらん事で喚くな! この愚か者どもがっ!!」
「……はい」
 なおも抵抗しようとした息子夫婦を怒鳴りつけたジェフリーは、そのままの勢いで壁際に控えていた執事に言いつけた。


「ダニエル! 今から皆に二人の荷物を纏めさせて、明後日までには出立させろ! 馬車の手配や、領地に知らせる連絡も滞りなく、明日中に済ませておけ!」
「かしこまりました」
「…………」
 ダニエルが恭しく頭を下げたのを見て、ジェフリーは腹立たしげに、イーリスは溜め息を吐いてから食事を再開した。そしてジェスランは蒼白になっており、逆にエリーゼは怒りのあまり無言で顔を紅潮させていた。


(あらあら、勝手に墓穴を掘ってくださって……。いつまで領地に行っておられるのかは不明だけど、確実に長期休暇中は戻らないわね。この機会に、男装の衣装を作り溜めておきましょう)
 そんな家族の顔を盗み見ながら、カテリーナは素知らぬ顔で夕食を食べ進めた。




「……っ、あ、あははははっ! そうきたか! そんな楽しい話になっていたとはな! ガロア侯爵家が出るような催し物にうちが参加する機会は殆ど無いから、父上や母上経由でも話が伝わらなかったし、全然知らなかったぞ!」
 長期休暇最終日を明後日に控え、翌日には寮に戻るつもりのナジェークは、アルトーから手渡された報告書に目を通した。そしてカテリーナがあちこちの夜会に男装して乗り込んでいる事、更に女性陣を籠絡している事を読み終えてから、腹を抱えて爆笑した。それを見たアルトーが、遠い眼をしながら呟く。


「本当に……、ナジェーク様の意中の方は、うちのエセリアお嬢様とは別な意味で、なかなかに破天荒なお嬢様のようですね……」
 そこでなんとか笑いを抑えたナジェークが、側近の働きを褒めた。


「それにしても……、本当に長期休暇明けまでに、密偵をガロア侯爵邸に潜り込ませる事に成功するとはな。予想以上に働いてくれた」
「恐れ入ります。ナジェーク様が寮に戻るまでにご一報できるように、頑張ってみました」
「言わずもがなの事だが、潜入している者への手当てや工作費用を出し惜しむなよ?」
「勿論です。全額、公爵家全体の予算からでは無く、私がお預かりしているナジェーク様の予算から回しておりますので、他の誰にも気付かれる心配はありません。ご安心を」
「ああ、これからもよろしく頼む」
 満足げに頷いたナジェークは、再度側近の労をねぎらってから下がらせ、報告書に目を落としながら再び一人で笑い出した。


 ※※※


「ここまでが学園に入学してから、初めての長期休暇が終わるまでの経過だね」
 しれっとしながらそう告げてきた兄に、エセリアは僅かに目を細めながら問いかけた。


「お兄様……、そんな時からカテリーナ様に目を付けて、我が家の使用人まで動員して、着々と策を講じておられましたの?」
「そうだね」
 平然と返してくる兄に、エセリアは溜め息を吐き、困った兄だとでも言うように首を振る。


「呆れましたわ。予想以上の腹黒さですわね」
「常識をはるかに超越した妹にそう言われると、蔑称ではなく寧ろ誇らしく思うよ」
「それで? 話がここで終わるわけではありませんよね? まだこの段階では、お兄様達の個人的なお付き合いは皆無ですし」
「勿論だよ。ただちょっとこの冷め切ったお茶ではなくて、温かいお茶を飲ませて貰いたいな」
「確かに私も話を聞き洩らしたリ、書き洩らしたリしないようにと集中して、結構喉が渇きましたわ。ルーナ!」
 二人の前に置いてあるカップの中身は、既に冷え切っており、エセリアは壁際に控えている自分付きの侍女にお茶を淹れ直させようと声をかけた。しかしそれと同時に部屋の外からドアが控え目にノックされ、侍女の一人がワゴンを押しながら姿を現す。


「失礼いたします。ルーナさん、先程頼まれたお湯を持って来ました」
「ありがとうございます。後はこちらでしますので」
 そして彼女からワゴンを受け取ったルーナは、主人達に向き直って軽く頭を下げて説明した。


「そろそろ温かいお茶のお代わりを求められる頃合いかと思いまして、予め頼んでおきました。新しいカップも温めておきましたので、すぐにお出しできます。少々お待ちください」
「……ありがとう」
「本当に優秀だね、ルーナ」
「恐れ入ります」
 どうやら破天荒な妹専属でいるうちに、ルーナの侍女としての能力が向上しているらしいと察したナジェークは、彼女に対して感嘆と憐憫の情を覚えた。



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