その華の名は
(2)苦い思い
「はぁ……、疲れたわ」
食事を済ませて自室に戻るなり気怠げにソファーに座ったカテリーナを見て、彼女付きの侍女であるフィアナは怪訝な顔で尋ねた。
「人を招いての晩餐会でもございませんのに、どうしてご家族で食事をしただけで、そんなに疲労困憊して戻っていらしたのですか?」
「お兄様とお義姉様が、余計な事を口走ったのよ」
「ああ……、大体のところは、見当が付きました。お嬢様の縁談に関わるお話でも出ましたか?」
何やら考え込みながらフィアナが口にした内容を聞いて、カテリーナは本気で驚き、思わず身を乗り出した。
「どうしてこれだけで分かったの? 凄いわ、フィアナ」
「種明かしをいたしますと、少し前、エリーゼ様に呼びつけられて、命じられた事がございまして」
フィアナは苦笑いの表情で答えたが、それとは対照的にカテリーナの顔が渋面になる。
「……お義姉様が? あなたに、一体何を言ったの?」
「お嬢様と釣り合う殿方を話題に出して、その方を誉めるようにと言われました」
「でもこの間、フィアナは私にそんな事を、全く話していないわよね?」
「私は高貴で才気溢れる方々とは違いまして、物覚えが格段に悪いもので。エリーゼ様の前で復唱できても、お嬢様の前に辿り着いた途端に、綺麗さっぱり忘れ去ってしまうのですわ」
フィアナがすました顔でそんな事を言ってのけた為、カテリーナは思わず噴き出してしまった。
「お義姉様の指示を完全無視? 大したものね、フィアナ。でも怒られないの?」
「奥様と旦那様の前ではきちんと取り繕っておりますし、指示通りにしております。そもそもお嬢様付きの私に、若奥様がわざわざご用を言い付けるのは、不自然でございましょう?」
「確かにそうなのだけどね」
そこでカテリーナは、気になった事を尋ねてみた。
「因みにお義姉様は、どんな方の事を私に吹き込もうとされたの?」
「シェルツ公爵次男のレキシー様、ムーア侯爵嫡子のヒース様、バトラム伯爵嫡子のロイド様、ランドース伯爵三男のグリック様です」
「あらあら……、今度は今の話だけで、お義姉様の思惑が透けて見えたわ」
「どういう事ですか?」
不思議そうに尋ね返したフィアナに、カテリーナは丁寧に解説した。
「二年程前、我が国では第一王子であるグラディクト殿下が立太子されたけれど、彼が側室腹である事に加え、実の伯父のバスアディ伯爵の人望の無さが相まって、同様に側室腹のアーロン第二王子殿下を次期国王に推す派閥が、依然として存在する事は知っているでしょう?」
「勿論ですわ。旦那様はアーロン殿下を推しているのを、周囲に隠そうともしておられませんから」
「お父様は王子殿下方の素質云々ではなくて、犬猿の仲のバスアディ伯爵が推しているから、グラディクト殿下の立太子に異を唱えているだけよ……。あの一本気な性格は、何とかならないものかしら?」
「おかげでガロア侯爵家は、アーロン王子派の中でも目立っておりますね」
「本当に。いつか不敬罪と認定されないか、時々不安になるわ……。それで先程フィアナが口にした方の家は、アーロン王子派、もしくは中立派に所属しているの」
うんざりしながらカテリーナがその事実を告げると、フィアナは深く納得して頷いた。
「なるほど。お嬢様を餌に、同派閥の中での発言権を増すように画策したり、自派を有利にする家を中立派からこちらに引き込もうという腹積もりですね。でもそれなら旦那様に、そちらの家との縁談を勧めれば良いだけの話ではありませんか?」
フィアナのその新たな疑問に、カテリーナが皮肉っぽく答える。
「先程名前が出た方々は、揃って元々素行が悪かったり、クレランス学園在籍中の成績が悪い事で噂になったり、例の御前試合で私が叩きのめした方々なのよ」
「なるほど……。あの一本気な旦那様が、そんな相手との縁談を、自ら進める筈がございませんね」
「お義姉様の実家のダトラール侯爵家は、アーロン王子派の中核を為す家ですからね。実家経由で話がきたのではないかしら?」
「確かにお嬢様は黙って座っていれば、立派に美人の範疇に入りますからね。性格は見た目以上に凛々しくあられて、行動は想像以上に雄々しいですが」
「酷いわね、フィアナ」
遠慮の無い物言いにカテリーナが苦笑していると、フィアナが溜め息を吐いてから真顔で言い出した。
「ですがお嬢様。若奥様に妬まれましたね」
「あら、どうして?」
「若奥様よりお嬢様の方が、明らかに美人だからです。だから平気で、評判の悪い方の嘘八百な噂をお嬢様に吹き込んで、縁談を纏めようとするんですわ」
「フィアナは随分、独創的な発想をするのね。知らなかったわ」
「ですが、若奥様よりお嬢様の方が、遥かに聡明でいらっしゃる事も判明しましたわ。そんな噂を真に受けて結婚を決めるなどと、本気で考えている方がおかしいですもの」
「確かにね。そもそもフィアナがそれを真に受けて私に逐一伝えると、本気で信じていたのかしら?」
首を傾げたカテリーナに、フィアナが沈鬱な表情で思うところを正直に述べる。
「あんな方が将来、ここの女主人となられるなんて……。不安しか感じませんわ」
「でも、今一つ短絡的なお兄様とは、ある意味お似合いではない?」
「……不安を増長させる事を、仰らないでください」
「ごめんなさい」
嫌そうな顔で苦言を呈したフィアナに、カテリーナは苦笑しながら軽く頭を下げた。すると何故かフィアナが、幾分迷うそぶりを見せてから、思い切った様子で話し出す。
「それで……、カテリーナ様。報告が、遅くなってしまったのですが……」
「あら、何かしら?」
「実は子供ができまして。お嬢様がクレランス学園の寮に入るのと同時に、お屋敷の仕事を退かせて貰う事になっております」
その報告に軽く目を見張ったカテリーナは、次に満面の笑みで祝いの言葉を口にした。
「そうだったの? 全然知らなかったわ。おめでとう」
「ありがとうございます。ですから休日にお戻りになった時には、他の者がお嬢様のお世話する事になります」
「それは残念だけど、仕方がないわね。でも、気にしないで。これまで十年間、ずっと私に付いてくれてありがとう。これからもオリバーと仲良くね?」
屋敷の執事の一人と結婚した後も、これまで自分に付いてくれていた侍女に、カテリーナは心からの感謝の意を伝えたが、対するフィアナは何やら思い詰めた表情で口を開いた。
「……お嬢様」
「どうしたの?」
「お嬢様が、一般的な貴族のご令嬢の枠から多少外れているとしても、そんなお嬢様を丸ごと認めて受け入れてくださる殿方は、この世の中に必ず存在する筈です。決して不本意な結婚など、なさらないでください」
微妙に悲壮感が漂う訴えを、カテリーナは穏やかな笑顔で受け止めた。
「勿論よ。安心して頂戴。それよりも子供が産まれたら、お祝いを贈るわね。何か欲しい物はあるかしら?」
「いえ、お嬢様。使用人如きにそこまでのご厚情は」
「良いじゃない。お父様とお母様も、そこまで堅苦しく考える方ではないわ」
慌てて固辞するフィアナを笑顔で宥めながら、カテリーナは心の中で辛辣な事を考えていた。
(お義姉様は、違うご意見でしょうけどね。使用人は取るに足らない存在だと、思っていらっしゃるようですし)
ある意味、自分よりも遥かに貴族らしい義姉の顔を思い浮かべたカテリーナは、無意識に眉間にしわを寄せた。
(フィアナがお義姉様に対してあそこまで強く出られたのは、近々この屋敷から退く事が分かっていたからでしょうね。だけど今後、この事を根に持ってオリバーを冷遇する可能性もあるから、注意しておかないと)
そんな忌々しい思いを心の中に押さえ込みつつ、カテリーナはこの煩わしい生活から抜け出す事ができる学園の寮生活を、心待ちにしていた。
食事を済ませて自室に戻るなり気怠げにソファーに座ったカテリーナを見て、彼女付きの侍女であるフィアナは怪訝な顔で尋ねた。
「人を招いての晩餐会でもございませんのに、どうしてご家族で食事をしただけで、そんなに疲労困憊して戻っていらしたのですか?」
「お兄様とお義姉様が、余計な事を口走ったのよ」
「ああ……、大体のところは、見当が付きました。お嬢様の縁談に関わるお話でも出ましたか?」
何やら考え込みながらフィアナが口にした内容を聞いて、カテリーナは本気で驚き、思わず身を乗り出した。
「どうしてこれだけで分かったの? 凄いわ、フィアナ」
「種明かしをいたしますと、少し前、エリーゼ様に呼びつけられて、命じられた事がございまして」
フィアナは苦笑いの表情で答えたが、それとは対照的にカテリーナの顔が渋面になる。
「……お義姉様が? あなたに、一体何を言ったの?」
「お嬢様と釣り合う殿方を話題に出して、その方を誉めるようにと言われました」
「でもこの間、フィアナは私にそんな事を、全く話していないわよね?」
「私は高貴で才気溢れる方々とは違いまして、物覚えが格段に悪いもので。エリーゼ様の前で復唱できても、お嬢様の前に辿り着いた途端に、綺麗さっぱり忘れ去ってしまうのですわ」
フィアナがすました顔でそんな事を言ってのけた為、カテリーナは思わず噴き出してしまった。
「お義姉様の指示を完全無視? 大したものね、フィアナ。でも怒られないの?」
「奥様と旦那様の前ではきちんと取り繕っておりますし、指示通りにしております。そもそもお嬢様付きの私に、若奥様がわざわざご用を言い付けるのは、不自然でございましょう?」
「確かにそうなのだけどね」
そこでカテリーナは、気になった事を尋ねてみた。
「因みにお義姉様は、どんな方の事を私に吹き込もうとされたの?」
「シェルツ公爵次男のレキシー様、ムーア侯爵嫡子のヒース様、バトラム伯爵嫡子のロイド様、ランドース伯爵三男のグリック様です」
「あらあら……、今度は今の話だけで、お義姉様の思惑が透けて見えたわ」
「どういう事ですか?」
不思議そうに尋ね返したフィアナに、カテリーナは丁寧に解説した。
「二年程前、我が国では第一王子であるグラディクト殿下が立太子されたけれど、彼が側室腹である事に加え、実の伯父のバスアディ伯爵の人望の無さが相まって、同様に側室腹のアーロン第二王子殿下を次期国王に推す派閥が、依然として存在する事は知っているでしょう?」
「勿論ですわ。旦那様はアーロン殿下を推しているのを、周囲に隠そうともしておられませんから」
「お父様は王子殿下方の素質云々ではなくて、犬猿の仲のバスアディ伯爵が推しているから、グラディクト殿下の立太子に異を唱えているだけよ……。あの一本気な性格は、何とかならないものかしら?」
「おかげでガロア侯爵家は、アーロン王子派の中でも目立っておりますね」
「本当に。いつか不敬罪と認定されないか、時々不安になるわ……。それで先程フィアナが口にした方の家は、アーロン王子派、もしくは中立派に所属しているの」
うんざりしながらカテリーナがその事実を告げると、フィアナは深く納得して頷いた。
「なるほど。お嬢様を餌に、同派閥の中での発言権を増すように画策したり、自派を有利にする家を中立派からこちらに引き込もうという腹積もりですね。でもそれなら旦那様に、そちらの家との縁談を勧めれば良いだけの話ではありませんか?」
フィアナのその新たな疑問に、カテリーナが皮肉っぽく答える。
「先程名前が出た方々は、揃って元々素行が悪かったり、クレランス学園在籍中の成績が悪い事で噂になったり、例の御前試合で私が叩きのめした方々なのよ」
「なるほど……。あの一本気な旦那様が、そんな相手との縁談を、自ら進める筈がございませんね」
「お義姉様の実家のダトラール侯爵家は、アーロン王子派の中核を為す家ですからね。実家経由で話がきたのではないかしら?」
「確かにお嬢様は黙って座っていれば、立派に美人の範疇に入りますからね。性格は見た目以上に凛々しくあられて、行動は想像以上に雄々しいですが」
「酷いわね、フィアナ」
遠慮の無い物言いにカテリーナが苦笑していると、フィアナが溜め息を吐いてから真顔で言い出した。
「ですがお嬢様。若奥様に妬まれましたね」
「あら、どうして?」
「若奥様よりお嬢様の方が、明らかに美人だからです。だから平気で、評判の悪い方の嘘八百な噂をお嬢様に吹き込んで、縁談を纏めようとするんですわ」
「フィアナは随分、独創的な発想をするのね。知らなかったわ」
「ですが、若奥様よりお嬢様の方が、遥かに聡明でいらっしゃる事も判明しましたわ。そんな噂を真に受けて結婚を決めるなどと、本気で考えている方がおかしいですもの」
「確かにね。そもそもフィアナがそれを真に受けて私に逐一伝えると、本気で信じていたのかしら?」
首を傾げたカテリーナに、フィアナが沈鬱な表情で思うところを正直に述べる。
「あんな方が将来、ここの女主人となられるなんて……。不安しか感じませんわ」
「でも、今一つ短絡的なお兄様とは、ある意味お似合いではない?」
「……不安を増長させる事を、仰らないでください」
「ごめんなさい」
嫌そうな顔で苦言を呈したフィアナに、カテリーナは苦笑しながら軽く頭を下げた。すると何故かフィアナが、幾分迷うそぶりを見せてから、思い切った様子で話し出す。
「それで……、カテリーナ様。報告が、遅くなってしまったのですが……」
「あら、何かしら?」
「実は子供ができまして。お嬢様がクレランス学園の寮に入るのと同時に、お屋敷の仕事を退かせて貰う事になっております」
その報告に軽く目を見張ったカテリーナは、次に満面の笑みで祝いの言葉を口にした。
「そうだったの? 全然知らなかったわ。おめでとう」
「ありがとうございます。ですから休日にお戻りになった時には、他の者がお嬢様のお世話する事になります」
「それは残念だけど、仕方がないわね。でも、気にしないで。これまで十年間、ずっと私に付いてくれてありがとう。これからもオリバーと仲良くね?」
屋敷の執事の一人と結婚した後も、これまで自分に付いてくれていた侍女に、カテリーナは心からの感謝の意を伝えたが、対するフィアナは何やら思い詰めた表情で口を開いた。
「……お嬢様」
「どうしたの?」
「お嬢様が、一般的な貴族のご令嬢の枠から多少外れているとしても、そんなお嬢様を丸ごと認めて受け入れてくださる殿方は、この世の中に必ず存在する筈です。決して不本意な結婚など、なさらないでください」
微妙に悲壮感が漂う訴えを、カテリーナは穏やかな笑顔で受け止めた。
「勿論よ。安心して頂戴。それよりも子供が産まれたら、お祝いを贈るわね。何か欲しい物はあるかしら?」
「いえ、お嬢様。使用人如きにそこまでのご厚情は」
「良いじゃない。お父様とお母様も、そこまで堅苦しく考える方ではないわ」
慌てて固辞するフィアナを笑顔で宥めながら、カテリーナは心の中で辛辣な事を考えていた。
(お義姉様は、違うご意見でしょうけどね。使用人は取るに足らない存在だと、思っていらっしゃるようですし)
ある意味、自分よりも遥かに貴族らしい義姉の顔を思い浮かべたカテリーナは、無意識に眉間にしわを寄せた。
(フィアナがお義姉様に対してあそこまで強く出られたのは、近々この屋敷から退く事が分かっていたからでしょうね。だけど今後、この事を根に持ってオリバーを冷遇する可能性もあるから、注意しておかないと)
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