酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(130)心の弟の暴走

 色々予想外の事態が勃発しながらも披露宴は終了し、主役二人は招待客を見送る為、一足先に会場から廊下へ出た。そして先導するスタッフの指示に従い、正面のドアの横に、二人並んで立つ。
 準備が整ったのか会場内で披露宴の終了を告げる司会の案内が流れ、ドアが左右に大きく開かれた。普通であれば、帰り支度を済ませた招待客がぞろぞろと出てくるはずが、奇妙な間が生じる。

「なかなか招待客が出て来ないな」
「理由は分かるけどね。若い人達は年配の方に先を譲り、年配の方達の間でも役員とか来賓の方に先を譲り……」
「その人達も、あのご夫婦には遠慮するとなると……、一番最初に来るのはやはり藤宮夫妻だろうな」
「ねえ、なんだか騒がしくない?」
 沙織達は藤宮夫妻が真っ先に出てくるだろうと思い込んでいたが、予想に反して何やら言い争う声と共に、数人が一塊になってドアから出て来た。

「君、何をやっているんだ!」
「若輩者は立場を弁えろ!」
「年長者に先を譲らんか!」
「最低限の空気を読め!」
「常識というものが無いのか!?」
「放してください!! 社会人として職場での立場や常識は大事ですが、一個人として俺にとってそれよりも大事な事があるんです!!」
 集団の中心にいるのは佐々木であり、彼の周りを松原工業の重役たちが取り囲んで、怒鳴り合いをしていた。そんな目上の人間達の手を振り払い、佐々木が沙織達の所に駆け寄って来る。

「佐々木……、あいつは何をやっているんだ? こんな場で騒ぎを起こすと、上層部に目を付けられるぞ?」
「勤務先の会長、社長、常務や専務に纏わりつかれながら悉く振り払うって、尋常ではないわね……」
「課長! 先輩! 今日はご招待いただき、誠にありがとうございました!」
 力強い祝いの言葉とは裏腹に、佐々木の声音と表情は激高していた。それに困惑しながら、友之が尋ね返す。

「あ、いや、来てくれて嬉しいが……。どうしてそんなに怒っているんだ? 何か不愉快な事でもあったのか?」
「大ありですよ! なんですか、あのメモリアルムービーはっ!! 動揺のあまり係長が泣き出してしまったので、俺まで騒いだら先輩達に迷惑をかけると思って、あの場は我慢しましたが! 言語道断です!」
「そうだったのか……。気遣わせてしまって、悪かったな」
「……佐々木君の反応が新鮮過ぎて、咄嗟になんと言えば良いのか分からないわ」
 思わず沙織達は、揃って遠い目をしてしまった。そんな中、佐々木の喧嘩腰の台詞が続く。

「先輩! 入社以来、先輩から指導を受けてきた、俺には分かります。あれは断じて、先輩の趣味ではありませんよね!?」
「勿論よ。佐々木君が分かってくれて嬉しいわ。本気で涙が出そう……」
「沙織、そんな大げさな」
 思わず涙ぐんだ沙織を、友之は宥めようとした。しかしそんな彼に対し、佐々木の鋭い叱責が飛ぶ。

「何を惚けた事を言ってるんですか! 諸悪の根源は課長じゃないですか!!」
「は? 佐々木、何を言っている?」
「先輩の趣味じゃないなら、あれは課長の趣味で作ったんですよね!? 幾ら夫婦でも、パートナーに強要して良い行為かどうかの判断がつかないんですか!? 先輩くらい許容範囲と懐が深い女性でなかったら、とっくに愛想を尽かされて、離婚されていますよ!! 仕事上では課長の判断力と統率力を尊敬していますが、プライベートでは幻滅しました!!」
「……佐々木、頼む。俺に弁解させてくれ」
「聞く耳持ちません!」
 思わず項垂れてしまった友之だったが、佐々木は容赦なかった。すると佐々木は沙織に向き直り、語気強く訴える。

「先輩! 今回の事で、俺は目が覚めました!」
「え? 何が?」
「これまで子持ちのバツイチ男で、課長と比べて野暮ったくて稼ぎも少ないと思って姉ちゃんの結婚相手に対して隔意がありましたが、よくよく考えたら無茶苦茶良い人ですよ! なんでも姉ちゃんの言うこと聞いて、間違っても自分の趣味を無理強いなんかしないし、稼ぎが少なくても全部渡してくれるから姉ちゃんが管理してるって言ってたし、連れ子は素直で可愛くて俺にも懐いてくれているし。先輩! 来週の姉ちゃんの結婚披露宴では、義兄さんとの事を心の底から祝福してきます!」
 どうやら本心から言っているらしいと分かった沙織は、懸念の一つが消えた事で安堵しながら頷いた。

「そう……。佐々木君がそういう心境になれたのなら、本当に招待した甲斐があったわ。来週は、お姉さん夫婦を祝福してきなさいね」
「はい! それから課長!」
「……ああ、なにかな?」
 何を言われるのかと、友之は反射的に身構えた。すると佐々木は、勢いよく上司に向かって指さししながら宣言する。

「家庭内での事には口を挟めませんが、職場内では話が別です! 今後は職場で、課長が先輩に対してモラハラやパワハラを行なわないよう、俺がしっかり監視していきますので、そのつもりでいてください! 俺の目が黒いうちは、先輩に対して理不尽な行為はさせません!」
「佐々木……。一体俺の事を、どんな人間だと思っている……」
 部下からの信頼が地に落ちている事態に、友之は暗澹たる気持ちになりながら呻いた。この間、佐々木の背後で松原工業の重役たちがハラハラしながら事態の推移を見守っていたが、その人垣の向こうから力強い拍手の音と共に、明るい声がかけられる。

「いやぁ、もの凄く力強い決意表明だった。すっかり感動したよ」
「ああ。直属の上司に歯向かってでも、先輩を守ろうとする心意気。これこそ真の漢だな」
「え? あ、先輩のお兄さんと弟さんですよね? 本日はおめでとうございます」
 親族席に座っているのを見ていた佐々木が、礼儀正しく頭を下げた。そんな彼に、豊と薫は満面の笑みで応じる。

「ありがとう。君みたいな実直な人間が、沙織の側にいると分かっただけで、とても心強いよ」
「全くだ。俺達は実の兄弟だが、沙織が苦境に陥ってもすぐに助けられる立場にはいないからな」
「聞くところによると君は職場で、沙織とは心の兄弟と宣言しているとか」
「そうであれば実の兄弟の俺達も、この機会に君と交流を深めたいな」
「これから俺達は、ちょっと飲みに行くつもりだったんだが、良かったら一緒にどうだい?」
「連絡先を交換しつつ普段の職場での様子とか、じっくり聞かせて貰いたいな」
「はい、是非ご一緒させてください! 俺もお二人とは、是非お近づきになりたいと前々から思っていました!」
「あ、ちょっと佐々木君!」
 思わぬ誘いに、佐々木は嬉々として頷いた。さすがに沙織は慌てて引き留めようとしたが、佐々木はあっさり二人について歩き出す。

「先輩! 先輩の職場での尊厳と名誉は、これから俺がしっかり守ります! 任せてください! それでは失礼します!」
「頼りにしているよ、佐々木君。あ、俺のことは豊と呼んでくれて良いから」
「俺の事は薫で。こんなに気概がある後輩がいるなんて、沙織は本当に幸せだよな」
「分かりました。豊さん、薫さん。改めて、宜しくお願いします」
 和気あいあいと語り合いながら三人が遠ざかって行くのを、沙織と友之は頭痛を覚えながら見送った。

「なんだかもう、嫌な予感しかしない……」
「今後は職場での出来事が、今まで以上に豊さん達に駄々漏れになるのか……」
 するとここで静かに人垣が割れ、藤宮夫妻が沙織達が立っている場所に進み出た。それを見て友之が気を取り直し、深々と頭を下げる。

「藤宮さん。本日はご夫婦でご列席いただき、ありがとうございました」
 沙織も同様に頭を下げると、夫婦から満足げな声がかけられる。

「今日はご招待していただき、ありがとうございます。とても楽しませていただきました」
「最初から最後まで披露宴に似つかわしくないピリピリした緊張感が溢れ出た光景と、予想外の面白すぎるVTRに、最後は心の兄弟の乱入と監視宣言だなんて。普通の披露宴では、まずお目にかかれませんもの」
「……最後まで、お楽しみいただけたのなら幸いです」
「今後とも、宜しくお付き合いください」
 もう殆ど社交辞令の台詞だったが、それにも藤宮氏は含み笑いで応じた。

「何かお困りの事があれば、いつでも我が社にご連絡を。依頼内容によって、割増料金か割引料金でお引き受けします」
「……ありがとうございます」
「その節は、宜しくお願いします」
(定価は無いのか……、この人なりのジョークかもしれないが……)
(そこに依頼しないといけない程、切羽詰まった状況に絶対なりたくない)
 この人達との付き合いは本当にこれきりにしたいと、二人は心の底から願った。

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