酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(126)一筋縄ではいかない兄妹

「二年程前になりますか……。CSCの技術者のうち、三割程が一気に退職した騒動があったのです。CSCの幹部の一人が同業他社を立ち上げて、そこへ引き抜いた結果だったのですが。その一連の騒動に、事もあろうに当行がCSCに派遣していた外部取締役が関与していました。当行がCSCのメインバンクなもので」
 それを聞いた周囲は、揃って唖然とした表情になった。

「それはまた、えげつない事を……」
「技術者が三割……、それはかなりの痛手ではないのですか?」
「従来の機密事項なども、持ち出された可能性がありますよね?」
「普通であれば相当混乱して、早晩立ち行かなくなってもおかしくありませんな」
「そうですね。当行が派遣した外部取締役も、CSCが立ち行かなくなった所を新会社が吸収合併して、結託した元幹部と共に甘い汁を吸おうと考えていたようです。普通でしたら、上手くいくはずだったのですがね……」
 久米川の心底うんざりした表情と、CSCが今現在何事もなく業界内で隆盛を誇っていることで、その企みが頓挫したのはその場全員に分かった。

「普通ではなかったと? 桜査警公社がなにやら手を打ったのですか?」
 てっきりそうかと思った友之が、思わず口に出した。しかし久米川は、それに首を振って否定する。

「いいえ。基本的に、あのご子息が手を打っていた筈です。三十手前で専務に就任した時は、社内でも『社長の息子だというだけで、重役就任した若造が』と反発されていました。しかし当の本人は委縮するわけでもなく、人畜無害な顔で平然としているもので、余計に反感を買ったらしいですな。それで元から不平不満を抱えていた連中が、水面下で一気に纏まったわけです。今にして思えば、社内の不穏分子を一掃するために、一之瀬社長がわざとそのタイミングで息子を就任させたとも思えるのですが」
「あの……、それでどうなったのですか?」
 友之が話の続きを促すと、溜め息を吐いた久米川は淡々と事実を伝えた。

「当時CSCと契約していた殆どの会社が、次々に新会社と契約。しかし一か月もしないうちにその新会社と契約した企業が会社が立て続けに外部からのサイバー攻撃を受け、そこの機密情報や個人情報が次々と流出してとんでもない騒ぎになりました。あれだけの騒ぎだったので、皆さんもご記憶にあるかと」
 それを聞いた周囲は、すぐに納得の表情になった。

「二年前……、ああ、あれか……」
「なにやら、大手企業が次々に海外のサイバーテロ集団にホストコンピューターを乗っ取られて、巨額な身代金を要求された……」
「あの一連の事件か」
「あれって、結局どうなったのでしたか。身代金は払うなと警察も周知徹底していますし」
「そうは言ってもやはり陰で払って、事なきを得たのではないのか?」
「新会社との契約を、サイバー攻撃を防御できなかった痂疲を理由に打ち切った企業が、CSCに縋って契約を再締結させた後、悉くCSCが原状復帰させたというのが真相だ」
「…………」
(ちょっと待て。それってまさか以前愛人騒動の時に聞いた、豊さん直属で柚希さんが所属しているシステム部監査課、別名アグレッサーとかが関与していたりしないよな!?)
 何やら一気にきな臭い話になってきた事で、とんでもない可能性に思い至った友之は勿論、他の者達も一斉に口を噤んだ。急に空気が重苦しくなる中、久米川がどこか遠い目をしながら、事の次第を告げる。

「一連の事件で信用を失墜した新会社は、設立から半年も経たずに倒産。そこに出資していた当行もそれなりに損失を出しましたが、ある日あのご子息が、CSCに派遣していた外部取締役を引きずって来行しました。当然と言えば当然ですが、例の新会社とその外部取締役がCSC吸収に向けて、裏で糸を引いていた証拠持参でです。前頭取に向かって『鶏並みの頭があるなら理解できるだろう。読んでみろ』との暴言つきでそれを投げつけられたのですが、とても反論も弁解もできる雰囲気ではなかったと、その場に居合わせた重役たちが口を揃えて……」
「それで……、豊さんはそちらの銀行を、相当非難されたと……」
 恐る恐る確認を入れた友之に、久米川は真顔で説明する。

「いいや。『銀行ともなると外部に漏れたら信用問題以前に、命を落とす可能性もある情報が目白押しでしょうね。セキュリティー契約の相手は、よくよく吟味するのに越したことはありませんよ?』とね。それだけ言って気味が悪いほどの笑顔で帰って行ったそうだ」
「それはまた……」
「容赦ないな……」
「その言葉の意味が分からない程、私達は愚か者ではない。即刻、重役会議に諮って、CSCとの契約額を従来の倍額にした上で、前頭取とCSCに派遣されていた外部取締役が引責辞任した。因みに、CSCを辞めた技術者達は新会社が倒産後にCSCに再就職を希望したが、当然受け入れられるはずもなく、他のIT関連の企業に就職しようとしても、どこからか企業秘密を持ち出した前歴があると伝わって悉く就職活動に失敗し、業界から全員駆逐されたとの噂がある」
「そう言えば沙織が以前、豊さんについて言っていたな……。『昔から淡々としているようで、一旦本気で怒ると本当に報復が容赦なかった』とか……。現に俺も一度、本気で頭を踏みつけられたし」
 義兄の物騒さを聞かされた友之は、思わず独り言を漏らした。それをきっかけに祖父である孝男を筆頭に、男達が友之に詰め寄ってくる。

「友之! 大丈夫だとは思うが、まかり間違ってもさっちゃんと別れるような真似はするなよ ︎」
「友之君! もう君一人の問題ではないからな!」
「松原工業の行く末が、君達の夫婦生活にかかっていると言っても過言ではないぞ ︎」
「君を信じているからな ︎」
「……分かっています。皆さん、どうか落ち着いてください」
(皆で寄ってたかって……。どうして披露宴直前に、縁起でもない話を聞かされなければならないんだ)
 確かに年下の義兄になかなか侮れない所があると感じていた友之だったが、こんな場でそれを再認識させられる羽目になり、披露宴が始める前から疲労感が倍増していた。



「それでは時間になりましたらお呼びしますので、こちらで少しお待ちください」
「ありがとうございます」
 新婦の支度が終わった連絡を受け、友之は新郎控室から案内されて、新婦控室にやって来た。すると二人きりになった途端、沙織は冷静に感動も色気もない話題を出す。

「こっちはメイクや着替えにかかりっきりだったけど、例の人達に挨拶は済ませてきたのよね? 何か問題は無かった?」
「取り敢えず、穏当に挨拶はできたと思う。途中からは豊さんが、対応を引き受けてくれたし」
「当然よね。豊が勝手に招待客のリストに入れたんだもの。物騒だろうがなんだろうが、それくらいするのが当然よ。披露宴の間、お母さんが暴れないように抑える役を押し付けるのも、一連の事で全然引け目を感じなくなったわ」
 半ば憤然としながらウエディングドレス姿でふんぞり返った沙織を見て、友之は深い溜め息を吐いた。

「沙織……」
「帰りたいって愚痴なら止して頂戴」
「愚痴くらい言わせてくれ」
 どこまでも容赦の無い妻に、友之は(確かにあの豊さんと兄妹だな)と妙に納得してしまった。




コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品