酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(123)馴れ初め話の暴露

 様々な事情から、職場からの披露宴参加者は杉田と佐々木のみになっていたが、他の同僚達が黙っている筈もなく、披露宴の前週末にほぼ全員参加での二人の結婚を祝う会が開催された。

「それでは、松原課長と関本の結婚を祝して、乾杯!」
「乾杯!」
 幹事に立候補した吉村の音頭で、全員が笑顔でグラスを掲げて乾杯した。貸し切りにしたダイニングバーは質、量ともに充実した料理と酒が揃っていると評判であり、早速テーブルの上には前菜の盛り合わせやシーザーサラダ、唐揚げなどが並べられている。
 飲み始めると同時に、各自が入れ代わり立ち代わり友之と沙織が並んで座っている所に出向き、祝いの言葉を述べつつお酌するのを繰り返していたが、時間が経つにつれ、(全員からお酌された分を飲んでも、酔いつぶれないとは思うけど……)と沙織は少々心配になってきた。すると結構ハイペースで飲んでいたらしい朝永が、少し離れた席から上機嫌に声を張り上げる。

「二人とも事実婚は勿論のこと、交際の気配すら全く感じさせなかったのは、本当に大したものだよな! この際だ。いつ頃、どんなきっかけで付き合い始めたのか、とことん聞かせて貰おうじゃないか!」
 その提案に、周囲が一気に盛り上がる。

「あ、俺も! そこら辺を是非!」
「そうだ、それを聞きたいと思ってたんだよ!」
「配属以来、全くそんな気配を感じさせなかったし」
「一番可能性があるのは、やっぱりあれか?」
「関本がストーカーに纏わりつかれて、課長のお宅にお世話になっていた時かな?」
「そんな時もあったな……」
「そんな時もあったわね……」
 この間に色々あり過ぎて、元カレに沙織が纏わりつかれていたことなど殆ど忘れていた当事者二人は、僅かに顔を引き攣らせた。そして友之は少し考え込んでから、その問いに答える。

「厳密に言えば違うかな? 確かに、仕事中とは違う沙織の色々な面が見れて、少し意識はしたと思うが。その時は寧ろ、母が沙織を気に入ってしまって困った」
「そうだったんですか。でも嫁姑の仲が結婚前から良好って、理想的ですよね」
「そうだな……、どちらかと言えば、母は俺より沙織の方が可愛くて大事らしい」
「あはは、そんな課長……」
 ちょっと拗ね気味に友之が告げると、常には見せない様子に周囲が笑いに包まれた。そこで色々と思い返していた沙織が、該当する出来事について言及する。

「ええと……、何が付き合うきっかけになったかと考えると、そのストーカー問題が片付いた後に『面倒な元カレも片付いたし、気分一新して付き合わないか』と言われたことかしら? それで、お試しで付き合ってみるか的な流れになったから」
 その説明に、周囲は揃って微妙な反応を返してきた。

「そんな感じだったのか?」
「なんというか……、意外だな」
「ドライというか軽い感じがするというか……」
「交際歴が華やかだった課長のイメージだと、もう少し洗練というか情熱的な口説き文句を言ったのかと」
「そうだよな? だって口説く相手が関本だぜ? ちょっとやそっとの口説き文句で落ちるかよ」
「……皆の、俺に対するイメージはどうなっているんだ」
「私のイメージに対しても、もの申したい気持ちなんだけど」
 思わず溜め息を吐いた友之に、憮然とした表情になった沙織。しかしそこで、それに関して沙織がある事を思い出した。

「ちょっと質問なんですけど」
「おう、どうした関本」
「例えば『惚れるなら俺に惚れろ』とか言うのは、情熱的な口説き文句の部類に入ると思いますか?」
 沙織がそう口にした瞬間、何かを取り落としたり噴き出すような音がそこかしこで発生した。そして友之の狼狽した声と、それを打ち消すような歓声が上がる。

「おっ、おい、沙織! それって!?」
「うわぁぁぁぁっ!! やっぱり課長はそうでなくっちゃ!」
「課長位、自分に自信がないと言えない台詞ですよね!!」
「あぁぁっ、俺も一度は言ってみたい!!」
「止めておけ。お前だと相手に鼻で笑われて終わりだ」
「酷いですね!? いいじゃないですか、夢くらい見たって!!」
「先輩。今の台詞って、課長に『付き合わないか』って言われた時の流れで、そういう台詞が出てきたんですか? 後学のために、どういうシチュエーションで言われたのか教えてください!」
 嬉々として佐々木が訴えると、見事に店内が静まり返った。そして狼狽する友之とは対照的に、沙織が真顔で興味津々の一同に説明を始める。

「ちょっと待て、沙織!」
「構わないわよ? 『付き合わないか』と言われた以前に、その台詞が出てきたわね。いきなり自宅マンションに友之さんが訪ねて来たかと思ったら、ソファーに押し倒されて、その時に言われたの」
「ああ、押し倒され……、えぇぇぇ!?」
「…………」
 限界まで目を見開きつつ、佐々木は勢い良く友之を振り返った。すると友之は、片手で顔を覆って項垂れてしまう。

「おいおい、関本。幾らなんでもそこまで赤裸々に語るな」
「酔ってるのか? 独り身の佐々木をからかったり苛めるな」
「人聞き悪いですね。全然色っぽい話ではありませんから、からかったり苛めたりしていませんよ。第一その時、友之さんは私が父の愛人だと勘違いしていたんですから」
 沙織の解説に、その場が再び静まり返った。そして似たような内容で身に覚えのある吉村が、控え目に片手を上げながら問いを発する。

「その……、関本? それって、例の愛人疑惑騒動より、前の話だよな?」
「そうですよ。それでなんだかとち狂った友之さんが私を押し倒した所で、偶々訪ね来た父に問答無用で殴り倒されたんです」
「はぁ!? その状況で、一之瀬社長に遭遇したのか!?」
「ええ。それでキレた友之さんが、すぐさま父を殴り返しました。とんでもない修羅場だったですね……。激高する父を必死に宥めている間に友之さんを叩き出して、翌日就業後に落ち合って事情説明をしたんです。それで誤解が解けた後に、四方山話のついでに『付き合わないか』云々を言われて、きちんと付き合い始めたのはそれからですね」
「…………」
 話は終わったとばかりに、沙織はグラスの中身を一気に飲み落とした。そして周囲の者達は揃って微妙な表情で黙り込み、顔を片手で覆って項垂れた友之を中心に、沈鬱な空気すら漂い始める。

「舅との初対面が、押し倒している場面って……」
「初対面で殴り合いの方が、俺はインパクトが強かったぞ」
「よくよく考えてみれば謝罪に出向いた時、俺より課長の方にネチネチ言っていた気がする……」
「そうか……、課長と一之瀬社長には、そんな因縁が……」
 そんな中、偶々近くの席にいた佐々木が、力強く友之に呼びかけた。

「大丈夫ですよ、課長! 今は若干隔意があるかもしれませんが、そのうちに課長の有能さと誠実さが、一之瀬社長に絶対伝わりますから!」
「ありがとう、佐々木。勿論、お義父さんとは誠心誠意お付き合いするつもりだ」
「それにしても課長くらいハイスペックな人でも、先輩と一之瀬社長が愛人関係だと誤解するような、とんでもない勘違いをしてしまうんですね! 俺は平々凡々な一社員ですから、今後はより一層気を引き締めて仕事に当たることにします!」
「……そうだな。何事にも油断と慢心は禁物だな」
「そうですね!」
 佐々木の台詞で一瞬救われた表情になった友之だったが、続く彼の台詞を聞いて暗い顔になって項垂れた。さすがに気の毒になった周囲が、佐々木を友之から引き剥がす。

「佐々木、お前ちょっとこっちに来い」
「もの凄くいい笑顔で、課長にとどめを刺すな」
「え? 俺、何か拙い事を言いましたか?」
「この予想外の方向から心をえぐってくるのは、やっぱり関本譲りか?」
「幾ら指導役だからって、変な方向性まで伝授するなよ……」
「関本。お前も黙ってないで、少しはフォローしろ」
「えぇ? 私は問われるまま答えていたのに、理不尽な」
 そんな若干の悲哀を含みながらも、結婚を祝う会は大部分が笑顔と楽しい会話で幕を閉じたのだった。


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