酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(121)最終手段

「沙織さん、お帰りなさい。今日もホテルの方から連絡がきていたから、確認して返答しておいたわ」
 帰宅して挨拶するなり真由美から告げられた内容に、沙織は素直に頭を下げた。

「お義母さん、ありがとうございます」
「良いのよ。沙織さんは日中仕事があるんだし。でも大体、主だったところは決まったし、準備は進んでいるみたいね」
「ええ、今ところなんとか」
「それにしても……、招待客のリストを作ってから、随分変更があったものね。色々間に合って良かったわ。お父さんまで『滞りなく、全力で準備を進めろ』ってすごい剣幕で電話してくるんだもの。一体、何事かと思ったわよ」
 呆れ気味の台詞に、その理由が分かっている沙織は、微妙に顔を引き攣らせながら応じる。

「あ、あはは……。なんだか私達の結婚披露宴で、前社長にも気を揉ませてしまったみたいですみません」
「あら、沙織さん。披露宴の時にお父さん達がこちらに出てきたら、そんな他人行儀な呼び方をしたら絶対に拗ねてしまうわ。だからお父さんの事は『たかちゃん』って呼んであげてね?」
「そうでしたね。そうします」
(お義母さんは知らないけど、お義父さん経由でたかちゃんに連絡がいった時、随分狼狽した電話がかかってきたものね。まさか実家絡みで、あちこちに予想外の心労をかける事になるとは……。本当に、たかちゃんが倒れたりしなくて良かった。未だに実際の所が分からないけど、桜査警公社ってどれだけ物騒な組織なのよ)
 以前から松原工業の経営には関与していない真由美は、当然桜査警公社についての知識はなく、今回彼女には特に知らせない事で友之達の意見は一致していた。沙織は(できれば自分も知りたくなかった)と内心で愚痴りつつ、用意して貰った夕食を食べ始めた。

「沙織。食べ終わったら、父さんも交えて諸々の確認をしたいんだが」
「分かったわ。必要な物を揃えておくから」
 殆ど食べ終わった所で友之と義則が前後して帰宅し、入れ替わりに沙織が席を立って一度自室に戻る。そして頃合いを見てタブレットと書類の束を抱え、一階のリビングに向かった。

「取り敢えず招待客全員の出欠確認は取れたし、座席配置もこれで最終決定。料理や引き出物の変更や発注も完了だな」
「進行スケジュールも確定。前泊後泊希望者の予約も済んだ。当日の受付役の手配も問題なし」
「後回しになっていた私達の衣装や小物一式も、この前の日曜に全て合わせてきましたから」
「これ以上、最良は望めない。ご苦労だったな、二人とも」
「父さん、まだ終わってないから」
「余計な気苦労をおかけして、申し訳ありません」
「いや、沙織さんが謝る事ではないから」
 夕飯を食べ終えた友之と義則がリビングで合流し、三人でこの間の準備事項についての話し合いと確認を済ませる。一通り確認できたことで、義則は安堵の表情で息子夫婦を労った。しかし沙織が、不安を隠せない様子で口にする。

「でも、会場の準備が万全だとしても、一番の不安要素は両親なんですよね……。豊の結婚披露宴の時も、親族席のテーブルがもの凄い緊張感に満ちていたものですから。いつ和洋さんが失言するか、いつ殺気を駄々洩れさせている母が暴発するかと、母方の伯父夫婦と共に気が気ではなかったです。それが今回は一緒のテーブルでもないし、何かあっても抑えられない……。伯父夫婦と豊と柚希さんに託すしかないわ。薫は絶対傍観していると思うから、頼りにならないし……」
「…………」
 その沈鬱な表情に、友之と義則は無言で顔を見合わせた。

「その、沙織さん? ご両親が離婚されたのは知っているが、関本家と松原家だけで内々に披露宴をした時には、お母さんはそこまで険悪な感じではなかったと記憶しているのだが……」
 当時の情景を思い返しつつ控え目に意見を述べた義則に、沙織が真顔で答える。

「確かにあの時は、単に無表情で愛想がなかったというレベルでしたね。あれは一応、私の舅と姑になる人が勤務先の社長夫妻という事で、母なりに最大限に気を遣ってくれた結果だと思います」
「でも今回も父さんと母さんが出席するし、同じように冷静に参加してくれるんじゃないのか?」
「前回のあれで、自制心と忍耐力を使い果たしていなければ良いんだけど」
「…………」
 深い溜め息を吐いた沙織を見て、男二人が再び黙り込む。しかし沙織はすぐに気持ちを切り替え、友之に要請した。

「まあ、ぐだぐだと懸念事項を挙げ連ねていても仕方がないわね。こうなったら、なるようにしかならないわよ。披露宴には柏木さんが出席するし、どうしようもなくなった場合に何とかするように、事前に頼んでおいて」
 突然言われた内容に、友之が怪訝な顔になる。

「え? 真澄さんに? 何をして貰うつもりだ?」
「違うわよ。頼むのは真澄さんではなくて、旦那の方。あの人、腕が立つって聞いているけど?」
「ああ、確かにな……。いざとなったら、そうするしかないか」
 清人が指名を受けたことで、友之も納得して頷いた。しかしさすがに看過できなかった義則が、慌てて息子を窘める。

「おいおい、友之。まさか沙織さんのお母さんを、清人君に会場から引きずり出させるつもりか?」
「勿論そうならないように、まず穏便に説得してもらうつもりだが」
「お義父さん、安心して下さい。この場合、引きずり出すのは和洋さんの方です。その方が、後々角が立ちません」
 そこで沙織が真顔で、きっぱり断言した。退場して貰うのは当然暴れる可能性のある佳代子の方だと思い込んでいた男二人は、容赦の無さすぎる沙織の台詞を聞いて、揃って項垂れる。

「一之瀬さん……」
「お義父さんが気の毒過ぎて、泣けてくる」
「仕方がないでしょう! それに本当に、最後の手段ですからね!」
 二人の反応で、自分が人でなしのように感じてしまった沙織は、半ば憤慨しながら話を締めくくった。


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