酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(112)松原家家族会議

「お義父さん、お義母さん。今日は私の一存で、急遽家族会議を開催することになり申し訳ありません。そして快く参加していただき、ありがとうございます」
 沙織の要請により夕食後にリビングに集まった松原家の面々は、真面目くさった彼女の言動と表情に、揃って怪訝な顔になる。

「ええと……、沙織さん? そこまで改まって話さなければいけない事が、何かあったかな?」
「構わないけど、家族会議って何についてかしら?」
「友之さんの育休取得に関する協議です」
「はぁ?」
「え?」
「沙織?」
 困惑の色を深めた三人に対して、沙織は冷静に話の口火を切った。

「話がいきなり飛んでしまってすみません。順を追って説明しますと、この前不測の事態から、私達の結婚の事実が社内外に公になりましたので、今後は子供を作ることを考えても良いかと判断しました」
 端的なその説明に、友之は少々照れ臭そうに応じ、義則が納得して深く頷く。
「あのな、沙織。そういう話なら、事前に俺にも少し話をしてくれ」
「ああ、なるほど。それもそうだな」
「そうね! 沙織さん、私が全面的にサポートするから、大船に乗ったつもりでいて頂戴ね!」
 三人の中で真由美が一番嬉々として反応したが、沙織の表情は変わらなかった。

「お義母さんならそう言ってくださると思っていましたし、その時はありがたくお世話になるつもりです。ですが今後起こりうる諸々の事を考えますと、そうそう甘えてもいられないのではないかと思いました」
「え? 今後って、何があるの?」
 不思議そうに問い返してきた真由美に、沙織が真顔のまま説明を続ける。

「今現在、私がフルタイムで勤務していますので、炊事、掃除、洗濯のほとんどをお義母さんにお任せしている状態です」
「それはそうだけど、沙織さんも時間がある時や休日とかは手伝ってくれているじゃない。それに私は元々専業主婦だし、沙織さんが出産して子供の世話が増えても、まだまだできるわよ?」
「はい、そのお気持ちに甘えさせて貰っています。しかし、失礼を承知で可能性を指摘させていただければ、今現在健康そのもののお義母さんが急病になったら、または病気ではなくても事故に遭ったりぎっくり腰とかで動けなくなったら。更に非礼を承知でもっと先走った事を言ってしまえば、痴呆症を発症したお二人の介護が必要になったら、確実に仕事と家庭生活に支障が出ると推察されます」
「…………」
 沙織の主張を聞いた男二人は思わず顔を見合わせ、真由美の顔色を窺った。しかし真由美は怒り出したりせず、一瞬キョトンとした顔になってから、語気強く沙織の意見に賛同する。

「沙織さん! 確かにそうよね! 可能性がゼロではない以上、考えられるあらゆるリスクに備えるのは、企業責任者としても一人の人間としても当然だわ! あなたもそう思うでしょう?」
「あ、ああ……、確かにそうだな……」
 急に意見を求められた義則は、慌てて首を縦に振る。

「友之。あなたがぐずぐすして結婚が遅れたから、子育て中はなんとかなるかもしれないけど、沙織さんが出世して部長や役員になった頃に、私達が揃って介護が必要な痴呆老人になってしまうかもしれないのよ? そこら辺は反省しなさい」
「いや、そんな……、今の時点で介護云々……。ああ、確かにぐずぐすしていたかも……」
 半ばなじられて反論しかけたものの、母親の睨みに友之は言葉を濁した。すると真由美が沙織に向き直り、大真面目に宣言する。

「沙織さん。後は口にしなくても分かったわ。今後生じるかもしれないリスクを少しでも減らす為に、自分の出産育児をきっかけに、友之にも家事育児全般に携わって欲しい。そのために沙織さんが出産時には、友之に積極的に育休を取得して欲しい。そういう事よね? 勿論、私は大賛成よ。あなた、友之。勿論、異論はないわね?」
「ああ……、当人達が良ければ、私が口を出す話ではないし……」
「それはまあ……、その場合は俺としても、全面的に協力するつもりではいるから……。今でもゴミを捨てるくらい、言ってくれれば幾らでもしているし」
「『捨てるくらい』ですって?」
「『言ってくれれば』ですか?」
 義則に続いて友之も軽い気持ちで頷いたが、何故か途端に真由美と沙織が険しい目を向けてきた。その理由が分からなかった友之は、慎重に尋ねてみる。

「あの、母さん? 沙織? どうかしたのか? 現に時々、ゴミ袋を集積所に持っていっているだろう?」
「そうね。ゴミの種類ごとに分別して、纏めてあるゴミ袋をね」
 沙織が溜め息まじりに応じたが、真由美は息子に益々冷たい視線を向けながら問いを発した。

「それなら聞くけど、友之。あなた、家の各所で発生したゴミが足を生やして集まってきて、ゴミ袋の中に自ら飛び込むと思っているわけ?」
「いや、まさかそんな事は……」
「ゴミを捨てるという行為は、単に捨てるばかりになったゴミ袋を集積所に持っていくだけじゃなくて、その前に家中のゴミ箱や保管場所にあるゴミを集めて分別するところから始まるのよ。沙織さんは収集日の前夜に、きちんと自分の部屋のゴミ箱を持ってきてくれるのに、友之ときたら!」
「…………確かに、自分で持っていってはいないな」
 母親が憤慨した声を上げたため、さすがに友之は自分の非を悟った。しかし真由美の追及は容赦がなかった。

「因みに聞くけど、使用済みの蛍光灯は何曜日に捨てるのか分かる?」
「……え? ええと……、それはさすがに、燃えるごみの日じゃないよな?」
「交換した新しい物の箱があれば、それに入れて資源ごみとして回収。万が一割れてしまった物は、新聞紙とかで包んでガラス類の回収日に出すのよ」
「そうか……、知らなかったな」
「友之。それなら乾電池は、いつ、どうやって捨てれば良いのかしら?」
「乾電池って……、その、燃えないごみの日かと……」
 微妙に母親から視線を逸らしながら、友之は自信なさげに口にする。その途端、盛大に真由美の雷が落ちた。


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