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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(106)戻って来た日常

 急転直下にも程がある、入籍の翌日。柏木邸を訪れた友之が、従姉夫婦に前日の詳細を説明すると、呆れ気味の声が返ってきた。


「義兄にまともに頭を踏まれた上、手も足も出なかったとはな……。お前にそんな趣味があったとは初耳だ」
「どんな趣味ですか。曲解しないでください」
「清人、からかわないで。取り敢えず、入籍おめでとう」
「ありがとうございます、真澄さん」
「それで? 昨日の今日でわざわざ出向いて来たのは、単なる報告だけのつもりでは無いよな?」
 清人が確認を入れてきた為、友之が真顔で頷く。


「ええ。これから沙織の兄と弟が、あの女に対して制裁を下す気満々だと思いますので、下手にこちらが手を出したら機嫌を損ねてしまう可能性もあるかと」
「なるほど。今回、お前の嫁に怪我をさせたわけだから直々に手を下したいのは山々だが、当面は様子見を決め込む。だからこちらも手は出さなくて良い、という事だな?」
「はい。勿論詰めが甘いようなら、便乗するつもりではありますが……。あの二人に関しては、そんな事はあり得ないか」
 最後は独り言のように呟いた友之を見て、清人は苦笑いの表情になった。


「なかなかに面倒くさそうな義兄弟ができたわけだな。しかし本当に、俺の言った通りになったな」
「何の事?」
 不思議そうに尋ねた真澄に、清人は笑いを堪える表情で説明する。


「ほら、『あの女に対して友之を売り込むなら、できる男っぷりをアピールしても無駄で、どうしようもない困った奴だと思わせて、仕方がないから面倒見てあげると思わせれば良い』と言っただろう?」
「そういえば、そんな事を言っていたわね……」
「二人とも……、何気に酷いですね」
「まあ、頑張れ。嫁に躾直して貰うんだろう?」
「そうですね。駄犬から忠犬扱いされるように、頑張りますよ」
「本当にあなた達、何を言っているのよ」
 とうとう三人揃って笑い出してから、何とか笑いを収めた友之が話題を変えた。


「それで入籍を済ませましたし、社内にも結婚の事実は公表してしまいましたから、披露宴をしようと母さんが張り切り出しまして」
 それだけで清人は、友之が言いたい事を察した。


「なるほど。今日はお義父さんとお義母さんは外出しているから、まず俺達に挨拶を済ませておこうと言うわけか。それで? 時期的にはいつ頃開催したいんだ? 真由美さんが張り切っていると言うなら、半年以内に開きたいとか言っているんじゃないか?」
「……三ヶ月以内に」
 自分でも無理だろうと思いながら口にした友之だったが、すかさず真澄が呆れ声で応じた。


「友之、無茶過ぎるわよ。少人数での内輪のパーティーならともかく、松原家の結婚披露宴となったら、社内からの招待客も多いでしょう?」
「ええ、その通りです。それなりの格式の場所で、それなりに人数が入る会場を三ヶ月以内の日程で押さえるなんて、どう考えても無理」
「当然、土日だよな?」
「え、ええ……。それはそうです」
 そこで平然と会話に割り込んできた清人に、友之は少々動揺しながら頷いた。


「仏滅以外だったら、大安で無くても構わないな?」
「はぁ……、それは勿論、贅沢は言いません」
「多少は割り増し料金がかかっても、文句は言わないだろうな?」
「はい。それはそうですが……。可能なんですか?」
 もの凄く懐疑的な表情で尋ねた友之だったが、清人は気を悪くした風情などは見せずに了承する。


「蛇の道は蛇と言うからな。つてを当たってみよう。お義父さん達にもお願いしてみるが、何とかなるんじゃないか?」
「……宜しくお願いします」
(当然、清人さん達も披露宴には招待しないといけないだろうな……。沙織が嫌がりそうだ)
 何をどうするつもりなのかと問い質したい気分になった友之だったが、余計な事は口にせず、それから暫くの間、世間話に花を咲かせて帰宅した。


「ただいま」
 友之が帰宅すると、両親と沙織がリビングに顔を揃えていた。


「お帰り」
「お帰りなさい、友之」
「ちょうど良かったわ。友之、ちょっと座ってくれない?」
「…………ああ。何かあったのか?」
 沙織が自分を呼び捨てにする時は、かなり怒ったり動揺している時と経験上分かっていた友之は、慎重に彼女の顔色を窺いながら隣に座った。そして自分の正面に座っている父親が、何やら目配せを送っているのを感じていたが、その内容は分からなかった。


「あのね、ついさっきまで、柏木玲子さんがいらしていたのよ」
「玲子伯母さんが? 留守にしていたが、うちに来ていたのか。知らなかったな」
「ええ、すれ違いになったみたいね。お義母さんが玲子さんに昨日電話で会場の手配をお願いしたら、『披露宴の内容についてもアドバイスしたいから』と言って、色々個性的なアトラクションの案と、真澄さんの披露宴の様子を撮影したDVDを持参してくださったの」
 それを聞いた途端、友之の顔が固まった。 


「あれを? まさか見たとか」
「挨拶とかは飛ばして、1.3倍速でね……。確か以前、言っていたわよね? エンターテイメントがどうとかこうとかの場面に、居合わせた事があるとかないとか」
 引き攣った笑みを浮かべている沙織に危険なものを感じた友之は、顔色を変えて彼女を宥めにかかった。


「あのな、沙織。あれはかなり特殊な例だから」
「そうだな。私もあまり派手派手しいのは性分では無いし」
「でも逆に言えば、ちょっと羽目を外してもあそこまでやらなければ大丈夫よね?」
 にっこり微笑んだ真由美に向かって、義則と友之が悲鳴まじりの声を上げる。


「沙織さん、大丈夫だから! 本当に安心してくれ!」
「母さんはちょっと黙っていてくれるかな!?」
「でも玲子お義姉さんが、『真澄の時にできなかったあれこれをやってくれるなら、力付くでも会場を空けてみせるわ』と請け負ってくれたし」
「それは本当に勘弁してくれ!」
「俺から兄さんに、良く頼んでおくから!」
 突如として勃発した親子三人の論争を渋面で見守った沙織は、一体どういう披露宴になってしまうのかと、沈鬱な溜め息を吐いて項垂れたのだった。 


 ※※※


 襲撃事件後、初の出勤日。沙織と友之は初めて揃って家を出て、職場へと向かった。
「ほぼ一週間ぶりの出勤でただでさえ緊張するっていうのに、よくもまあ人の顔をジロジロと見てくださる事」
「やはり別々に出勤するべきだったか?」
「同じ職場だから、後で合流するか最初から一緒に行くかだけの違いよ。今更だわ」
「確かにそうなんだがな……」
 最寄り駅で降りて駅構内を抜ける間にも、合流した松原工業の社員達からの好奇心に満ちた視線を浴びた沙織が、小さく悪態を吐いた。それを聞いた友之が内心で困惑していると、背後から声をかけられる。


「おはよう、沙織。松原課長もおはようございます」
「おはよう、由良」
「おはよう新川さん」
 由良は笑顔で沙織の横に並んで歩き出し、友之はそんな彼女に場所を譲り、彼女達の後に付いて歩き始めた。


「聞いた通り、体調は大丈夫みたいね」
「当然。大事を取って休んだけど仕事の進捗状況が心配で、佐々木君に何度も電話で確認していたわ」
「ああ、一緒に仕事をしている後輩君ね。沙織からしつこく聞かれて気の毒に」
「あのね」
「それはそうと、《愛でる会》で《関本沙織を吊し上げる会》を開催する事が決定したから」
「分かったわ」
「は? あの、新川さん!?」
 急に穏やかならざる単語が聞こえて来た事で友之は狼狽しながら由良を問い質そうとしたが、女二人はすこぶる冷静に話を続けた。


「あ、そう言えば、昨日の電話で入籍も済ませたとか言っていたけど、社内では旧姓の関本を通称で使うのよね?」
「そのつもりよ」
「良かった。さっきの名称で告知しちゃったのよね」
「そこら辺は、確認してから告知しなさいよ」
「うっさいわね~。そっちの都合に合わせるから、向こう三週間のスケジュールを教えて?」
「了解。今日中に教える」
「それじゃあね。始業前に未だに例の署名を渋ってるおじさん達に、奇襲をかける予定なの」
「無理強いしないでよ?」
「相手の出方次第ね」
 そんな会話を交わしてから、由良はあっさり笑顔で手を振って早足で先へと進んだ。一方の友之は、再び沙織の横に並びながら、心配そうに声をかける。


「沙織、今の話は」
「大丈夫よ。《吊し上げる会》とか言ってるけど、要するに《結婚を祝いつつ根掘り葉掘り追及する会》なんだから」
「……本当か?」
「そんな情けない顔をしないの。ほら、もうすぐ社屋ビルだから、いつもの顔を作ってよ?」
 苦笑した沙織に宥められながら軽く腕を叩かれた友之は、確かに情けない顔はできないと考え、沙織の機嫌が良くなった事に安堵しつつ、気を引き締めて歩き続けた。


「おはよう」
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「おはようございます、課長」
 社屋ビルに入ってからも無遠慮な事前に晒された二人だったが、営業二課に入る時には完全に平常心だった。そして沙織の席まで来る間に一通りの挨拶を済ませた友之は、室内を見回してからその場全員に向かって話し出す。


「大体揃っているし、私的な事なので始業時間前に済ませてしまう。関本との結婚の事実を今まで隠していて、申し訳無かった。改めて謝罪させて貰う」
「加えて私達は土曜日に正式に入籍しましたが、私は引き続き関本の名前で勤務させて貰いますので、これからもよろしくお願いします」
 引き続き沙織も頭を下げたが、もう衝撃の事実発覚から何日も経過した後であり、周囲に苦笑の気配が満ちた。


「もう本当に、今更ですよね」
「課長は今でも『関本』呼びで、隙がないものな」
「全然そんな素振りを感じ無かったのは、俺たちが鈍かったのか?」
「いや、課長達が公私の区別をはっきり付けているだけだろう」
「だから俺達は二人が結婚していようが、別に構いませんよ。今までと変わりありませんよね?」
 口々に言い合う同僚達に沙織も苦笑するしか無かったが、その中で何故か一人だけ、朝から暗い雰囲気を漂わせている者がいた。


「先輩……、酷いです。俺にまで、内緒にしていたなんて……。俺は先輩の一番弟子を自認していたし、心の姉弟だと思っていたのに……」
「佐々木?」
「佐々木君?」
 隣の席から、普段とは違うじめじめとした物言いをしてきた佐々木に、沙織と友之は訝しげな顔を向け、周囲の者達も不審そうに囁き合った。


「何か、佐々木の様子がおかしくないか?」
「ああ。『一番弟子』とか『心の姉弟』とか、何なんだ?」
「あいつ金曜は、関本の分までバリバリ働いていたよな?」
 そこで佐々木が勢い良く椅子から立ち上がりながら、涙目で沙織に訴えた。


「先輩! 俺は先輩が『黙っていろ』と言ったら、棺桶の中まで秘密を持っていく覚悟位とっくにできているのに、そんなに信用が無いんですか!?」
 その剣幕にさすがに沙織は驚いたが、冷静に彼を宥めにかかった。


「佐々木君、そうじゃないけど、他の人に言っていない事を佐々木君だけに教えたりしたら、却って気を遣わせるだろうし」
「やっぱり、俺って除け者なんだ……」
「『除け者』って……、そんな事は言っていないけど、どうしたの? 佐々木君、何か変よ?」
 友之共々沙織が首を傾げると、佐々木が項垂れながら言い出した。


「先輩の事実婚を知ってちょっとショックを受けて、週末に実家に電話をしたら、知らない間に姉ちゃんが結婚してました」
「え?」
「お姉さんって、以前結婚詐欺にあったお姉さんの事よね?」
 さすがに職場全体が驚く中、沙織が慎重に確認を入れると、佐々木が力なく頷く。


「ええ。正月明けに、子持ちのバツイチ男と入籍を済ませたって……。母ちゃんが『だってあんたに教えたら、盛大に文句をつけるか暴れるに決まってるもの。本人が良いって言うんだから構わないじゃない』って、今の今まで教えてくれなくて。家族で知らないのが俺だけだったなんて、あんまりだぁあぁぁっ!!」
「…………」
 そこで沙織の両肩を掴みながら盛大に泣き出した佐々木を見て、友之は顔を引き攣らせ、沙織は冷静に宥めようとした。


「え、ええと、佐々木君? まさか結婚式にまで、呼ばれなかったわけじゃないわよね?」
「そいつとは入籍しただけで、まだ式も披露宴も挙げて無いんですよ! でも『両方秋にする事に決まったし、ちょうど良いから教えておくから』って! 何て言いぐさだよ!」
「ちゃんと事前に教えてくれたんだから、良かったじゃない。夏の間に心の準備をして、お姉さんの挙式と披露宴では暴れないようにしなさいよ?」
「姉ちゃん……、なんで子持ちのバツイチ男なんかに……」
 叫ぶだけ叫んだら、今度は涙声で愚痴っぽく呟いた佐々木を見て、沙織は溜め息を吐いてから強めの口調で言い聞かせた。


「実際に会ってもいないのに、一方的に相手を貶すのは失礼でしょう。悪いことは言わないから、時間を作ってお祝いを持って、挨拶がてら会いに行きなさい」
「顔を見た瞬間、殴りかかりそうです……」
「これも精神修行の一環。無茶苦茶腹が立つ無礼なクライアントに対しても、一分の隙もなく営業スマイルを振り撒くつもりで、相対してきなさい。私的に、動画付きのレポートを提出を要求します。会っている様子を、スマホでお姉さんにでも撮影して貰いなさい。良いわね?」
 そう沙織が厳命すると、佐々木が情けない顔で泣き言を口にする。


「先輩、鬼だ……」
「佐々木君、今後ビジネスマンとして飛躍する為の愛の鞭よ。はい、そうと決まればしっかり気持ちを切り換えて、仕事仕事。もう始業時間は過ぎているのよ?」
 パンパンと手を打ち合わせながら沙織が促すと、佐々木は条件反射的に涙を引っ込め、真顔になって机の上に手を伸ばした。


「はい! 先輩が休んでいる間の資料は、ここに纏めてあります」
「ありがとう、助かるわ。それで、釜田製作所の契約はどうなったかしら?」
「この条件で、来週本契約の予定です」
 そのまま通常の打ち合わせモードに突入した沙織と佐々木を、呆気に取られて眺めた他の者達は、「俺達も仕事するか」と言いながら各自の業務に取りかかった。


「すっかりいつも通りだな」
「そうですね。今まで色々悩んでいたのが、馬鹿馬鹿しい位です」
 含み笑いの杉田に軽く肩を叩かれた友之は、苦笑を浮かべつつ頷き返してから、自分の席に向かって歩き出した。







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