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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(101)家族の怒り

「ただい」
「友之! よくも私を蔑ろにしてくれたわね! 沙織さんが救急車で運ばれたって言うのに、連絡一つ寄越さないだなんて!!」
 自宅玄関に足を踏み入れるなり、ホールに仁王立ちになっていた真由美に怒鳴られた友之は、この間、すっかり失念していた事を思い出した。


「あ、ああ……。ごめん。すっかり忘れていた。でも父さんから、連絡がされていたかと思って」
「少し前に帰って来た義則さんから、漸く話を聞いたところよ!!」
「すまん、友之。俺もすっかり忘れていて。あちこちに事情説明をしたり、頭を下げに行っていたものだから」
「いや、父さんのせいでは無いから。今回の事では、本当に迷惑をかけた」
「迷惑をかけられたとは思っていないが」
 友之が靴を履いたまま、奥から出てきた義則と謝りあっていると、再び真由美の雷が落ちる。


「そんな事より、本当に沙織さんは大丈夫なんでしょうね!? 今から病院に行くと言ったら、義則さんったら『もう遅いし、病院の迷惑になるから止めろ』って言うのよ!?」
「本当に大丈夫だから。念の為、明日一日入院させるが、問題が無ければ明後日退院するし。今から病院に押し掛けるのは止めてくれ」
 この剣幕で突撃されたら和洋と同レベルで病院に迷惑をかける事になりかねないと考えた友之は、本気で懇願した。すると真由美は、目を眇めながら確認を入れる。


「本当ね? 明後日なら平日だし、私が迎えに行くわよ? 構わないわね?」
「ああ。よろしく頼むよ」
「全くもう! 本当に母親を、何だと思っているのよ! それで友之、夕飯は食べたの?」
「いや、まだ食べてない」
「それなら温め直すまで、少し待っていなさい!」
「分かった」
 憤然とした様子の真由美は足音荒く台所に向かい、友之は溜め息を吐いてから靴を脱ぎ、取り敢えずリビングに向かった。そんな彼に、一緒にリビングに戻った義則が声をかける。


「ところで友之。労働組合が明日から署名活動をするそうだが、詳細は聞いているか?」
「帰社してから、本宮課長に説明を受けた」
「そうか……。労使協議の申し入れを受けた時に、一緒にこれらの資料を受け取ったんだが」
 ソファーに向かい合って座ってから、義則がテーブルの上に重ねてあった書類から一枚を抜き出して差し出す。それを受け取った友之はざっと目を通しながら、困惑した表情になった。


「提言四十三項目? 署名活動の用紙には、問題提起として挙げられていたのは十項目だった筈だが」
「その十項目に対する提案施策が、四十三項目と言う事だな」
 そこで友之は内容を確認しながら、ぶつぶつと独り言のように呟く。


「『産業医、保健師、心理職、人事労務担当者などでチームを編成し、精神疾患発生を未然に防ぐ職場作りでの一次予防、発生の早期対応を行う二次予防、回復した従業員に対し、症状の再発・再燃を予防する三次予防活動の確立』『健康保険での給付の他、治療費用負担割合に応じた企業独自の給付金制度の確立』『健康保険組合提携医療機関に対しての、オーバーナイト透析治療の申し入れ、及び社員優先枠の確保』『LGBTに対する差別的言動や取り扱いに関する罰則規定の創設』『同性パートナーを扶養家族対象者とする制度化』」
「盛り沢山だろう?」
 なかなか終わりそうもない内容に義則が苦笑いしながら声をかけると、友之は半ば呆れながら顔を上げた。


「ちょっと待ってくれ。組合はまさかこれらを全部認めろと、本気で言っているのか?」
「一気に全部は無理だろうな。財務担当と労務担当の役員が渋い顔をするのは当然だ。対象者が少な過ぎる事例に、金をかける必要は無いとな」
「だが父さん」
「形を作ったところで、最初から上手く運用できるとは限らない。しかし予め制度を作っておく事で、幾らかでも安心して公表しようという気になる者もいるのではないかな? 本宮君は、そういう話の持って行き方をしそうだが」
 義則にそう解説されて、友之はその意味を何となく察した。


「今回はあくまで叩き台として出して、即座に認められなくともその実績を作って、継続審議に持ち込む腹なのか?」
「それでも一緒に添付された資料を見る限り、要求項目の半分位は認めるしか無さそうだが」
「本気で呆れたな……。労使協議の前に、既に話が半ば纏まっているとは」
「ここまで社員活用や登用における、有用性を示すデータがある以上、認めざるを得ないだろう。本宮君の作戦勝ちだ。そしてそれを確実にする為にお前達の騒動を利用して、社員の署名をかき集めるつもりだな。本当に、週明けまでどれだけ集める事ができるのか楽しみだ」
「何を面白がっているんだか……」
 どうやら面倒事を押し付けられて辟易していると言うよりは、本宮のお手並み拝見と決め込んでいるらしい父親に、友之は疲れきった溜め息を吐いた。するとリビングのドアを乱暴に明けながら、真由美が怒鳴り込んでくる。


「友之! とっくに夕食を揃えたのに、何をだらだらしているの! さっさと来て食べなさい!」
「分かった」
「すまんな、真由美。ちょっと話し込んでいて」
「ええ、ええ、女には分からない、男同士の話なんでしょう!? 分かっているわよ! 私、もう休ませて貰うから! 食器を流しに運ぶ位はしなさいよね!」
 真由美の機嫌は更に悪化したらしく、言うだけ言ってさっさと踵を返してしまい、男二人は苦笑を深めながら立ち上がった。


「これは沙織さんが退院するまで、機嫌が直りそうに無いな」
「覚悟してるよ」
 そして友之が一息つきながら遅い夕食にありついている頃、自宅の仕事部屋に何時間か前から籠っていた柚希は、この間の作業の成果を目の当たりにしながら本気で頭を抱えていた。


「あらら? うっわぁ……、何かとんでもない物を見付けちゃったかも……。さっきの話も相当ヤバかったけど、こんなのを豊に見せたら確実に血の雨が降るわよね……」
 僅かに顔色を変えながら独り言を呟いた柚希は、目の前のディスプレイを眺めながら少しの間悩んだものの決心し、痕跡を残さないように消去するべくマウスを動かそうとした。


「うん、私は何も見なかった。これもあれも見なかった事にして、記憶からも抹消し」
「何を見なかった事にするって?」
「……っ!?」
 全く気配を感じなかった背後からいきなり声が聞こえたと思ったら、マウスを掴んでいた右手の上に素早く豊の右手が重なり、驚きのあまり柚希の心臓は一瞬止まった。


「なぁ、柚希? せっかく苦労してあちこちに潜って散々探りまくった物を、あっさり消すのは勿体無いよな?」
 至近距離から目が全く笑っていない笑顔を振り撒かれ、普段社内では温厚な人格者と思われている夫の、意外に苛烈な性格を知り抜いていた柚希は、辛うじて笑顔らしきものを作りながら控え目に訴えた。


「え、ええと……。大して面白くない内容だし、くだらない与太話だと思うのよ?」
「そうだな。ネットに出ているネタなんて、玉石混交だからな。しかも圧倒的に屑石の方が多い」
「そっ、そうよね」
「それなら俺が判断するから、見せて貰っても良いよな? これだな? ……ほぅ?」
 問答無用で柚希からマウスを奪い取り、ディスプレイの一角をクリックした豊は、その途端、皮肉げに笑顔を歪めた。


「あとはこれか? これはこれは……」
 そして柚希の成果を一通り確認した豊は、マウスから手を離し、更に身体を起こしてどこからともなくスマホを取り出し、無言のまま操作し始める。


「あ、あの……、豊。何をしてるの?」
 沈黙に耐えきれなかった柚希が恐る恐る声をかけると、豊は指の動きを止めないままその問いに答えた。
「うん? 他の監査課全員に、ポケットマネーでの時間外労働の依頼。柚希だけだと大変だろう?」
 それを聞いた柚希の顔が、真っ青になった。


「この女の事を、どこまで調べ尽くすつもりよ!?」
「とことんに決まっているだろう? それからあの野郎にも、話をつけないとな」
「あの野郎って、まさか友之さんの事じゃないでしょうね!? ちょっと、豊!」
 慌てて宥めようとしたものの、連絡に一区切りついた豊はそのまま部屋を出て行き、柚希は机に突っ伏して呻いた。


「……うわ、どうしよう。沙織さん、ごめんなさい」
 しかし罪悪感に浸る間も無く、それから柚希は名目上の部下達からの仔細を尋ねる電話やメールの対応に追われる事となった。



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