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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(96)残念な男

 ある朝、着替えを済ませた友之が階下に下りようとしたタイミングで、彼のスマホが着信を知らせた。しかしディスプレイに表示された発信者番号を見た彼は、無言で眉根を寄せる。
(うん? 朝からこの番号は誰だ?)
 登録が無く見覚えもない番号に、友之は警戒しながら応答してみる。


「はい、どちら様ですか?」
「朝早くから失礼します。こちらは柏木清人氏の依頼で、寺崎寧子、現在名は門脇寧子の行動監視をしている桐谷と申します」
 その冷静な声で、友之は瞬時に別の意味で警戒しながら話を続けた。


「ご苦労様です。何か至急の用件ですね?」
「はい。松原さんは今現在、自宅にいらっしゃいますか?」
「はい。四十分以内に出勤予定ですが」
「自宅から至近距離の路上に、対象者が潜んでおります。恐らくあなたが出勤してくるのを、待ち構えているものと思われます」
 ある程度予想はしてはいたものの、友之は寧子の行動に心底うんざりしたが、ある意味けりをつける良い機会だと思い直し、冷静に相手に要請した。


「連絡ありがとうございます。それではこちらで対処しますので、少し離れた所で待機していただけますか?」
「分かりました。相手が暴力行為に及んだ時には通報した上で、一般通行人を装って介入させて貰います」
「その時はよろしくお願いします」
 そんな事にするつもりは無いがなと思いながら通話を終わらせた友之は、何食わぬ顔で階段を下りて食堂に入った。


「おはよう、友之。今、ご飯を出すわね」
「ああ」
「うふふ、明後日には沙織さんが戻って来るし、ご馳走を準備しておかないとね」
「そうだな」
 朝から機嫌が良い母に頷き返しながら、友之は余計な事は言わずに席に着いた。


(沙織が居ないタイミングで、押し掛けて来てくれて助かった。今回しっかり追い払っておかないと。あと念の為、準備もしておくか)
 友之が、会議用の小型ICレコーダーを鞄の中に入れてあったかと頭の中で考えているうちに、義則も食堂にやって来た。


「おはよう」
「おはよう、ご飯を出すからちょっと待ってね」
 夫の朝食を揃える為に真由美が隣の台所に入った隙に、友之は父親に囁く。


「父さん、あの女が近くに潜んでいると連絡が入った。出勤しながら追い払うが、一応注意してくれ」
「分かった。警備会社にも、私から連絡しておく」
 義則は息子の話に即座に応じた後、何事も無かったように食べ進め、一足早く食べ終えた友之はいつも通り家の門を出て、最寄り駅に向かって歩き出した。


(さてと、どこら辺で仕掛けてくるかな……)
 然り気無く上着の胸ポケット内側に装着済みのICレコーダーを確認しながら何食わぬ顔で歩いていると、すぐ近くの曲がり角の陰から寧子が駆け寄るように出て来て、気安く声をかけてきた。


「おはよう、友之。今から出勤なの? ご苦労様」
「…………」
 しかし友之は彼女に視線も向けず、黙ってその横を通り過ぎる。すると寧子は慌てて追い縋り、彼の左腕を掴んで引き止めた。


「ちょっと友之! 私を無視するわけ!?」
 そこで初めて友之は迷惑そうな顔になりながら、寧子を振り替えって抗議した。


「何をするんですか。手を離して貰えませんか? 寺崎さん」
「あなたが私を無視するからでしょう!?」
「生憎と、恩師の元妻のあなたと、呼び捨てにし合う間柄ではありませんので。誰か他の『友之さん』に呼び掛けていると思っていました。朝から凄い偶然かと思っていたのですが」
「そんなわけ無いでしょう!?」
 彼の腕を掴んだまま思わず声を荒げた寧子に、友之は淡々とした口調で言い返した。


「それなら未だにあなたの頭の中では、私があなたの恋人だと、妄想するにも程がある迷惑千万な設定になっているのですか。いい加減にして欲しいですね」
「妄想ですって!?」
「そうですよ。私が大学在学中、あなたが若い男と駆け落ちした顛末は、当時大学に在籍していた者なら、全員記憶していますよ。その噂が広がって、寺崎教授が面目を無くした事もね。まさかそれまで、あなたの頭の中では無かった事になっていませんよね?」
「それは! その事で、まだ怒っているの!?」
 咄嗟に反論できず、狼狽しながら問い返した彼女を、友之は呆れ気味に一刀両断した。


「怒っている? 単に、呆れているだけですよ。その後も俺は大学に在籍していて無事に卒業し、直後に松原工業に入社して、ずっと勤務を続けてきました。あなたといつ恋人関係になる暇があったのか、説明してくれませんか?」
「だからそれは!?」
 尚も弁解しようとした寧子だったが、ここで友之ははっきりと嘲笑の口調で告げた。


「そもそも、以前に会社に押し掛け、受付で『恋人の友之から貰った』と主張する指輪を見せた時、偶々その場に居合わせた私の部下に指輪のサイズが指に合っていないと指摘されて、妄想をこじらせた不審者として追い返されたのを忘れたんですか? あれから一年も経っていないのに短期記憶も怪しいとは、色々とお気の毒な方ですね」
 そう言って笑いを堪える表情になった友之を、寧子は歯軋りをしながら憤怒の形相で睨み付ける。


「友之……。どこまで人を馬鹿にする気なの?」
 そこで友之は寧子の手を乱暴に払い除けてから、わざとらしく両手を広げつつ親切ごかして提案する。


「馬鹿にする? とんでもない。散々迷惑をかけられたのにも関わらず、亡くなった恩師から『死後、妻の力になって欲しい』と頼まれたので、最大限紳士的に振る舞っているつもりです。寺崎さんには、良い病院を紹介しましょう。……精神科か認知症治療で、実績のある所を」
「ふざけないで! それにもう、寺崎なんて名前じゃないわ!」
 憤然として寧子が叫ぶと、友之はここで満面の笑顔になった。


「それは良かった。これ以上、亡き恩師の名前に傷が付くのは、気の毒で仕方が無かったものですから。それならこれ以上、私が配慮する必要もありませんね。病院は自分でお探しください」
「私は本当の事を言っているのよ!」
「はいはい、散々喚いた教授の遺産の事に関しても、あなたの中では本当の事なんでしょうね。それが単に世間一般的には、虚偽で認められないだけですよね。他人に迷惑をかけない範囲で、好きなだけ妄想に浸っていてください。あくまでも他人に迷惑をかけない程度です。他人があなたに付き合う義理もありませんのでね」
「友之!」
「それでは、私はあなた程暇ではありませんので失礼します。これ以上出勤の邪魔をするなら、通報しますよ?」
「覚えてらっしゃい! 絶対、後悔するから!」
 馬鹿にした口調で友之が告げると、寧子は捨て台詞を吐いて踵を返した。そのまま歩き去るのを見送ってから、友之は再び駅に向かって歩き出す。


(朝から随分恥ずかしげもなく、馴れ馴れしく声をかけてきたな……。俺との会話を録音でもして、どこかに持ち込む時の証拠にでもしようと思ったか? もしそうだったら、今更懐かしく昔話をする筈もあるまいに、どこまでも自分に都合良く考える、とことん浅はかな女だな)
 そんな考えを巡らせているとスマホに着信があり、先程目にしたばかりの番号を確認した友之は、即座に対応した。


「松原です。桐谷さんですね?」
「はい。監視対象者は、松原さんから遠ざかっています。安心してご出勤ください。念の為、奥様の方の担当者にも経過を報告済みです」
「ありがとうございます。今後もよろしくお願いします」
(一応、沙織にも連絡しておくか)
 取り敢えず安心した友之は、朝の時間帯で沙織の周囲に誰がいるか分からない状態だった為、通話は避けて簡単な文面で今の経緯をメールで伝えた。


「おはよう」
「おはようございます、課長」
 職場に到着し、周囲と挨拶を交わしながら足を進めた友之は、沙織の席の後ろを通過しながらさり気無く声をかけた。


「ああ、関本。例の件だが確認しているか?」
 それを聞いた沙織は椅子に座ったまま振り返り、冷静に返してくる。
「はい、了解しています。特別な対応は、今のところ必要ないかと思います。何か問題があれば、その都度対処を考えれば良いかと」
「そうだな。分かった」
 そこで友之が会話を切り上げて自分の席に向かうと、その背後から沙織と佐々木の話が聞こえてきた。


「先輩、今のは何の話ですか?」
「ちょっとね。新規顧客開拓に繋がりそうな案件に関して。どうなるかまだ、はっきり分からないけど」
「そうでしたか。本当に俺なんかまだまだですね。課長と『あれ』とか『それ』とかで、会話が成り立つとは思えません」
「偶々、最近課長との間で話題にでた事で、該当する事が一つだっただけよ」
 すっとぼけた沙織と、心底感心しているらしい佐々木の会話に思わず笑いを誘われながら友之は自分の席に着き、いつも通り仕事に取りかかった。




  その週の土曜日の午後。沙織と予め打ち合わせ、友之は彼女を迎えに和洋の自宅マンションに出向いた。
「いらっしゃい」
「沙織、一之瀬さんの機嫌は?」
「当然、良くは無いわよ」
「そうだろうな……」
 玄関のドアを開けてくれた沙織の背後に和洋が居ないのを見て取った友之が尋ねてみると、苦笑いでの答えが返ってくる。友之はそれに溜め息を吐いてから靴を脱いで上がり込み、奥のリビングへと進んだ。


「和洋さん、友之さんが来たわ」
「一之瀬さん。お邪魔します」
「…………ああ」
(分かってはいるがな。娘を奪い取る奴なんか、どんな男でも気に入らないだろうという事は)
 十分な広さのリビングに配置された、立派なソファーセットに一人で座っていた和洋は、如何にも面白く無さそうに短く応じただけであり、友之は改めて自分自身に気合いを入れた。そして和洋の正面に腰を下ろしてから、神妙に頭を下げる。


「この度は夫婦間の事でお騒がせした上、沙織がお世話になりました」
「沙織の面倒を見るのは、別に構わん。迷惑をかけられたつもりもない」
「恐縮です。それでこれは些少ですが、宜しかったらお召し上がりください」
「沙織が居なくなったら、独り身だからな。こんなに貰っても持て余しそうだ」
「…………」
 手土産を紙袋から取り出し、軽く相手に差し出した友之だったが、和洋は素っ気なく言い放ってそっぽを向いた。さすがに友之が次の言葉に迷っていると、和洋の横に座っていた沙織が若干狼狽しながら声をかけてくる。


「あ、あのっ、友之さん! 中身は何か聞いても良い!?」
「カルディスのミルフィーユ、個別包装六種類詰め合わせだ」
「ミルフィーユなら暫く置けるだろうし、個別包装なら会社に持って行って、身近な人に配る事もできるわよね。早速開けて、幾つか食べてみようかしら? ねえ、お父さん?」
 愛想笑いに加え、わざわざ「お父さん」と呼び掛けて沙織が宥めると、和洋は表情を変えないまま娘に頼んだ。


「そうだな……。沙織、悪いが人数分珈琲を淹れながら、これを少し出してくれないか?」
「え、ええ、分かったわ。ちょっと待っててね!」
 本音を言えば、この状態の二人を放置して大丈夫だろうかとは思ったものの、このまま座っていても事態は改善しないと判断した沙織は、友之から受け取った箱を抱えてキッチンに消えた。


「あの……、一之瀬さん」
「全く、豊の奴。親を脅すなんて、息子のする事か」
「…………」
 自分が話しかけたタイミングでぼそりと独り言を呟かれ、友之は再び口を閉ざした。すると数秒後、和洋は友之を睨み付けながら、心底面白く無さそうに言い出す。


「豊が言うには、お前は俺と少し感じが似ているらしい」
「そうですか……。因みにどの辺りがでしょうか?」
 少し意外に思いながら慎重に尋ねてみると、容赦の無い答えが返ってくる。


「一見、見た目が良いし仕事もできて、特に欠点らしい所が見受けられないのに、思わぬ所で足元を掬われるタイプだとか。『娘の理想のタイプは父親って言うし、良かったじゃないか』とかほざきやがって。冗談じゃないぞ」
(以前、沙織にも同じような事を言われたな。変な所で、残念なイケメンだとか何とか……)
 溜め息を吐きたいのを堪えている友之の目の前で、和洋がいきなり怒気を露にする。


「俺に似ているという事はだ。お前も男や女で、失敗する可能性があるという事だろうが!? ふざけるな!」
(ついこの前、あの女に絡まれたばかりだし。色々心に刺さるな……)
 とても反論する気になれなかった友之が、和洋から微妙に視線を逸らしていると、彼が怒りの形相で宣言した。


「良いか。今回は沙織自身がそれほど問題視していないから、矛を収めてやる。しかし、二度は無いと思え!!」
「重々、承知しております」
 友之が神妙に深々と頭を下げたところで、準備を済ませた沙織が戻って来る。


「お待たせ。さあ、いただきましょう」
「……ああ」
「いただきます」
 何やら騒いでいたのを耳にした沙織は、引き攣り気味の笑顔で二人に珈琲とミルフィーユを勧め、あまり会話は盛り上がらなかったものの問題なく食べ終えた沙織と友之は、引き上げる事となった。


「それじゃあお父さん。私、帰るから。お世話になりました」
 沙織は玄関で然り気無く「お父さん」と呼び掛けたものの、和洋は涙目になりながら訴えてくる。
「沙織ちゃん……。帰ってくるのは、こっちや名古屋じゃ無いのかい?」
(う……、失敗した。何も、そんな言葉尻を捉えなくても……)
 正直、細かいところはどうでも良いだろうと思った沙織だったが、ここで下手に逆らわない方が良いだろうと判断し、慎重に言い直した。


「ええと……、それじゃあ行くわね。お世話様でした。またこっちに帰って来るから」
「うん。沙織ちゃん。いつでも帰って来て良いからね」
「それでは失礼します」
「お前は来なくて良いからな」
「……分かりました」
 友之の挨拶に和洋は即座に言い返したが、友之も余計な事は口にせずにその場を引き下がった。


「友之さん、迎えに来てくれてありがとう。お疲れ様でした」
 二人で駐車場に向かいながら、ボストンバッグを乗せたスーツケースを引いてくれている友之に、沙織は礼を述べた。それに友之が苦笑で応じる。


「大した事では無いし、お義父さんからすれば俺が気に入らないのは当然だから、仕方がないさ」
「ところで、さっき二人で何を話していたの?」
「多少、釘を刺された程度だ。沙織は気にしなくて良い」
「そうなの?」
「ああ」
(こういう時、何を言われたのか、聞いても口は割らないわね)
 全くいつも通りの反応である友之を見て、沙織はそれ以上追及しても無駄だと判断した。
 それから近くのコインパーキングに停めてあった友之の車に乗り込んで走り出してから、友之が切り出してくる。


「沙織、もうすぐ7月になるが、夏期休暇はどうする?」
 その唐突な問いに、沙織は意表を衝かれながら答えた。


「え? ああ、そうね……。すっかり忘れていたわ。どうしようかな……」
「8月後半に二人で取って、どこかでのんびりしてこようかと考えていたんだが」
「それは良いけど、二人で同時期に取って、周りに何か言われない?」
「皆、入れ替わり立ち替わり休暇を取るんだ。一々チェックする人間もいないだろう。偶々、取得時期が重なったと思うだけだ」
「それもそうね。じゃあその時期で良いわ。それを楽しみに、暫く頑張って働きますか」
「そうだな」
 機嫌良く応じた沙織に、この間気が休まらずに休暇どころでは無かった友之は、安堵しながら自宅に向けて車を走らせていった。



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