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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(95)家出騒動の結末

 金曜の夜。仕事を終えて退社した和洋と沙織は、予め決めてあった待ち合わせ場所で合流してから、とある創作和食の店舗に向かった。


「豊の奴、今日は一体どういう風の吹き回しだ? 急に『旨い飯と酒を出す店を見つけたから奢る』だなんて。特に祝い事や、記念日の類いでも無い筈だが」
「さぁ……。柚希さんは来ないそうだし、怒られないのかしらね」
「まあ、そこら辺は気にしなくても良いかな? 向こうから誘ってきたんだし、沙織ちゃんが満足してくれれば、俺はそれで構わないし!」
「……本当に美味しいと良いわね」
(そう言えば事実婚云々の報告の時も、こんな感じだったわね。せっかくの料理やお酒の味が分からなくなるような事態には、ならないで欲しいわ)
 父親が、自分と並んで歩いているだけで機嫌が良く、満面の笑みになっているのを認めた沙織は、できればその状態ができるだけ長く続く事を願った。


「こちらでお連れ様がお待ちです」
 やって来た店で豊の名前を告げると、二人は店員に奥へと通され、上がり口で靴を脱いで更に少し廊下を進んだ。そして手で示された個室の引き戸を開けながら一歩足を踏み入れた和洋は、息子への挨拶の言葉を不自然に途切れさせる。


「豊、待たせてしまって悪かったな! 沙織も一緒に……」
「おう、二人ともお疲れ様」
「今夜はお呼び立てに応じていただき、ありがとうございます」
「はい、和洋さん。お店の人に迷惑だから、取り敢えず入りましょうね」
 豊は座ったまま傍目にはいつも通りに声をかけてきたが、その隣で友之が神妙に頭を下げる。一方で沙織は半ば強引に和洋の身体を室内に押し込み、後ろ手で引き戸を閉めた。


「……どうして貴様がここにいる」
「今夜は友之さんの招待だからな」
「帰るぞ、沙織」
「あ、ちょっと和洋さん!」
 豊の端的な説明を聞いた瞬間、和洋は回れ右をして沙織の腕を掴みながら帰りかけたが、そこで豊が鋭く呼び止めた。


「親父、ちょっと待て」
「聞く耳持たん!」
 しかしここで豊は何かの折り畳んだ紙をどこからか取り出し、それを和洋に向かって意味ありげに振ってみせた。


「ほうぅ? じゃあこれは、俺の好きにして良いんだな?」
「……何だ?」
「だからこっちにちょっと来いって」
 そこで立ち上がった豊は部屋の隅に移動しながら再度手招きし、訝しげに顔を顰めた和洋は、かなり不満そうに息子に付いて行った。


(この状態で放置って……。もの凄く気まずいんだけど)
(取り敢えずお義父さんを同席させてやるからと言われて、豊さんにお任せしているが、大丈夫だろうか)
 入り口近くに立ったままの沙織と、不安そうな友之からの視線を受けながら、そこで男二人の声を潜めての密談が始まった。


「親父。これが何だか分かるよな?」
「これは!?」
 渡された用紙を開いてみた和洋は、見覚えがありすぎる文字列を見て激しく動揺した。そして二人は、離れた所にいる沙織の目を気にしながら話を続ける。


「そう。親父が沙織の結婚相手として見込んだ、CSCの社員リストだよ」
「お前! そんな物をどうして……。柚希さんか!?」
「ご名答。しかもご丁寧に、婚約や結婚したのを確認して除外した日付や、ご丁寧に声をかけて断られた日付とかも入れてるよな。これを見ると、沙織と友之さんが事実婚を始めてからも、何人か声をかけているのが一目瞭然なんだが?」
「……っ、それはっ!」
 含み笑いで指摘された和洋が益々動揺を隠せないでいると、豊が真顔になって言い聞かせてくる。


「これを沙織に見せたら、さすがに怒ると思うぞ? 本気で友之さんに愛想を尽かしているならともかく、要するに振り上げた拳の下ろしどころが、分からなくなっているだけだからな。そこら辺は、親父だってちゃんと分かっているだろう?」
「…………」
 分かってはいるが認めたくないと言った風情で黙り込んだ父親を見て、豊は困ったものだと言わんばかりに交換条件を突き付ける。


「今日は最後までおとなしく友之さんや俺の話を聞くと言うのなら、これは俺と柚希の胸の内にしまっておいてやる。どうする?」
 その問いかけに、和洋は不承不承頷いた。


「……分かった。おとなしくしている」
「よし、それならさっさと座れ。沙織、お前は手前に座れ」
「分かったわ」
 和洋の言質を取った豊はその場を仕切り、ちょうど良いタイミングで料理と酒を運んで来た店員達が下がってから、各自の前に置かれたグラスを軽く持ち上げつつ音頭を取った。


「さて、まずは乾杯」
「…………」
 しかし各自グラスに手を伸ばしながらも、仏頂面の和洋の顔色を沙織と友之が窺っている状況では、陽気に飲める空気では無かった。
「はぁ……、盛り上がらないなぁ。まあ、取り敢えず友之さん。始めてください」
「はい」
 ここで豊に促された友之は姿勢を正してから、真剣な面持ちで口を開いた。


「一之瀬さん、今日は時間を取らせてしまって申し訳ありません。沙織にも、この間の事情をきちんと説明したかったので、出向いて貰った」
「まあ……、それは構わないけど……」
 相変わらず不機嫌そうに黙り込んでいる和洋の横で、沙織が幾分困ったように頷いたのを見て、友之は話を続けた。


「田宮さんから持ちかけられた見合い話を、きちんと断らずに保留扱いにしていたのは、全面的に俺の落ち度だ。以後は話を受けた時点で、きっぱり拒絶する。今回は悪かった、この通りだ」
 そう謝罪して深々と頭を下げた友之を見て、ここが潮時だと感じた沙織は、溜め息を吐いてから素直に応じた。


「友之さんの事情は理解しているつもりだし、今後断ってくれると言うのなら、もう良いわ」
「沙織! そんなあっさり許したら駄目だぞ!」
「それでこの間にもう一つ、謝っておかなければいけない事ができた」
「……何かしら?」
 喚いた和洋の言葉にかぶせて、友之が言いにくそうに付け足した台詞に、沙織は一瞬眉間にシワを寄せた。しかし余計な事は言わず、話の先を促す。


「詳しい理由を話さず、縁談を全部断る事ができたのと引き換えに、社内に俺達の結婚の事実を公表した暁には、結婚披露宴で田宮さんに仲人をお願いする事になった」
「…………どうしてそうなったの?」
 友之の告白を聞いた沙織ははっきりと渋面になったが、ここで豊が冷静に話に割り込んだ。


「詳しく話すと長くなりそうだし、仲人をやりたがっている夫婦がいるんだからさせておけ。一部上場企業の社長令息が、対外的に結構披露宴をしないなんて、よほどの事だろう。半分以上は仕事上の付き合いだ。諦めろ」
「何よ、訳知り顔で」
「俺の結婚披露宴だって、そんな物だった」
「……確かにね。否定はしないわ」
 どこか達観しきった表情の兄を見て、彼の結婚披露宴に出席した時の招待客の顔触れや肩書き等を思い出した沙織は、軽く頷いた。


「それから、今回の事をお袋に報告したら」
「お母さんに言ったの!? どうして!」
 予想外にも程がある内容を唐突に告げられた沙織が、仰天しながら豊の話を遮ったが、彼は淡々と説明を続けた。


「お前が親父の所に厄介になっているなんてお袋が知ったら、激怒するかもしれないと心配になってな。俺から状況説明をしておこうとお袋に電話したら、既に友之さんのお母さんから連絡がされていたんだ」
「母がそちらのお母さんにですか!? 全然聞いていませんが、一体何を!?」
 寝耳に水の話に、友之が動揺を露にしながら問いかけると、豊は軽く肩を竦めた。


「お袋から聞いた話では、沙織が親父の所で生活しているのは自分が勧めたせいなので、怒らないで欲しいと頼んできたとか。あと、沙織が良くできた嫁なので、手放すつもりはないので今後ともよろしく、とかですね」
「名古屋のお義母さんの方にも、改めてお騒がせした事についてのお詫びをします」
「まさかお母さんにまで、連絡がいっているなんて……」
 友之と沙織が揃って項垂れたのを見て、豊は笑いを堪える表情で告げる。


「母さんが笑っていたぞ。向こうのお母様から『そちらにお任せしたら友之が身ぐるみ剥がされそうなので、今回は是非ともこの話を聞かなかった事にしてください』と言われたけど、それなら黙っていれば良いのにねと」
「………………」
 無言になった二人は(全く、その通り)と内心で激しく同意していると、豊がさくさく話を進めた。


「取り敢えず、俺の経過報告としてはこんな物だが、沙織、どうする?」
「え? どうするって?」
「このまま親父の扶養家族になって、お袋に本領発揮して貰うのかって事だ」
 にやにやと笑いながら豊が告げてきた内容を聞いて、沙織の顔が引き攣った。その前で、友之が勢い良く土下座する。


「今回の事は、本当にすまなかった! 沙織、戻って来てくれ!」
「沙織! 俺は許さなくても良いと思うぞ! 扶養家族は寧ろ願ったり叶ったりだ!」
「親父は黙ってろ! 話が進まん!」
 三者三様の叫びを聞いた沙織は、深い溜め息を吐いてから苦笑いした。


「分かった、戻るから。今回はろくに話もしないで飛び出した私の行動にも誉められないところはあるし、それでお互いに帳消しという事にしましょう」
「そうしてくれると助かる」
「ただ……、松原の家に戻るのは、来週以降で良い? 明日の土曜は和洋さんと買い物と食事にに、明後日は由良と映画とボウリングに行く約束をしているから、荷物を纏めて移動となるとバタバタしそうだし」
「それは……、うん、まあ……、そうだな。忙しそうだし、無理はしなくて良いから」
 ホッとしたのも束の間、沙織が申し出た内容に友之は一瞬不服そうな顔になったが、和洋の恨みがましい視線を浴びて微妙な顔で頷いた。それを見て笑い出したいのを必死に堪えた豊は、それから時折当たり障りの無い話題を振ってその場の気まずさを払拭させながら、なんとか最後まで事を荒立てずに会食を終わらせる事に成功した。


「豊さん、今夜は本当にお世話になりました」
 店を出てからすぐにタクシーに乗り込んだ和洋と沙織を見送ってから、友之は豊に向き直って改めて頭を下げた。それに豊は笑って「歩きながら話しましょうか」と促し、最寄り駅に向かって歩き出す。


「大した事はしていませんから。今回のは、『喧嘩するほど仲が良い』ってやつですよ」
「はぁ……、そう言っていただけると……」
「お袋も、半ば笑い飛ばしていましたからね。『まともに喧嘩している位だから、気にする事も無いでしょう。相手には笑顔で変わりなく接しながら、SNSで愚痴や誹謗中傷を書き込みまくった挙げ句、自分は被害者だと逆ギレするパターンと比べたら、本当に可愛いものだわ』と、最後の方でしみじみ言っていましたから」
 そう言った豊が苦笑いすると、友之は微妙な表情になった。


「……お義母さんも仕事上で、色々とご苦労されているようですね」
「それでお袋は特に気にしてはいませんが、友之さんの方が気にするなら簡単に経緯を記した詫び状を一筆添えて、旨い酒を一本母に贈ってください」
「必ずそうします」
 豊の申し出に友之は素直に頷いたが、会話が途切れた事である事を思い出し、それについて尋ねてみた。


「あの……、豊さん。ついでに一つ、お尋ねしても良いですか?」
「何でしょう?」
「冒頭、気分を害していたお義父さんが、同席する事を了承してくださったのはどうしてですか?」
 そこで豊は足を止め、少々わざとらしい笑顔で応じた。


「申し訳ありませんが、それは親子間の秘密です。沙織も知らない事なので、友之さんも気にしないでください」
「……分かりました」
「それでは、俺はここで失礼します」
「はい、今回はありがとうございました」
 有無を言わせぬ気配を醸し出しながら回答を拒否した豊に対して、友之はそれ以上食い下がったりはせず、頭を下げて駅の入口に向かう彼を見送る。
「やはり色々侮れない人だな」
 無意識にそう呟いた友之は一つ溜め息を吐いてから、自分が利用する駅に向かって再び歩き出した。


「ただいま」
 無事に帰宅した友之が、まずリビングに顔を出すと、両親に笑顔で出迎えられた。


「お帰り」
「ちゃんと沙織さんと一之瀬さんには会えた?」
「ああ。母さん、今回の事を向こうのお義母さんに知らせていたんだって? 今日豊さんから聞いて、肝を冷やしたぞ」
「それは本当か?」
 ソファーに腰を下ろしながら友之が愚痴ると、義則が驚いた顔になって妻に視線を向けた。しかし真由美は、全く悪びれない笑顔で応じる。


「ええ。だってお義母さんは一之瀬さんを毛嫌いしていると言うお話だったし、私が勧めたせいで沙織さんがお義母さんに怒られたりしたら、可哀想だもの」
「あのな……。関本さんは怒っていなかったか?」
「いいえ。それどころか『メモリアルムービーといい、今回の事といい、奥様はなかなか独創的な発想をされる方ですのね』と誉めて貰ったわ」
 妻がにこやかに語った内容を聞いた義則は、思わず額を押さえながら呻く。


「それは……、誉めて貰ったと言うよりは、呆れられたと言った方が正しいような気がするが……」
「豊さんの話でも、特に怒らせてはいないみたいだが、一応お騒がせしたお詫びに、一筆添えて酒を贈ろうと思う」
「そうしなさい」
 息子の意見に義則が同意して溜め息を吐くと、真由美が真顔になって確認を入れてきた。


「それで? ちゃんと頭を下げてきたんでしょうね?」
「ああ。沙織にはちゃんと許して貰った。こっちに戻るのは来週末の予定だが」
「あら、休みなのに、明日や明後日は駄目なの?」
「一之瀬さんや友達との予定があって、荷造りして移動するのが煩わしいそうだ」
 友之が理由を説明すると、義則が苦笑しながら頷く。


「なるほど。同居後最後の父娘デートだから、一之瀬さんは構い倒したいだろう。それを邪魔するのは無粋な上、余計な恨みを買うのが確実だ。それは避けた方が良いな」
「仕方がないわね。じゃあ来週末は、沙織さんを盛大に迎え入れないとね。出ていった手前、戻るのはかなり気まずいだろうし」
 頷きながら真由美が呟いた内容に、男二人が思わず小声で突っ込みを入れる。


「それは誰のせいだろうな……」
「母さんが言う台詞じゃないよな」
「あなた達、今、何か言った?」
「いや、別に何も?」
「気にしないでくれ。俺は部屋に行くから」
「そう? お疲れ様」
 そして自室に引き上げた友之は、まだ深夜とまでは言えない時間なのを確認して電話をかけ始めた。


「沙織、今、大丈夫か?」
「ええ、平気だけど、何? さっき別れたばかりなのに」
 すぐに応答した沙織の不思議そうな声に、友之は一瞬どう話すか迷ってから、話を切り出した。


「それが……、お義父さんや豊さんの前で言えなかったが、早めに伝えておかなければいけない事がある」
「また何か面倒な事?」
「あの女が暫く大阪に行っていたが、春に東京に戻って来ていたのが分かった」
「あの女? 誰の事?」
「去年、会社にも押し掛けて来た」
 最初、本当に誰の事を言っているのか分からなかった沙織だったが、そこまで言われて漸く該当者を思い出した。


「……ああ、あの。自称、友之さんの恋人の、不審人物登録者ね。それで?」
「春先に貢いだホストに金を返せと迫った挙げ句に暴れて、器物損壊と傷害罪で逮捕されたそうだ」
「あらまあ……」
 本気で呆れ返った沙織の声をスマホ越しに聞きながら、友之は核心に触れた。


「下手をするとこちらに再度押し掛けてくる可能性があるから、本人に監視要員を付けている他に、少し前から沙織の出退勤時に護衛を付けている」
「それは知らなかったわ。とにかく、了解したから。松原の家に出入りしているのを見られたら、何をされるか分からないと言う事ね」
「本当に、迷惑をかけてすまん」
 思わず頭を下げながら謝罪の言葉を口にした友之だったが、それを気配で察したらしい沙織は、笑いを含んだ声で宥めてきた。


「本人に、監視は付けているんでしょう? 私の護衛の人と連絡を密にして貰えれば、そうそう遭遇する事も無いでしょうし、そこまで気にする事は無いわ。現に今の今まで、護衛が付いている事にも気がついていなかったもの」
「そう言って貰えると、気が楽だが」
「それにしてもその女性、もっと建設的な方向に物事を考えられないのかしらね」
「全くだな」
 友之が憂鬱そうな顔付きになりながら同意を示すと、沙織が確認を入れてくる。


「話はそれだけ?」
「ああ、取り敢えずこれだけは伝えておこうと思ったから」
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。一之瀬さんによろしく」
 そこで沙織は、明らかに笑い声と分かる口調で言葉を返した。


「そんな事を和洋さんに言ったらへそを曲げて寝なくなるから、言わないでおくわ」
「そうか」
 思わず笑いを誘われてから友之は通話を終わらせ、彼はその日、久々に気持ち良く熟睡する事ができた。



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