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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(89)ちょっとした不審行動

 五月に入り、新年度開始後の慌ただしさも収まった頃、沙織のちょっとした変化というか異常に真っ先に気が付いたのは、彼女と一番組んで仕事をしている佐々木だった。
「そういうわけで、北上精工への納品時期になりますが…………、先輩?」
 一緒に書類に目を通しつつ相手の反応を窺っていた彼は、何となく沙織の視線が問題の場所ではなく、書類の別な場所に向けられているように感じ、控え目に声をかけてみた。すると我に返ったらしい沙織が、申し訳なさそうに問い返してくる。


「え? あ、ごめんなさい。何だったかしら?」
「北上精工側から、『急で申し訳ないが機器の常設位置の変更を検討中なので、納品を一週間程遅らせて貰うのは可能か』との連絡がありました。配送と設置の担当者に、俺から連絡を入れて確認しておきます」
「了解。一週間後の日程で差し障りがあるなら、改めて先方と協議しておいてくれる?」
「はい、分かりました」
 その他幾つかの内容について協議をしてから、二人はそれぞれの仕事に取りかかった。佐々木は余計な事は何も言わずに仕事をしていたが、友之に報告する事があったついでに、少し前から感じていた違和感について口にしてみる事にした。


「KSテクニクスに関しての報告は以上です」
「分かった。これは目を通しておく。戻って良いぞ」
「あの、課長。ちょっと良いですか?」
「どうした?」
 報告と共に書類を受け取った友之は、頷いて佐々木を席に戻そうとしたが、彼がチラッと離れた席にいる沙織の様子を窺ってから声を潜めて言い出す。


「関本先輩に内密に新規顧客開拓の話とか、新しい取扱商品の話とかされましたか?」
「特にそんな話はしていないが……。どうしてそんな事を聞くんだ?」
 不思議に思いながら友之が問い返すと、佐々木は彼以上に困惑した表情で理由を説明する。


「最近時々ですが、先輩にしては珍しく考え込んでいる事があるなと思いまして。……あ、決して先輩が普段考えていないと言うわけではありませんが、仕事に関する事で考えていると言うわけでも無さそうで、どこか上の空と言うかなんと言うか。でも、決して仕事に穴を開けているとか、俺が迷惑を被っていると言うわけでも無いのですが、ちょっと気になりまして」
 少々心配そうに話を締めくくった佐々木を、考え過ぎだろうと言って宥めるのは簡単だったが、事は沙織に関する事でもあり、友之は真顔で頷いて彼に言い聞かせた。


「分かった。彼女なら仕事上の事なら変に溜め込まずにすぐに周囲に相談すると思うし、恐らく彼女のプライベートに関わる事だろう。変に詮索するのもどうかと思うので、折を見て俺からさりげなく聞いてみるから、佐々木はいつも通り接していてくれ。ただし仕事上で何か支障が出そうな場合は、すぐにこちらに報告して欲しい」
「分かりました。そうします」
 友之に話して安堵したのか佐々木はすっきりした表情で一礼してから席に戻り、それから友之は時折仕事中の沙織の様子を窺いながら、考えを巡らせていた。


(確かに最近、ちょっと考え込んでいる事があると思ってはいたがな……。俺の両親に関係がある事だったら、さすがに家の中では話し難いだろうな。明日は土曜日で休みだし、二人で外出したタイミングで聞いてみるか)
 その日、比較的早く帰宅できた友之は、一家四人で夕食を食べていた時、日中に考えていた事を実行に移すべく沙織に声をかけた。 


「沙織、明日は暇だろう? どこかに出掛けないか?」
「ええと……、ちょっと午前中から予定ができて、出かけるつもりだったから……」
 この間、特に予定らしい予定を聞いていなかった友之は、微妙に口ごもりながら答えた沙織に怪訝な顔で応じた。


「そうなのか? でも昼までには終わるだろう。どこかで待ち合わせをして、一緒に食事でもどうだ?」
「用事を済ませたら、ついでにその近くで買い物もするつもりだから、ちょっと時間がかかりそうなの」
「買い物だったら、幾らでも付き合うが?」
「それはちょっと……。下着を見ようかと思っていて……」
「…………」
 もの凄く言い難そうに沙織が口にした内容を聞いて、友之はそれ以上何も言えずに口を閉ざした。それに従い食堂内に微妙な空気が漂ったが、ここで年長者が笑いながら会話に割り込む。


「友之、それ位にしておけ」
「そうよ。あまりしつこいと、沙織さんに嫌われるわよ?」
「……分かった、それなら俺も、用事を済ませてくる事にする」
「ごめんなさい、予め言っておかなくて」
「いや、いい。俺も思い付きで口にした事だから」 
 正直に言うと納得しかねていたものの、ここで揉めることは無いと即座に気持ちを切り替えた友之は、申し訳なさそうに謝ってきた沙織を笑顔で宥めた。するとここで義則が、彼に声をかけてくる。


「友之。食べ終わったら、少し話があるから時間を貰って良いか?」
「ああ、それは構わないけど、この場で話しては駄目なのか?」
「仕事上の事だし、ちょっと込み入っていてな」
「分かった。後から書斎に行く」
 沙織に引き続き父親まで意味深に言われて、友之は怪訝に思ったものの即座に頷き、それからは何事も無かったかのように夕食の席は世間話で盛り上がった。


(お義父さんとお義母さんが宥めてくれて助かったわ。どこに行くつもりなのか正直に言ったら友之さんが騒ぎそうだし、騒いだ後に気のせいだったら気まずいし、それ以上に色々と心の準備と言うものが……。とにかく、明日一度行って来よう)
(確かに下着売り場に付いていのは気まずいし、沙織も落ち着かないだろうが、本当にそうなのか? それに結局、買い物に行く前の用事については何も言わないままだし。無理に聞いても口を割りそうにないし、明日はこっそり後を付けてみるか)
 そんな風に二人は考えを巡らせつつ、それぞれ笑顔で夕食を食べ終えた。


「父さん。さっきの話だが、どうかしたのか?」
 夕食後、父親と連れ立って書斎に出向いた友之が部屋に入るなり尋ねると、義則は難しい顔になりながら息子に打ち明けた。
「例の見合い話だが、田宮さんがどうしてあんな行動に出たのか、その理由が大体分かった」
「どういう事なんだ?」
 友之が僅かに顔色を変えながら壁際にある折り畳み式の椅子を持ち出し、それに座って話を聞く態勢になると、義則も机に備え付けの椅子に腰を下ろしながら溜め息を吐いた。


「それがだな……、例の愛人疑惑騒動の時、一之瀬さんが我が社に乗り込んで騒ぎになっただろう? 我が社の管理部を含めた上層部の殆どは彼と同世代の人間だし、話を伝え聞いて彼に同情した者が多くてね」
「あの時の富野部長の反応でも、それは十分想像できるが……」
「それで一之瀬さんが営業二課で吉村君を恫喝したので彼の名前は表に出たが、黒幕の田宮さんの名前は表向きは出なかっただろう?」
「表向きにはな。だが事情通の間では、周知の事実になっているんじゃないか?」
「その通りだ。それでそれを知った上層部の者達から、社長派反社長派問わず『さすがにあれはやりすぎだろう』と、陰で田宮さんが色々言われているらしい」
 その事実を知った友之は、意外な展開に軽く目を見張った。


「自分が従来属している、反社長派の中でも白眼視されているのか?」
「白眼視まではいかないと思うが、立場を無くしかけているらしいな」
「自業自得だ」
 これに関しては全く同情できなかった友之は端的に切り捨てたが、義則の話はまだまだ序の口だった。


「それで困った田宮さんは、懇意にしている仲西専務に相談したんだ。そうしたら仲西さんは『一之瀬さんは快く謝罪を受け入れてくれたらしいが、ここは一つ当事者の娘さんに良い縁談を紹介したら彼は喜んでくれるだろうし、社内へのアピールにもなって君への風当たりが少なくなるのではないか』と提案したらしい」
 そんなとんでもない話を聞かされた友之は、本気で腹を立てて吐き捨てた。


「はぁ!? 沙織に縁談!? 何を考えてんだ、あの老害ジジイども!」
「落ち着け。そうはなっていないだろう?」
「確かにそうだが……、どういう事なんだ?」
 反射的に声を荒げたものの、冷静な指摘に友之はすぐに気を静めて問い返した。すると義則が、思ってもいなかった事を告げる。


「アドバイスを貰った直後、田宮さんは一之瀬さんに連絡を取ったそうだ。『今回のお詫びを兼ねて、是非ご令嬢に良い縁談をご紹介したい』とね。それを一之瀬さんは『誠に光栄でありがたいお話ですが、娘には自社に入って貰えなかった代わりに、せめて自社の社員と縁付いて貰えないものかと候補者を選定中なので、お心遣いだけありがたく頂戴します』とやんわり断ってくれたらしい」
「そういう事だったのか……。さすがお義父さん。咄嗟にそんな口からでまかせの理由をでっち上げて、角が立たないように断ってくれるとは」
 心底感心した風情で友之は舅を褒め称えたが、義則はそんな息子を生温かい目で見やりながら話を続けた。


「口から出まかせではなく、一之瀬さんは本当にそう思っていたんじゃないか? それに、話はここからが本番だ。それを聞いて気落ちした田宮さんに、一之瀬さんが言ったそうだ」
「は? 何を?」
 微妙に表情を険しくしながら父親が言い出した為、友之は反射的に身構えたが、その予想通り義則の話は容赦なかった。


「『娘が時折職場の事を話す時、偶に上司の話も出ますが、『課長が最近仕事漬けで心配だ。最近お付き合いしている女性もいないみたいだし、プライベートが充実させてこそ仕事も全力で取り組めるものだと思うが』と懸念しているので、娘の心配の種を取り除く為にも、ここは一つそちらから松原課長に良い縁談をお世話して頂けないだろうか?』と要請したらしい」
 それを聞いた友之の顔が、盛大に引き攣った。


「……それを、田宮さんが真に受けたと?」
「真に受けたから、この事態になっていると思う。確かにお前の縁談を取り持てば社長派の心証は良くなるだろうし、一之瀬さんから依頼されたとなれば、反社長派の面々も納得するだろう」
 大真面目にそんな事を断言された友之は、がっくりと肩を落とした。


「お義父さん……。俺に何か恨みでもあるんですか……」
「沙織さんを盗った恨みはあるだろう。事実婚でお前達の関係は公表されていない。あわよくばお前達を別れさせて、結婚自体を無かった事にするつもりかもな」
「…………」
 全く反論できず、文字通り両手で頭を抱えた息子を憐れみの視線で見やってから、義則は真剣に彼に言い聞かせた。


「とにかく、そういう事らしい。これは早急に、きちんと断りをいれないと拙いぞ。曖昧にしていたら、次々と紹介されかねない」
「分かった。何と言って断るか考える。それ相応の理由が無いと、田宮さんに納得して貰えないだろうし」
「そうだろうな」
 気落ちしている場合では無いと思い至った友之は瞬時に気持ちを切り替え、縁談を断る為の適当な理由をどうこじつけたものかと、真剣に悩み始めた。



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