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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(86)困惑のトライアングル

「ところで沙織。あんた昨日の夕方から《愛でる会》のグループトーク、全然目を通していないわよね?」
「それがどうしたのよ?」
「それによると、あんたを嵌めた片割れが、この営業二課の社員らしいって話なんだけど、どれ?」
(ちょっと!  どうしてそんな詳細情報が、愛でる会の会員の間で流れているのよ!  まさか二課の中に、会員と付き合ってる人がいるわけ?)
 急に険しい表情になった由良に尋ねられた沙織は、動揺して顔を引き攣らせながらも、何とか冷静に言い返した。


「『どれ』って、由良……。そこは一応、『誰』って聞くべきじゃないかな?」
「……ああ、これか。見たことの無い顔ね。最近入ったの?」
「だから由良。『これ』じゃなくて、せめて『この人』って言おうよ。確かに吉村さんは、一月に入ったばかりだけど」
「ふぅん?  吉村さんって言うんだ……」
 沙織が口にするまでもなく、周囲の視線が一斉に吉村に集まった事で、由良はあっさり目的の人物を探り当てた。すると何故か彼女は固まっている吉村を、上から下まで無遠慮に眺める。


(由良ったら、いきなりじろじろ吉村さんを睨み付けてどうするつもり? まさか殴りかかったりしないでしょうね?)
 そんな危険性を感じた沙織は、既に始業時間を過ぎている事に改めて気が付き、控え目に声をかけてみた。


「あの、由良? そろそろ総務部に戻ったほうが」
「初めまして。総務部一課所属の、新川由良と申します。ここにいる関本沙織とは同期入社で、出会ってから少しの間はわけもなく反発し合い、拳ではなく言葉の礫を相当数投げ合った間柄ですが、和解して以降は深い友情で結ばれた親友同士だと自負しています」
「はぁ……」
「由良……。あんたいきなり、何を言い出すの?」
 挨拶を述べつつ、名刺入れから取り出した名刺を、由良は両手で吉村に向かって差し出した。対する吉村は呆気に取られて頷き、沙織が怪訝な顔で尋ねたが、由良は僅かに顔をしかめながら彼に文句をつける。


「……こちらが礼儀正しく自己紹介をしているのに、丸無視ですか。良い度胸ですね」
「あ……、失礼した。営業部二課所属の吉村和史です。初めまして」
 指摘された吉村が慌てて自身も名刺を取り出し、由良と交換する。それが済むと由良は友之に向き直り、容赦ない質問を繰り出した。
「ところで松原課長。この人、今回大失態をやらかしたみたいですが、仕事もできない駄目社員ですか?」
 その問いかけに、友之は慌てて彼をフォローする。


「いや、きちんと仕事はできるし、配属後も即戦力として活躍している」
「それでは、人間性に問題があるとか」
「……そういう事も無いから」
「それなら今回の事は、単に迂闊が過ぎて魔が差しただけだと仰る?」
「迂闊と言うか……、先入観と誤解が幾つか重なった不幸な結果と言うか……。その……、あまり吉村をいじめないでくれないか?」
「…………」
 横で項垂れている吉村がさすがに気の毒になった友之が懇願すると、由良が真顔で頷く。


「大丈夫です。仕事のフォローはできませんが、今後はプライベートに関しては私がフォローしますから。あ、沙織。仕事上では沙織がフォローしてあげてね?」
「由良、何を言ってるの?」
「だって私、吉村さんと結婚するし。時々親友の旦那のフォローをする位、してくれるわよね?」
「はぁ?」
「え?」
 突然水を向けられた沙織は勿論、吉村と友之も話についていけずに困惑顔になった。


「由良……、何なの、吉村さんと結婚って……」
「だって会長就任二ヶ月目よ? ビビッときちゃったんだもの。やっぱりこれは運命でしょう? 本当に凄いわね。愛でる会会長の座の、霊験あらたかさ」
「あのね……。他の人には何の事やらさっぱり分からないと思うし、頭が悪いと思われそうな事を真顔で言わないで。お願いだから」
 本気で頭を抱えた沙織だったが、由良は彼女を無視しながら友之に申し出た。


「松原課長。今度改めて、吉村さんと引き合わせてくれたお礼を進呈します。ご希望のお酒の銘柄など、遠慮無く沙織に言付けてください」
「その……、新川さん?」
「ちょっと待ってくれ! 何を言っているのかさっぱり分からないんだが、俺は君と結婚する気なんか無いからな! 現に今、関本に交際を申し込んだところだし!」
「…………」
(この人、どうしてこの場でそれを蒸し返すわけ!?)
  ここで吉村が慌てて会話に割り込んで主張したが、それで友之は再び表情を消し、由良が沙織に確認を入れた。


「沙織、そうなの?」
「確かにそうだけど、断ったわよ! だけど、どうしてそれを私に聞くのよ……」
  心底うんざりしながら沙織が応じたが、ここで由良は満足そうな笑みを吉村に向けた。


「やっぱり私と吉村さんって、感性が似ているんですね。嬉しいわ」
「はい?」
「由良? 何が嬉しいの?」
「だって私も沙織の事は好きだし。吉村さんと好みが一緒じゃない」
「…………」
  その場の全員が怪訝な顔になったが、由良は笑顔のまま事もなげに告げた。そして再び周囲が静まり返る中、沙織が声を絞り出す。


「……あのね、由良」
「当然沙織も、私の事を好きよね? お互い、嫌いな人間と友人付き合いするほど、利害関係優先で交友関係を選ぶタイプじゃないし」
「ああ……、そう言われてみればそうよね」
「だから私と吉村さんは、気が合う筈よ」
「……なるほど」
「そうじゃないだろう!?」
  由良の主張を聞いた沙織は素直に納得したが、吉村は盛大に異論を唱えた。しかし女二人の話は、外野に関係なく淡々と続けられる。


「でも取り敢えず、沙織が吉村さんより私の方が好きなのは、仕方ないわよね」
「どうしてそうなる!?」
「沙織、同僚歴数ヶ月の吉村さんと、入社以来の友人の私、どっちが好き?」
「由良」
「…………」
「そうよね~。でも即答で相手にもされていない吉村さんが可哀想だから、今度三人でトリプルデートでもしない?」
「由良、ちょっと待って。トリプルデートってダブルデートの延長? それだとカップルが、三組必要になるわよ?」
「そう言えばそうね。でもそうなると、この場合どうなるのかしら?
「うぅ~ん、取り敢えずトライアングルデート、とか?」
「あ、そうか。吉村さんは沙織の事が好きで、沙織は私の事が好きだし、私は吉村さんが好きと。……なるほど、納得。そう言う事だから今後、吉村さんの個人情報を色々教えてくれると嬉しいわ」
「おい、関本! まさか本気で、俺の情報の横流しなんかしないよな!?」
「分かった。二課の全員に聞き取りをして、漏れなく垂れ流すから」
「ありがとう。やっぱり沙織は親友だわ」
「…………」
  マイペース過ぎる沙織と由良の会話に割り込めず、吉村は顔を引き攣らせて押し黙った。


「何なんだ、この漫才じみたやり取り……」
「さすが、関本の友人だけの事はあるよな」
「誰か止めろよ。吉村が当事者なのに、完全に除け者で気の毒だ」
「だけど止めるのは、課長の役目じゃないのか?」
  周囲の者達がボソボソと囁き合う中、流石にこれ以上傍観できなかった友之が、由良に声をかける。


「あの、新川さん? そろそろ戻って貰わないと、業務に差し支えるので……」
「そうですね。長々とお邪魔しました。部長にも良い報告ができますので、これで失礼します。沙織、またね」
「うん、それじゃあね」
  そこであっさり由良は沙織に別れを告げ、機嫌良く自分の職場に戻って行った。それを見送った沙織が、安堵しながら席に戻る。


「関本、さっき言った事は本気だから」
「ああ、やっと静かになった。さあ、さっさと仕事を始めないと」
「あのな!  俺の話を」
「さあ、吉村も仕事をしようか」
「そうだな。少なくとも関本以上の営業成績を出さないといけないんだろう?」
「それはなかなか骨だぞ?  彼女は契約額も契約件数も担当取引先も、うちの平均以上を叩き出しているからな」
  なおも沙織に食い下がろうとした吉村だったが、周囲の者達が口々に彼を宥めながら引き剥がし、すぐにいつも通りの職場の光景が戻ってきた。


(本当に、朝から疲れた……。由良、ここで運命の出会いなんかしないでよ。お願いだから)
  どう考えても、これから吉村と由良絡みの騒ぎに巻き込まれる予感しかしない沙織は、溜め息を一つ吐いてから気持ちを入れ替えて仕事に取りかかった。


 その日、帰宅した沙織は家族全員が顔を揃えた夕食の席で、真由美に求められるまま始業前に繰り広げられた騒動の一部始終を説明した。
「今朝、二課で勃発した騒動は、これで全部です」
 沙織がそう話を締めくくると、真由美が喜色満面で息子夫婦に語りかける。


「凄いわね! 沙織さんのお友達が、そんな運命的な出会いを果たすなんて! 二人を引き合わせた沙織さんと友之が、愛のキューピッド役なのね!?」
「運命……、キューピッド……」
「別に、引き合わせようと思ったわけではありませんが……」
 彼女のハイテンションとは対照的に、友之と沙織はため息まじりの呟きを漏らしたが、ここで室内に義則の爆笑が響き渡った。


「トッ、トライアングルデート……、ぶわはははははっ! 沙織さんも大変だが、友之はそれ以上に気が揉めるな! これは困った、あはははははっ!」
「父さん、笑い過ぎだ……」
「今の話のどこに、そんな笑いのツボが……」
 父親の笑いっぷりに友之は憮然とし、沙織は項垂れる。そこで真由美は思い出したように、確認を入れてきた。


「とにかくこれで、社内での沙織さんの疑惑は晴れたのね?」
 それに沙織が真顔で頷く。
「はい。興味本意に騒いでいたのは若手社員が多かったのですが、和洋さんを巻き込んだ事で年配の方を含めた社員達に、一気に私の容赦がない話が広がりましたから」
「大丈夫よ、沙織さん。友之は沙織さんが心根の優しい女性だと、分かっていますからね」
「そうですね……」
 笑顔で保証した真由美に、沙織が何とか笑顔を浮かべながら応じていると、今度は義則が思い出したように言い出した。


「そう言えば沙織さん。今日一之瀬さんの所に、田宮さんに付き添って頭を下げに行って来たんだ。彼が私に自分が黒幕だと白状して、頭を下げたものだから」
「そうだったんですか? 友之さんと吉村さんが謝罪に出向いたのは、知っていましたが」
「それは俺も知らなかったな」
 少々驚きながら沙織が尋ね返し、友之も同様の表情になる中、義則が説明を続けた。


「田宮さんも、根が悪い人では無いからね。会社に迷惑をかける可能性が出てきた事で、観念したんだろう。一之瀬さんに内々に済ませて貰うようにお願いしに出向いたが、『娘が思った程気にしていなかったし、事を荒立てるのはこちらも本意ではない』と仰って、茶菓子付きでお茶を出して笑顔で歓待してくれたんだ。それで田宮さんも、すっかり安堵して帰ってきたよ」
「そうでしたか。やけにあっさり引くなとか、不審がられなかったのなら良かったです」
「茶菓子……」
「友之、どうかしたの?」
 笑顔で父親が語った内容を聞いて、何故か友之が表情を消して呟く。それを不思議に思った真由美が尋ねると、友之は盛大に溜め息を吐いてから、事情を説明した。


「俺が吉村と出向いた時には、茶菓子どころかお茶も出されず、立ったまま三十分程ネチネチと嫌みを言われ続けたんだ」
 それを聞いた義則が、苦笑しながら息子を宥める。


「やはり娘を取られた父親の心境としては、なかなか婿は許しがたいか……。今回は三十分で済んで良かったと思わなければな」
「……本当に大人げなくてごめんなさい」
「いや、こうなるのは予想がついていたしな。この場合、吉村の方がとばっちりを受けたわけだが、向こうは俺を巻き込んだと思って、ひたすら恐縮していたし。これからは余計におとなしくしてくれるだろう」
「まあ、それ位は仕方がないわね」
 沙織がうんざりしながら頭を下げるのを見て、友之と真由美も苦笑の表情になる。話が一区切りついた事で、それからは世間話をしつつ暫く夕食を食べ進めたが、全員がそろそろ食べ終わろうとする段階で、友之が唐突に問いを発した。


「父さん。秋闘に合わせて組合側から申し入れをして労使で妥結する場合、その条項が実際に運用されるのは十二月以降になるよな?」
「うん?  ……ああ、例の同部署所属者で結婚しても、配置転換はしないとの確約の事か?  それならやはり秋闘で申し入れがあったとして、十一月に労使で確認、十二月で明文化して運用か、キリ良く一月からかな?」
「そうだろうな……」
  一瞬怪訝な顔になったものの、すぐに息子の言わんとするところを察した義則は、冷静に答えた。それを聞いて心なしか項垂れた友之に、真由美が不思議そうに声をかける。


「友之、それがどうしたの?  以前からそういう話だったでしょう?」
「それはそうだが……。吉村のせいで、あと七、八ヶ月、俺達の結婚の事を黙っていられる自信が無くなってきた」
「え?  ちょっと友之さん!」
  そこで友之が深い溜め息を吐いたのを見て、沙織は顔色を変えて彼を宥めようとした。しかし彼の両親が、どこか面白がっている様子で口を挟んでくる。


「あらあら……。随分と自分に自信が無いのね、友之。沙織さんがその吉村さんに言い寄られ続けたら、自分から乗り換えられそうで、そんなに心配なの?」
「母さん、怒るぞ?」
「まあ、怖い」
「確かに目の前で頻繁に沙織さんが口説かれでもしたら噴飯ものだろうが、これも精神修行の一環だと思って頑張れ。だが忠告しておくが、くれぐれも沙織さんに八つ当たりはしないように。そんな事になったら、本気で捨てられるからな?」
「父さん……」
「何だ、友之。どうかしたか?」
「……何でもない」
「そうか」
  軽く睨んだものの真由美には笑って受け流され、義則にはさらりとかわされて、友之は憮然とした顔つきになって黙り込んだ。そこで義則が沙織に向き直りながら、真顔で言い聞かせる。


「とにかく沙織さん、変な噂が早々に収まって良かった。本当の事を明らかにした時には、今回の事も含めて周囲に謝らなければならないだろうが、その分これまで以上にしっかりと、誠意を持って仕事を続けなさい」 
「はい。そうするつもりです」
  素直に頷いた彼女を見て義則は満足そうに頷き、友之はどこか不満そうに最後の一口を食べ終えた。


(だけど今日一日で結構神経をすり減らしたのに、本当にこれからどうなるのかしら。吉村さんを、本当に何とかしないと)
  沙織にしてみれば一難去ってまた一難の心境であり、今後の職場環境に不安を覚えずにはいられなかった。



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