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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(83)父、吼える

「仕事中に失礼する。こちらは営業二課で間違いないな? 私はCSC社長の一之瀬と言う者だ」
 貫禄のある男が断りも無しにずかずかと入室して来たと思ったら、営業二課の課長席に真っ直ぐ歩み寄り、友之に尊大な様子で名乗ったのを見て、周囲の者達は驚いて囁き合った。


「え? 本当か?」
「関本と噂になっている、あの?」
「確かにあの写真と同一人物だな」
「どうしていきなり、ここに現れるんだよ?」
 動揺する部下達を尻目に、友之は自然な動作で席を立ち、和洋に向かって軽く頭を下げる。


「お噂はかねがね、お伺いしております。はじめまして。営業二課課長、松原友之です」
「ほう? 誰からどういう噂を聞いているのかな?」
「こちらに所属している関本から、勤務中自分に不測の事態が生じた時、実家が名古屋で家族が仕事を持っているので、そちらに連絡が取れない場合の緊急連絡先として、離婚されている父親の一之瀬さんのお名前と連絡先を聞いております」
「それはそれは……」
 冷静に言葉を返した友之に、和洋は皮肉げに顔を歪める。しかし予想外の話を聞かされた友之の部下達は、揃って驚愕の叫びを上げた。


「はぁあ!? 何ですかそれは!」
「課長! そんな話、俺達聞いてませんよ!?」
「第一、関本の父親は死んでいるんじゃ無かったんですか!?」
 その非難じみた声に、友之が少々困ったように弁解する。


「それが……、離婚した時の事情が事情だから、あれこれ詮索されたくないと関本が主張していて。これまでそれを、公にしていなかったんだ」
「マジですか……」
「いや、それにしたって……」
「…………」
 友之が、唖然呆然とする部下達の中でただ一人、声も無く固まっている吉村を横目で盗み見ていると、和洋が冷え切った声で指摘する。


「それでは君は、私と娘が愛人関係などと言う噂が事実無根と知りながら、それを放置して娘の名誉が傷付くのを傍観していたわけだ。許しがたい怠慢だな」
 それで室内の空気が凍り、緊張感が張り詰めてくるのを自覚しつつ、友之は落ち着き払って言葉を返した。


「決して傍観していたわけでは無いのですが、関本が『馬鹿馬鹿しい根も葉もない噂に振り回される馬鹿の相手をするのは馬鹿馬鹿しいので、何も言わなくて結構です』と主張したものですから。本人の意思を尊重した次第です」
「それでも被害者と加害者の上司として、責任があるのでは無いのか?」
「責任はあるかもしれませんが……。被害者は関本として、加害者と言うのは?」
 友之が惚けながら怪訝な顔をすると、和洋が周囲を見回しながら問いを重ねる。


「ここに所属している吉村と言うのは誰だ?」
「吉村なら彼ですが……。彼が何か? あの、一之瀬さん!?」
「…………」
 友之が反射的に手で指し示したように装いつつ和洋に教えると、彼はそのまま真っ直ぐ吉村の机に向かった。何事かと周囲が固唾を飲んで見守る中、蒼白な顔で椅子から立ち上がった吉村の前にやって来た和洋が、真正面から彼を見据えながら低い声で恫喝する。


「身に覚えはあるだろう。覚悟するんだな。貴様とつるんで社内報に不正アクセスした奴には、名誉毀損で訴えて損害賠償を請求してやると、一足先に宣戦布告してきた。俺の娘の経歴に傷を付けた不名誉な噂を流したつけを、思う存分払って貰うぞ」
「いえっ! あのっ! それはっ!」
 必死に弁解しようとしたが言葉にならない吉村に代わって、ここで一緒にやって来た友之が、軽く和洋の腕を掴みながら話に割り込む。


「一之瀬さん、ちょっと待ってください。吉村は入社して四ヶ月も経過していません。どうして関本に、そんな悪意のある噂を流す必要があるんですか。何かの間違いでは?」
「何を言っている! 沙織は頭が良くて仕事ができる以上に、美人である以上に心根が優しくて、男だったら誰でも惚れるタイプだろうが! 入社早々沙織に言い寄ったが、やんわり断られたのを根に持って、沙織に逆恨みしたのに決まっている!」
「…………」
 そんな事を堂々と主張されて、普段の沙織を知っている友之を初めとした営業二課の面々は、思わず無言になった。


(うん、半分以上本気で言ってるな、この人は。沙織が可愛くて仕方がないのは分かるが)
 ここからどう話を繋げれば良いのかと友之は一瞬迷ったが、和洋はそんな戸惑いなどお構いなしに話を続けた。


「大体、そいつは前の勤務先で社長の姪に手を出した挙げ句、あっさり捨てて懲戒解雇になった奴だからな。これくらいの事はやりかねんだろうが」
「……っ、それは!」
 和洋がそう言ってせせら笑うと吉村は血相を変えて弁解しようとしたが、ここで友之が二人の間に割り込み、強い口調で抗議した。


「一之瀬社長! 今の言葉は撤回していただきます! それこそ吉村に対する誹謗中傷と言われても、文句は言えませんよ?」
「……課長?」
「ほう? それはどういう事かな?」
 まさか庇われるとは思っていなかった吉村が驚いた顔になり、和洋が尊大に問い返す。それに友之は堂々と言い返した。


「吉村がこちらに配属になるに当って、こちらでも簡単に調べています。先ほどのお話は全く逆で、前の勤務先の社長の姪が彼に言い寄りましたが、彼が丁重に断ったのを逆恨みして、社内に有ること無いことを吹聴したせいで、彼が依願退職に追い込まれただけです。どういう筋からお調べになったのかは不明ですが、一之瀬さんの情報源には甚だ偏りがあるようにお見受けします」
「……何だと? この若造が」
「その若造に言い負かされる年寄りと言うのも、なかなか立場が無いものですね」
「…………」
 そこで二人は無言での睨み合いに突入し、吉村はひたすら目の前の事態に狼狽しきっていた。他の者達もどうなる事かと互いの顔を見合わせる中、ここは係長の自分が宥めるしかないと諦めた杉田が、両者に慎重に声をかける。


「課長、事を荒立てるのは控えてください。一之瀬社長も、こちらは自社では無いのですから、もう少し言葉を選んでいただきたいものです」
 それを聞いた和洋は、盛大に舌打ちしてみせた。


「はっ! 上が上なら下も下だな。沙織にはこんな所は、さっさと辞めるように言っておこう」
「関本は自分の事は自分で判断できる、れっきとした社会人です。一之瀬社長の意見は不要かと」
「課長!」
「とにかく、首を洗って待っていろ。そのうち訴状が届く。慰謝料をふんだくった上、今後まともな職に就けないようにしてやるから、覚悟しておくんだな。早めに夜逃げの準備でもしておけ!」
 吉村を勢い良く指さしつつ、捨て台詞を残して足音荒く和洋は立ち去り、室内には不気味な沈黙が漂った。


(さすがはお義父さんだ。恫喝具合と威圧感が半端じゃない。吉村もこの様子だと、相当肝が冷えただろう)
 自分の横で杉田が盛大に溜め息を吐いたのを契機に、友之は吉村に向き直り、控え目に声をかけてみる。
「その、吉村?」
 すると吉村は、まだ幾分信じられない様な顔で問いを発した。


「課長……、本当に俺が鹿取技工を辞めた事情を、ご存じだったんですか?」
「まあ、一応は。だが一々周囲に言わなくても良い内容だと判断したから、関本の父親の情報と同様に、俺のところで止めておいた。実際に接してみて、君の人間性にそう問題があるとも思えなかったしな。変な先入観を植え付けかねない誤った情報を、わざわざ公表する必要は無いだろう」
「そのように配慮していただきながら、このような騒ぎを引き起こしてしまって、本当に申し訳ありませんでした!!」
「そうなると本当に、君があの騒ぎを引き起こしたのか?」
 涙声で謝罪してきた吉村を見て、杉田がまだ信じられないような顔で確認を入れる。周囲の者達も同様の視線を向ける中、すっかり観念した吉村が洗いざらい白状した。


「はい。友人の結婚披露宴会場で、偶然一之瀬社長と関本が二人でいる所を目撃しまして。つまらない勘違いを」
「それはともかく、どうしてこんな事を? 君は別に、関本とは揉めていなかったよな?」
「その……、前の職場で経営者の一族から煮え湯を飲まされた事で、創業家の一族とかにろくな奴はいないとの先入観がありまして……。三十前半で課長に就任するなんて、普通ありえないですし……」
 躊躇いがちに述べられた内容を聞いた杉田は、頭痛を堪えるような表情になって問いを重ねた。 


「その理由が、社長令息だからと邪推するのはともかく、それと関本がどう関係するんだ?」
「それが……、関本が課長の女性の世話をしていて、その見返りに課長が彼女に何らかの便宜を図っているのではと……」
「はぁあ?」
「…………」
 今度こそ杉田は呆れ返った声を上げ、吉村は面目なさげに項垂れた。周囲もあまりの馬鹿馬鹿しさに怒る気も失せたらしく、あちこちで盛大な溜め息が漏れる。そんな中、気を取り直した風情を装った友之が、結論を出した。


「あまり分かりたくなかったが、事情は良く分かった。取り敢えず一之瀬さんに謝罪して、訴訟を取り下げて貰うしか無いだろう。今日は無理だが明日か明後日に、一之瀬さんに時間を取って貰う。吉村、予定を空けておけ。俺も一緒に頭を下げに行く。関本の事情を周囲に話さなかった俺にも、落ち度はあるからな」
「分かりました。ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」
 友之に庇って貰う形になった吉村は心から邪推していた事を反省し、深々と頭を下げた。しかし杉田が難しい顔になりながら、懸念を口にする。


「ですが課長。あれだけ憤慨していた一之瀬社長が、謝罪したいと言っても聞く耳を持ちますか?」
「ああ、俺もさっきむきになって余計に怒らせたみたいだしな……。仕方がないから、父に仲介を頼む。仕事上での付き合いはあるし、そこは何とかして貰おう」
「本当に申し訳ありません! 松原社長にも、改めて謝罪に伺います!」
 自分のせいで勤務先のトップの手まで煩わせる事態になったと、吉村は本気で戦慄し、再び勢い良く頭を下げた。そんな風に恐縮しきっている彼を見て、周りの者達も当初の怒りや呆れが消え去り、苦笑の表情を見せる。


「やれやれ、何事かと思ったぞ」
「入社早々やらかしたな、吉村」
「これから頑張って、課長に恩返ししろよ?」
「その前に関本が戻ったら、真っ先に頭を下げろ」
「そうそう。一発位殴られるのは覚悟しておけ」
「関本が帰って来たら驚くぞ?」
「そうだよな。課長の女の世話って、なんなんだよ」
 緊張感から解放された面々が、吉村を囲んで彼を小突きながらからかっていると、課長席の内線の呼び出し音が鳴り、友之は急いで机に戻った。


「はい、営業二課松原です。……は? 受付? 一体何の用…………、はぁ!?」
 ここで受話器を取り上げた友之が素っ頓狂な声を上げた為、室内の視線が一斉に彼に集まった。


「はい……。いえ、分かりました。すぐにそちらに向かいます。……すまない。ちょっと一階エントランスまで行ってくる」
 些か乱暴に受話器を戻した友之は、慌てて机を離れて出入り口に向かった。その背中に、杉田が驚きながら尋ねる。


「課長、どうしましたか?」
 すると彼は足を止め、早口で電話で聞いた状況を説明した。
「状況が悪化した。関本が一之瀬社長相手に、エントランスで暴れているそうだ。宥めて引き取ってくる」
「はい? 関本が暴れているって、どういう」
「とにかく、行ってくる。後はよろしく」
「課長!?」
 杉田の困惑声を無視しながら、友之はエレベーターホールに向かって駆け出した。



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