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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(80)愛人疑惑勃発

「……はい、ええ、大丈夫です。それでは、その日程で。……はい、失礼します」
  沙織が受けていた電話の内容に隣の席で耳を傾けていた佐々木は、彼女が受話器を戻してから確認を入れた。
「先輩、寺田工機の日程は変更ですか?」
  スケジュールを書き込んであるカレンダーを見ながらのやり取りで、佐々木は大方の予想をつけており、沙織がそれを肯定する。


「ええ。先方の担当者の都合が悪くなったみたいで。でも来週の予定が、再来週の火曜に延びたから大丈夫よ」
「何時ですか?」
「十五時。空いていたからそこに入れたわ」
「分かりました。スケジュールを変更しておきます」
「あ、ついでに二課の共有スケジュールにも書き込んでおいてくれる? ちょっと課長に報告する事があるから」
「はい、やっておきます」
「お願いね」
 そこでPCに向き直った佐々木は、席を立った沙織に代わって、個人のスケジュールに加えて営業二課全員が閲覧できる共有スケジュールファイルに変更内容を入力した。


(さて、これで修正完了。ついでに、他の変更箇所も目を通しておくか)
 社内共有管理ファイルをチェックし始めた佐々木は、ここで社内報のファイルに更新のマークがついている事に気が付き、何気無くそれを開いた。そして(いつも通り、大して変わり映えしない内容だろうな)と思いながら流し読みしていた彼だったが、ある一点で目の動きが止まり、次いで広いフロアに響き渡る驚愕の叫びを上げた。 


「……はぁあぁぁぁあ!?」
「え?」
「何だ?」
 その素っ頓狂な声に、営業二課の者達だけではなく、他の課員達も揃って佐々木に怪訝な視線を向けたが、当の本人は勢い良く立ち上がって課長席に向かって訴えた。


「せっ、せせせ先輩っ! 大変ですっ!!」
「どうしたの、佐々木君。そんなに驚く事なんて、そうそう無いと思うけど?」
「五月蠅いぞ、佐々木。仕事中に一体どうした?」
 何事かと話し込んでいた沙織と友之が、そのまま席を離れて彼の所に歩み寄ると、佐々木は相変わらず狼狽しながら自分のPC画面を指し示す。


「いえ、あの、ですがっ! こ、これっ!!」
「これって……、社内報よね? それがどうし」
「そんな大騒ぎするものが、社内報に載るはずが」
 不思議そうに示された画面に目を向けた二人は、揃って言葉を途切れさせた。それは社内報の中でも社員からの投稿写真を掲示するスペースで、普段ならほのぼのとしたペットの写真や旅先での絶景写真などが、短い解説文と共に掲載されているのだが、そこに何故か沙織と和洋が抱き合っている写真が表示されていた。
 しかもご丁寧に『妻子持ちでありながら愛人を囲っているCSCの一之瀬和洋社長と、彼所有のマンションに堂々と住んでいる営業二課の関本沙織。どちらが恥知らず? 両方に決まってる』とのコメント付きであった。


(はあぁあっ! 何よこれっ!? どうして私が、和洋さんの愛人なのよっ!?)
(どうしてこんな写真が、社内報にアップされてるんだ!? しかも虚実入り交じった解説付きで!!)
 友之も流石に愕然となったが、一瞬の後、即座に行動に移った。


「佐々木、借りるぞ」
「あ、は、はいっ!」
 有無を言わさぬ口調で友之は佐々木の机にあった電話の受話器を取り上げ、広報部に内線をかけた。


「営業二課の松原だ。社内報の管理をしている者に、至急代わってくれ」
 いつもの口調でそう申し出た友之だったが、偶々電話を受けた者が該当する人物だったらしく、次の瞬間、明らかに口調が険しくなる。


「ほう? そうか……。それなら君に聞くが、れっきとした社内報に一個人の写真を当事者に断りもなく載せるとは何事だ。しかも周囲に誤解を招きかねないコメント付きとは恐れ入る。一体広報部のチェック機能はどうなっているんだ?」
 その脅迫じみた物言いに、至近距離にいる沙織と佐々木は勿論、二課の者達は静まり返って友之の様子を窺ったが、少しして相手の言い分を聞いた友之はいきなり激昂した。


「…………はぁ? 部内で誰もそんな事はしていないだと? それなら、一体誰が操作したと言うんだ!! 社内報の管理画面にアクセスできるのは、広報部所属の人間だけでは無いのか!? 不特定多数の人間がアクセス可能な全く管理ができていない状態だと、貴様は公言するわけか!?」
「課長!?」
「ちょっと落ち着いてください!」
「話にならん! とにかく、該当箇所を即刻削除しろ!! 十分以内にできないなら、そちらに行くぞ!!」
 流石に拙いと佐々木と沙織が慌てて宥めようとしたが、友之は相手を怒鳴りつけてから叩き付けるように受話器を置いた。


「全く……、ろくでもない」
「あ、あの……、課長?」
 盛大に舌打ちした友之に佐々木が恐る恐る声をかけたが、ここで少し離れた場所から、妙に間延びした声が上がり、静まり返っている室内に響いた。


「社内報って……、ああ、これか? 確かに何だか随分場違いな写真が、アップされてるなぁ……」
(吉村……、まさかこいつの仕業じゃないだろうな!?)
(へえぇ? こんな見当違いの事をやらかすとはね。本当に残念男だわ)
 今度は周囲の視線が一斉に吉村に集まり、友之と沙織も半ば確信しながら彼に目を向けた。


「関本は別に松原工業のVIPって訳じゃないし、単なる社員の一人なのになぁ。どうしてこんな写真が出たのやら。ちょっとプライベートも気を付けた方が良いんじゃないか?」
 田宮が役員権限で社内システムの一部にアクセス権限を持っているのを利用し、沙織達の写真を広報部の承認なしに勝手にコメント付きでアップしたものの、社内報の掲示板まで閲覧する人間はそれほど多くなく、噂が広まるまで結構時間がかかると吉村は予想していた。最悪、多くの人間の目につく前に広報部に気付かれて削除されるかと覚悟していたが、まさかアップしたその日のうちに営業二課で騒ぎになるとはと、上機嫌になっていた。
 そして親切ごかしてわざとらしく声を張り上げたが、彼の予想に反して沙織は動揺も狼狽もせず、いつも通り淡々と返してくる。


「そうですね。この時はちょっとメイクに手を抜いていたので。どこで誰に見られているか分かりませんから、今後はいついかなる時も手抜きをせず、しっかり整える事にします」
「……へぇえ? さすが堂々としたものだな。いや、恐れ入った」
「それはどうも」
「おい、関本」
「課長は黙っていて貰えますか? 私のプライベートに関わる事なので」
 興醒めしたような顔になった吉村に、引き続き沙織は冷静に返す。そんな沙織の腕を友之は軽く引きながら声をかけたが、彼女の態度は変わらなかった。


(そうは言っても! これはさすがにお前と一之瀬さんと親子だと公表しないと、幾らなんでもまずいだろう!?)
(どうしてこんなセコい嫌がらせの為に、私が弁解しないといけないのよ! 冗談じゃないわ! こっちに後ろ暗いところは皆無だもの!)
 そんな事をアイコンタクトしているうちに、周囲から複数の声が上がる。 


「ほらほら皆、手が止まってるぞ!」
「ボケッとしていないで、さっさと仕事しようぜ」
 その呼びかけに、事のなりゆきを見守っていた面々は揃って我に返り、すぐにいつもの仕事中のざわめきが戻ってきた。


 その後、憤然としながらもいつも通り仕事に集中していた沙織だったが、マナーモードにしているスマホがメッセージの着信を伝えてきた。
(あれ? 由良から?)
 中途半端な夕方の時間帯の呼び出しなど、これまで皆無だった為、沙織は不審に思いながらもトイレに行くふりをしてフロアを抜け出した。すると廊下を進んだ先の休憩スペースで待ち構えていた由良が、沙織を認めて手招きする。


「沙織、ちょっと」
「由良、どうかしたの? 仕事中に呼び出すなんて初めてだよね?」
「直に聞かないと落ち着かなくて。あんたの写真が、社内報にアップされていた事は知っている?」
 念の為、周囲を見回して人気が無いのを確認してから、由良が声を潜めて尋ねてきた為、沙織はうんざりしながらも同様に小声で応じた。


「うん、午後になってから後輩が見つけてね。課長が即刻削除させたけど」
「私も社内報では見ていないけど、そのコメント付きの画像が一部の社員の間で拡散しているのよ。私はそれで確認したの」
 それを聞いた沙織は、本気で呆れ返った。


「それはそれは……。やっぱり暇な人って、結構いるのね」
「そんな悠長な事を言っている場合じゃないでしょうが!? 第一、あの一之瀬社長は沙織の何なのよ! まさか本当に愛人じゃないでしょうね!?」
「違うわよ。和洋さんと血縁関係があるのは確かだけど」
 まだ少々親子と公言するのはどうかと思っている沙織が、(親子は血縁関係の最たるものだし、嘘は言っていないわよ)と開き直りながら口にすると、それを聞いた由良は一瞬考え込んだものの、あっさり納得する。


「血縁関係? あ、ひょっとして、沙織があのマンションを格安で借りている遠縁の人って、一之瀬さんの事だったの?」
「そうよ」
「なるほどね。『一之瀬さん』じゃなくて『和洋さん』って名前呼びして、ハグする程度には親しくしている親戚なわけだ。やっぱりねぇ……。あんたはどう見ても愛人タイプじゃないし、何の冗談かと思ったわ。だけど、これからどうするつもり?」
 納得はしたものの今後の事を心配する由良に、沙織は小さく肩を竦めながら答える。


「どうもこうも……。別に私に非は無いし、弁解もするつもりは無いわ。人の噂も七十五日って言うし、放っておけばそのうち消えるわよ」
  由良は沙織ほど楽観できなかったが、本人がそう言っている以上、他人がどうこう言っても無駄だろうと割り切った。


「そうかしら? 本人が気にしていないなら良いんだけど……。取り敢えず《愛でる会》内では、沙織の愛人疑惑に関しては根も葉もないデタラメで、一之瀬さんとは血縁関係がある事を周知徹底させておくわ。それじゃあ仕事中、押し掛けてごめんね」
「由良も仕事中でしょう? 怒られる前に戻って」
  謝りながら自分の部署に戻る由良を、沙織は苦笑しながら見送った。


(拡散か……。あの人は転職したばかりだし、それほど社内に繋がりは無い筈。本当に、暇な人が多いこと。それとも吉村の裏で、糸を引いている人間でもいるのかしら?)
  考え込みながら廊下を歩き、営業二課が入っている部屋に戻る。すると普段とは微妙に異なる視線を集めている事に否応無く気付かされ、沙織の機嫌は悪くなった。


(全く腹が立つ。和洋さんが実の父親だと公表すれば、確かに事は片付くだろうけど、どうして私が弁解がましく本当の事を打ち明けないといけないのよ。それに周りから、どうして今まで隠していたんだと不審がられるだろうし)
  ムカムカしながら席に戻り、中断していた仕事を再開すると、再びスマホが震えた。


(あら? 豊? 何よ、これ……。『俺に考えがある。取り敢えず今日は何もせず、周囲に何も言わずに退社しろ。夜に説明する』ってどういう事? まさか友之さんが知らせて、この騒ぎを知ってるわけじゃ無いでしょうね?)
   これまで一度もこちらの仕事に関して連絡を取ったり、関わってこなかった相手からのメールに、沙織は本気で首を傾げた。そして友之の様子をさり気なく窺うと、その彼からもメールが届く。 


(『俺は何も知らせていないが、取り敢えず今日は、豊さんの指示通りにしてみよう』って……。友之さんにも豊から同じメールが? 本当に、何がどうなってるの?)
  困惑を深めた沙織だったが、考え込んでも埒があかないと諦めた。


(とにかく、言われた通りにしてみますか)
  そう腹を括った沙織は、周囲の物言いたげな視線を丸無視しながらその日の仕事を終わらせ、他部署の者達からの好奇心に満ちた視線を受けながら帰路についた。


「沙織さん、お帰りなさい。大変な事になったわね。社内で愛人疑惑だなんて、友之と義則さんは本当に何をしているのよ!」
  憤慨しきった真由美に出迎えられた沙織は、取り敢えず靴を脱いで奥に進みながら問い返した。


「お義母さん、どうしてそれをご存じなんですか?」
「少し前に、沙織さんのお兄さんから電話があったの。一通り説明した上で、『今後の事について相談したいので、二十時にそちらにお邪魔させてください』と仰っていたわ」
「そうでしたか……」
  自分の知らないところで着々と話を進めている兄に沙織は呆れたが、真由美に促されるまま出された夕食を食べ始めた。するとそれ程時間を空けずに、友之が息を切らせながら食堂に駆け込んでくる。


「沙織! 帰ってるよな!?」
 その第一声に、沙織は呆れ顔で溜め息を吐いた。


「……見て分からない? それにどうしてそんなに息を切らしてるの。まさか駅から走って帰って来たの? そんな事する必要ないじゃない」
「やはり一之瀬さんがお前の正真正銘の父親だと、社内に公表しよう。沙織の名誉にかかわる事だぞ!?」
「言いたい人には言わせておけば良いじゃない。卑怯な誰かさんのせこい嫌がらせで公表する羽目になるなんて、負けた気分で嫌だもの」
「勝ち負けの問題じゃないだろうが!?」
「何? 私の事に関して、上とか周りから何か言われたの?」
「そういう事ではなくてだな!」
「とにかく二人とも。お兄さんが来るまでに、食事を済ませておかないと駄目だろう」
「そうね。夫婦喧嘩は、他人に迷惑がかからないところでね」
 すっかり臍を曲げてしまった沙織に友之は声を荒げたが、ここで義則と真由美に冷静に諭され、取り敢えずお互いにこれ以上余計な事は言わず、夕食を食べ進めた。



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