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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(75)周回遅れのトレンド

 迎えた二月十四日。この日、沙織は朝から地味に忙しかった。


「おはようございます」
「おはよう、関本」
「毎年恒例の物です。取り敢えず今の時点で集まっている物だけ、お渡ししておきます」
 沙織が出勤途中、または《愛でる会》メンバーと予め打ち合わせて社内で回収してきた分を入れた紙袋を持ち上げ、挨拶に続いて机に乗せると、友之が露骨に嫌そうな顔になりながら反論した。


「関本……。俺は今現在、虫歯の治療中だと先月のうちに伝えておいたよな?」
「はい。勿論それを踏まえ、今年はチョコでは無く、デンタルフロス、マウスウォッシュ、アロマキャンドル、ヒーリングCD等々、これだけ見ると《愛でる会》が《デンタルケア商品愛好会》とか《ヒーリンググッズ探究会》なのかと、疑われそうなラインナップになっています」
「そうか……」
 大真面目に袋の中身を説明され、友之はそれ以上言う気を無くした。


「あ、《愛でる会》のタイムラインで意見の摺り合わせを行いましたので、同じ物はかぶってはいませんから安心してください」
「それはご配慮頂き、どうも」
「どういたしまして。またある程度集まった段階で、お渡しします」
 半ば自棄になりながら友之が応じたが、沙織は平然と一礼して自分の机に戻った。するとこの間、至近距離で二人のやり取りを見ていた杉田が、笑いを堪える表情で報告書を差し出してくる。


「相変わらずモテまくっていますね、課長。取り敢えず、これに目を通していただけますか?」
「それは分かりましたが、杉田さん。からかわないで貰えますか?」
「これは失礼」
 周囲から笑いを堪える表情と羨望の眼差しを受けているのを自覚しつつ、友之は憮然としながら書類に目を走らせた。


(全く。何が楽しくて、他の女性からのプレゼントを妻から受け取らなければいけないんだ)
 そんな友之の様子を密かに観察していた吉村は、薄笑いを浮かべてから自分も本来の業務に取りかかった。


 沙織はその日、通常よりも遅めに昼休みに入り、手早く昼食を食べ終えてから、プレゼント回収の為に予め相手と打ち合わせていた社内数ヶ所を回っていた。


(お昼休みにも、色々集まったわね。微妙な心境で心苦しいと言えばそうなんだけど、公表できない現時点では仕方が無いし。後で纏めて、恨み言や非難を受け入れよう)
 行く先々で「松原課長に宜しく」と笑顔で言付かっていた沙織が、午後の業務に入った人間が多いからか、人通りが無くなってきた廊下を腹を括りながら歩いていると、吉村とばったり出くわした。沙織は何も気にせず相手に軽く会釈してすれ違おうとしたが、吉村が足を止めて尋ねてくる。


「関本さん。それは朝に言っていた、《愛でる会》とかからの課長への貢ぎ物なのか?」
「そうですね。それが何か?」
 反射的に立ち止まってそれを肯定した沙織に、吉村が些か馬鹿にした口調で告げる。


「いやぁ、さすがに御曹司の課長はモテるなと思って。本当に羨ましいな」
 その物言いに、明らかに侮蔑的な物を感じ取った沙織は、僅かに目を細めながら言い返した。


「……あまり羨ましくは思っていないみたいですけど?」
「でも、本当に課長とは何でもないみたいだね。君が課長の恋人とかだったら、少しは嫉妬しそうだし」
「そうですか。ご理解いただけて何よりです。それでは失礼します」
 先程から吉村の言動にムカつきながらも、表面上は平静を装いながら会話を続けていた沙織は、(単なるひがみ野郎の相手をしていられるか)と、さっさとその場を離れようとした。しかしすれ違いざま、吉村が素早く沙織の右腕を掴む。


「ちょっと待てよ。まだ話は終わって無い」
「何ですか? そろそろ業務に戻らなければいけない時間なので、手短にお願いします」
「確かに恋人ではないが、色々と課長の世話をして、コネ作りに邁進してるんだろう? ふざけた名前のファンクラブの女達を使って。女の浅知恵とは馬鹿にできないな。いやぁ、本当に大したものだ」
 口では感心しているような事を言いながら、先程よりも馬鹿にしているのが丸分かりな上、何を言っているのか全く見当がつかなかった沙織は、(何? この人、馬鹿なの?)と呆れ果てながら言い返した。


「あなたが何の事を言っているのか、全く理解できませんが。可能であれば真っ当な日本語を喋っていただきたいですし、私がおとなしくしているうちにこの手を離して、退いて貰えませんか?」
「へぇ? 分からない、ねぇ?」
   そこで吉村は確かに沙織の腕から手を離したが、そのまま右手で彼女の左肩を掴み、些か乱暴に廊下の壁に彼女の身体を押し付けた。


「ちょっと! 何をするんですか?」
 後頭部と左肩が軽く背後の壁に当たった沙織は流石に非難の声を上げたが、吉村はそんな事には構わず、両手を壁に付けて沙織を逃がさないようにしながら、含み笑いで言い聞かせてくる。


「社長の息子なんかに付いていても、長い目で見たら大してうま味は無いだろう。どうせ用済みになったら、ポイ捨てされるのが目に見えているし。悪い事は言わないから、俺と組んだほうが良いぞ?」
 狡猾そうな笑顔で見下ろされながらそう囁かれた沙織は、(ふぅん? ああ、なるほどねぇ)と完全に興醒めしながら、恐れ気もなく相手を見返した。


「あのね。こんな事で女がときめいたりビビったりすると思っているところが、既に残念度甚だしいんだけど。そんなの小説か、ドラマの中だけの話よね」
「何だと?」
「それに、『ポイ捨て』ねぇ……。この際遠慮なく言わせてもらうと、そういう言葉って実際に自分がそんな事したか、他人にされたりしなければ、なかなかポロッと出てこない言葉じゃない? 女をポイ捨てしたなら単なるゲス野郎だし、ポイ捨てされた程度の男に勧誘されても、全く感銘は受けないわね。寧ろ、そんな奴と同一視されるのなんて御免だわ」
「貴様……」
 無遠慮に沙織が言い放つと、その瞬間彼は顔色を変えた。それを見た沙織が、露骨に嫌な顔をしながら話を続ける。


「え? 図星? うわぁ、嫌だ嫌だ。もしかしたらと思っていたけど、多少見た目良しのダメンズ決定じゃないの。私はダメンズホイホイじゃ無いわよ。本当に失礼しちゃうわね」
「さっきから何を言ってる。ふざけてるのか?」
「ふざけているのはそっちでしょう? さっきも言ったけど、今時壁ドンなんて周回遅れも甚だしいのよ!!」
   吉村以上の怒りの形相で吐き捨てると同時に、沙織は体重をかけて彼の足の甲を靴のヒールで踏みにじった。


「うっ! お前!?」
   流石にピンヒールなどでのダメージよりはマシだったものの、それなりに彼が顔をしかめて怯んだ瞬間、沙織は両手で相手の身体を突き飛ばし、空いた隙間を回り込んで、彼の右膝裏に強烈な蹴りを入れる。


「貰った!」
「うあっ、危ないっ! ぐおっ!」
  更に蹴りの直後に彼女に強く右腕を引かれた吉村は、呆気なく廊下に仰向けに倒れ込んだ。そして先程の沙織以上に後頭部と右肩をぶつけて痛みに呻く吉村の腹に、躊躇なく片膝を乗せた沙織が、冷めきった表情で相手を見下ろしながら凄む。


「はっ! 覚えておくのね! これが今のトレンドの、壁ドンならぬ床ドンよ。女を甘く見るんじゃないわ!」
「ふざけるな……」
 痛みと屈辱で吉村が歯軋りしたところで、彼の身体に片膝を乗せて膝立ちをしている沙織の背後から、怪訝な声が聞こえてきた。


「何だ?」
「あいつら、何をやってるんだ?」
(おっと、騒ぎ立てちゃったからギャラリーが。一応、取り繕っておきましょうか)
 即座に判断した沙織は、吉村の反撃を封じる意味合いも込めて、彼の首元に両手を伸ばしながらわざとらしく声をかける。


「きゃあぁっ!   吉村さんすみません! めまいがして倒れかかってしまって! でも吉村さんが咄嗟に抱えてくれたおかげで、怪我をしなくてすみました。吉村さんの方は、大 丈 夫 で す か?」
「ぐはっ! うえっ!」
 背後の社員達には見えないのを幸い、沙織が声をかけながら力任せに吉村のネクタイの結び目を締め上げると、彼は物も言えずに堪らず呻いた。そして必至に引き剥がそうと自分の手に伸ばされた手を振り払いつつ、最後にもう一度吉村の腹に体重をかけてから立ち上がった沙織は、笑顔で彼に頭を下げる。


「良かった、吉村さんにも怪我が無くて。本当に助かりました。これから体調管理には重々気をつけますね? ありがとうございました」
 そして彼女は背後を振り返り、「お騒がせしました」と笑顔で会釈してから、この間床に放置していた紙袋を持ち上げ、何事もなかったかのように職場に向かった。


「何だ、人騒がせな」
「しかし派手に倒れたものだな」
「だが女を支えようとして、あんなにまともに倒れるとはな」
 何事かと目を丸くしていた社員達が、笑いを含んだ声でそんな事を囁きながら横を通り過ぎるのを見送った吉村は、憤怒の形相で上半身を起こし、悪態を吐いた。  


「何なんだ。せっかく声をかけてやったのに、あの女……。覚えてろよ? 今に吠え面かかせてやる」
 それからは吉村も用事を済ませてから、何食わぬ顔で営業二課に戻って来たが、業務の合間に時折目が合うと、鋭い目付きで睨まれているのを自覚した沙織は、心底うんざりしながら友之の様子を伺った。


(直接業務には関係無いし、上司の課長相手に報告する事では無いけど逆恨みされていそうだし、友之さんにはさっきの事を話しておいた方が良いわよね。全く、面倒な事になったわ)
 沙織は若干気が重くなったものの、そう結論付けた以降は目の前の仕事に集中し、無事に帰宅した。そしてその夜、新たな事実が判明する事となった。  



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