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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(71)不審人物

 年末年始休暇を終えた沙織と友之は新年早々、例の微妙に引っ掛かりのある中途採用社員と顔を合わせた。


「皆、明けましておめでとう。今日からこちらの吉村和史君が、営業二課の一員となる。色々教えてやってくれ」
「吉村和史です。宜しくお願いします」
 二課に吉村を引き連れてやって来た部長の工藤が新年の挨拶を済ませ、その隣で彼が神妙に頭を下げる。その時点で特に不審な点や問題を感じなかった友之は、周囲の歓迎の意の拍手が収まってから、彼に向かって右手を差し出した。


「二課課長の松原友之です。こちらこそ宜しく。期待しているよ」
「ご期待に沿えるよう頑張ります」
「それでは松原課長、後は宜しく」
「はい」
 友之達が握手しながら友好的な挨拶を交わしているのを見て、工藤は安心したようにその場を離れた。それに伴い、友之が新たな指示を出そうとしたところで、握手を済ませた吉村が周囲を見回していたと思ったら、意外そうな声を上げる。


「あれ? ここに居るって事は、君も営業二課の所属だよね?」
 真正面から沙織を見据えながら吉村が挨拶抜きで問いかけた事で、周囲の視線が一斉に二人に集まった。
(何、この人? 初対面なのに、随分馴れ馴れしい人ね)
 沙織が呆れ、僅かに友之も眉根を寄せるなか、彼女は表面上は落ち着き払って軽く頭を下げた。


「はい、関本沙織です。宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しく。上司の彼女とは仲良くしておかないと、色々やりにくいと思うしね」
「は? 彼女って、何の事ですか?」
「あれ? ひょっとして職場では、課長と付き合っているのは秘密だったのかな?」
「……え?」
 含み笑いでそんな事を言われた沙織は、動揺のあまり固まった。しかし傍目には単に困惑しているようにしか見えず、周囲の者達も「こいつ、何を言ってるんだ?」と言う訝しげな顔になる。


(えぇえぇぇっ!! なんで!? どうしてバレてるの!? でも付き合ってるんじゃなくて、結婚してるんだけど!! いやいや、そうじゃないでしょ!?)
 そんな微妙な空気の中、友之は冷静に考えを巡らせた。


(何だ、こいつは……。さっきから目が笑っていない、微妙にいけ好かない奴だとは思ったが、沙織と二人でいる所を見られたのか? グアムか、その前か……)
 そこで注意深く吉村の顔を観察した友之は、一秒もかからずに該当する記憶を探り当てた。


(そうか。どこかで見た顔だと思ったら、宿星すくぼしのカウンターの男か。確かにあの時、何やら変な目で俺達の事を見ていたな)
 相手が分かれば対応のしようもあるとばかりに、友之はさりげなく会話に割り込んだ。


「最近、関本と二人で行った店となると……。ああ、そうか。思い出した。吉村君。先月俺達が宿星に行った時、カウンター席に男二人で座っていただろう?」
 その確信に満ちた問いかけに、まさか自分の事を覚えているとは思っていなかった吉村は、若干たじろぎながら応じた。


「……良く覚えていらっしゃいますね」
「チラッと見ただけだが、いかにも仕事ができそうな顔をしているなと、印象に残っていたから。できればヘッドハンティングしたいとも思ったが、偶然にもそんな人物が自分の部下になってくれて、とても嬉しいよ。君には期待している。頑張ってくれ」
「どうも……。微力を尽くします」
 手放しでの賛辞に、吉村は下手な事は言えずに頷き、珍しい物を見た周囲は怪訝な顔を見合わせる。


(どういう事だ? 課長らしくないな)
(課長は普段、こういう見え透いたお世辞は、口にしないタイプなんだが……)
(お世辞では無くて、嫌みなのか? こいつと何かあるのか?)
(何だ、驚いた。あそこで見られたわけか。だけど友之さん、良くこの人の事を覚えていたわね。私、全く記憶が無いわ)
 沙織だけは、友之が自分が考える為の時間稼ぎと、相手のがどうしてこのような事を言い出したのかのヒントをくれたと理解し、早速その話に乗った。


「確かに先月、課長と二人で宿星すくぼしに行きましたね。それを吉村さんが目撃して、私達が付き合っていると推察したと?」
「どうやらそうらしいな。だが、俺達が付き合って見えたとは……」
「そんな事を言ったら、課長は課内の殆どの人間と、付き合っている事になりますよね?」
 クスクス笑いながら沙織が茶化すように述べると、友之がいかにも嫌そうに応じる。


「こら、付き合って貰っているのは呑みにだからな? 間違っても変な噂を流すなよ?」
「当たり前です。職場を離れたら課長とは呑み友、それ以上でもそれ以下でもありません」
「呑み友? 結構良い雰囲気に見えたけど?」
 ここで疑わしそうに吉村が口を挟んだが、沙織はそれを真顔で一刀両断した。


「それではお伺いしますが、吉村さんは本命の彼女を、宿星みたいなお店に連れて行くんですか? 確かに大衆的な居酒屋ではありませんが、ちょっと気の利いた小料理屋的なお店ですけど」
「確かに酒も料理も旨いが、一般女性受けはするかどうか……。現にあの時も、店内の客は殆ど男性だったと思うが」
 友之もわざとらしく首を傾げながら話に加わると、朝永が確認を入れてくる。


「課長、宿星って新橋のあそこの事ですか?」
「ああ。以前、朝永に連れて行って貰った時、関本が好みそうな店だなと思ったから、偶々二人とも早く上がれた時に呑んで帰ったんだ」
 それを聞いた朝永は、明るく笑いながら頷いた。


「そうでしたか。まあ確かに、一般的な本命女性は連れて行かないでしょうね。ですが関本は、ある意味女の範疇に入りませんから」
「朝永先輩。ちょっと失礼じゃありません?」
「『ある意味』と言っただろうが。絡むな」
(本当に、ただ一緒に飲みに行っただけか?)
 周囲の者達が面白おかしく沙織を冷やかし始めたのを、吉村は憮然としながら眺めていたが、ここで友之が冷静に部下達に呼び掛ける。
「それでは皆、今日の仕事に取りかかってくれ」
 それを受けて、集まっていた者達は自分の席に戻り、友之はさくさくと話を進めた。


「吉村さんの机は、そこに準備してあります。業務の内容については、一通り杉田係長から説明して貰った後、朝永に付いて貰う事になります」
「それでは吉村さん、こちらに」
「はい。失礼します」
 側に控えていた杉田に促され、吉村は友之の前から一礼して離れた。それから友之は、取り敢えず吉村の事は一旦心の隅に置き、本来の業務に取りかかった。


「取り敢えず、こんなところだな。分からない事があれば、その都度遠慮せずに周囲に聞いて欲しい」
「はい、そうさせて貰います。早速お伺いして構いませんか?」
「ああ、時間はあるから、遠慮なく聞いてくれ」
 吉村の机の所に椅子を持って来て、一通り業務に関しての説明を済ませた杉田が尋ねると、吉村が早速お伺いを立ててきた。しかしその問いかけを聞いた杉田は密かに失望し、かつ呆れた。


「課長は随分若くして昇進していますが、係長を初めとして課内には何人も課長より年長者が在籍しているのに、揉める事は無いんですか?」
(ほう? こいつ馬鹿か? それとも考えなしの馬鹿に見せかけて、俺達の反応を探っているのか?)
 探りを入れるにしては直球の台詞に、杉田は気を引き締めながら、しかし傍目には何も気にしていないように問い返した。


「揉めるとは、一体何に対して揉めると言うのかな?」
「係長達より若い課長が居座っていたら、皆さんが昇進できないと思いますが?」
 含み笑いで、当然だろうと言わんばかりの口調で言われたそれに、杉田は冷笑で応じる。


「なるほど……。鹿取技工が最近益々業界シェアを落としている、理由の一端が見えたな。あそこは年長序列がまかり通っていて、君に見切りを付けられたわけだ。だが……、本当に見切りを付けられたのはどちらかな?」
 そこで冷笑すら消し去り、顔にはっきりと侮蔑の表情を浮かべた杉田を見て、吉村も顔色を変えた。


「……どう言う意味ですか」
「転職早々、口を滑らせた。もしくは口を滑らせたという自覚すら無い迂闊者にどれだけの仕事ができるのか、とくと拝見させて貰おう。さっきの問いに一言で答えると、我が社は実力主義。単に、それだけの事だ」
 淡々と杉田が口にすると、吉村が吐き捨てるように応じる。


「社長の息子と言う事実は、全く関係ないと?」
「そういう事を口にした時点で、君は人を見る目が無いと他人から評価されるだろう。初日だから、忠告だけはしておく。取り敢えず今日は、このデータの処理と集計を頼む。明日からは当面、朝永と組んで動いて貰うからそのつもりで」
「……分かりました」
 これ以上揉める事は得策では無いと悟った吉村は、おとなしく指示された業務に取りかかり、杉田も恫喝混じりに口にした台詞の事は蒸し返さず、その日一日吉村の動向を観察していた。


「お疲れ様です。課長、ちょっと良いですか?」
「杉田さん、どうかしましたか?」
 遅い時間帯の会議から戻ってくると、退社する杉田と廊下で遭遇し、更に目配せで人気が無い場所への移動を求められた友之は、多少面食らいながらもそれにおとなしく従った。そしてエレベーターホールから離れた場所まで移動し、周囲に人気が無い事を確認した杉田が、徐に口を開く。


「彼の事だが……、敵視しているとまでは言えないが、どうやら課長に対して好印象は持っていない感じだな。念の為確認させて貰うが、本当に例の店での遭遇以前に、彼と面識は無いんだよな?」
 はっきりと名前を出さなくても、吉村以外の人間の筈が無いと分かった友之は、真顔で頷いた。


「はい。皆無です」
「そうか……。まあ多少扱いづらい奴かもしれないが、今日一日見ていた限りでは、取り敢えず即戦力にはなりそうだ」
「分かりました。宜しくお願いします」
「それではお先に」
「お疲れ様でした」
 難しい顔になった杉田だったが、すぐに気持ちを切り替えて挨拶してその場を離れた。それを(余計な苦労をかける事になったかもしれない)と、申し訳ない気持ちで見送った友之は、再び二課に戻りながら、無意識に呟く。


「気に入らないな……」
 勿論、吉村に対する不信感と悪感情を他人に悟らせるような真似はしなかった友之だが、それ故に余計なストレスを溜め込みながら、その日は帰宅する事になった。




「ただいま」
「お帰りなさい。今日は少し遅かったですね。夕飯は?」
「今から食べる」
 夕食を食べ終えてから自分の机で調べものをしていた沙織は、帰宅後に自分の所に直行した友之を訝しげに見やった。


「どうかしましたか? 鞄を持ったまま、着替えもしないでこっちに来るなんて。至急の話でも?」
「沙織、吉村の事だが……」
「ああ、友之さん、さすがですよね。偶々飲みに行った先で、チラッと目にしただけの人を覚えているなんて」
 本気で感心しながら沙織が応じたが、友之は別に賛辞が欲しかったわけでは無く、心底忌々しげに話を続けた。


「やっぱりお前にも、あいつに心当たりは無いんだよな?」
「心当たり? 何のですか?」
 沙織がきょとんとしながら応じると、友之は溜め息を吐きながらベッドに乱暴に腰を下ろす。


「俺には単に同じ店に居ただけの人間を、誰彼かまわず記憶する能力も、変わった癖も無い」
「え?」
「あいつが俺達を凝視していたから、記憶していただけだ。尤も俺達と言うよりは俺、しかも非友好的だったから、余計に印象に残っていたんだが」
 それを聞いた沙織は、本気で戸惑った。


「でもあの人と私達に、それ以前の面識はありませんよね? 前の職場は鹿取技工ですし」
「ああ、思い当たる節は無いな」
「面倒そうな予感がしますが、注意してみるしかありませんよね」
「そういう事だな。全く、新年早々面倒な……」
 そんなうんざりした様子で愚痴をこぼした友之を見て、沙織はさすがに気の毒になり、作業は後回しにする事にして立ち上がった。


「取り敢えず今日も一日、お疲れ様でした。今から飲むなら、晩酌を付き合いますよ?」
「それは是非とも、お願いしたいな」
 珍しい沙織からのお誘いに、友之は心からの笑みを浮かべながら立ち上がり、自室に鞄を置いてから、機嫌良く二人で階下へと向かった。





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