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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(66)些細な懸案事項

(単なる気のせいかもしれないけど、やっぱり気になる。一応今日のうちに、確認しておこう)
 ある日、夜も結構遅くなってから、沙織はその日少々気になっていた事を確認するべく、友之の部屋のドアをノックした。


「友之さん、入っても良いですか?」
「ああ、構わないぞ? 感激だな、沙織の方から夜這いに来てくれるなんて」
 机に向かっていた友之が、椅子ごと振り返りながら笑いかけてきた為、沙織は相手を軽く睨み付けた。


「真面目な話をしに来たんですけど」
「悪い、冗談だ。どうかしたのか?」
 手振りで示されたベッドの端に素直に座った沙織は、どう言ったものかと一瞬悩んでから、向かい合っている友之に単刀直入に尋ねた。


「単に、私の気のせいかもしれませんけど……。今日、部長に呼ばれてから一日中、難しい顔をしていたみたいだから。何か面倒な事でも起こったのかと思って」
 それを聞いた友之は、素で驚いた表情になった。


「顔に出ていたか? それとも沙織の愛の力か?」
「……友之さん?」
 驚きながらも軽口を叩く友之を、沙織が若干目を細めながら睨み付けると、彼はすぐにふざけるのを止めて話し出した。


「分かった。真面目に話す。別に俺達の関係が誰かにバレて、困った状況になった訳では無い。正月明けからうちの課に、新人が入る事が決まった」
 素早く沙織の懸念を察し、それを打ち消した友之だったが、それを聞いた沙織は懸念が解消されたのは良かったものの、怪訝な顔で問いを重ねた。


「新人って……。しかも一月なんて中途半端な時期ですから、当然新卒ではなくて既卒者ですよね?」
「ああ。大学卒業後九年近く、鹿取技工の営業職として勤務している」
 それを聞いた沙織は、今度こそ本気で驚いた。


「はぁ!? ちょっと待ってください! 鹿取技工と言ったら、まともに営業二課うちの競合社じゃないですか? 松原工業自体は工作機械以外にも手広く事業を展開していますから、会社全体の規模はこちらの方が段違いに大きいですが」
「そうなんだ。そういう経歴の人物が、いきなりライバル社に再就職するとか、それなりの事情があるとは思うが」
 難しい顔になりながら説明を続ける友之に、沙織が確認を入れる。


松原工業うちがその人を、引き抜いたわけでは無いんですね?」
「そんな話は皆無だ」
「まさか……、うちの内情を探るスパイとか?」
「手続き上は、きちんと退社する事になっている。十二月末付けて退職で、今現在は有給休暇を消化中らしい」
 それを聞いた沙織は、疑念に満ちた表情を和らげ、納得したように頷く。


「ボーナスをしっかり貰いつつ、年末の忙しい時期に残りの有休消化ですか……。確かに同僚の顰蹙を買いそうですし、ほとぼりが冷めたら職場復帰、という雰囲気でも無さそうですね」
「確かに、円満退社というわけでもなさそうだな。それで色々面倒そうだし、どの程度使える人間だろうかと考えて、無意識に難しい顔になっていたらしい。沙織に余計な心配をかけるなんて、俺もまだまだと言う事か」
 そんな事を自嘲気味に告げた友之に、沙織は軽い口調で言ってみた。


「まあ、何とかなるんじゃないですか? 本人が来てから考えても遅くは無いですし、ちょっと友之さんらしく無いですよ?」
「そうだな。確かに、俺らしく無かったかもしれない。最近は沙織に関して色々な心労が重なって、心配性になっていたか」
「誰が、どんな心労をかけたって言うんですか?」
「まあ、それは置いておいて、母さんから『せっかくだからクリスマスとか、二人で外で食事をして来なさい』とか言われたんだが」
 その提案に、沙織は難しい顔になって考え込んだ。


「うぅ~ん、確かに行こうと思えば行けない事もないですが、ちょっとその辺りは何時に上がれるか、確定して無いんですよね」
「俺も同様だ。そういう訳だからクリスマス前後にこだわらず、都合の良い日を選んで飲みに行くぞ」
「食事をしに行くんじゃなくて、飲みに行くと言う辺り」
「沙織の事を、良く分かっているだろう?」
「反論できない」
 軽快な会話を交わして二人が楽しげに笑い合っていると、ノックする音と共にドアが開き、真由美が顔を覗かせた。


「友之、明日の朝は早く出るって言っていたわよね?」
「ああ、悪いけど、七時には出るから」
「ちゃんと朝ご飯は準備しておくから、安心して。それからお邪魔したわね。今度友之の部屋の分も、ドアプレートを準備しておくから。それじゃあ、おやすみなさい」
 沙織にも笑顔を振りまいてから真由美が姿を消すと、友之は苦笑いで沙織に謝った。


「相変わらず、母さんが天然ですまないな」
「もう慣れましたから。それに二世代同居であれば、それなりに色々あるのは当然ですよ」
「本当に……、俺は子供だったから気が付かなかったかもしれないが、両親と祖父母の間にも色々あったのかな?」
「あったんじゃないですか? わざわざ口には出さなかっただけで。それじゃあ私も、明日は朝から外回りなので、もう寝ますね」
「ああ、おやすみ」
 この頃にはすっかり松原家での生活パターンにも慣れていた沙織は、友之と軽くキスしてから気分良く部屋を出て行った。


 ※※※


「全く、あの腰巾着のごますり部長! そんなに業績を上げたきゃ、自分でノルマを達成しやがれ!」
 カウンター席で並んで飲んでいた連れが、声を荒げながら悪態を吐いた為、吉村和史は目線で店の人間に詫びつつ、入社以来の友人を宥めた。


「今日は一段と荒れてるな……。急に抜ける事になって、本当に悪かった。今日は俺が奢るから」
「お前は何も悪くないぞ。元はといえば、あの勘違い性格ブスの言い分を、あのゲス部長が鵜呑みにしやがったせいで、お前が退職に追い込まれたんじゃねぇか! あぁあ、思い出したらまた腹が立ってきた! 紀ノ室お代わり!」
「すみません、お願いします」
 奢って貰うつもりが、自分が世話をする羽目になった吉村は苦笑いするしかできなかったが、そんな彼を見た相手は、憤懣やるかたない表情でグラスを掴んでいる手を震わせた。


「本当に、あの低脳女……。社長の姪で専務の娘だからって、社内で好き放題しやがって……。職場に男漁りに来るだけでは飽きたらず、つれなくされたら社内であること無いこと放言するとか、冗談じゃねえぞ。しかも上層部も放置って……。同族会社なんて、本当にろくでもねぇな」
「入社する時はそんな事は分からなかったし、まともな同族会社は、世間に幾らでもあるかと思うがな。まあ今回の事であの女も、暫くはおとなしくはなるんじゃないのか?」
「はっ、どうだか。確かに漏れ聞くところでは、専務から何やらお小言を貰ったらしいがな。いつまでおとなしくしている事やら」
「今後事情を知らない新入社員が、あの女の毒牙にかからないように、事情を知っているお前達でフォローしてくれ。俺はともかく、前途有望な社員の将来が、そんな事で潰れるのは気の毒だ」
 しみじみとした口調で吉村に頼まれた相手は、怒りを静めながら頷く。


「了解。……しかしこのご時世、あっさり再就職が決まって良かったな。しかもあの松原工業とは……」
 頷いた彼が、半ば強引に話題を変えると、何故か吉村は微妙な顔付きになって応じた。


「ああ。まあ、幾つかの偶然が重なっただけだが、確かに幸運ではあったな」
「その割には、浮かない顔に見えるが?」
「松原工業での配属先が分かったんだがな……、そこの課長が社長の息子だそうだ。しかも、俺と大して年が違わない奴ときてる」
 それを聞いた彼は、はっきりと顔を顰めた。


「そうなると三十代で課長? 本当に仕事ができる奴なら良いが、上層部の忖度で肩書がついただけならろくでもないな。大丈夫か?」
「そこら辺は、実際に接してみないと分からないし、今から一々気にしていても仕方が無いからな。……気にする事は他にあるし」
「何を気にするんだよ?」
「何でもない」
 引っかかりを覚えた友人からの問いかけを吉村が笑って誤魔化していると、店内にやって来た客の声が耳に届いた。


「予約してある松原ですが」
「松原様、お待ちしておりました。どうぞお上がりください。奥の席になります」
「分かりました」
 反射的に声がした方に顔を向けた吉村は、視線の先に見覚えのある顔を認めて顔を強張らせた。そんな彼の異常を察知した友人が、小さく囁く。


「おい、どうかしたのか?」
「今の女連れの男、来月からの上司だ」
 吉村が友之と沙織から目を離さないまま端的に告げると、彼も慌てて視線を向けながら問いを重ねた。


「は? じゃあさっき話に出た、松原工業の社長の息子? お前、もう顔合わせを済ませてたのか?」
「いや、写真を見せられただけだ。直接の面識は無い」
「写真を見たって……。どうして内定しただけで、上司の写真を見せられてるんだよ? おかしくないか?」
「色々あってな」
 その間に二人は店内を通り抜け、少し奥まった小上がり席に落ち着いた。


「お前……、本当に大丈夫なのか? 松原工業でも、変な事に巻き込まれるなよ?」
「今度はヘマしないさ。……しかし師走だってのに、女連れでいい気なものだな」
 そこで二人を観察しつつ、吉村は悪態を吐きながら再び飲み始めた。


(何なんだ? 妙な視線を感じるが……)
 一方の友之も、店員に案内されている段階で不穏な気配を察知し、注意深く、しかしさり気なく店内を見回した。そして該当する視線の主を割り出す。


(カウンター席の、あの男達? 沙織を見ているのか?)
 一応、男達からの視線を遮るように、沙織を自分の陰になるように誘導しながら奥へと進み、指定された小上がり席に上がる。


「うん、結構良い雰囲気。変に気取っている所より、こういうお店の方が良いですよね。お酒の品揃えも期待できるし」
「沙織、悪いがこっちに座ってくれ」
 壁際に座ろうとした沙織だったが、そうなるとカウンター側からはしっかり顔を見られる為、友之が反対側の席を指し示した。それに首を傾げつつも、沙織はおとなしくそちらに移動する。


「構いませんけど、何か理由があるんですか?」
「単なる気分だ」
「本当に友之さんって、時々意味不明な事を言い出しますよね」
 呆れ気味にコートを脱いで座った沙織に曖昧に笑いかけながらも、友之はカウンター席の二人組をさり気なく観察してみた。


(こちらを凝視しているのは、二人では無くて、片方だけか? それに沙織を見ているにしては、あまり友好的な視線では無いが……。そうなると、見ているのは俺か?)
 そんな事を考えていると、程なくして問題の二人は席を立ち、そのまま店を出て行った。


(気のせいだったか? 男から恨みを買った覚えは無いが……)
 何となく引っかかりを覚えたものの、取り敢えず問題は無いらしいと判断した友之は、それからは沙織との二人の時間を楽しむ事に専念した。





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