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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(55)結婚観

 週末の夕方。手土産持参で初めて兄の自宅マンションを訪れた沙織は、ダイニングテーブルを兄夫婦と囲みながら、神妙に頭を下げた。
「柚希さん、すみません。急にお邪魔する事になって」
 しかし兄の豊と職場結婚した柚希は、明るく笑い飛ばす。


「あら、本当に気にしなくて良いのよ! 前々から沙織さんの事は、家に招待したかったし! 無理に呼びつける形になってしまって、却ってごめんなさいね? もし私の耳に入れたくない話をしに来たのなら食後に席を外すから、遠慮なくそう言って?」
「ありがとうございます。でも冷静な第三者の意見も欲しかったので、柚希さんが同席してくれる事になって、ちょうど良かったかもしれません」
「それなら難しい話の前に、食べるだけ食べてしまいましょう」
「はい。美味しくいただいてます。柚希さん、このマリネ、美味しいですね」
「ありがとう。自分でもなかなかの出来だと思うの」
 女二人でそんな会話を交わしつつ、にこやかに食べ進めていると、ここで豊が不思議そうに沙織に尋ねた。


「沙織の方から『ちょっと相談があるから、時間を取って欲しい』なんて言うのは本当に珍しいし、しかも親父には『絶対内密に』だなんて凄い念押しをしてくるから、何事かと思ったぞ。お前の相談事って、一体何なんだ?」
 そこで沙織は本題には触れないまま、疑問の一つに答えた。


「口止めに関しては、和洋さんが絡むともの凄く面倒な事になるのが、火を見るより明らかだからよ」
「そうなると、その相談って言うのは、母さん絡みの話なのか?」
「ううん、純粋に私の話」
「ふぅん? それで? 食事が不味くなるような話なら、やっぱり食後に聞くか?」
 何気なく豊がそう問いかけてきた為、沙織は一瞬悩んだものの、さり気なく話を切り出した。


「そうね……。確かに少し驚くとは思うけど、食事が不味くなる類の話ではないと思うわ。実は今、付き合ってる人がいるんだけど」
 それを聞いた豊は、箸を動かしながら平然と頷く。


「それは居るだろうな。お前の性格のせいか、どの男も長続きしていないみたいだが」
「『長続きしていない』って言うのは余計よ」
「悪い。俺は正直者だからな。それで? まさか今の男と、結婚するとか言わないよな?」
「してくれって言われたの」
「え? 冗談のつもりで言ったんだが……」
 淡々と沙織が口にした内容を聞いて、軽口を叩いていた豊は箸からご飯を取り落とし、柚希はそんな夫を軽く睨みながら窘めた。


「豊。ここはまず、おめでとうって言うところよね?」
「それはそうだが、いきなりだったし。……うん、まずはめでたい。結婚式にはきちんと出るからな。祝儀も弾むぞ?」
 そんな取って付けたような祝いの言葉を口にした兄を無視して、沙織は柚希に軽く頭を下げた。
「すみません、柚希さん。結婚するかどうかは、まだ決まっていないんです」
 それを聞いた柚希が、忽ち怪訝な顔になる。


「あら、どうして? 相手は付き合っている人なのよね? 結婚するのに、何か問題でもあるの?」
「それが……、お互いに異動したくないから、事実婚をしようと提案されました」
「異動? 事実婚?」
「何なんだそれは。沙織、頼む。俺達にも分かるように、話をしてくれ」
 柚希に加え、豊も真顔で懇願してきた為、それから沙織は食事を中断して、順序立てて自分達の関係やプロポーズまでの経過について説明した。そして彼女が語り終えると、兄夫婦から溜め息が漏れる。


「そういう事情なのね。それは確かに、なかなか微妙な問題かもしれないわ」
「それでそんな条件……。しかも相手がよりによって、以前親父が散々悪態を吐いていた、『セクハラパワハラ野郎』だなんて……」
 本気で頭を抱えてしまった兄を見て、沙織も思わず溜め息を吐いた。


「和洋さんったら、友之さんの事を豊にも愚痴っていたのね……。多分そうじゃないかなと、薄々思ってはいたけど」
「それで沙織さんは、その課長さんと事実婚をするかどうかで迷っているのね?」
 そこで問いを発した柚希に、沙織は自分でもどう言って良いか迷っている風情で、微妙にずれた事を言い出した。


「迷っていると言うか、何と言うか……。そもそも私、結婚に向いているタイプに見えますか?」
「全然見えないな」
「豊には聞いてないから」
「あなたは黙ってて」
「……そんなに邪険にしなくても」
 すかさず口を挟んだ豊を女二人は一刀両断し、拗ねた彼を放置して話を進めた。


「結婚するのに、見た目が結婚に向いているタイプとかそうでないとか、全然関係ないと思うけど?」
「そうですか?」
「それなら逆に聞くけど、結婚しそう、または結婚に向いているタイプって言うのは、沙織さんのイメージだとどういう人なの?」
「それは、何というか……。やっぱり、家庭的な人とか?」
「家庭的、ねぇ……。これはやっぱり、幼少期の影響かな?」
 柚希がそこで腕組みしながら、一人で納得したように頷いているのを見て、沙織は勿論、豊も不審に思った。


「柚希さん?」
「『幼少期の影響』って、お前、何を言ってるんだ?」
 その問いかけに、柚希は些か人の悪い笑みを浮かべながら、兄妹にとって予想外過ぎる事実を打ち明けた。
「実は、例の披露宴の出席に関しては散々拒否されたけど、私、あなたとの結婚が決まってから、お義母さんと膝を突き合わせて話した事があるのよ」
 その事実に豊は驚愕し、慌てて妻を問い詰めた。


「はぁ!? ちょっと待て! そんな事、俺は聞いてないぞ!?」
「だって女同士の話だから、内緒にしていたし」
「内緒って、一体何を話したんだ!?」
「そうね……。確か九割方は、『豊をまともに育てられた自信が無いから、何かあったらしっかり慰謝料をもぎ取った上できっちり別れさせてあげるから、遠慮せずに言いなさい』と言ってくれたわ。それで『いざという時の証拠固めの為に、常設しておきなさい』と言って、最新型の小型録音機材を軽く二桁は貰ったの。それを全部屋に設置済みよ」
「は、はあぁあ!? え? そんな物がどこに!?」
「お母さん……。嫁姑問題が水面下で勃発していなかったのは良かったけど、気遣いの方向性が絶対に違うよね」
 豊は動揺のあまり思わず立ち上がって周囲を見回し、今度は沙織が頭を抱えた。そんな二人を見た柚希は、笑いを堪えながら話を続ける。


「他にも色々話をしたんだけど、要するにお母さんって一途で真面目過ぎる人みたいね」
「それは、まあ……。職業柄、そう思わない事も無いですが……」
「社長と離婚した一連の事情も、包み隠さず話してくれたの。『もしかしたら豊もそっちの趣味があるかもしれないから、可能性として頭の片隅に留めておいて』って」
「そんな趣味、有るわけ無いだろうが!!」
「お母さん……」
 本気で憤慨した豊が立ったまま妻を叱り付け、沙織は益々項垂れた。そんな二人に対して、柚希が困ったように笑いかける。


「二人とも、ここからが本題なの。その時に、お義母さんが言っていたのよ。『別に夫自身が嫌になったわけでは無いけど、夫と一緒に居る自分が許せなくなったから別れた』って」
「はい?」
「柚希、どういう意味だ? 現に母さんは、今でも親父を毛嫌いしているんだが?」
 予想外の事を聞かされて目を丸くした夫と義妹に向かって、柚希は苦笑気味に話を続けた。


「お義母さんがお義父さんを好きだったのは本当だし、結婚した以上、全力でお義父さんをサポートしたかったのよ。現に弁護士事務所も辞めて、専業主婦になっていたんでしょう?」
「確かに母さんは色々極端だし、思い込んだら一直線な所があるよな。普段冷静沈着に見えるから、周りからはそうは思われないが」
「それに、例の浮気がバレるまでは夫婦仲は良かったし、家庭円満だったのよね?」
「そうだな。確かに周りからは『一之瀬さんの所は、理想的なご夫婦ね』と言われていたし……」
 そこまで夫婦で語り合っていた豊は、突然何かに気付いたように、勢い良く沙織を振り返った。


「え? まさかひょっとして、お前の結婚生活のイメージって、当時の親父と母さんだとか言わないよな?」
「理想の夫婦とまで思っているかは不明だけど、劇的な別れ方をしてシングルマザーになったお義母さんに育てられた反動で、余計に深層心理にインプットされていないかしら?」
「…………」
 兄からの驚愕の視線を視線を受けつつ、義姉からの問いかけに沙織が微妙な顔で無言を貫いていると、柚希が真顔になって言い聞かせてきた。


「でもね、良く考えてみて? お義母さんは沙織さんに対して、『男なんかどいつも最低』とか、『結婚なんかろくなものじゃない』とか、『結婚するんじゃなかった』とか、結婚そのものに対する否定的な言葉を、これまでに一度でも口にした事があるかしら?」
 そう問われた沙織だけでは無く、豊も真顔になって考え込んでから、揃って同様の答えを導き出した。


「記憶にある限りでは、皆無です。仕事に関する愚痴を零された事はありますが」
「確かにそうだな。結果はともかく、結婚する事自体に否定的な事を口にしていた記憶はない」
 それを聞いた柚希は小さく頷いてから、話を続けた。


「お義母さんは例えあんな別れ方をしたとしても、結婚生活自体をマイナスだったと捉えていないわ。寧ろ、プラスだったと言っていたもの」
「はぁ? 冗談だろ!?」
「本当に、そんな事を言っていたんですか?」
 途端に懐疑的な表情になった兄妹に向かって、柚希は大真面目に事の次第を告げる。


「ええ。離婚してから恥を忍んで、結婚前に勤務していた法律事務所に、再雇用を頼みに行ったそうよ。そうしたらそこの所長さんに『離婚がどうした。寧ろ挫折を経験した事で、君は一回りも二回りも成長できた筈だ。それを糧に、今後は困難に直面しているクライアントを、親身になって助けてあげたまえ』と激励されたんですって。それで心機一転、離婚訴訟での代理人として働く事になったそうよ。それで『自分も離婚経験者です』とクライアントに言うと、より安心して任せて貰える事が多かったとか」
「あの所長さんなら、言いそうだよな……」
「うん……。面倒見良い人だよね」
 時折、母の職場を訪れたり、家族ぐるみで付き合いがあったりして、その人物の人となりを熟知していた二人は、深く納得して頷いた。


「それにお義母さんは浮気現場に踏み込んだ時、逆上してお義父さんと浮気相手に大怪我をさせてしまったでしょう?」
「頼むからあの修羅場を、思い出させないでくれ……」
「その後、我に返ってから、もの凄く反省したそうなの。『あのまま夫を殺していたら、母親が父親殺しの犯人だなんて、最低の状況に子供達を追い込むところだった。それを猛省して、以後は離婚調停やDV被害者の代理人として、全力を尽くす事を自分自身に誓った』とも言っていたわ」
 それを聞いた豊と沙織は、思わず遠い目をしながら呟く。


「確かに、『お母さんにお世話になりました』って、手土産持参で家に挨拶に来る人や信奉者が、昔から多かったよね……」
「特に男がな。『普通の弁護士さんだと『女から殴る蹴るや罵詈雑言を浴びた位で、訴えるとか情けないとは思わないのか?』と相手にもして貰えなかったり、更なる暴言を浴びる事さえあったのに、お母さんには親身に相談に乗って貰った上、自分の名誉を守って貰った』とか、涙ぐんで言われた事もあったよな……。女性から男性へのDVって、その逆に比べるとまだまだ認知度が低いし」
「お母さん、実際に浮気相手に暴行したし、和洋さんに罵詈雑言浴びせたものね……。浮気していた引け目や世間体があったから、相手から訴えられずに済んだけど」
 そこで二人揃って盛大に溜め息を吐くと、ここで柚希が微妙に話題を変えた。


「浮気されて離婚を考えた当時、周囲はこぞって思いとどまるように促したそうなの。勿論、対外的な事があるから、浮気相手が女だと取り繕っての事よ?」
「それはまあ……」
「そうでしょうね……」
「それで、じっくり考えてみたそうなの。この先一生、お義父さんと一緒に生きていけるかって」
「それで?」
「さっきの台詞に戻るけど『一時の過ちだと、いつかは笑い話にできそうだったら良かったけど、いつか必ず夫の息の根を止める自信があったの。その場合、殺人犯の親を持つ子供達が可哀想だから、別れる事にした』そうよ」
「……本当に、極端だよな」
「やっぱり、毛嫌いしていると思う」
 母親の考えを聞いた二人が、うんざりした様子で感想を述べると、柚希が疑問を口にする。


「う~ん、それはどうかな? 本当に心底嫌っていたら、殺したいとも思わずに精神的にすっぱり切り捨てると思うし、好きな事は好きなんじゃない? 弁護士としての誇りがあるから、犯罪者になるのはまっぴらで、それでお義父さんと関わり合うのを悉く拒否しているけど」
「相変わらず、母さんの考えは良く分からん」
「確かにちょっと、摩訶不思議よね」
「それでお義母さんは『夫婦の数だけ夫婦の形があるわけだから、別にあなた達がどんな夫婦になろうが、干渉するつもりはさらさら無いわ。だけどそれを維持するのが無理だと思ったら力になるから、遠慮無く言いなさい』という話から、私達の間で離婚訴訟に至った場合の、代理人の話に繋がるわけ」
「ちょっと良い話かと思ったら、結局それかよ!?」
 思わず豊が声を荒げ、沙織が冷静にコメントする。


「一応お母さんなりに、柚希さんに気を遣った結果じゃない? それに豊は一之瀬姓になった裏切り者だし、本当に豊より、柚希さんの方が可愛いのかもしれないわ」
「理不尽だ……」
 本気で頭を抱えて呻いた夫を笑って眺めてから、柚希は沙織に向き直った。


「沙織さんはバリバリ働いているお母さんの背中を見て育って、尊敬もしているから、そんな風に働くなら結婚は無理だし、結婚するならお義母さんが結婚していた時のように暮らすのが望ましいと、無意識に考えているかもしれないけど、そういう考えは一度リセットしてみても良いんじゃないかしら?」
「リセット、ですか……」
「ええ。さっきのお義母さんの台詞のアレンジだけど、結婚したらこれまでの人生の何倍もの時間を、その人と一緒に過ごす事になるのよ? 今一緒に居て楽しいのは当然でしょうけど、三十年四十年経った頃に、一緒に楽しく暮らしている想像ができるかしら?」
「正直、想像するのは難しいですが……」
「因みに私は、豊が禿げても太ってもしわしわになっても、一緒にいると思うけど?」
 気負いなくさらりと口にした後は、にこにこと笑顔を向けてくる柚希に、沙織は苦笑いしかできなかった。


「……御馳走様です」
「そこでさらりと惚気をぶち込むな。恥ずかしいだろうが」
 沙織に続き、僅かに顔を赤くした豊が微妙に視線を逸らしながら告げると、柚希はおかしそうに笑いながら話を続けた。 


「別に良いじゃない。要は、私はどんな形になっても沙織さんの結婚を応援するし、きっとお義母さんもそれほどこだわりは無いわよって、言いたかったんだもの」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。……それで? 沙織さんにプロポーズした人って、どんな人なの?」
 それからは興味津々で尋ねてくる兄嫁に苦笑しながらも、沙織は友之について、話せるだけの内容を兄夫婦に語って聞かせた。



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