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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(51)内助の功?

 沙織が友之と共に、伊豆に泊まりに行った翌週。
 孝男は宣言通り静江を連れて、都内の松原邸にやって来た。そしてその影響は、松原工業内で無視できないレベルの物だった。 


「おい、知ってるか? 何だか一昨日から、前社長が社内に顔を出しているみたいだが」
 仕事の合間に近くの席で囁かれた噂話に、沙織は一瞬手を止めて反応したが、すぐに素知らぬ顔で仕事を続行した。


「知っていると言うか、実際に廊下ですれ違った。何かもの凄く、機嫌が良さそうだったぞ?」
「そうなのか?」
「だけどどうして、この時期に前社長が顔を見せるんだ?」
「そうだよな。決算でも、株主総会の時期でも無いのに……」
 同僚達が不思議そうに囁き合う中、一番最初に話を切り出した只野が、一層声を潜めながら告げる。


「それが噂では、前社長は上層部の面々と立て続けに面談して、社の経営方針に付いて色々と意見交換しているそうなんだ」
「意見交換って……、何についてだよ。現社長に社長の椅子を譲り渡してから今まで、前社長が口を挟んできた事は、特に無いよな?」
「それがどうやら、“あれ”についてらしいんだ。小型工作機械の後継機開発を、継続するか否かって奴」
 それを聞いた周囲は、本気で驚いた顔になった。


「え? それって確か、課長が朝永さん達に指示して、資料を纏めさせておいたやつですよね?」
「前社長は、課長のお祖父さんですよね? 形勢不利な課長が、頼んだんでしょうか?」
 ここで思わず口を挟んだ佐々木だったが、忽ち先輩達から小声で叱責される羽目になった。


「佐々木、あまり馬鹿な事を言うな!」
「課長が、そんなセコい真似をするわけ無いだろ!」
「偶々タイミング良く前社長が出向いて、偶々話題に上った事柄を、集中的に議論しているだけじゃないのか?」
「すみません。ですが絶対他の部署の連中は、そう思いませんよね?」
 素直に頭を下げつつも、そんな懸念を口にした佐々木を、朝永はそれ以上叱りつけたりはしなかった。


「確かにそうだろうな。だからお前達、この事に関してよその奴らに絡まれても、ムキになって反論するなよ? 適当に聞き流しておけ」
「分かりました」
「暫くゴタゴタしそうですね」
 そこで話に区切りが付き、各自再び自分の仕事に没頭し始めたが、一部始終を聞くともなしに聞いてしまった沙織は、頭を抱えたくなった。


(本当に“たかちゃん”は、現役時代を彷彿とさせる行動力を発揮してくれているみたいね。何、その裏工作っぷり。私に逐一、予定を知らせてくれているけど、この三日間で社内の主だった反対派と日和見派の上層部殆どと、個別に面談しているし)
 事が大きくなり過ぎた為、沙織は盛大に溜め息を吐きながら、今夜の予定を思い返した。


(今日は静江さんのリクエストに応えて、定時で上がってホテルで待ち合わせて、ナイトプールか……。午後からの管理部会議が相当紛糾しそうなのに、こんなお気楽な事で良いのかしら?)
 そんな事をぼんやりと考えていると、ちょうど時間になったらしく、友之が席から立ち上がりながら周囲に声をかけた。


「それじゃあ、これから会議に行ってくる」
「お疲れ様です」
 必要な物を手にして歩き出した彼を、課内全員が同情の眼差しで見送る。


「なんだか課長の背中、微妙に哀愁が漂ってたな……」
「仕方ないだろう。出席者全員から、前社長を引っ張り出した黒幕だと、疑惑の眼差しを向けられるのが確実だし」
「そりゃあ誰だって、気が重くなるさ」
「俺だったらパス」
「本当に、勘弁して欲しいですよね。先輩」
「……え? な、何?」
 唐突に話を振られた沙織が面食らうと、佐々木が不思議そうに再度問いかけた。


「ですから、いわれのない疑惑の目で見られて、課長は気の毒だと思いませんか?」
「あ、ああ……、そうね。言われてみれば気の毒ね」
 動揺して、取って付けたような物言いになってしまった沙織だったが、それを聞いた佐々木が悲しげな表情になる。


「……先輩が冷たい。課長が、益々気の毒に思えてきた」
「ちょっと佐々木君? 人を、冷血人間みたいな言い方は止めてくれる?」
「おい、お前達。何を騒いでる。ちゃんと仕事をしろ」
「はい!」
「すみません!」
 そこで朝永から注意されてしまった二人は、慌てて仕事を再開した。
 結局、殆どの者の予想通り管理部会議はかなり紛糾しているらしく、沙織は定時になっても戻って来ない友之を気にしつつ、予定通り仕事を終わらせて待ち合わせ場所へと向かった。


「静江さん、真由美さん、お待たせしました」
 ホテルのロビーに入って、ソファーに座って話し込んでいた二人に声をかけると、彼女達は笑顔で立ち上がりながら答える。


「良いのよ。お仕事帰りに、同行をお願いしたのだし」
「寧ろ、待ち合わせ時間をもう少し遅めにするべきだったかと、話していたところなの」
「それは大丈夫です。それでは早速、行きましょうか」
「ええ、凄く楽しみにしていたのよ」
 そして傍目には女三代の組み合わせで、沙織達はホテル内を歩き始めた。


「うわぁ、綺麗ねぇ……。ネットで見た写真以上だわ!」
「お昼だと暑過ぎて、外に出る気も失せるもの。やっぱりこれ位がちょうど良いわよ」
「本当にそうね。だけど見事に若い人ばかりだわ」
「さすがにおばあさんだけだと、入るのを躊躇うわね。沙織さんの都合がついて良かったわ」
 更衣室で水着に着替えた三人が屋外のプールに移動し、周囲を見回した静江が沙織を振り返りながら嬉しそうに口にしたところで、真由美がそれに噛み付いた。


「ちょっと待って、お母さん。まさか私まで『おばあさん』で括られてはいないわよね?」
「あら、十分おばあさんじゃない」
「冗談じゃないわよ! お母さんなら、十分おばあさんだけど!」
 そこで突然論争が勃発したのを回避するべく、沙織は慌てて幻想的なイルミネーションやライトアップが施されているプールを指さしながら提案した。


「あのっ、静江さん真由美さん! あの光るボールとか持って、写真を撮りませんか? 大きめのフロートもありますので、のんびり浮かぶのも良いですよね? 夜景も綺麗ですし!」
 それを聞いた二人が、忽ち笑顔になって機嫌よく応じる。


「そうね、せっかくだから撮って貰おうかしら」
「男連中は仕事中だから、後から見せてあげましょうね」
(本当に、こんなにのんびりしちゃってて良いのかしら……)
 それから沙織はどこか遠い目をしつつ、二人に付き合ってプールでのひと時を過ごした。


 ひとしきり楽しんでから、三人はプールサイドから直接上がれるレストランに移動し、そこで専用に貸し出している薄手のバスローブを羽織って、プールを見下ろすテラス席で遅めの夕飯を食べ始めた。すると殆ど食べ終わった所で、ホテル側の入口から入って来た孝男と義則が合流する。


「おう、待たせたな」
「楽しんでいたか?」
「ええ、楽しませて貰ったわ。お疲れ様。まだ食べていないの?」
「ああ、ここで軽く食べるか」
「あなた、友之はどうしたの?」
 一緒に来る筈の息子の姿が無かった為、真由美が不思議そうに尋ねると、義則が困惑顔で答えた。


「それが……。会議終了直後に、田宮さんと風見さんに捕まってな。そこに割って入ったらこちらまで引きずり込まれそうだったので、友之に任せてきた」
「あれ位あしらえんようでは、ものの役に立たん。若い頃の苦労は買ってでもしろと言うから、放ってきた」
「あらあら」
「まあ」
 友之があっさり父と祖父に見捨てられたのを知って、静江と真由美は呆れ顔になっただけだったが、沙織は顔を強張らせた。


「あの……、田宮常務と風見専務と言う事は……。もしかしなくても、例の後継機種開発終了派の……」
 控え目に沙織が確認を入れてみると、孝男が満面の笑みで力強く頷く。


「そうだな。喜べ、さっちゃん! 会議の結果、後継機開発続行が決まったぞ!」
「友之の奴が色々資料を揃えて、随分奮闘したからな」
「……それは何よりでした。私も、頑張った甲斐がありました」
 苦笑するしかできないといった感じで義則も告げてきた為、沙織は引き攣った笑みを浮かべた。


「そうだろうそうだろう。さっちゃんの頑張りを無駄にする事はできんから、友之も気合を入れただろうな。だが田宮の奴、相当面白くなかったらしく、会議終了直後に『この際、是非親交を深めようか』と絡んでな。あいつは昔からねちっこいぞ? 金勘定は抜群だがな!」
「一緒にたむろしていた面子から考えると、相当ネチネチ言われるのは確実ですね」
(何だか、激しく嫌な予感がしてきた……)
 豪快に笑い飛ばす孝男と苦笑している義則を見ながら、沙織はロッカーから持ってきたポーチの中から、スマホを取り出した。


「すみません、ちょっと失礼します」
「あら、気にしないで良いのよ?」
 断りを入れてからスマホの電源を入れ、確認を始めた直後、沙織から狼狽した呻き声が上がった。


「げっ!! ちょ、何これっ!?」
「沙織さん?」
「さっちゃん、変な声を出してどうした?」
 同じテーブルを囲んでいた四人は、揃って訝しげな視線を向けたが、当の沙織は立ち上がりかけ、しかし周囲を見回してから再び座り、狼狽しながら再度断りを入れた。


「ああああのっ! この姿でホテルの廊下に出る訳にはいきませんので、ここで失礼して、ちょっと友人と連絡を取っても宜しいでしょうか!?」
「ええ、構わないわよ?」
「遠慮しないでどうぞ」
「失礼します!」
 そう叫ぶなり、猛然とスマホ上で指を滑らせ始めた沙織を、他の者達は不思議そうに見やった。


「何なんだ?」
「さぁ……。あなた、取り敢えず何か頼みますか?」
「そうだな」
 そして邪魔しては悪いと判断した四人は、沙織に声をかけずにそれぞれ注文をし、会話しながら軽食を食べ進めた。すると三十分程経過して、漸くスマホから手を離した沙織が、ぐったりした様子で呟く。


「な、何とかやり切った……」
「沙織さん、本当にどうしたの?」
「随分と真剣な顔で、ずっとスマホを操作していたし。何か大事なお仕事の話だったの? もし無理に予定を空けたのだったら、ごめんなさいね?」
 そのまま項垂れていた沙織に、静江が申し訳なさそうに謝ったが、彼女は慌てて顔を上げて手を振った。


「いえ、仕事ではありませんから、ご心配なく。愛でる会のタイムラインが、酷い事になっていただけですから」
「え? どういう事?」
 既に真由美から《愛でる会》の事を聞いていた静江と孝男が、不思議そうに尋ね返した為、沙織は詳細を説明した。


「どうやら友之さんが陰険重役連中に拉致られた現場を、偶々会員の一人が目撃していまして。彼女がそれを即刻タイムラインで報告した結果、『松原課長に何をする気!?』『陰険ジジイども許すまじ!!』と言う論調が席巻する事になりまして」
「あら、友之ったら随分モテているのね」
「俺の若い頃は、ファンクラブなんか無かったがな」
 静江達が面白がる中、沙織は説明を続けた。


「それで一気に炎上と言うか、《密かに松原課長の活躍を応援する》と言う会の主旨から激しく逸脱した、『ヘイトスピーチ推進会』とか『呪詛グッズ探究会』としか言えない集団に成り果てそうになっていましたので、全力で説得して、何とか鎮静化させました」
 心底うんざりした表情で結論を述べると、静江達が明るく笑う。


「まあまあ、それはお疲れ様」
「友之の事で、面倒をかけたな、さっちゃん」
「でもこれこそ正に、内助の功よね!」
「……そうとも言えるかな」
 楽しそうに叫んだ真由美に、義則が苦笑いで応じたが、ここで沙織は友之の現状について思いを巡らせた。


(連絡も無いし、今頃はまだ飲みながら、ネチネチ言われているのよね……。この事態は、元はと言えば私が例の件をたかちゃんにぶちまけたせいだし、裏で《愛でる会》の軌道修正をする位、何でも無いけど……。埋め合わせ位は、しておこうかな?)
 結局ホテルにいる間に友之は合流できず、孝男と義則が食べ終わるのを待って全員ホテルを引き上げ、沙織はそこで別れて自宅に戻った。


 そんな事があった日の週末。沙織は自宅マンションで、友之を出迎えた。


「いらっしゃい」
「ああ。これを持って来た」
「ありがとうございます。……これはなかなか食べ応えがある、高級食材使用のオードブルセットですね。それにワインですか?」
 受け取ったビニール袋を覗き込みながら、入っていた透明なケースの中身を確認しつつ沙織が応じると、友之が細長い紙袋を差し出しながら頷く。


「言っておくが、変な物は持って来て無いからな」
「友之さんの舌の肥え具合は、信用していますよ? 取り敢えず上がってください」
「ああ」
 手ぶらになった友之は靴を脱いで上がり込み、リビングへと入った。


「ところで沙織、俺は今週色々あって、少々やさぐれていてな」
「そうですね。色々ありましたね」
「それで今日は就寝時間を、二十四時まで遅らせる事を要求する」
 受け取った物をテーブルに乗せながらそれを聞いた沙織は、呆れ顔で振り返った。


「……ここに来るなり、何を言い出すのかと思ったら、馬鹿ですか?」
「偶には、本当に馬鹿になっても良いだろう。馬鹿正直に馬鹿馬鹿しい事に付き合って、神経をすり減らしたんだから」
「別に二十四時とは言わず、今回の友之さんの健闘を讃えつつ慰労する意味で、今日は友之さんの気が済むまで、オールナイトでお付き合いするつもりでしたが?」
「…………」
 平然と沙織が口にした台詞を聞いた友之は、口を閉ざし、そのまま右手で顔を覆いながら俯いた。それを見た沙織が、胡散臭そうに尋ねる。


「何をやってるんですか?」
 すると友之は未だ顔を覆いながら、しみじみとした口調で告げた。


「やっぱり沙織は、普段デレなくて良い。偶にするから、もの凄くレアで破壊力抜群だ。危なくこの場で、押し倒しそうになった」
「だから何を馬鹿な事を、大真面目に言っているんだか。第一そんな事をしたら、また和洋さんに問答無用で殴り倒されますよ?」
 溜め息を吐いてから、呆れ顔で沙織が警告すると、友之が反射的に手を離して顔を上げる。


「いや、幾ら何でも、さすがにそれは無い」
「あ、和洋さん。来るなら来るって、連絡を入れて欲しいんだけど」
「うえっ!?」
 そこで沙織が自分の背後に視線を向けながら、話題の主に呼びかける台詞を発した為、友之はギョッとしながら勢い良く背後を振り返った。しかしそこは無人だった上、彼の背後から爆笑が沸き起こる。


「ぶっ、ぶふぁあっ! あ、あははははっ! い、今の動揺っぷり! マジで驚いてるっ! 笑えるぅぅっ!」
 本気でお腹を抱えて笑っている沙織に、一瞬肝を冷やした友之は、激しく抗議した。


「沙織! 笑い事じゃないし、全然笑えないぞ!」
「ごめっ……、あははははっ! わっ、笑いが止まらないぃぃっ! あそこまで驚くなんてぇぇっ!」
「あのな……」
 しかし沙織の笑いは一向に止む気配が無く、友之はうんざりしながら諦めた。


(まあ良いか。ここまで爆笑している沙織の姿も、普段からは想像できないし。沙織といると本当に面白いし予測ができないし、退屈しないよな)
 友之はそんな事を考えながら、沙織が笑い止むまでの暫くの間、苦笑しながら彼女の様子を眺めていた。





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