酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(48)こじらせ系ダメンズ好き確定

「おはようございます、先輩」
「おはよう、佐々木君」
 いつも通りの出勤時の挨拶をした佐々木は、隣の席に座りながら、何気なく沙織に問いを発した。


「先輩、そういえば最近話を聞いていませんが、柏木さんとのお付き合いは続けているんですよね?」
 その質問に(何てタイムリーな)と密かに感心しつつ、沙織は答えた。


「ううん、実は柏木さんとは、先週別れちゃったのよ」
 彼女がサラッと口にした内容を耳にした周囲は、「関本……」「お前、そんなあっさり」などと小声で呻いたが、佐々木の心境も先輩達と同様だった。


「やっぱり……。何となく、そんな気がしていたんですよね。先輩の恋愛遍歴が最短五日、最長三ヶ月って聞いていましたし。今回は、二ヶ月強って感じですよね」
「あら、意識はしていなかったけど、今回も記録更新はならなかったのね」
 沙織が事も無げに応じると、佐々木が盛大に溜め息を吐いた。


「『ならなかったのね』じゃありませんよ……。これまで時折話を聞く限り、かなり良い感じだったのに、一体どうして別れる事になったんですか?」
「どうしてと言われても……」
(元々、課長への当て付けに付き合っていただけとか、言える筈はないしね)
 困り顔の後輩を眺めながら(困っているのはこっちなんだけど)と思いつつ、沙織は苦し紛れの言い訳を口にした。


「うぅ~ん、別に喧嘩とかしたわけではないし、それはなんとなくとしか言えないかな? 柏木さんは良い人だし、私と別れてもすぐに良い人が見つかるかなって」
「やっぱり……。先輩はしっかりし過ぎているから、見た目とか将来性がばっちりな人には食指が動かなくて、一見問題無さそうに見える隠れダメンズにそそられる、こじらせ系ダメンズ好きなんですね。実はそうじゃないかと、密かに心配していたんですが……」
 如何にも困ったものを見るような目つきで、しみじみと言われてしまった沙織は、僅かに頬をひくつかせた。


「何……、その『こじらせ系ダメンズ好き』って。しかもそんな残念なものを見るような目は、止めて貰えないかしら?」
「大丈夫です、先輩。そんな先輩にも、きっとちょうど良い男性が、どこかに存在していますよ。それに時代は女性が年上のカップルが流行りですし、もし今後も適当な出会いが無かったら、俺の同期の中で選りすぐって推薦します」
 妙に達観した顔つきの佐々木が、力強く言い聞かせてきた為、沙織は下手に反論せずに頷いておいた。


「……うん、佐々木君。その気持ちだけ、ありがたく受け取っておくから。取り敢えず、今日の業務の準備をしようか」
「はい。今日も一日、頑張りましょう!」
(今のやり取り、しっかり友之さんの耳に入ったわよね。まあ、あの人の事だから腹を立てて、佐々木君に変な仕事を押し付けたりはしないと思うけど)
 そして沙織の推測通り少し離れた課長席で、先程からのやり取りを聞くとも無しに聞いていた友之は、額を押さえて項垂れていた。


(佐々木に、全く悪気が無いのは分かってはいるが……。悪かったな、隠れ駄目男で)
 友之が無意識に溜め息を吐いたところで、部下から困惑気味の声がかけられる。


「すみません課長、どうかしましたか?」
「いや、何でもない。それは坂下板金との契約書か?」
「はい、確認をお願いします」
 そこで差し出された書類を受け取った友之は、早速気持ちを切り替えて業務に取りかかった。




「『隠れダメンズ好き』ねぇ……」
 仕事帰りに友之と落ち合って食事をしている最中に、ふと朝の出来事を思い出した沙織は、手を止めて無意識に呟いた。それを耳にした友之は微妙に嫌そうな顔になりながら、食事の手を止めて尋ねてくる。


「いきなり何なんだ?」
「朝に佐々木君にそう言われましたけど、意外にそうなのかもしれないなぁと、しみじみ考えてしまったもので」
「……悪かったな。隠れダメンズで」
「自覚はあるんですね」
「…………」
 淡々と沙織が応じると、友之は小さく溜め息を吐いてから、再び黙々と食べ進めた。その様子を見て、沙織は少しだけ反省する。


(さすがに怒らせるつもりまでは無かったけど、反論するか話題を変える位はするかと思ったのに、どうしたのかしら?)
 予想とは微妙に異なる反応に、沙織が内心で不思議に思っていると、友之が再び手を止めて、言いにくそうに話を切り出した。


「その……、沙織?」
「なんですか?」
「俺の事をダメンズ呼ばわりしても構わないから、少し話を聞いて貰いたいんだが」
 神妙な顔付きでのそんな申し出に、沙織の眉間に無意識にしわが寄る。


「……今度はどんな女ですか」
「女絡みのトラブルでは無いんだが、沙織にとっては多少……、いや、かなり面倒な事には違いないだろうな」
「前振りは良いですから、さっさと本題に入りましょうか?」
 早くもイラッとしてきた沙織が、冷え切った笑顔で話の先を促すと、友之が唐突に言い出した。


「どこかの土日に、俺と一緒に伊豆に行かないか?」
「伊豆?」
 いきなりの話に、さすがに沙織が面食らっていると、友之が大真面目に話を続ける。


「ああ。新鮮な魚介類と旨い酒が味わえる上、効能豊かな温泉がある高級旅館宿泊で、運転手付き。勿論費用は、全額こちら持ちだ」
 かなり太っ腹なその申し出を聞いても、沙織はにこりともせずに平然と問い返した。


「それはそれは……。いたせりつくせりの、豪勢な話ですね。それだけだったら、文句なく良い話ですが。そこに付け加える条件は? 当然、ありますよね?」
「そこで、俺の母方の祖父母と、顔を合わせて欲しい」
「祖父母?」
 予想外の言葉を耳にした沙織はキョトンとした顔になったが、すぐに以前聞いていた情報を記憶の中から引っ張り出した。


「ああ……、そう言えば真由美さんのご両親は、前社長が引退されてからは、伊豆で悠々自適の生活をしているんでしたね」
「そうなんだ。それで母が最近祖父母に、沙織の事を結構気に入っている子だと話したらしくて。『一度こっちに連れて来い』と、直々に言われてしまってな」
 そこで幾分うんざりした顔で溜め息を吐いた友之を眺めながら、沙織は冷静に考えを巡らせた。


(それはすなわち、松原工業前社長夫妻と顔を合わせると言う事で、そうなると前社長は、現社長とはまた違った人脈と影響力を、依然としてお持ちの可能性もあるわけで……。うん、仮に話を聞いて貰えなくとも、こちら側に特に目立ったデメリットは無いわよね)
 そう素早く判断した沙織は、あっさりと友之に頷いてみせた。


「良いですよ? 一泊二日で一緒に伊豆に行く位」
「本当か?」
 想像していたより遥かにあっさり了承して貰えた事で、友之が少々驚きながら確認を入れると、沙織が大真面目に問い返してくる。


「勿論本当ですが、一応確認を入れさせて貰うと、私はどう言った立ち位置での訪問になるんでしょうか?」
「立ち位置?」
「だから、すこぶる仕事ができる部下か、かなり毛並みの変わった恋人か、将来に不安しか感じない嫁候補とかです」
 沙織が冷静に挙げた具体例を聞いた友之は、がっくりと肩を落として呻いた。


「自分で『すこぶる仕事ができる』とか『かなり毛並みの変わった』とか『将来に不安しか感じない』とか、真顔で言うのか……」
「項垂れていないで、さっさと教えて欲しいんですが。それによって私の心構えも、色々違ってきますし」
「心構えに、大して違いがあるとは思えないが……。母さんは『未来の義理の娘』とか、言っている筈だ。俺としても沙織の事は、婚約者として祖父母に紹介したいが」
 そこですかさず、沙織からの突っ込みが入る。


「私と友之さんは、婚約なんかしてませんよね?」
 真顔で小首を傾げながらのさり気ない反論に、友之は本気で挫けそうになった。


「本当に沙織は、俺の心をへし折る達人だよな」
「折れたら折れただけ、強くなるんですよ。友之さんはまだまだ発展途上って事ですね。頑張ってください」
「しかもスパルタだし……。普段佐々木には、そんなに厳しくないよな?」
「当たり前です。年齢も経験も自分より少ない人間を、嬉々として虐める趣味はありません。そんな非道な真似ができますか」
「だが年齢も経験も自分よりある人間に関しては、微塵も配慮する必要は無いと」
「当然です」
 真顔で沙織に断言された友之は、再度溜め息を吐いた。


「そうだな……。方向性としては、間違ってはいないな。とにかく、宜しく頼む」
「それなら早速、予定のすり合わせをしましょうか。本格的に暑くなる前に行きますか?」
 そして首尾良く了解を取り付けたものの、自分の身内に対して、沙織についてかなり微妙な紹介をしなければいけない可能性が出てきた友之は、頭痛を覚えながら日程を決定した。




「ただいま」
「お帰りなさい! 例の件、沙織さんにお願いしてきた?」
 帰宅してリビングに顔を出すなり、嬉々として尋ねてきた母親に、友之はいつも通りの口調で答えた。


「ああ。お互いの都合の良い日も確認したから、お祖父さん達の都合も聞いて、早速宿を押さえるよ」
「良かった。それならついでに、私達も行こうかしら? お正月以来、お父さん達に会って無いし」
 うきうきとした口調で真由美が言い出した為、友之は渋面になって反論しようとしたが、それに義則の制止の声が重なった。


「母さん、それは」
「それは止めておけ。自分以外は全員、松原家の人間が集まっていたら、関本さんが気を遣うだろう。こちらが無理を言ってお願いしたのに、気の毒過ぎる」
 しかし真由美は、平然と夫に言い返す。


「沙織さんはそういう事は、あまり気にしないと思うけど」
「真由美」
「……分かりました」
 夫から幾分強い口調と鋭い視線を向けられた真由美は、残念そうに了承の言葉を返した。それを見た義則は、呆れ気味に声をかける。


「取り敢えず友之に、土産を持たせてやれ。友之、お義父さんとお義母さんに宜しくな」
「ああ、分かってる」
 後半は友之に向き直って言い聞かせた義則は、不思議そうな顔つきになりながら、ちょっとした疑問を口にした。


「しかし関本さんは、今回の事を快く了承してくれたのか? 正直に言うと『どうして婚約者でもないのに、付き合っている人の身内をわざわざ訪ねないといけないんですか』とか反論されて、固辞されるかと思っていたんだが」
「俺も、それは考えていたんだ。だが少し引っかかる感じはあったものの、特に目立った反論は無かったから」
「それなら良いんだが……。あまり彼女を怒らせないようにしろよ?」
「気を付けるよ」
 そこで若干心配そうに言い聞かせてくる父親に向かって、友之は自身の不安を押し隠しつつ、素直に頷いてみせた。



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