酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(33)隠し事

 自分の車だと乗り降りしにくいだろうと考えた友之は、父の車を借りて沙織を会場のホテルに送り届けた後、一度自宅に戻って時間を潰し、終了時間に間に合うように再びホテルへと戻った。
 しかし今度はしっかりと訪問着を着こなした真由美が一緒であり、地下駐車場から一階ロビーまで上がって来た友之は、些かうんざりした表情で母親に確認を入れる。


「母さん、本当に行く気なのか?」
「当たり前よ。さり気なく沙織さん達と遭遇して、お母様にご挨拶してくるわ。あなただってそのつもりで来たくせに、今更何を言っているのよ?」
 当然の如く言い返されて、友之は項垂れて説得を諦めた。


「……俺はやっぱり、ここで待つ事にする。親子揃って出くわしたりしたら、どう考えても不自然だろう」
「それなら、そうしてらっしゃい。そろそろ披露宴の終了時刻だから、上に行ってるわね」
「ああ」
(全く母さんときたら、言い出したら聞かないしな。穏便に顔を合わせるだけで、済めば良いが……。後から沙織に『何やってるんですか!』と怒られそうだし)
 うきうきと上機嫌にエスカレーターで吹き抜けのロビーから二階に上がっていく真由美を見送りながら、友之はロビーに設置してあるソファーの一つに腰を下ろした。


「やっと終わったわね。清々したわ」
「……うん、取り敢えず、穏便に済んで良かった。それに薫ったら、抜け出すのが早いわね。もう下に下りたのかしら?」
 披露宴終了後、会場を出てすぐに行方をくらました薫の姿を佳代子と沙織が探していると、二人の姿を認めた和洋が歩み寄って声をかけてきた。


「あ、あの……、今日はわざわざ名古屋から来てくれて、ありがとう。改めてお礼をしたいので、この後一席設け」
「沙織、行くわよ」
「あ、ええと、和洋さん、またね」
 しかし完全に無視された和洋に慌てて声をかけながら、沙織は母の後を追った。


(相変わらず、諦めの悪い。お母さんとよりを戻すなんて無理だって言ってるし、周囲だって同意見なのに。本当に懲りないんだから)
 披露宴の間も、沙織と薫を間に挟みつつ険悪な空気を隠そうともしなかった佳代子に、尚も果敢にアプローチする根性は褒めてあげるけど、他の事にエネルギーを使えば良いのにと沙織が半ば呆れていると、ここで予想外の声がかけられた。


「あら、沙織さん、奇遇ね!」
「え? ……はい!? 真由美さん!?」
「まあ、ひょっとして結婚式? 華やかなお着物ね。若々しくて素敵だわ」
「は、はあ、どうも……。あの、真由美さんはどうしてここに」
「ちょっとお友達と顔を合わせていてね。帰ろうと思ったら、沙織さんを偶然顔を合わせてびっくりよ」
「そうですか……」
 白々し過ぎる台詞に、(このフロアは、各種宴会場しかない筈なんですけど!? どこでどんな用事でお友達と顔を合わせていたって言うんですか?)と沙織が呆れていると、横から訝し気な声がかけられた。


「……沙織?」
 そこで慌てて沙織は、母に彼女を説明した。
「え、ええと、真由美さんは勤務先の松原工業の社長夫人で、直属の上司のお母様で、ちょっとした事がきっかけで、個人的にお知り合いになった方で」
「もしかしたら、沙織さんのお母様ですか? 初めまして。松原真由美と申します。沙織さんとは年齢差はありますが、親しく友人付き合いをさせて頂いております」
 綺麗なお辞儀をしてみせた真由美に、佳代子は警戒心を解きながら頭を下げて挨拶した。


「ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。私は沙織の母の、関本佳代子です。職場では、娘がお世話になっております」
「いえいえ、お世話になっているのは私の方ですので。今日は思いがけず、沙織さんのお母様にお会いする事ができて、嬉しいですわ」
 そう聞かされた佳代子は、不思議そうな顔つきになった。


「はぁ……、娘が奥様の個人的なお世話ができるとは思えませんが、どのような事をしているのでしょうか?」
「主人や息子が付き合ってくれないような所に、一緒に出向いてくれますのよ? 例えば……、こんな所とかですわ。ご覧になって下さいませ」
「あ、ちょっ……、真由美さん!?」
 ここで真由美がすかさずスマホを取り出し、呼び出したデータを佳代子に見せようとした為、それがどんな画像かを悟った沙織は慌てて止めようとしたが、その前に佳代子の目にしっかり入ってしまった。その二人のゴスロリと甘ロリコスプレ画像を見せられた佳代子は、平坦な口調で感想を述べる。


「…………楽しそうで、何よりですわね」
「はい、とっても!」
「少々、失礼します。……沙織、ちょっとこっちに来なさい」
「はい……」
 にっこり笑いながら断りを入れた佳代子は、沙織の手を軽く引いて真由美から数歩離れると、背を向けた彼女には聞こえない程度の押し殺した声で、娘を叱責した。


「あなたがどこで何をしようと、もう大人なんだから一々小言を言うつもりは無いけど、二十八にもなって何をやってるの。少しは世間体を考えなさい」
「……すみません」
 本気で怒られてしまった沙織は、下手に弁解したら益々状況が悪化すると分かっていた為、神妙に頭を下げてから、再び笑顔で佇んでいる真由美の所に戻った。




 その頃友之はロビーに座ったまま、腕時計で時間を確認しつつ、エスカレーターやエレベーターホールの方向に目を向けて、人の流れを確認していた。
(そろそろ降りて来る頃か?)
 真由美と沙織を迎えつつ、運が良ければ沙織の母親にも挨拶しておこうと考えていた友之だったが、ここで予想外の邪魔が入った。 


「……あら? 友之君? こんな所で奇遇ね?」
「寧子さん……」
(ちっ! よりにもよって、こんな時にこんな所で遭遇するとは!)
 少し前に寺崎の病室で、偶然を装って再会したばかりの女性から嬉しそうに声をかけられて、友之は舌打ちしたい気持ちを何とか押さえ込んだ。しかも相手が厚かましく、断りも入れずに自分の向かい側のソファーに腰を下ろした事で友之の機嫌は更に下降したが、辛うじて面には出さずに愛想よく応じる。


「本当に奇遇ですね。ここで誰かと待ち合わせですか?」
「ちょっと昔の友人と、顔を合わせてきたところなの」
「そうでしたか」
(『昔の友人』だと? 笑わせる。そんな高尚な人間が、あんたにいるのか? 大方、昔の男に言い寄ろうとして、肘鉄喰らったとかじゃないのか?)
 四十代後半にしては派手なメイクと服装の女を、友之が心の中で冷ややかに分析していると、寧子が微妙にねっとりと纏わりつくような視線と口調で懇願してきた。


「こんな所で会えるなんて、やっぱり友之君とは縁があるのね。せっかくだから主人の事について、少しお話したい事があるのよ。これから少し、お時間を貰えないかしら?」
「生憎と、今日はちょっと予定がありまして……」
「そんなに時間は取らせないわ。主人も、『松原君だったら信頼できるから、今後何か困ったことがあったら相談しなさい』と言っていたし」
「……それは光栄ですね」
(拙いな……。そろそろ降りてくる頃だ)
 傍目には平然と受け答えしながらも、披露宴を終えて会場から出てきたらしい招待客と分かる集団が、エレベーターホールから続々と広いロビーに現れて来た為、こんな所を沙織や真由美に目撃されたくなかった友之は、少しでも目立たない所に寧子を誘導する事にした。


「少しでしたら、お茶を付き合いますよ。そこのティーラウンジではどうですか?」
「ええ、構わないわ。そう言えば、予定は大丈夫なの?」
(白々しい。本当に気にしているなら、声はかけてこないだろうが)
 一応殊勝に尋ねてきた相手に、友之は内心で悪態を吐きながらも平然と応じる。


「確かに待ち合わせをしていますが、相手には少し後の時間にして貰いますよ。寧子さんの誘いを、無碍にはできません」
「あら、申し訳ないわね。彼女さんに謝っておいて頂戴ね?」
「待ち合わせしていたのは男ですよ。従兄弟がそろそろ車を買い替えたいと言っていて、相談に乗っていたんです。この後、行きつけのデイーラーに、一緒に行く事にしていましてね」
「そうだったの。じゃあ友之君は、今特に付き合っている女性はいないの?」
 さり気なく、探るような目を向けてきた彼女に、友之は小さく肩を竦めてみせる。


「そうですね。今の所は。ところで寧子さんに、一つお願いがあるんですが」
「あら、何かしら?」
「君付けは止めてもらえませんか? 三十過ぎてまでそう呼ばれるのは、違和感があり過ぎるので」
「それもそうね、ごめんなさい。つい、懐かしくて。もうれっきとした一流企業の課長さんなのに、確かに失礼よね」
 友之の主張を聞いた寧子は一瞬困惑してから、おかしそうに笑い出した。しかしすぐにしんみりした口調で言い出す。


「でも主人の病室で偶然再会して、驚いたわ。随分立派になって」
「寧子さんは相変わらず、若くてお美しくて驚きましたよ」
「まあ、お世辞も上手になったのね」
(ほざいてろ、この女狐が!)
 自分への賛辞を当然の事のように受け止めている寧子を、友之は心の中で罵倒しながら、さり気なく寧子やその関係各所との連絡用にだけ使い始めたスマホを取り出した。


「取り敢えず、従兄弟に連絡だけしておきます」
「ええ、そうして頂戴。謝っておいて」
 そして友之は素早く真由美の携帯にメールを送信してから、二人でティーラウンジへと向かった。


「うん? あの男……」
 エレベーターから降りて広いロビーに足を踏み入れた薫は、見覚えのある男が視界の端を横切った為、反射的に足を止めた。それはその男の腕に、派手な外見の美人の範疇に入る女が絡み付いていたせいでもあったのだが、両者がティーラウンジまで入るのを目で追ってから、薫は一人冷笑する。


「へえ? あまり趣味は良く無さそうだな」
 それから注意深くガラス張りのティーラウンジの外から、撮れる範囲で二人の姿を撮っていると、背後から呆れ気味の声がかけられる。
「薫? こんな所で、何をしているの? 探したんだけど」
 そこで薫は振り返りながら、話題を逸らした。


「ああ、母さん。向こうへの挨拶とかは済んだの?」
「……義理は果たしたわ。これ以上、不愉快な顔を見るなんて御免よ。帰るわ」
「そうだね」
 途端に不愉快そうな顔になって歩き出した佳代子の後に続きながら、薫は一瞬背後を振り返り、(あの男の身辺を、少し調べさせておくか)と密かに決意していた。




「もう、本当にあの子ったら! ここまで私を連れて来たくせに、『急用ができたから、先にタクシーで帰ってくれ』って、一体どういう事!? ホテルのロビーで、どんな急用ができるって言うのよ!」
 メールで簡単に連絡を入れただけの息子に、真由美は憤慨して電話をかけたものの通じず、彼女の機嫌は更に悪くなった。母と別れて真由美と二人になった沙織が、そんな彼女を困惑気味に宥める。


「事情は分かりませんけど……、取引先のお偉いさんに掴まったとかでしょうか。でも友之さんが急用って言うなら、本当に急用だと思いますし。私はタクシーでも構いませんから」
「本当にごめんなさいね、沙織さん。本当に友之がここまで、甲斐性無しだとは思わなかったわ」
「いえ、甲斐性無しだとかそう言う事は……。とにかく、正面玄関まで行きましょう」
(でも本当に、友之さんらしくない……。何かあったのかしら?)
 申し訳なさそうに謝ってくる真由美を宥めつつ、彼女以上に釈然としないものを抱えながら、沙織は外に向かって歩き出した。


 結局、友之は二人が松原邸に戻り、着物を脱いで衣紋掛けにかけて着替えを済ませても戻らず、義則と共にお茶を飲んで寛ぎ始めた頃に漸く戻って来た。
「友之! あなた私はともかく、沙織さんを放り出して何をやってたの!?」
 リビングに彼が顔を見せるなり、問答無用で鋭く叱責した真由美を、友之が何か言う前に沙織が慌てて宥める。


「真由美さん。別に放り出されてはいませんし、小さな子供じゃないですから一人で戻れましたし、あまり怒らないで下さい。友之さんは急用だって言ってましたし」
「沙織さん、あまり甘い顔をしちゃ駄目よ? 男なんてすぐつけあがるんだから!」
「いえ、別にそれ程甘いわけでは……。急用だったんですよね?」
 困り顔で友之に向き直りながら沙織が確認を入れると、彼が微妙に視線を逸らしながら頭を下げる。


「……ああ。悪かった」
 何となく歯切れの悪い、かつ彼らしくないその様子に、沙織は僅かに眉根を寄せながら問いを重ねた。


「それは良いんですけど、その後何度も電話しても繋がらないって、真由美さんが心配していましたから。何か取引先の人と顔を合わせて、重要な話でもしていたんですか? それでスマホの電源を落としていたか、マナーモードにしていたとか」
「そんなところだ」
「そうですか……」
 日曜の午後に、ホテルでどんな重要な話が持ち上がるのかと、沙織は勿論義則も不審に思ったが、憤慨しきりの真由美をこれ以上怒らせない様に、二人はそれ以上その事には言及せず、彼女を宥めつつ他の話題を持ち出して、場を和ませる事に腐心していた。



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