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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(32)感慨

 沙織がかなりの不安を抱えている、豊の披露宴前日の土曜日。午後から迎えに来た友之と共に松原邸を訪れた彼女は、松原夫妻からの歓迎を受けた。


「やあ、関本さん、いらっしゃい」
「沙織さん、明日は任せてね!」
「お邪魔します。宜しくお願いします」
 礼儀正しく頭を下げた沙織を促して、真由美は早速一階の和室へと向かう。


「そんな遠慮しないで! じゃあ座敷の方で着物を掛けて、小物が揃っているかどうか確認しておきましょうね! 足りない物があったら、私の物を貸すから」
 そんな風に上機嫌な妻の背中を見ながら、義則は息子に囁いた。


「やれやれ、上機嫌だな」
「これで暫く、小言を言われないと助かるんだが」
「それは無理だろうな。もっと彼女を連れてこいと、せっつかれるに決まっている」
「やっぱりそうか」
 男二人は苦笑しながら彼女達の後を追って和室に入り、早速沙織の荷物を改め始めた真由美の様子を、壁際に立ったまま微笑ましく眺めていた。


「まあぁ、素敵! 落ち着いた藤色で柄も華やかだけど、総柄模様とか大柄の派手な物ではなくて、下半身と肩に礼装に使える古典柄が入れてあるし、袖も下を落としても柄が切れないタイプね。刺繍も結構入れてあるし、訪問着に仕立て直して一生着れる物だわ。お母様、相当気合を入れて揃えたわね」
「ええと……。和装は殆どしないので、この手の事には詳しく無いのですが、そうなんですか?」
「ええ、長襦袢もそうだけど、サイズがぴったり。着る時に、変な補正は要らないわ。ちゃんと寸法を測って作ったでしょう?」
 沙織が持参した物を広げて確認していた真由美は、彼女を立たせて軽く羽織らせつつ、前後左右から確認しながら断言した。それを聞いた沙織が、困惑顔のまま応じる。


「はぁ……。確かに十九の時に、来年成人式があるからと、呉服店に引っ張って行かれた記憶はありますが……。着物って、体型に合わせて調節できるんじゃないんですか?」
「多少はできるけど、丈が短いとおはしょりが足りなかったり出なかったり、身ごろの幅が過不足していると縫い目がおかしな位置に出てしまうもの」
「はぁ……、そういう物ですか……」
 それ以上何とも言えずに曖昧に頷いた沙織だったが、真由美はシワを伸ばすために着物と帯を黒塗りの衣紋掛けに手際良く掛け、その全体を眺めながらしみじみと呟いた。


「いいわねぇ……。きっとお母様はあれが良いこれが良いって、娘の為に一生懸命考えて選んだんでしょうね。帯も着物と合うように色柄を揃えた、西陣織の逸品よ。本当に羨ましいわ……」
 そんな彼女の背中を男二人は黙って眺めていたが、沙織にも真由美の発言が着物そのものに関してではなく、娘の支度を手ずから揃えた事に対しての羨望の発言だと分かっていた為、正直何と言ったら良いのか分からなかった。
「ええと……、あの、真由美さん?」
 しかし恐る恐る声をかけてみると、真由美は笑顔で振り返って宣言してくる。


「沙織さん、明日は任せてね! しっかり着付けしてあげるから! 帯も若い女性らしく、華やかな結び方が良いわよね?」
「は、はあ……。お任せします。宜しくお願いします」
「じゃあ早速、襦袢に半襟を付けておきましょうか」
「あの、さすがにそこまでは……。教えて頂ければ、自分でやりますので」
「分かったわ。じゃあ針と糸を持って来るわね!」
 すこぶる機嫌良く部屋を飛び出して行った真由美を、義則と友之は苦笑しながら見送ったが、沙織は改めて佳代子に揃えて貰った品々を困惑気味に眺めた。


(お母さん、これを揃える時、そんなに気合を入れていたかしら? 傍目には、普通に服を買う時のような感覚だったんだけど……。自分の母親だけど、本当に分かり難いわ)
 そこで真剣に悩んでしまった沙織は、母親がもう少し分かり易い人だったら良かったのにと思いつつ、この機会に良い物を買って貰った事に対する礼を、さり気なく言っておこうと心に決めた。




「お風呂上りました。友之さん、次に入って下さい」
 夜になって沙織が風呂上がりに友之の部屋に顔を出し、部屋の主に声をかけると、パソコンのディスプレイと向き合っていた彼は、不思議そうな顔で振り向いた。


「あれ? 父さんと母さんは?」
「さっき真由美さんから、『私達は少し忙しいから、先に沙織さん達がお風呂に入って頂戴』と言われました」
「二人とも、何をやってるんだ? それにそう言う事なら、一緒に風呂に入っても良かったのに」
 一瞬、怪訝な顔になったものの、すぐに楽しげに言ってきた友之に、沙織が軽く顔を顰める。


「親が一つ屋根の下にいる状況で、何寝言をほざいてんですか?」
「軽い冗談だ。明日は精神的疲労が多大かと思うから、何もしないで客間に戻すしな。本当だったら、ここのベッドの寝心地を是非体感して貰いたかったが」
 すぐ側にある自分のベッドを指差しながらの台詞に、沙織が思わず白い目を向ける。


「この似非フェミニスト」
「なんだか沙織に言われると、悪口雑言に聞こえない」
「……性根が腐ってきてません?」
 睨んだのが余計ツボに入ったらしく、友之はそこでおかしそうに笑い出した。それを見た沙織が、毒気を抜かれて肩を竦める。
(全く、本当に楽しそうに笑ってるんだから、始末に負えないわね)
 しかしここで、何かの電子音が聞こえてきた事で、室内の空気が一変した。


「……っ!」
(あれ? 今のって、初めて見たかも。機種を変更したわけじゃないよね? 今日操作しているのを見たのは、いつものスマホだったし)
 急に表情を険しくし、小さく舌打ちまでして腕を伸ばした友之は、机の隅に置いてあったスマホを取り上げ、手早く操作をして再び元の場所に戻した。見慣れないそれを見た沙織が、首を傾げながら何気なく尋ねる。


「友之さん? そのスマホ、いつも使っている物と違いますよね?」
「ああ……。二台目だ」
「二台目って……。どうしてそんな物を? これまでは別に仕事用とプライベート用としても、分けたりとかしていなかった筈ですが」
「……ちょっとな」
「はぁ……、そうですか」
 如何にも不愉快そうに、しかも微妙に自分から視線を外しながら答えた友之を見て、沙織は怪訝に思いながらもそれ以上の追及はしなかった。すると友之が、あからさまに話を切り上げにかかる。


「それより、明日に備えて、早く寝ておいた方が良いんじゃないか?」
「そうですね。じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 そこでおとなしく友之の部屋から客間に引き上げた沙織は、疑問に思いながらベッドに入った。


(何だろう? でもあの感じだと、素直に白状したりしないよね?)
 少々すっきりとしないものを抱えながらも、翌日の事を考えてしっかり睡眠を確保するべく、沙織はすぐに眠りに入った。




「父さん。俺達はもう風呂に入ったから、入ってくれ」
「ああ、分かった」
「そう言えば父さん達は、今まで何をやってたんだ? 母さんが沙織に、何やら忙しいとか言っていたみたいだが」
 風呂から上がった直後、廊下で遭遇した父親に友之が尋ねると、義則はぼそぼそと言いにくそうに告げた。


「それが……、『二重太鼓とかは普通にできるけど、華やかな振袖用の変わり結びとかは久しぶりだから、明日戸惑わずにしっかり一発で決められるように、練習台になって頂戴』と言われてな」
「練習台?」
「ああ……。胴回りが違うが、長さは調節できるらしい……。八種類試して、決めた結び方を五回ほど練習していた」
「…………」
 思わず問い返した友之と説明した義則は微妙な表情で見つめ合ったが、少ししてから溜め息を吐いた友之が、しみじみとした口調で感想を述べる。


「昔から思っていた事だが……。父さんって本当に、母さんの事が好きだよな……」
「止めろ。照れる事を真顔で言うな」
 僅かに顔を赤くした義則は、完全に呆れ顔になった息子から顔を背けつつ、そのまま風呂場へと向かった。


 翌朝、朝食を済ませた後、友之が手配していた美容師が松原邸にやって来た。
 互いに自己紹介しながら和やかにお茶を飲んだ後、沙織達は早速準備に取りかかり、友之と義則は暫くの間、所在なげにリビングで仕上がりを待つ事になった。


「さあ、出来上がりよ! 二人とも見て頂戴!」
 そんな上機嫌な真由美の声に促されて、二人がドアの方に顔を向けると、一分の隙もなく振袖を身に着けている沙織を認めて、揃って相好を崩した。


「ほう? やはり実際に着てみると、より一層華やかだな」
「ああ。沙織、似合ってるぞ?」
「ありがとうございます。でも本当に、真由美さんの腕は凄いですね。合わせ鏡で見せて貰いましたけど、こんな帯の結び方、初めて見ました」
「おめでたい席ですもの。これ位華やかでもおかしくはないわ。久し振りに若い人の着付けができて、楽しかったわ」
 沙織がゆっくりその場で一回転した為、ヒダをかなり取って花のような形状になっている帯を認めた友之達は、(どういう構造になっているんだ?)と呆気に取られた。そしてこの間、にこやかにやり取りを眺めていた従弟に声をかける。


「玲二。わざわざ日曜の朝から、家に来て貰ってすまなかったな」
 しかしそれに彼が笑って返す。
「いえ、友之さんの彼女さんの話は漏れ聞いてましたから、直に顔を見られて良かったです」
 そこで沙織が改めて、お礼と賛辞の言葉を述べた。


「本当に助かりました。適当にヘアセットとメイクをしようと思っていましたけど、やっぱりプロだと違いますね」
「髪が短いなら下手に纏めないで、動きを持たせた方が華やかになりますから。でも際限なく広がらないように、要所はきちんと押さえてありますので、安心して下さい」
「ありがとうございます」
「あなた! せっかくだから、沙織さんと一緒に写真を撮って頂戴!」
 その呼びかけに義則が、準備しておいたカメラを手に苦笑交じりに応じる。


「ああ、そう興奮するな。ちゃんと準備してあるからな」
「ほら、友之もいらっしゃい!」
「……分かった」
「せっかくですから叔父さんも一緒に。俺が撮りますから」
「そうね。あなたも入って!」
「そうかい? 悪いね、玲二君」
 なんだかんだ言いつつ沙織と一家揃って写真を撮った後も、真由美は沙織だけを色々な角度から友之に撮影させては喜んでいた。そんな三人の様子を眺めながら、玲二が叔父に囁きかける。


「真由美叔母さんは、随分彼女の事を気に入ってるみたいですね。これは来年までには、話が纏まりますか? うちの家族の間でも、随分話題になっているんですが」
「それはどうかな? 友之も彼女も、結構面倒なタイプだからね」
「そうですか? お似合いに見えるんですけどね」
 苦笑いしながら述べた義則に、玲二は僅かに首を傾げながら話題になっている二人を観察していた。







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