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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(31)沙織の悩み

 予定通り実家に帰省した沙織は、元旦に家族三人でテーブルを囲み、新年の挨拶を交わした。
「あけましておめでとう」
「おめでとう」
「あまりおめでたくも無いけどね。また一つ、年を取るわけだし」
「お母さん……」
 沙織の母親である佳代子は皮肉っぽい口調で述べた後、いつも通り淡々とお節料理とお雑煮を食べ始め、そんな彼女を見ながら沙織は密かに溜め息を吐いた。


(相変わらずだよね。悪気は無いのは分かっているし、対外的に体面を保っている分、家の中では余計に愛想が無いのは、昔から分かってはいるんだけど)
 そう自分自身を納得させながらも、小さい頃は当たり前だと思っていたこの空気が、他の家庭とは全く異なる事にとっくに気付いていた沙織は、色々と考えざるを得なかった。


(本当に、叔父さんの家とか友之さんの家とかと比べると、家の中の雰囲気が段違いなんだよね。そもそも一家団欒って、言葉の定義が違うと思う。居心地が悪いわけでは無いんだけど……)
 そして基本的に喜怒哀楽表現が乏しい母親を盗み見ながら、過去に親戚知人から聞いた話をしみじみと思い返す。


(でも和洋さんとお母さんって、結婚当初はウザい位のバカップルだったんだよね。なんとなくおぼろげに、記憶もあるし……。良くそんなエネルギー、あったよね。私には無理っぽいけど……)
 自分がそんな事が出来るかと考えて、想像する事すら半ば放棄していると、唐突に佳代子が沙織に声をかけてきた。


「沙織は最近、変わりは無いの?」
「え?」
「だから、変わりは無いのかって聞いてるのよ」
 少し怪訝そうな顔で重ねて問われた沙織は、一瞬脳裏に友之の顔を思い浮かべたものの、それ程長続きするとも思えないし、ここで口にして良いものかと躊躇しながら、当り障りのない内容を返した。


「うん。仕事は順調だし、指導を任せられた後輩もできるタイプだし素直だし。風邪だってひいてないから。特に変わりは無いわね」
「そう。慶事は予定が立つけど弔事は予定外に起こるものだから、健康管理には注意を払って頂戴。あなたは一人暮らしだしね」
「はい……」
 淡々と母が口にした内容が、一応正論だと頭の中では分かっていたものの、沙織は心の中で盛大に文句を言った。


(だから! 元旦から私が突然死とかする可能性を、口にしないで欲しいんだけど! お母さんなりに私の事を心配してくれているのは、分かるんだけどね!)
 そして自分の横で、素知らぬ顔で食べ続けている薫を盗み見ながら、密かに考え込む。


(だけどお母さんが『変わりは無いか』って聞いてくる位だから、薫は友之さんとの事を、お母さんに何も言って無いのよね? 別に一々報告する物でも無いけど、本当に何を考えてるのかしら?)
 すると唐突に、その薫が箸の動きを止めて言い出す。


「慶事って言えば……。今月末の、豊の結婚式。よっぽど黒のネクタイで出てやろうかと思ったけど」
「ちょっと薫! 嫌がらせにしても、程があるわよ!? 少しは常識って物を考えなさい!」
「思ったけど、普通の白い慶事用にするさ。それで母さんと沙織は、どんな服装で出るつもりなのかなと思って。立場的には新郎の母と妹だから、れっきとしたTPOって物が存在しているだろう?」
「…………」
「……え?」
 非常識過ぎる弟の台詞を遮って沙織が声を荒げたが、当の薫は淡々と話を続け、佳代子と沙織の顔が強張った。


「まあ、普通だったら新郎の母親である母さんは正礼装で黒留袖? 妹の沙織は振袖か色留袖が妥当だよね。勿論、俺はブラックスーツ位は着てやるけど」
「誰が着るか」
「……え? ちょっ、ちょっと、お母さん?」
 いきなり不穏な声が聞こえてきた為、沙織が顔色を変えて声をかけると、佳代子は般若もかくやと言う表情で乱暴に吐き捨てた。


「あの野郎に合わせて黒留袖なんか着て、同一視されるのなんか死んでも御免よっ! スーツで出てやるだけ、ありがたいと思いなさい!」
「じゃあそういう事で」
「ちょっと薫! あんた話題を振って、あっさり終わらせないでよ! それにお母さん! 幾ら何でも、まさかビジネススーツで出席するつもりだとか言わないわよね!? 対外的にも、それはどうかと思う!」
「あいつの交友関係と私の交友関係に重複している人間はいないから、一向に構わないわよ!」
「そうは言っても! 豊の立場も考えてあげてよ!」
 頑として譲る気配の無い佳代子に、沙織は真っ青になって食事そっちのけで必死に説得を始めた。


(ああぁ、もうどうしてくれるの! 薫の奴、話を出すだけ出して、一人で涼しい顔をしてるんじゃないわよ! だけど本当に、服装は盲点だったわ)
 すっかり正月気分など吹き飛んだ殺伐とした室内に、それから暫くの間、冷え切った佳代子の声と懇願する沙織の声が響き渡っていた。


 ※※※


「う~ん、どうしよう~」
 仕事始めの日を迎え、未だどことなく正月気分が抜けきらない職場で、沙織は仕事の合間に机に頬杖を付いて考え込んでいた。そんな彼女にしては珍しい姿を見て、入力作業に一段落付けた佐々木が不思議そうに声をかけてくる。


「先輩? 随分難しい顔をして、どうしたんですか?」
「あ、佐々木君には未婚のお姉さんがいたわね。他に兄弟はいたかしら?」
「いえ、二人だけです」
「だよね……。それじゃあお姉さんは、友達の結婚式に出た事はあっても、身内の結婚式には出た事は無いのよね」
「そうですね。それがどうかしましたか?」
 いきなり兄弟の話を振られて面食らった彼に、沙織は渋面のまま説明した。


「今度、兄の挙式と披露宴に出席しないといけないんだけど、どんな服装で行けば良いかと悩んでいるのよ」
 それを聞いた佐々木は、益々怪訝な顔になった。


「あれ? 先輩の兄弟って、弟さんが一人だけじゃ無いんですか?」
「あ……、え、ええと、兄のような従兄なの! ほら、うちは母子家庭だったから、何かと近くの叔父の家に預けられる事が多くて」
「ああ、なるほど。それなら結構お世話になったでしょうし、ちゃんとお祝いしないと駄目ですね」
「そうなのよ」
 説明するのを面倒くさがって今まで豊の事を社内で口にしていなかった沙織は、慌ててそれらしい事を口にし、それを聞いた佐々木は素直に納得した。


「披露宴とかだと、一般的に両親とか伯父伯母は羽織袴とか留袖じゃない? 兄弟姉妹も正礼装になるだろうし」
「正礼装って……、要するに着物とかですか?」
「そうなると未婚の女性の場合は、振袖なのよね。色留袖を着る場合もあるらしいけど」
 自問自答っぽく続けた沙織に、佐々木が困惑顔で問いかける。


「……先輩、振袖を着るんですか?」
「色留袖とかは持って無いし……。振袖だったら、成人式の時に作った物があるのよ。でも二十八で着て良いと思う?」
「…………」
 大真面目に問われた佐々木は、咄嗟に答えに窮して黙り込んだ。そんな彼に、沙織が真顔で促す。


「佐々木君、ここは一つ、忌憚の無いコメントを」
「安心して下さい! 先輩はどこからどう見ても、二十二歳にしか見えません!」
「取って付けたようなお世辞は良いから。兄弟姉妹が結婚する時の世間一般的な傾向を、ちょっと参考に聞きたかっただけだし」
 何やら必死の面持ちで声を上げた佐々木を見て、沙織は小さく手を振りながら笑って宥めた。それを受けて佐々木が軽く頭を下げてから、真顔で申し出る。


「……すみません。確かに従姉が結婚した時、姉は振袖を着ていたと思います。でも実の兄弟では無いですから、そこまで厳密に考えなくても良いんじゃないですか? フォーマルドレスとかでも良いと思いますけど」
「うん、まあ……。それはそうなんだけどね……」
(本当は、実の兄妹なのよね。それに母と弟がどんな奇天烈な服装で出席するか分からないから、せめて私位はまともな格好をしていないと、豊の顔を潰しかねないし……)
 本当の事を言えずに苦笑いで誤魔化した沙織に、この間の二人の会話を聞いていた周囲から、茶化すような声がかかる。


「なんだ、随分珍しい事で悩んでるじゃないか」
「本当に関本は、変な所で真面目だよな」
(結構、切実な問題なんですけど……)
 周囲には笑って返しながら、沙織は一難去ってまた一難の状況にうんざりしつつ、中断していた仕事に取りかかった。


「今日は随分、珍しい話題で盛り上がっていたんじゃないか? 俺としては、沙織の振袖姿は見てみたいが」
 仕事を終えてから友之が早速沙織のマンションに出向き、夕食をご馳走になりながら日中の話を持ち出すと、沙織は軽く顔をしかめた。


「あれを聞いていたんですか……。私としては、結構真剣な悩みなんですけど」
「どういう意味だ? 別にからかうつもりで、話題に出したわけじゃないんだが」
「着物姿を見たいって言うのは、純粋にそれだけの意味なのか、着せる事は出来ないが脱がせる事は出来るとかの馬鹿な事を、堂々と主張したりはしないのかと言う事です」
 大真面目にそんな事を言われてしまった友之は、盛大に溜め息を吐いてから、呆れ顔で言い返した。


「あのな……。一体どんなエロ親父を連想している。一度俺のイメージについて、お前とは徹底的に話し合う必要がありそうだな」
「そうですか? 以前、何かの折に、久住さんと只野さんと梶さんが時代劇の話をしていて、『帯を引っ張って解くのは、男の永遠のロマンだよな』とかふざけた事を言っていましたので、『それなら三半規管を鍛えておいて下さい。帯は貸してあげますから、先輩達で交互に身体に巻いた帯の引っ剥がし合いをしてみたらどうですか? 楽しいかどうか、感想を教えて下さい』と笑顔で言っておきました。以後、職場でその話題が出たのは皆無ですが、実は友之さんにも似たような趣味嗜好があるのかと、ちらっと思ったもので」
 そんな事を言われてしまった友之は、説教モードから一転し、部下の不適切な発言に頭を抱えた。


「あいつら、職場で何の話を……。だがそれは、ちょっとふざけて話していただけだろうし」
「分かってます。別にこれ位で、セクハラ云々なんて言うつもりはありません。その時、満面の笑みで指摘したつもりが、先輩方曰わく『永久凍土の微笑みだった』らしく、後から個別に謝られました。当時は青臭い小娘だったもので……。本当に若かったですね」
 どこか遠い目をしながらの沙織の台詞に、無意識に友之の顔が引き攣る。


「それなら……、それは配属直後の話なのか?」
「ええ。それで『今まで男所帯だったから全く気にしてなかったが、何か気に障る事があったら遠慮無く指摘してくれ』的な事を言われて、それ以降は遠慮無くビシバシ指導させて貰っています」
「俺の知らない所で、そんな事があったとはな……」
 もう溜め息を吐く事しかできない友之に向かって、沙織が更に説明を続ける。


「この間の指導が実って、最近では廊下や共有スペースで立ち話している時とかも、皆さんの不用意な事を口にする確率がグッと下がった上、他の人達が微妙な話題で盛り上がっている時も、さり気なく指摘したり窘めているので、女子社員の間では『営業二課の人は、松原課長を筆頭に紳士揃いね』と、密かに評判になっています」
「それも知らなかったな……」
「仕事中に課長に指摘する事とかは、無かったですからね。基本フェミニストですし。真由美さんの躾の賜物ですか?」
 沙織が何気なく尋ねると、友之は少し考え込みながら答えた。


「母と言うより……、清人さんの影響かな? あの人とは子供の頃からの付き合いだが、俺以上のフェミニストだから」
 そこで少し前に係わり合いになってしまった、物騒な人物の名前が出てきた為、沙織は即座に話題を変えた。


「話を戻しますけど、実家に戻った時に薫が『豊の披露宴での服装をどうするのか』と言い出しまして。『TPOを考えるなら留袖かな』と言われた母が、『あの野郎と揃えるなんて真っ平! ビジネススーツで出るわよ!』と激高したんです」
 それを聞いた友之は、即座に難しい顔になった。


「いや……、それはさすがに新郎の母だし、拙いんじゃないのか?」
「やっぱり浮きまくって、出席者の憶測を呼びますよね?」
「憶測以前の問題だろう。それでどうなったんだ?」
「全力で宥めてきましたよ。せめてフォーマルスーツを着て貰えるように。ここが最大の妥協点でした。もう、本当に疲れた……。実家に帰省して、疲労困憊して戻る羽目になるなんて……」
「お疲れ。本当に災難だったな」
 がっくりと肩を落として項垂れた沙織を見て、友之は心底同情した。


「薫はああ言っていたけど、当日本当にブラックスーツを着るかどうかも分からないし、せめて私は着物じゃないと拙いかと……。だけど、色留袖は持って無いし」
「別に、振袖でも構わないだろう? 現に未婚だし。それに最近は、年齢とか既婚未婚とか関係ないんじゃ無いのか? 成人式の時、地元の小学校の同級生が夫と子供連れで振袖姿で会場に来ていて、驚いた記憶がある」
 首を傾げながら、事も無げに友之が口にした口にした内容を聞いて、沙織は深い溜め息を吐いた。


「そうですね……。自由な人って、とことん自由ですよね……。そういう人って三十になっても四十になっても、平気で振袖を着ますよね……。ある意味、羨ましい」
「ところでその披露宴の前日、お母さんと薫君は、このマンションに泊まるのか?」
 そこで何気ない口調で友之が尋ねてきた内容に、沙織が即座に反応する。


「泊まるわけがありません。ここは惨劇の現場なんですよ? あれ以降、母はここに足を踏み入れた事はありませんし、引っ越しも私だけで済ませました」
「すっかり忘れていたが、そう言えばそうだったな……。それなら、会場のホテルに前泊するとか?」
「披露宴が午後からなので、午前中に新幹線で来るそうです」
 それを聞いた彼は半ば呆れ、半ば感心した表情になった。


「……徹底しているな。そのブレなさは、やはりお前に繋がる物を感じる」
「褒めてるんですか? 貶してるんですか?」
「両方だな。それはともかく、それなら前日はうちに泊まりに来い」
「え? どうしてですか?」
 いきなり言われた内容に沙織は面食らったが、友之は笑顔でその理由を説明した。


「母は着付けの資格を持っているし、従弟の美容師を当日朝に呼んでやる。支度が整ったら、ホテルまで車で送ってやろうじゃないか」
「それはもの凄く助かりますが、そこまでして貰うのは……」
「それに母が『また沙織さんを家に連れて来なさい』と五月蝿いからな。母の機嫌を取れて俺としても助かるし、沙織の振袖姿も堪能したい」
 笑顔でそんな事を申し出られた沙織は、苦笑いしながらその好意を受ける事にした。


「はぁ……、そういう事ですか。分かりました。それでは遠慮無く、お世話になります」
「それで送迎の際に、偶然ご家族に遭遇しても、不可抗力だよな?」
 そこで笑顔のまま、さり気なく付け加えられた内容に、沙織の顔が僅かに引き攣った。


「友之さん……。何を考えているんですか?」
「いや、別に何も?」
「絶対何か、考えていますよね?」
「さぁ?」
 軽く睨んでも相手は明るく笑ったまましらを切り通し、沙織は追及を諦めて、兄の蹴婚披露宴が無事に終了する事を願いつつ食べ進めたのだった。



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