酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(29)ちょっとしたサプライズ

「……はい。ええ、そうです。宜しくお願いします」
 沙織が一つ手配を済ませて、電話の受話器を置いたのと同時に隣の席に戻って来た佐々木が、紙袋の中から辛うじて手のひらに乗るサイズの部品を取り出して、笑顔で彼女に声をかけた。


「先輩、戻りました。開発部の方から、部品サンプルを受け取って来ました」
「ご苦労様。あ、やっぱり図面を見るより、こっちの方が分かり易いわね。研磨部分が、ここまで小型化されているなんて」
「そうですね。画期的な小型化と言われてもピンと来ない人にも、これで全体像が分かって貰い易くなる筈です」
「じゃあ明日、新田精機に行く時に持参するから、保管しておいて」
「はい、分かりました」
 感心した声を出した沙織に佐々木も上機嫌に頷きながら同意したが、次の彼女の台詞に瞬時に固まった。


「あ、それと佐々木君。ついさっき来週の二十四日の十九時から、墨田金工の接待を入れたから宜しくね」
「はい……。え? 二十四日ですか!?」
「そうよ。そこで例の件を詰めるから」
 慌ててロッカーの前で振り返って問い返した佐々木だったが、沙織は既にディスプレイを凝視しながら次の作業に移っていた。そんな彼女に対して、佐々木が恐る恐る声をかける。


「……あの、先輩?」
「何?」
「その日は、クリスマスイブですが……」
「そうね。それが?」
「…………」
 ディスプレイから片時も目を離さないまま、素っ気なく答えた沙織を見て、佐々木は黙って項垂れた。そんな二人のやり取りを、実は少し前からハラハラしながら見ていた周囲は溜め息を吐き、無言で立ち上がった友之が二人の所に歩み寄ってから、呆れ気味に告げる。


「関本。その接待は俺が出る。佐々木、お前は出なくて良いぞ」
「はぁ? どうしてわざわざ課長が出るんですか?」
 思わず顔を上げて沙織が問い返したが、友之は真顔で言い返した。


「課長が出たら拙いのか? 上役が出る分には、支障は無いだろう。佐々木は予定があるらしい」
「課長、申し訳ありません!」
 そこで勢い良く佐々木が頭を下げた為、沙織は振り返って彼を宥めた。
「……え? 佐々木君、予定があったの? それなら遠慮せずに、そう言って良いのよ?」
 しかしその台詞に、周囲から呆れ気味の声がかけられる。


「関本……、真顔で仕事の話をしている時に、女とデートの約束があるから行けませんとは言えんだろ」
「それ位、察してやれよ」
「と言うかお前、イブに何も予定が無いのか?」
「はい、何も。それで墨田金工の高科部長が、この日が空いていると仰ったものですから」
「…………」
 事も無げに沙織が口にした内容を聞いて、同僚達が揃って困惑した顔になる。


「おいおい、その部長、家族サービスとかしなくて良いのかよ?」
「小耳に挟んだところによると、何だか最近離婚されて、一人暮らしをされているそうです」
「……何だよそれ」
 沙織が馬鹿正直にそう口にした途端、同僚達の顔が何とも言い難いものに変化し、友之は怒りを堪えながら再度沙織に申しつけた。


「やはり、一緒に出た方が良さそうだな。そのつもりでいろ」
「いえ、ですが課長は」
「幸いな事に、俺も“今現在フリー”で、イブの予定は“空いている”からな」
「……そうでございますか。それでは宜しくお願いします」
「ああ」
 物騒すぎる、何とも良い笑顔で友之から見下ろされた沙織は、それ以上反論せずに頷いておいた。


「先輩……。やっぱり近いうちに、合コンをセッティングします。先輩が益々干上がっていくみたいで、見ているだけで胸が痛いです……」
「そんな事、しなくて良いから! それよりメソメソしない! ほら、仕事仕事!」
 友之が自分の席に戻ると同時に、涙目で申し出てきた佐々木を叱咤しつつ沙織は仕事を再開したが、内心では先程の友之の様子に、肝を冷やしていた。


(何か微妙に、怒っているオーラが滲み出ていたような……。だって本当に、二十四日には何も予定は入って無かったし、何も言って無かったし!)
 その沙織の推察通り、密かに準備していた内容をぶち壊しにされた友之は、深く静かに怒っていた。


(特に忙しくは無かったし、サプライズでと考えていたが……、あいつがイベント事に一々浮かれる筈も、期待する筈も無かったな。しかしまさか、本気で接待を入れるとは……)
 そしてその怒りは、すぐに元凶となった人物に対して、まっすぐ向けられる事となった。


(女っ気無しのイブなんか味気ないからと、沙織を侍らせて何をする気だった、あの野郎。せっかくだから、きっちり契約締結までの足がかりを作ってやろうじゃないか)
 そんな風に完全に八つ当たりした友之は、二十四日当日、並々ならぬ決意と意欲で接待に臨む事となった。


 ※※※


「高科部長。本日はご足労頂き、ありがとうございました」
「気をつけてお帰り下さい」
「……あ、ああ、どうも」
 接待の席が無事終了し、呼んでおいたタクシーに接待相手を乗せて恭しく見送ってから、沙織は軽く友之を睨み付けつつ苦言を呈した。


「何だか高科部長、最後は涙目でしたよ? 課長の契約締結に向けての意気込みは理解できますけど、ちょっと笑顔が怖過ぎです」
 しかしそれにすかさず、友之が言い返す。


「友之だろう? 接待を終えて、仕事は終了したんだから。遠足と同じように『帰宅するまでは仕事』とか、面白過ぎる事は言わないだろうな?」
「はいはい、友之さん。笑顔が少し怖かったですよ?」
「そうかそうか、俺がそんなに迫力のある美形だと、漸く沙織にも分かったか。良い事だ」
「……人の話、聞いてないし」
 すっかりむくれた沙織だったが、そこで早速手を挙げて流しのタクシーを停めた友之が、彼女を手招きする。


「沙織のマンションに回って送って行くから、先に乗るぞ」
「ええ? 良いですよ。かなり遠回りになりますし、お金が勿体ない。経費で落ちませんよ?」
「当たり前だ。誰が経費にすると言った。早く乗れ」
「自腹ですか。余計に勿体ないと思うんですが……」
 うんざりしながらも、相手は言い出したら後には引かない性格だと分かっていた沙織は、素直にタクシーに乗り込んだ。そして走り出してからすぐに、一応尋ねてみる。


「ところで友之さん、今日はうちに寄っていきますか?」
「明日も仕事だし、マンションの前で降ろす。だから取り敢えず、これを持って行け。クリスマスプレゼントだ」
「何が『だから』なんですか……」
 何やら話のついでのように、鞄から取り出した小さなペーパーバッグを友之が差し出した為、沙織はそれを受け取りながら尋ねてみた。


「ここで開けてみても?」
「ああ、構わない」
 平たく小さいハンカチすら入らないようなサイズのそれに、一体何が入っているのかと、沙織は興味津々で開けてみたが、予想外の物を取り出して面食らった。


「え? 金属製の栞? それにこの中央に嵌め込んであるのは、螺鈿ですか?」
 薄い長方形の金属板には、全体に透かし彫りが施され、装飾のアクセントなのか、中央部に円形の螺鈿細工が嵌め込まれていた。その一方に結び付けられている細いリボンを摘ま上げながら、沙織が無意識に尋ねると、友之が笑いながら説明を加える。


「ああ。栞だが、中心部は切れ目が入れてあって、用紙を挟み込んで留められるようにもなっている」
「あ、本当! クリップみたいになってる。ちょっと留めておくのに便利ですし、お洒落ですね」
「気に入ったか?」
「はい。なかなか繊細な細工ですから、扱っているうちに壊しそうで、ちょっと怖いですけど」
「壊れたら、遠慮無く言ってくれ。幾らでも新しい物を渡すから」
「もの凄い粗忽者みたいに、言わないで欲しいんですが……」
 笑顔で礼を言った沙織だったが、友之の台詞を聞いて納得しかねる顔付きになった。しかしすぐに気を取り直して、その栞を鞄にしまいながら目的の物を取り出す。


「実は私も、プレゼントを用意していたんです」
「俺に?」
「はい。今まではクリスマスの時に、一度も付き合っていた事は無かったので、勝手が分からなくて悩みましたが。友之さんは身の回りの物は、かなり良い物で揃えていて、変な物は贈れないし」
 鞄の中を探りながら沙織がそんな事を言い出した為、友之は機嫌良く応じた。


「別に、気合いを入れたプレゼントなんか要らないぞ? 気持ちだけで」
「そう言って貰えると思ったので、これにしてみました。どうぞ」
 しかしあっさりと返された上、差し出された物がどう見ても普通の封筒だった為、友之は戸惑った顔になった。


「……これは?」
「中にクリスマスカードと、プレゼントが入ってます」
「開けてみても良いか?」
「どうぞ」
 自分が用意した物よりはるかに薄い封筒に、何が入っているのかと訝しく思いながら彼が中身を確認すると、沙織が言ったように可愛らしいクリスマスカードと、一枚の写真が中に入っていた。


「……マグカップの写真?」
 無意識に呟くと、すかさず沙織から補足説明が入る。
「はい。コバルトブルーの色合いが、素敵ですよね。私の物は同じ柄でオレンジと言うか、山吹色に近い色合いの物です」
「へえ? それならペアのマグカップ?」
「いえ、色違いの十二種類の中から選びました。どれにするか、かなり迷ったんですが」
「そうだろうな……。ペアだとは思わなかったが、どうして写真なんだ?」
 ペアなのかと少しは期待していたが、そんな事は声には出さずに友之が最大の疑問を投げかけると、彼女は事も無げに答えた。


「マンションに来た時に使って貰おうかと思いまして、うちに置いてありますから。日常的に使いたいなら会社で現物を渡しますけど、どうしますか?」
 真顔でそうお伺いを立ててきた彼女に、友之は一瞬意表を衝かれてから、すぐに嬉しそうに笑って答えた。


「……いや、そういう事なら今度行った時に、現物を使わせて貰おう。俺専用って事だよな?」
「ええ。色合いも素敵ですけど、デザインも洒落てるし軽くて持ちやすいんですよ?」
「そうか。どんな物か、実際に使ってみるのが楽しみだ。ところで、年末年始は実家に帰るんだろう?」
「ええ、そのつもりです」
「それならその前に、一度顔を出すから」
「分かりました」
 それから機嫌良く沙織と話し続けた友之は、彼女をマンションの前で降ろしてから自宅へと向かった。


「ただいま」
 タクシーで帰宅した友之が家の中に入ると、リビングで顔を合わせた真由美が、思いがけない事を告げてきた。


「お帰りなさい。友之、お昼にあなた宛てに電話があったの」
「家の固定電話に? 誰から?」
「それが……、あなたが大学で所属していた教室の、寺崎教授の妹さんと名乗られたのだけど……。あなたに伝えたい事があるとか」
「寺崎教授の?」
 怪訝な顔で応じた友之だったが、真由美も困惑を深めながら話を続けた。


「取り敢えず、お名前と連絡先を伺ったから、あなたから連絡してみて貰える?」
「分かった。ありがとう」
 連絡先を記入したメモ用紙を受け取った友之は、礼を言って自室に引き上げた。


「暫くお会いしていないが……。教授に何かあったのか?」
 階段を上がりながら、手元に目を落とした友之は、既に電話をするには遅い時間帯であり、翌日に連絡を取る事にして自室へと入った。



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