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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(24)急転直下の出来事

「その……、そもそもはこちらの誤解から始まった事なのに、家庭の事情を洗いざらい喋らせる事になって、申し訳無かった。それに一之瀬氏にはきちんと謝罪しないまま、あの場から離れてしまったので、改めてきちんと詫びを入れに行こうかと思うから、できれば好みの酒の銘柄でも教えて貰いたいんだが……」
 何とか気を取り直した友之が、改めて謝罪の言葉を口にしつつ手土産について相談すると、沙織は真顔でそれに答える。


「あ、母親は前に言ったようにザルですが、和洋さんは下戸なので、お酒じゃなくて高級スイーツにしてあげて下さい。それにお互いに殴っていますし、わざわざ出向いてまで謝罪する必要はありません。そこら辺は私から、きつく言い聞かせておきますから」
「……分かった。詫び状を添えて、贈る事にする」
「はい、それで十分です」
 相手が神妙に頷いたのを見て、沙織は漸く胸を撫で下ろした。


(これで何とか、一件落着? 確かに良く考えてみたら、色々誤解されても仕方の無いシチュエーションだったかもね。これからは気をつけよう)
 すっかり安心して気が緩んだ彼女に、友之がいつもの口調で声をかけた。


「関本、少し俺の話を聞いて貰いたいんだが」
「あ、はい。何でしょうか?」
 仕事の話かと何気なく頷いた沙織だったが、次の唐突過ぎる友之の台詞を聞いて固まった。


「実は学生時代、不倫していた事がある」
「………………はい?」
「失礼致します。焼き物をお持ちしました」
 ここで仲居が新しい料理を運んだきた為、二人ともその間に酒を一杯ずつ飲んだ。そして再び二人きりになってから、友之が真顔で話を再開する。


「冗談ではないし、別に初恋と言うわけでもない。高校時代からそれまで、特に女に不自由していなかったから、ちょっとスリリングな火遊びでもしてみたいと考えていた所に、恩師の年の離れた後妻と知り合って、そのままずるずると関係を持って」
「ままま松原さん!? 恩師の後妻さんって、一体何歳年上だったんですか!」
 慌てて台詞を遮って問い質してきた沙織に、友之は少々不思議そうな顔になりながらも、あっさりと答えた。


「真っ先に食いつくのはそこなのか? 確か、十五歳年上だったな。恩師とは二十歳違いだった」
 淡々と述べられた事で沙織はそれが真実だと悟りながらも、一応確認を入れた。
「マジ話ですか?」
「残念な事に」
「まあ……、色々あったかとは思いますが、円満に別れたのなら、別に残念では無いかと思いますが」
 まだ少し動揺しながらも、沙織は精一杯のフォローをしたつもりだったが、それを聞いた友之は、何故か苦笑いの表情になった。


「円満、ねぇ……」
「……まだ何かあるんですか?」
 激しく嫌な予感を覚えながら、含み笑いをしている友之に沙織が恐る恐る尋ねてみると、予想外の答えが返ってくる。


「青二才が一人で盛り上がって、卒業したら結婚を申し込もうと思っていた相手が、実は恩師と結婚する前から付き合っていた役者崩れの男と切れていなくて、夫を捨てて駆け落ちしたなんて結末の場合、間男以下の単なる火遊び男としては、どういうリアクションを取れば良いと思う?」
「それは……」
 苦笑を深めながら問い返された沙織は、咄嗟に何か言いかけて口を噤んだ。しかし、すぐに真剣な顔付きで言い出す。


「……松原さん」
「何だ?」
「今の、女性とそつなくお付き合いできている現状を見聞きしていると、今の話は一体何の冗談だと言いたくなりますが」
「全く、若気の至りにもほどがあるよな」
「以前も言いましたが、やっぱり松原さんって、どことなく和洋さんと似てますね」
「え?」
「頭と顔は良いし才覚もあるのに、和洋さんとは違った方向で、つくづく残念な男性ひとだと思います」
「そうきたか……」
 先程話題にしていた父親と、ある意味一括りにされてしまった友之は、思わず溜め息を吐いて項垂れた。そんな彼を探るような目で眺めながら、沙織が推測を述べてくる。


「まさかとは思いますが……。これまで社内の女性と一度もお付き合いした事が無かったのは、女性関係で何か問題が起きた場合、創業家の一員としては立場がないとか考えていたからですか?」
 その指摘に、友之はどことなく困ったような顔で答えた。


「別に、意識的にそうしていたわけでは無いが……。結果的にはそうだったかもしれないな。女が駆け落ちした後も、俺は当時研究室で、恩師の指導の下、卒論を書いていたんだ。当然恩師は元妻と俺の関係は知らないが、申し訳ない上にいたたまれなくてな」
「うわぁ……、本当に恩知ら、いえいえ、繊細でいらっしゃいますね」
「こら、本音をダダ漏れさせるなら、下手に隠すな」
 思わず感想が口をついて出た沙織を、友之が笑って窘める。そんな彼に向かって沙織が、恨みがましく文句を言った。


「それにしても、いきなりどうして過去の不倫話なんかしてくるんですか。ペラペラと他人に話す事では無いでしょうし、心臓に悪いですから止めて下さい」
「自分から進んで話したのは、関本が初めてだぞ? それで話した理由は、そっちから親のとんでもない話を聞いてしまったからな。これでおあいこかと思ったから」
「はぁ?」
 全く意味が分からずに首を傾げた沙織に、友之が重ねて説明する。


「だから、万が一お前の親の話が漏れたら、今の俺の話を公言しても良いって事だ」
 それを聞いて気分を害した沙織は、相手を軽く睨みながら言い返した。


「あのですね……、私、他人のプライベートを不特定多数の人間に向かって吹聴する趣味はありませんし、松原さんも同じタイプだと思っていたんですが?」
 それに友之が、真顔で言い返す。


「上司としても一人の人間としても、それなりに信頼して貰っているのは分かってるさ。だからこれはあくまでも、俺の気持ちの問題だ」
「本当に面倒くさい……」
 筋が通っているのかいないのか微妙に判別がつかない事を主張され、沙織はうんざりとした表情になった。そんな彼女に向かって、友之が再度予想外の事を言い出す。
「さて、これで一連の誤解は解けたし、この前の暴挙はお互いに手打ちと言う事になったから、俺と付き合わないか?」
 あまりにもサラリと口にされた言葉に、沙織は先程とは別の意味で固まった。


「……はぁ? 今、何と仰いました?」
「だから、面倒な元カレも片付いたし、気分一新して付き合わないかと言ったんだが」
「付き合うって……、誰と誰がですか?」
「俺とお前に決まってる」
「……社内の女性とは、付き合わない主義では無かったんですか?」
 胡散臭い物を見る目つきで沙織は問いかけたが、友之は平然と言い返した。


「お前だったら面白いし、性格も合いそうだし、色々面倒くさいところも含めて気に入ってるから、その主義を返上しても良いかと思った」
「微妙に、失礼な事を言われた気がするんですが?」
「それにお前、これまでまともな恋愛をした事が無いだろう?」
「何ですか、藪から棒に」
 妙に断定口調でそんな事を言われてしまった沙織が、反感を覚えながら睨み返したが、彼は飄々としながら話を続けた。


「どうせ、一番最初は『誰とも付き合った事が無いと、周囲から浮きそうだしコミュ障だと思われそうだから、適当に付き合って経験値をあげてみるか』的な事を考えて、手近な男で良さそうなのと試しに付き合ってみたんだろうし……」
「何ですか……、その如何にも直に見ていました、的なコメントは」
「へぇ? それじゃあ違うのか?」
「…………」
 全くその通りだった沙織は憮然として黙り込み、対する友之は満面の笑みで主張し続けた。


「その次は、そうだな……。『前の男とは何となく合わなかったから、今度は違うタイプと付き合ってみるか』とか『別れても後腐れが無いタイプが良い』とか、基本的に相手に惚れたとかじゃなくて、破局しても構わない事前提で、相手を見繕ってただろう? ある意味、邪道で歪んでるぞ?」
「屈辱……、不倫ヤローに『邪道で歪んでる』とか言われるなんて」
 微妙に顔を引き攣らせながら沙織が呻いたが、友之は意に介さなかった。


「少なくとも、俺は相手に好意を持ってから付き合ってるからな。結果的に別れているが、最初から別れを前提にもしていないし」
「別れを前提にしていないのに、別れまくりなのは問題じゃ無いんですか?」
「確かにそれは、自分でもちょっと問題だと思う。だからそろそろ本腰入れてかかろうかと。まさか自分の部下相手と付き合って早々に、破局ってわけにはいかないだろう?」
「自分を追い込んで、どうするんですか……。それに、騙されませんよ?」
「何がだ?」
「松原さんの笑顔が、営業スマイルそのものです。何を企んでいらっしゃるんですか?」
 真顔でそう断言された所で、初めて友之の表情に困惑と動揺の色が浮かんだ。


「いや……、俺は別に何も、企んだりはしていないが……」
「へぇえ?」
 そこで沙織から、「全く信じていません」的な目を向けられた友之は、盛大に溜め息を吐いた。


「……正直に言えば、両親からの無言の『そろそろ真面目に、結婚を前提にした相手を探せ』アピールがウザい。お前の事は両親が気に入っているし、お前と付き合っていると言えば、納得して騒がなくなると思う」
 それにすかさず、沙織からの突っ込みが入る。


「私と付き合ったら『相手を探せ』アピールは無くなると思いますが、『さっさと結婚しろ』アピールをされるんじゃないですか?」
「だけどお前、結婚願望なんか無いだろう? 両親の結婚生活をかなり否定的に見ているし、上手くいっている夫婦より破綻した夫婦の話の方を、遥かに見聞きしているみたいだし」
 そこで沙織が、無意識に顔を顰める。


「それは否定しませんけど……、結婚願望が無いって言うのは」
「あるのか?」
「……自分でも、良く分かりません」
「だから付き合うのが俺だと、ある意味都合が良い筈だ」
「どうしてそうなるんですか?」
 全く意味が分からなかった沙織に向かって、友之が現実的な問題を口にした。


「俺達は、職場で直属の上司と部下の関係だろうが。それなのに交際が周囲にバレたら大変だろう。俺は部下の査定に手心を加えているとか、邪推されるのは御免だ」
「私だって、色仕掛けで評価を上げて貰ってるなんて、陰で噂されるのは迷惑です」
「だから交際はしても、社内で公言するつもりはない。それにこれまでの男は、お前の仕事とか性格をろくに理解できずに、自分の都合を押し付ける奴ばかりだったんじゃないのか? 確かにお前の扱いが難しいのが、破局した一番の理由だと思うが」
「……喧嘩売ってるんですか?」
 眉間に皺を寄せた沙織を見ながら、友之は笑って提案した。


「だが、俺ならお前の仕事内容は逐一分かってるし、忙しい時期とかも把握してる。それに軽く五年以上の付き合いで、扱い方もそこら辺の変な男よりは余程理解しているつもりだ。それに急いで結婚する事情もつもりもない。どうだ? お前の少し寂しい男遍歴を彩るのに、俺では不満か? それなら気に入る男ができるまで、嫌がらせで男を紹介し続けてやるぞ?」
「堂々と『嫌がらせ』発言ですか!?」
「当たり前だ。俺を袖にするなんて、生意気で腹が立つ」
「信じられない。爽やかに笑ってるし……」
「さあ、どうする?」
 本気で頭を抱えてしまった沙織だったが、自分の上司がやると言ったら本気で実行するタイプだと知り抜いていた沙織は、諦めて頷いた。


「分かりました。今のところ男はいませんし、松原さん以上の好物件はそうそう見当たらないですし、今後のネタの一つになりそうなので、そちらの気が済むまで取り敢えずお付き合いします。ですけど、さっき言ったように色々厄介ですから社内ではこの事は他言無用で、他に好きな女性がいたらさっさと別れて下さい。勿論その前後で、私に対する勤務中の態度を、変えないで頂くのが大前提ですが」
「分かった。今言った内容、一筆書いておくか?」
「要りませんよ、そんな物」
「信用はして貰っているわけだ」
 憮然としながら言い返してきた沙織に、友之は楽し気に笑い、それからは他愛のない話をしながら食べ進めた。


「松原さん、今日はご馳走様でした」
 支払いは自分でするつもりが、トイレに行くふりをして席を立った友之がさっさと清算を済ませてしまっており、店を出て最寄り駅に向かって歩きながら、沙織は素直に頭を下げた。それに友之が、事も無げに答える。


「いや、圧倒的に迷惑をかけたのはこちらだし、少し強引に迫った自覚はあるから、今回は俺が奢るのが筋だろう」
「少し?」
「ああ、少し」
「……もっと高い店に、予約を突っ込めば良かった」
「お前のそう言う正直なところは、前々から気に入ってるがな」
 項垂れながら、かなり無念そうに感想を述べた沙織を見下ろして、友之は思わず笑ってしまったが、ここである事について言及した。


「ところで、お前さっき俺の事を『松原さん』って言ったよな?」
「はい、言いましたけど。それが何か? プライベートですから、別に構いませんよね?」
「付き合っているなら、その言い方は堅苦しくないか?」
 その押しの強そうな笑みに、沙織は僅かに顔を歪めた。


「……友之さん、とでも呼べと?」
「友之でも構わないぞ? 俺は沙織と呼ぶし」
「仕事中にうっかり呼びそうで、怖いんですが!?」
「そうか、できないか。…………俺は公私の区別は、しっかり付けられるがな」
 わざとらしくボソッと付け加えられた一言に、沙織の負けん気が頭をもたげる。


「……やりますよ。公私の区別は、しっかりつけてみせようじゃありませんか」
「そうかそれなら良かった。じゃあ沙織、ここだよな?」
「ええ、そうですね……。友之さん、お疲れさまでした」
「ああ、おやすみ、沙織」
 沙織の路線駅の出入り口に到達した為、友之は爽やかに笑いながら別れを告げて軽く手を振った。それに微妙に顔を引き攣らせながら、無言で頭を下げて階段を下りて行った沙織は、地下通路をよろよろと歩きながら、予想外過ぎる展開を思い返しつつ呻く。


「何でよりにもよって、あんな面倒くさそうなイケメンと付き合う事に……。世の中間違ってる……、っていうか、由良に知られたら絶交&血の海確実じゃないの。毛色の変わったのに目を向けてないで、正統派美女を追い求めなさいよ……」
 そんな愚痴の相手は、まだ沙織が消えて行った階段の上で、自分の顔を撫でながら独り言を呟いていた。


「そうか……。営業スマイルに見える、胡散臭い笑顔だったか……。清人さんに知られたら『修行不足だな』と鼻で笑われそうだ」
 そして苦笑しながら、階段を見下ろしつつひとりごちる。
「……初めての長期戦だな」
 そう呟いた彼に悲壮な様子は全くなく、寧ろ楽し気に自分が使う駅に向かって、ゆっくりと歩き始めた。





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