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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(18)一見平穏な日々

 出勤は友之に伴われ、退社は義則の車に同乗させて貰うようになってから、沙織は翔に遭遇する事は皆無だったが、営業の仕事で社外に出る事も多い為、今現在彼女と組んで仕事を覚えている最中の佐々木は、友之から密かにある策を伝授されていた。そんな彼が沙織と共に外回りから戻り、社屋ビルが見えてきた所で、機嫌良く話し出す。


「関本先輩。最近出社時にも退社時にも、例のヒモ野郎には絡まれていないんですよね? 課長が一緒に出社してますし」
「そうね。課長が一度脅かしたから、怖じ気づいて近寄れないんじゃないかしら。だけど『ヒモ野郎』って……。何か違うと思うし、私怨が入っていない?」
「それより先輩、そろそろ会社です。出て来る時は遭遇しませんでしたから、今回は来るかもしれませんね。さあ、来るなら来い、ヒモ野郎!」
 何やら妙にやる気満々で力強く叫んだ佐々木を見て、沙織は頭痛を覚えた。


「だからちょっと待って、佐々木君」
「先輩、任せて下さい。ちゃんと課長からヒモ野郎の撃退策も、しっかり伝授されています。やっぱりできる男は違いますね!」
「佐々木君、本当に性格変わっちゃったわね! 人の話を全然聞かないし!」
 半ば愚痴っぽい叫びを上げた沙織だったが、ここでいきなり背後から右腕を掴まれた。


「やっと捕まえたぞ、沙織。お前、いつどうやって会社を出てんだよ? 朝はあの暴力男が引っ付いてるし、一体どうなってんだ?」
「……あんたも本当に懲りないわね」
 心底うんざりしながら沙織が振り返ったが、翔も苛立ちながら横柄に言い放った。


「おい、さっさと連絡先を教えろよ。俺に何度無駄足を」
「この世から消え失せろ、ヒモ野郎! 俺が天に代わって成敗してくれる!」
「あ? 何ほざい、はぁあ?」
「ちょっ、佐々木君!? 何やってるの! 早まらないで!」
 しかしここで佐々木が鞄を歩道に投げ捨て、十分な長さの刃渡りのナイフをどこからか取り出し、それをまっすぐ翔に向けながら、鬼気迫る形相で叫んだ。それを見た翔は勿論、沙織も顔色を変えて制止したが、佐々木は両手で握っているナイフを突き出しながら、翔目掛けて突進してくる。


「天誅!!」
「うわあぁぁっ! 何しやがる!」
「このっ! ヒモ野郎のくせに、生意気なぁぁっ!」
「ヒモ野郎って、何だよ!?」
 慌てて沙織の腕から手を離し、逃げようとした翔だったが、突っ込んで来た佐々木の腕を咄嗟に掴んで揉み合いになった。しかし何故かすぐに佐々木が悲鳴を上げ、歩道に崩れ落ちて仰向けに倒れる。


「ぐわあぁぁっ!! やられたぁぁっ!!」
「え? えぇえっ!! 佐々木君!?」
「おっ、おいっ!! 俺は何もしてねぇぞ!?」
 仰向けに倒れた彼の胸には、佐々木が手にしていたナイフが深々と刺さっており、それを防ごうとしたのか、彼は片手でその柄の根元を握っていた。その刺さっている周囲には瞬く間に赤い染みが広がっていき、動転しきった沙織が周囲に響き渡る声で絶叫した。


「きゃあぁぁーっ!! 人殺しーっ!! あんた、私の後輩に何てことするのよっ!?」
「し、知らねえっ!! 俺は知らねえぞっ!! 知らねえからなっ!!」
 同様に真っ青になった翔が無関係を主張しながら、泡を食って駆け去って行くのにも気が付かないまま、沙織は震える手でスマホを取り出して通報しようとした。


「けっ、警察! じゃなくて救急車! あ、勿論、警察もだけど! ああっ! 番号は111じゃなくて、999でも無くて!!」
「どうした!」
「大丈夫ですか!?」
 倒れている佐々木と、パニクっている沙織の周囲に、顔色を変えて通行人が集まって来たが、今までピクリともしなかった佐々木がここでいきなり上半身を起こし、周囲に笑顔を振り撒いた。


「はい、カーット! お疲れ様でした!」
「へ? さ、佐々木君!?」
「はい?」
「何?」
 その手に先程胸に刺さったと思われていたナイフを持ち、唖然とする周囲に向かって、佐々木は社屋ビルとは反対側を手で指し示しながら声を張り上げた。


「皆様、大変お騒がせしました! 向こうにカメラが設置してありますので、宜しければ笑顔で手を振って下さい!」
「何だ、撮影かよ……。人騒がせな」
「え? カメラ? どこどこ?」
 周囲の者達が呆れて立ち去ったり、興味津々で該当する方向に目を向けている隙に、佐々木は素早く放置していた鞄を手にし、沙織の手を引いて勢い良く社屋ビル目指して駆け出す。


「さあ、関本先輩。今のうちに行きますよ!」
「行きますよって、佐々木君!? その血は何なの!?」
 そしてすれ違う全ての者達から驚愕の眼差しを受けつつ、二人は無事、職場へと戻った。 


 その日、夕食を食べながら、真由美が不埒者と遭遇していないかを何気なく尋ねてきた為、沙織は帰社した時の騒動を正直に語って聞かせた。
「まあぁ……」
「……それで?」
 真由美は目を丸くし、義則は口元を押さえて肩を震わせながら話の続きを促すと、沙織は一見冷静に話を続けた。


「上着の胸元に盛大に血糊を付けたまま、佐々木君は私を引っ張って社屋ビルに飛びこんでくれました……。おかげですれ違う社員全員に、悉くドン引きされました……。松原さん! 社でも言いましたけど、佐々木君に何て事を吹き込んでるんですか!? スーツのクリーニング代を出すとか言っても、やって良い事と悪い事がありますよね!?」
 説明しているうちに、色々我慢できなくなったのか、沙織が怒りの形相で友之に向き直って責め立てると、彼は神妙に自分の非を認めた。


「ああ……、方法を指示したのも許可したのも俺だから、全面的に俺が悪いが……。まさか佐々木が、あそこまでノリノリでやるとは……」
「一見血塗れのスーツで、本当に良い笑顔で意気揚々と帰って行きましたよね!? 帰り道でどれだけの人間を驚愕させたのかと考えると、本当に居たたまれないんですが?」
「そっ、それは相当、周囲に驚かれただろうな! うちの社内では死体が歩いていると、噂が立つかもしれん! 直に見たかったな、この次は呼んでくれ! うわははははっ!」
「…………」
 義則が堪え切れずに爆笑し、沙織が友之に白い目を向ける中、真由美が息子に問いかけた。


「友之、それってあなたが考えたの?」
「いや、準備の進行状況を尋ねる為に、清人さんに電話したら、『準備が整うまでにろくでなしと遭遇する可能性があるから、言う通り準備しておけ』と……」
 誰とも視線を合わせないようにしながら、友之がぼそぼそと弁解まじりに口にすると、真由美からは感嘆の、沙織からは疑念に満ちた呟きが漏れる。


「やっぱりね。さすがは清人君だわ」
「その方に、奴への対応をお任せして、本当に大丈夫なんでしょうか? 今日以上の騒ぎになったりしませんよね?」
「……多分な」
 相変わらず微妙に沙織から視線を逸らしながら応じた友之を見て、真由美が突っ込みを入れる。


「友之、自分でも信じていないような顔で言うのは、止めた方が良いわよ?」
「…………」
 それを聞いた友之は押し黙り、沙織は(全く同感だわ)と思いながら溜め息を吐いて食べ進めた。


「でも、本当に油断出来ないわね。明日は土曜だからお休みだけど、沙織さんが出かけそうな所で、その人が待ち伏せしてるかもしれないわよ? 友之、付き合ってあげなさいね?」
 大真面目に真由美がそんな事を言い出した為、沙織は慌てて手を振って固辞した。


「あの、それはさすがに申し訳ないですし」
「あら、やっぱりどこかに行くつもりだったのね。下着とか買いに行くの? それなら友之は、外で待たせておけば良いから気にしないで」
「あのな、母さん」
「いえいえ、下着は買いません。久しぶりに秋葉原に行くつもりでしたから」
 うんざりした口調で友之が応じ、沙織が慌てて予定を口にしたところで、真由美が予想外の食い付きを見せた。


「秋葉原!? じゃあメイドカフェ!? 沙織さん、私一度行ってみたかったの! 友之じゃなくて、私を連れて行って!」
「はい?」
「…………」
 沙織が困惑し、男二人が微妙な顔つきになる中、真由美の上機嫌な話が続いた。


「良かった! 以前から、行ってみたかったのよ。だけど主人や友之は、連れて行ってくれないでしょう? お友達を誘っても、呆れられそうだし」
「はぁ……」
「あ、でも……、私の年だと『お帰りなさいませ、お嬢様』じゃなくて、『お帰りなさいませ、奥様』って言われちゃうのかしら……。私が若い頃に、できてくれれば良かったのに……」
「…………」
 急に意気消沈してしまった真由美をどうすれば良いのか分からず、沙織は男二人に目線で助けを求めたが、彼らは無言で首を振った。その為、沙織は控え目に申し出る。


「あの……。誠に申し訳ありませんが、私、メイドカフェでは無くて、キャストパズルの専門店に出向く予定なので……」
 すると真由美は、意外そうに問い返した。


「え? メイドカフェに行くんじゃないの? キャストパズルって何?」
「立体的な知恵の輪をイメージして貰えれば、分かり易いと思いますが、幾つか持って来ましたので、現物をお見せしますか?」
「面白そうね。食べ終わってからで良いから、見せて貰えるかしら?」
「はい、分かりました」
 そこで一旦、その話題は終了し、それから四人は他の話題で盛り上がりながら、和やかな雰囲気で食べ進めた。そして無事食べ終えてから、真由美が珈琲を淹れている間に沙織が部屋に向かい、目的の物を手にしてリビングに再度集まった。


「真由美さん、これがさっきお話ししたキャストパズルです」
 そう言いながら沙織が差し出した物を、真由美はしげしげとそれを見下ろした。


「どこかで見たことがあるわ。これの事なのね」
「はい、ちょっと試してみますか?」
「ええ、借りるわね? 四方に棘みたいな突起が出ているこの中心の棒から、この星形の輪をどうにかして外せば良いのよね?」
「はい、コツがありますから、色々試してみて下さい」
「分かったわ」
 沙織からそれを受け取った真由美は、いびつな輪を回し、時に上下に傾けながら、何とか輪を抜こうとしたが、どうしても突起に引っかかり、何分か経過しても抜く事ができなかった。


「うぅん……、意外に難しいわね……」
「ちょっと貸してみろ。こういうのは、割と得意なんだ」
 悪戦苦闘している妻を見て、隣から義則が手を伸ばして挑戦し始めたが、すぐに同様の困惑した表情になった。


「これは難しいな……。本当に抜けるのか?」
「関本、社長が大変お困りだ。これ以上社長の機嫌を悪化させないように、即座に解決しろ」
「了解しました、課長。社長、渡して頂けますか?」
「ああ」
 疑念に満ちた声を義則が漏らすと、友之は真面目くさって沙織に命令し、対する沙織も真顔で義則からパズルを受け取った。そしてカチャカチャと金属製の輪をずらしながら動かし、一分かけずに外してみせる。


「できました」
「外れた!?」
「どうやったの!?」
「ええと……、この中心の棒から出ている棘状の突起のうち、これが一番短いので、星形の輪で一番角が外側に出ているここを、互いの斜角を合わせて上下にずらせば、すぐ外れますので」
 それぞれ該当する場所を指差しながら説明した沙織だったが、本気で驚いたらしい義則達は、まだ信じられない顔付きで尋ねた。


「全く違いが分からないんだが……」
「偶々この組み合わせで外す事ができて、覚えていたの?」
「それは」
 その問いかけに沙織が答える前に、友之が口を挟んできた。


「関本は、絶対スケール感の持ち主だから。それ位、一目見れば分かるだろうからな」
「何? その『絶対スケール感』って?」
 初めて耳にした単語に真由美が首を傾げると、友之は笑いながら説明を加えた。


「『絶対音感』とかは、聞いた事があるだろう? 聞くと正確な音が分かるっていう」
「ええ、聞いた事はあるけど……」
「関本は、そのサイズ版。見たり触ったりすれば、正確なスケールが分かるんだ。配属直後の歓迎会で披露して、大盛り上がりだった。そうだよな?」
「ええ……。それまでは大して役に立ちませんでしたが、無芸だったので助かりました」
 同意を求められて頷いた沙織に、義則が不思議そうに尋ねる。


「どうして役に立たなかったんだ? 君は女性には珍しく工学部出身だった筈だし、商品知識の把握度は、課内でも指折りだと聞いているが」
「目測で数値を入れると、『正確に測定しろ』と怒られました」
「ああ、それもそうか……」
「でも、本当に正確に分かるの?」
 義則は納得したが、真由美は不思議そうに問いかけてきた為、沙織はソファーセットの間に置いてあるテーブルを見ながら、淡々とそのサイズを口にした。


「はい。例えば……、このローテーブルの長さは、縦141.24cm、横78.92cm、高さ47.17cmです。メジャーで測って、確認して頂いても構いません」
「え?」
 いきなり沙織の口から飛び出した数字に、真由美は戸惑った顔になったが、義則ははっきりと疑問を呈した。


「ちょっと待て、サイズがおかしくないか? 最小単位が0.01cmだと、0.1mm単位のレベルまで、目測している事になるが?」
「はい。さすがに0.01mm単位までは無理ですから」
「いや、普通は0.1mm単位でも無理だよな?」
「本当に合ってるの?」
 大真面目に答えた沙織に、夫婦は益々怪訝な顔になったが、友之が笑いながら口を挟んできた。


「少なくとも、1mm単位まで正確なのは確認できているから」
「凄いわね……。それなら、この指輪のサイズは分かる?」
「お借りしても良いですか?」
「どうぞ」
 真由美が興味津々で自身の結婚指輪を差し出すと、それを受け取った沙織は特に内側を覗き込むような真似はせず、摘まんだ指輪の内側に指を滑らせてから、概算値を口にした。


「ええと……、内周は51.3mm。11号ですね」
「凄い! 内側の刻印は見てないわよね? 私、指が太くてそのサイズなのよ」
「関節が太い場合もありますし、個人差はかなりありますよ? 真由美さんはそれほど太いとも思えませんし、寧ろ骨がしっかりしてるタイプみたいですから、健康的じゃないですか」
「あら、ありがとう」
 笑顔で真由美が指輪を受け取るのを見ながら、義則が心底感心したように呟いた。


「本当に凄いな……。私なら、cm単位でも正確に目測するなんて無理だが」
「普通はそうなんだが、関本は料理をする時も計量カップとかは使わないらしいし……。そう言ってたよな?」
「はい。ボトルから流れ出る量を見て、計測できます」
 それを聞いた義則は半ば面白がって、沙織の前に置いてあったコーヒーカップを指さしながら尋ねた。


「それなら、そのカップに入っている珈琲の量も分かるかな?」
「……少々お待ち下さい」
 一緒躊躇ったものの、沙織はすぐにそのカップを取り上げ、かなりぬるくなっていたそれを一気に飲み干した。


「157mlです」
 彼女がカップを口から離した直後に、冷静に数量を口にすると、さすがに夫婦揃って驚愕する。


「ほう? それは凄いな」
「本当に分かるの!?」
「分かりません。適当に言っただけです」
「……はい?」
 興奮気味に問いかけた真由美だったが、淡々と沙織に言い返されて戸惑った顔になった。そんな社長夫妻に対して、彼女は冷静に説明を続ける。


「予め容器の容量が判明しているのなら、全量に対してどれ位の量だと推測できますが、このカップの容量は分かりませんので」
「あら……、それじゃあ口からでまかせだったの?」
「そうではありません。実際にその量だった可能性もあります。ですが飲んでしまえば、後から正確な量など計りようがありませんから、ある意味、どんな数量を言っても正解です」
 沙織にそんな屁理屈を堂々と言い放たれ、真由美は唖然としたが、隣の義則には大受けした。


「ぶわははははっ! た、確かにそうだなっ! 確かめようが無いな! 勤務先の社長に対してそんな見事なハッタリをかますとは、その度胸の良さ、益々気に入ったぞ!」
「恐れ入ります」
「本当に沙織さんって、楽しい人ね」
 膝を叩きながら笑い続ける義則を見て、苦笑しながら真由美も頷く。


「本当に規格外だな。プライベートだと、ここまで愉快だとは思わなかったぞ」
「誉め言葉として受け取っておきます」
 半ば呆れながら友之も感想を口にし、そんなこんなで沙織は、招き入れられて一週間経過しないうちに、すっかり松原家に馴染んでいた。



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