酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(9)問うに落ちず語るに落ちる

 日曜日の夜。松原家の三人が夕食後にリビングに落ち着くと、義則がその日誕生日を迎えた妻に、細長いビロード張りの箱を差し出した。


「真由美、誕生日おめでとう」
「ありがとう、義則さん。……まあ、素敵なネックレスね」
「早速付けてみるか?」
「ええ、お願い。……どうかしら?」
「うん、良く似合ってるぞ?」
「本当? 嬉しいわ」
 早速その場で箱を開け、実際に付けてみて微笑み合っている両親を、半ば空気になりながら向かい側のソファーから眺めていた友之は、小さく溜め息を吐いた。


(年を取っても相変わらず夫婦仲が良いのは、結構な事なんだがな……)
 少しの間遠い目をしていた友之は、両親の会話に一区切りついたタイミングで、控え目に声をかけてみた。


「母さん、俺からも誕生日プレゼントがあるんだけど、出して良いかな?」
「ええ、勿論よ。ありがとう、友之」
 そう言いながら立ち上がり、予めリビングの隅に目立たない様に置いておいた紙袋を持って来た友之は、「今年はこれなんだが……」と言いながら母親に向かって差し出した。それを受け取ったものの、紙袋のロゴを目にした真由美が、怪訝な顔になる。


「あら……、いつもと趣向が違うのね」
「東急ハンズ?」
「…………」
「取り敢えず、中を見させてね?」
 義則も訝しげな視線を向ける中、せっかく息子が贈ってくれた物だからと、真由美は笑顔で箱を取り出して開けてみた。


「ええと、これは……」
「一つじゃないのか?」
「ああ、幾つか詰め合わせて貰ったから」
 箱を開けて中を覗き込んだ義則は、隙間に緩衝材が詰まった幾つかの品物を見て、不思議そうな顔になった。しかしここで何かを見つけた真由美が、それを取り出しながら歓声を上げる。


「あ、これ! 買ってみようかと思って、今まで買いそびれていたのよ!」
「何だ? そのシリコンのシートみたいな物は?」
「蓋を楽に開けるフタよ!」
「……はぁ?」
 意味が分からずに当惑した声を上げた義則だったが、真由美はそれには構わずに上機嫌に話を続けた。


「最近年を取ったのか、固い瓶の蓋を開ける時に、時々困る事があるのよね。でもあなたや友之が帰って来たら開けて貰えば事が済んでいたから、何としてでも欲しいとまでは思っていなくて」
「そうか……」
 しみじみと語る妻に義則が何とも言えない表情で頷くと、真由美が続けて嬉しそうに言い出した。


「それからこっちは、切断面が波模様になるナイフ! 買おうかと思ったけど、やっぱりわざわざ買うほどでも無いかと思って、それきり忘れていたのよ!」
「それは、何か意味があるのか?」
 にこやかにそれを取り出した真由美に、義則が訝しげに尋ねる。


「あら、嫌だわ。切断面が波模様なら、それだけ表面積が大きくなって、ソースやドレッシングが絡みやすくなるじゃない? 見た目もお洒落だし」
「……そうか」
「自分で買っておきながら何だけど、大した違いは無いんじゃ……」
 思わず突っ込みを入れた友之だったが、真由美の興奮は収まらなかった。


「これは、お玉立て……。あ、凄い! この部品をずらせば、鍋の蓋も立てられるのね!? 画期的じゃない!」
「……そんなに凄いのか?」
「さあ……」
 父と息子が怪訝な顔を見合わせていると、一際高い真由美の声が上がる。


「それから……、極小サイズのシリコン製ゴムべラだわ!」
「それは台所に無かったか?」 
「料理に使う、普通のサイズの物ならあるわ。でもこれなら瓶の壁面に残った佃煮とかジャムとか蜂蜜とかを、綺麗に取る事ができるのよね! でも取り難くてもスプーンで取れない事もないし、わざわざ買うほどの物でも無いかと思っていたのよ。早速台所に持って行って、使ってみるわ!」
「ああ、いいよ」
 息子に断りを入れ、箱を抱えてウキウキと台所に向かった妻を見送った義則は、半ば呆れながら感想を述べた。


「ああいう物にあんなに食いつくとは……、驚いたな」
「俺も全く予想外だった」
「それならどうして、ああいう物を選んだんだ?」
 息子の台詞に、ちょっと驚いたように義則が尋ねてきた為、友之は素直に答えた。


「俺が選んだわけじゃなくて、今回はアドバイスに従っただけだから」
「誰の?」
「『誰の』って……」
 友之が咄嗟に言葉に詰まると、義則が訝しげにそんな息子を凝視する。そこで妙な睨み合いに突入していると、すぐに真由美が上機嫌なまま戻って来た。


「友之、ありがとう。明日から思う存分、使わせて貰うわね!」
「気に入って貰って良かったよ」
「ところで、どうして今年は、ああいう実用的な物を選んだの?」
「それは」
 夫と同じ質問をしてきた真由美に、友之が再度答えようとしたが、それより早く義則が教えた。


「それが、友之が選んだわけではなくて、誰かの助言に従った結果だそうだ」
「あら、そうなの? そうなると新しい彼女さんは、お料理が趣味なの?」
 如何にも当然の如く、アドバイスして貰ったのが女性、しかも恋人だと思い込んだらしい母親に、友之は微妙に顔を引き攣らせる。


「……どうしていきなり、『新しい彼女』なんて言葉が出てくるんだ?」
「だって普通に考えたら、男の人がこういう物を勧めるとは考えにくいし、付き合っていた人とは、確か半月位前に別れたとか言っていたでしょう? だから新しい彼女さんに、アドバイスして貰ったと思ったんだけど」
「母さん、それは誤解だから……」
 それなりに筋が通っている彼女の主張に、友之は頭を抱えながら弁解したが、ここで義則が顔を顰めながら苦言を呈した。


「友之……。俺は息子の交友関係に、一々口を挟むような真似はしたくないんだが、少々節操が無いんじゃないか? 別れて半月もしない間に、新しい女を作るとは」
「だから、誤解だと言ってるだろ! 彼女は単なる部、友人だし」
「友人?」
 うっかり部下と言いかけて、正直にそう告げた場合に色々面倒な事になりそうだと思い止まった友之は友人と言い直したが、両親はどちらも怪訝な顔になった。


「友之の口から、女友達なんて言葉が出てきたのは初めてじゃないのか?」
「……そうかな?」
「そうよ。それじゃあ、そのお友達はどんな人? 友達なんだから写真位あるし、見せてくれるわよね? 恋人とかじゃないんだし」
「ちょっと待っててくれ」
 その要求を拒否できず、渋々自室で充電中だったスマホを持って来た友之は、沙織の画像を出して真由美に手渡した。


「こんな感じ。猫に餌をやっている所を撮ったから、正面からじゃ無いけど」
「あら、残念。でも結構可愛い感じじゃない?」
「まあ、見た目はそうだけど、性格がちょっと動じないと言うか、男らしいと言うか……」
 これで納得して貰えたかと、安堵した友之だったが、そこで真由美がさらりと突っ込みを入れた。


「でも友之、あなたこの人の家に行った事があるのよね? ここ、彼女の部屋でしょう?」
「ほう? そうなのか?」
 横から覗き込んだ義則が、スマホと自分の顔を交互に見ながら面白そうな顔になった為、友之は僅かに顔を引き攣らせながら弁解した。


「ああ、まあ……、この時はちょっと事情があって、彼女の部屋に行ったから」
「事情って?」
「その……、一緒に飲んだ時に彼女が悪酔いしたから、送って行っただけで」
「二人で飲みに行く間柄なのか?」
「いや、二人じゃなくて他の部下も」
「部下? 彼女は松原工業うちの社員なのか?」
「…………」
「友之?」
 矢継ぎ早の問いかけに律儀に答えているうちに、うっかり事実を漏らしてしまった友之は、思わず口を噤んだ。そこで真由美が訝しげな表情で声をかけてきた為、友之はこれ以上余計な話をすると拙いと判断し、できるだけ自然にソファーから立ち上がる。


「どうだって良いだろう? とにかく、喜んで貰って良かったよ。それじゃあ、俺は部屋に行くから」
「ええ、ありがとう。そのお友達に、宜しく言っておいてね?」
「ああ、分かった」
 さり気なく退散した息子を見送った真由美は、期待に満ち溢れた表情で夫を振り返った。


「あなた?」
「社員数が多いし、さすがに全部署の名簿は手元に無いが……。確かあいつの部下に女性が一人いた気がするな。明日出勤したら社のホストコンピューターにアクセスして、該当社員のデータを出して持って帰る」
「お願いね」
 真顔で考え込んだ義則に真由美は笑顔で頼んだが、それに頷いてから彼は再度不思議そうに口にした。


「それにしても……。後々面倒だから、社内の人間とは付き合わないとか言っていたし、これまで実際に付き合っていたのは、社外の人間ばかりだったのにな……」
「分かっているわ。だから本当にお友達かもしれないけど、一応情報は集めておいても構わないでしょう?」
「そうだな。取り敢えず調べておくのに、越した事は無いだろう」
 笑顔でそんな会話を交わした二人は、満足そうに笑顔で頷き合った。


 一方で自室に戻った友之は、両親からの鋭い追及から逃れてほっとしたのも束の間、すぐに電話をかけ始めた。すると殆ど待たされずに、沙織が応答する。


「課長、どうかしましたか?」
「一応、プライベートでの報告だ。プレゼントが母にとても喜んで貰えたから、職場に怒鳴り込まれる可能性は無いからな?」
「それは何よりでした。さすがに社長夫人を敵に回すのは、勘弁したいので」
「全然恐れ入っていないように聞こえるのは、俺だけか?」
「気のせいです。気に入って貰えて、本当に良かったです」
 淡々とした口調から一転して笑いを堪える口調になった沙織に、友之は笑いを誘われながら、ちょっとした提案を口にした。


「それで、予想以上の反響を得られたから、改めて礼をしたいんだが。どこか行きたい所があるか? 居酒屋でもプールバーでもフレンチでも、好きな所で奢るぞ?」
「そうですね……。それなら是非、ちゃんこ鍋の店でお願いします」
 沙織からは即答が返ってきたが、自分の耳を疑った友之は、静かに問い返した。


「……すまん、もう一度言ってくれるか?」
「ちゃんこ鍋ですが」
 変わらず冷静に告げてきた沙織に、友之はがっくりと肩を落とした。


「お前……、どうしてそこでそんな物が出てくる?」
「どうしてって……、とっくに一人飯も一人酒もへっちゃらですが、さすがに鍋物って一人だと頼めない所が多いもので。最近はお一人様用の鍋メニューを揃えている店も増えましたが、二人席のテーブルを一人で占めてるのって、何となく申し訳無くて落ち着かないんですよ」
 そう沙織が主張してきたが、それを一応認めつつも、友之は口の中で愚痴っぽく呟いてしまう。


「それは確かにそうかもしれんが……、ここはせめてドジョウ鍋とか、河豚ちりとかすき焼きとか……」
「何をぶつぶつ言ってるんですか?」
 その不審そうな呼びかけに、友之は(仕方がないか)と瞬時に気持ちを切り替えた。


「いや、何でもない。分かった。それなら今度一緒に、ちゃんこ鍋を食べに行くか」
「楽しみです。松原さんなら店選びで外す事は無いと思いますし」
「こら、さり気なくプレッシャーをかけるな。まあ、期待を裏切らないように調べておく。それじゃあな」
「はい、おやすみなさい」
 そしてあっさり通話を終わらせた友之は、思わず疲れたように溜め息を吐いた。


「全く……、予想外にもほどがある」
 そう呟きながら何気なくディスプレイを眺めた彼は、少し考えてから指を滑らせ、沙織の家に行った時の動画のデータを呼び出した。


「くうぅ~っ! やっぱり食べている姿も、上品で素敵ですっ! ジョニー様に食べていただいて、マグロも本望でよねっ!」
 自分に目もくれず、上機嫌に声を上げながらジョニーの食べる姿を食い入るように眺めている沙織の映像を見て、友之はもう何度目になるか分からない笑いを零した。


「全く……、猫が食べている姿を見て、そんなに悶えるなよ」
 そのまま暫く笑って満足した友之はその再生を止め、再びスマホを充電しながら翌日の支度に取りかかった。





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