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酸いも甘いも噛み分けて

篠原皐月

(7)妥協できないこだわり

「課長は『こちらの都合に付き合わせるし、自宅の場所もしっかり分かっているから待っていろ』と言ったけど、待ち合わせは最寄り駅にした方が、時間と労力の無駄じゃないのに……」
 約束の時間少し前に、自宅マンションを出て歩道まで出た沙織が、そんな独り言を呟いた時、ミッドシップ・スポーツカーが軽快なエンジン音を響かせながら近付き、目の前で静かに停まった。そのロイヤルブルーが映える流線形を、彼女が僅かに眉根を寄せて眺めていると、手前の窓がゆっくりと開いて、予想通り見慣れた顔が現れる。


「おはよう、関本。待たせたか?」
 その無駄に爽やかな上司の笑顔を見た沙織は、呆れ気味に挨拶を返した。


「おはようございます。しかし、2ドアタイプの左ハンドルですか……。一応お聞きしますが、これは課長の愛車でしょうか?」
「そうだが。似合わないか?」
「それに関してのコメントは差し控えますが、値段が高そうで燃費が悪そうですね」
 少々嫌みが籠もったその台詞を、友之があっさり笑い飛ばす。


「俺の予想と、寸分違わないコメントをどうも。それじゃあ乗ってくれ」
「私如きが、何を言っても無駄って事ですね。失礼します」
 小さく肩を竦めてから沙織は車の前を回り込み、助手席に乗り込んだ。するとシートベルトを着けると同時に発進した為、沙織は小さく首を傾げて行き先を尋ねる。


「ところで課長、今日はどこに行くつもりですか?」
 しかし友之はそれには答えず、ハンドルを握りながらちょっと困り顔で訴えた。


「なあ、関本。一応プライベートだし、課長呼びは止めてくれないか? せっかくの休日なのに、何だか落ち着かない」
 それを聞いた沙織は、ちょっと考えてから言い直す。
「それでは、松原さん?」
「それも何となく釈然としないが……、まあ良いか。取り敢えず銀座に向かっているが?」
 それを聞いた沙織は、再び前方を見ながら考え込む。


「銀座……、取り敢えず老舗百貨店と言われる所で、プレゼントを調達しようと考えていますか?」
「ああ、これまでもそうしてきたし、万が一サイズが合わなかったり、直しが必要だった場合にすぐ応じて貰えるから。どこもアフターサービスがしっかりしているしな」
「それはそうですね……」
 しかし何やら納得しかねる顔つきになった沙織は、少し黙り込んでから、徐に問いを発した。


「……松原さん。ちょっとお尋ねしても良いですか?」
「何だ?」
「お母様は、お好きなブランドとかはあるんですか?」
「特には無い。実際に物を見て、気に入った物だけ購入するタイプだから。持っている物は見事にバラバラだぞ? だから余計に困っているんだ」
 気に入りのブランドがあれば、迷わずそれを選ぶのにという言外の訴えに、沙織は深く頷く。


「なるほど……。それでは社長夫人ですし、専業主婦ですよね? 家事は得意な方ですか?」
「苦にはしていないと思う。家政婦とか代行業とかも、殆ど頼まないし」
「結構、出歩く方ですか?」
「そうだな……、色々予定は詰まっているな。習字と華道に通っているし、そこの交友関係での付き合いもあるから」
「通販とかは、利用される方ですか?」
「いや、そういうのは……、殆ど利用しないんじゃないか?」
「そうですか……」
「それがどうかしたか?」
 矢継ぎ早に質問したと思ったら急に黙り込んだ為、赤信号で停止した隙に友之は彼女に訝しげな顔を向けたが、対する沙織はそこで何やら力強く断言した。


「松原さん、行き先を変更しましょう。ちょっと待ってて下さい。今、ナビを設定します」
「え? 行き先変更って……」
 そう言うなりさっさとナビに手を伸ばして操作し始めた彼女を、友之は唖然として眺めていたが、目的地に設定した場所を見て、さすがに困惑した声を出した。


「は? どうして渋谷?」
「銀座にもありますが、やっぱりこちらでしょう」
 答えになっているようでなっていない事を口にしながら、操作を続ける彼女に、友之は困惑しながら再度抵抗した。


「関本。ちょっと待て。俺は母親への誕生日プレゼントを買うつもりなんだが?」
「ええ、分かっています。多分大丈夫ですよ? 騙されたと思って、私の言うとおりにしてみて下さい。ほら、信号が青になりましたから、発進して下さい。そして次の交差点を左折です」
「……分かった。この際、騙されてみるか」
 結構強引な沙織に、諦めて溜め息を吐いた友之がナビに従って運転を始めると、すぐに別な事を尋ねられた。


「ところで松原さん、この車を買ったのはいつですか?」
「就職した年だな」
「随分、無謀なローンを組んだんでしょうね……。利息が勿体ないです」
 大体の市場価格を割り出した上で、素早く頭の中で頭金0で金利を計算したらしい沙織が盛大に顔を顰め、それを横目で見た友之が、苦笑しながら否定する。


「実は、ローンは組んでいないんだ。全額を父に出して貰って、無利子でコツコツ返済しているから」
「うちの社長って、随分息子に甘いんですね……」
 少し呆れを含んだ口調のそれに、友之は少々ムキになって反論した。


「そうは言うがな、一応俺も労力を惜しまず、父に対してプレゼンテーションをしたんだぞ?」
「はぁ? 社長に何をしたと言うんですか?」
「父が『親子だからと言って、ポンと金を出すと思うな。しかも無利子とは厚かましいにも程がある。そんなに金を貸して欲しければ、その理由を俺に説明して納得させてみろ』と宣言したから、徹底的に準備して、この車の魅力を父に熱く語ってやったんだ」
「親が親なら、息子も息子ですね……」
 胸を張った友之に、沙織が半ば呆れながら溜め息を吐いて応じる。


「それでまず、駆動系から入ったんだがな。エンジンの構造と馬力は言うに及ばず、クラッチと変速機の噛み具合とか、プロペラシャフトのバネと軸の相関作用とか、デフの回転係数や角度調整を含めて、アクスルまで抜かりなく語って聞かせた」
「松原さんがここまで車狂いだったとは、知りませんでした」
「このロータス・エヴォーラに限ってだけだぞ? それからこの車体デザインに関して、流体力学の見地からどんな風に車体の表層に気流を作っているかを説明して、やっとステアリングや内装とかの説明に入ろうとしたところで、父からストップがかかった。どうせなら最後まで、言わせてくれれば良いものを……」
 そこで如何にも悔しげな表情になり、何やらぶつぶつと口の中で呟いている友之を見て、沙織は何気なく尋ねた。


「因みに松原さんは、それまでにどれ位の時間を費やしたのか覚えていますか?」
「たかだか三時間強だ」
 さらりと答えられた内容を聞いて、沙織は彼から視線を逸らしながら感想を述べた。


「……ちょっと社長に同情しました。それで無利子でお金を借りて、コツコツ返済していると?」
「そのせいで、未だに実家暮らしだな。家に生活費も入れているし」
「入れてるんですか?」
 てっきり車の代金以外は、全て小遣い扱いにしているのだろうと思い込んでいた沙織は、それを聞いて本気で驚いた。その反応を予想していた友之は、苦笑いで説明する。


「こっちは母だが。『共同生活しているんだから、相応の負担はしなさい』と言う事だ。毎月十五万取られてる」
「はぁ? そんなにですか?」
「ああ、『この近辺で住もうと思ったら、これ以上かかるわよ?』と言って容赦なく。全く……、あんな高級住宅街に、単身者アパートなんかあるわけ無いだろ。そもそも前提が間違ってるぞ」
 忌々し気に文句を口にする友之に、沙織が笑いを堪える口調で告げる。


「でもやっぱりお母様って、経済観念がしっかりしている方みたいですね。さっきの松原さんの話でも、無駄使いとかしないタイプみたいですし。それにその生活費って……、ひょっとしたら実際には使わないで、松原さんの名義で積み立てていたりするんじゃありません?」
 にこにこ笑いながら確認を入れると、友之は憮然とした顔付きになりながら、それを肯定した。


「入社して三年目の時に陰で文句を言っていたら、父がそうだとこっそり教えてくれたが……、良く分かったな?」
「何となくですけど。やっぱり、良いご両親ですよね」
「まあな」
 満面の笑みで沙織が同意を求めると、友之は少し照れくさそうな表情になって、前を向いたまま頷く。それを見た沙織は、先程よりも強い口調で宣言した。


「良し! そうと分かれば、優しくて理解のあるお母様の為に、気合いを入れてプレゼントを厳選しましょう!」
「いや、だから関本。本当にそこで、母が気に入る物が買えるのか?」
「グダグダ言わない! 前を見て運転する!」
「……分かった」
 まだ幾分懐疑的な友之だったが、もう既に向かっている事もあり、諦めて運転に集中する事にした。


「どうしても気に入って貰えなかったら、『部下に騙された』と正直に言って構いませんから。職場で社長夫人に怒鳴り込まれても、甘んじてそれを受けましょう」
 腕組みしながら真顔でそんな事を口にした沙織を、友之は半分呆れながら叱りつける。


「そんな責任転嫁する様な事、間違っても言えるか! それに母も、そんな事はしないからな!」
「松原さんって、本当に変なところで真面目ですよね」
 友之が盛大に言い返してきた為、それを聞いた沙織は楽しげに笑い出した。それに釣られて友之も苦笑いしているうちに目的地付近に到着し、慎重に駐車場に愛車を入れたのだった。



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