召喚体質、返上希望

篠原皐月

(6)青天の霹靂

「進藤さん、お気をつけて」
「ええ。高梨さんも頑張ってね」
「はい」
 蕎麦屋を出て由佳と別れた天輝は、一人で桐生アセットマネジメントが入っているオフィスビルに戻り、エントランスのセキュリティゲートを抜けてエレベーターホールに入った。
 とっくに昼時を過ぎていた事で行き交う人間は少なく、天輝は1階に降りてきた無人の箱に一人で乗り込む。そして迷わずフロアの階数ボタンを押して動き出すのを待ったが、上昇したと感じるのとほぼ同時に、彼女の周囲で異変が生じた。


「今は14:21だから、半からの会議には余裕で間に合うわよね。資料も全部揃えてある……、え? 何、この光?」
 天輝が腕時計で時刻と予定を確認した直後、明らかに天井からの照明による物とは異なる光の輪が、突如として天輝を囲むように彼女の足元に出現した。それを認めた天輝が無意識に呟いた瞬間、床に浮かび上がっている輪の光量が爆発的に増加し、反射的に眼を閉じた彼女の身体がゆっくりと宙に浮く。


「なっ、何なのよ、これっ!? きゃあぁぁーっ!! 誰か、誰か助けてぇえぇーっ!!」
 床面から足が浮いたと感じた瞬間、目が眩んで周囲の状況が全く分からない事も相まって言いようの無い恐怖を感じた天輝は、声を限りに助けを求めて叫んだ。
 しかしものの数秒で唐突に光が消失すると同時に、足裏に軽い衝撃を感じた事で、元のように床に降り立ったのを感じる。


「うわ……、助かったぁ。だけど、今のは一体…………、え?」
 緊張感から解放されたあまりそのまま崩れ落ち、両手両膝を床に付いて座り込んだ天輝だったが、なぜか目の前の床がエレベーターに内に汎用されている磁器タイルでは無く、それなりに研磨されてはいるものの石畳のような代物であった事に違和感を覚えた。


「何? この床?」
 そこで天輝は反射的に顔を上げたが、それと前後するように彼女の周囲から歓喜の叫びが湧き起こった。


「おぉう! 無事に聖女様が召喚されたぞ!」
「これでこの世界は救われた!」
「聖女様、万歳!」
「……はい? 一体何事?」
 天輝が注意深く周囲を見渡すと、そこはエレベーターの箱の中などでは無く、自分が石造りのかなり広い空間のほぼ中央にいるのが分かった。更に自分のすぐ側の床に、大人の頭より遥かに大きいガラス玉に見える球体が設置してあり、それを中心とした同心円と不可思議な幾何学模様が、床一面に所狭しと何かの顔料で描かれていた。


「落ち着いて、天輝。ここは明らかに社内で無い事だけは分かっているから。もしくは色々疲れすぎて、白昼夢を見ているだけだから。動揺するのは、もう少し事情が明らかになってからでも遅くは無いわよ。平常心、平常心。まずは情報収集、次に解析立案、最後に運用実行」
 普通の人間ならパニックを起こしかねない状況ながらも、天輝は小声で自分自身に言い聞かせながら、なんとか内心の動揺を最小限に抑え込んだ。そして改めて周囲に目を向けると、先程から騒いでいる者達は全員一番外側の円の向こう側に立っていたが、その中で最年長に見える腰の曲がった男性がゆっくりと天輝に向かって足を進めた。そして彼女の前で足を止め、恭しく頭を下げてくる。


「聖女様、初めてお目にかかります。私はこのリーガルス国の神官長を務めております、グラントと申します。本当に、なんと霊力カーズに満ち満ちたお方でしょう。これほどの異能者カージナルである方を、この年になるまで目にした事はございませんでした」
「はい? 『聖女』? 『カーズ』? 『カージナル』? なんの事ですか?」
 意味不明な言葉の羅列に天輝は益々困惑したが、相手はそれには構わずに満面の笑みで話を続けた。


「この度、約三百年ぶりにこの世界に復活した魔王を退けるため、古来からの伝承に従いまして、聖女様を異世界より召喚いたしました。何卒その強大なお力を、この世界の為にお貸しいただきたく存じます」
 いきなりそんな事を言われた天輝は、面食らって反射的に言い返した。


「どうして見ず知らずの異世界の為に、魔王なんて得体の知れない聞いただけでも物騒そうなものと係わり合わなければいけないんですか? 私、一介のアナリストなんですけど? 相当お困りの様子なのは何となく分かりますが、どう考えても私にはお手伝いできませんので、元居た場所に帰して貰いたいのですが」
 それは寝耳に水の話を聞かされた天輝にしてみれば当然の主張だったのだが、グラントは手元の薄い冊子に視線を落としてから、困惑気味に言葉を返した。


「そう言われましても……。聖女様をお戻しする訳には参りません。それでは古来から伝わる、聖女召喚時のしきたりに反しますので」
「はぁ? 当事者の意向丸無視で喚んでおいて、元の世界に帰せない? そんな話、明らかに聖女として喚ばれた人間の人権無視じゃないですか!?」
 とんでもない事をあっさりと告げられた天輝は瞬時に声を荒らげたが、そこでグラントとは逆にこの場で一番若く、十代後半に見える豪奢な服を身に纏った若者が二人のいる場所に歩み寄った。そして天輝の全身を上から下まで何回か無遠慮に眺めてから、上から目線で横柄に言い放つ。


「召喚した聖女は、しきたりによってその時の王族が娶る事になっている。そなたは記録に残っている聖女の召喚時の年齢より、かなり上みたいだな。仕方が無いから、王太子である私が娶ってやる。弟達に、こんな年増女を宛がうわけにはいかん。この国を救う為だ。私が犠牲になろう」
「はぁ!? 初対面の人間を馬鹿にするのも大概にしなさいよ!? 『娶ってやる』ですって!? こっちだって、あんたみたいなガキは願い下げよっ!!」
 かなり失礼な事を面と向かって言われた天輝は当然腹を立てたが、室内にいる彼女以外の者達は、こぞって彼を称賛した。


「ガーディス様、さすがでございます!」
「さすが、これからこの国を背負って立つお方!」
「そんなご聖断をされるとは、何とご立派になられて!」
(この連中……、どこまで人を馬鹿にするわけ!? 完全に頭にきた。こんなガキの相手なんか、まともにしていられますか! 戻せないと言うなら、どうにかして自力で元の世界に戻ってやろうじゃない!)
 激怒した天輝だったが、それを意思の力でなんとか押さえ込んだ。そして元の世界に戻るためのヒントを得るべく、平静を装いながらグラントの手元を指さしつつ探りを入れてみる。


「その本に、聖女召喚に関するしきたりが色々書いてあるのかしら? 因みにしきたりって、どれだけあるの?」
「全て合わせまして、百八ヶ条存在しております」
「煩悩かっ!?」
 数を聞いた瞬間、思わず突っ込みを入れてしまった天輝だが、グラントは真顔で首を傾げる。


「はて……。聖女様。『ぼんのう』とは何でございましょう?」
「……何でもないから気にしないで。それで? 見たところ、それに全部書いてあるのかしら?」
「はい。ご覧になりますか?」
「ええ、興味があるから、ちょっと見せて貰えるかしら?」
「はい。どうぞご覧ください」
 どうやら聖女様と友好な関係を築けそうだと判断したグラントは笑顔で冊子を差し出したが、当然天輝は必要な情報を得るべく、猛然と速読を開始した。



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