夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

第28話 秘められた想い

「真澄さん、何もそんなに笑わなくても……」
「ごめんなさい、つい。随分大人になったな~って思ってね」
 そう言ってまたクスクス笑う真澄を、清人は半ば憮然として見やる。


「三十男を捕まえて、何を言ってるんですか。いつまでもガキじゃありませんよ」
「そうでしょうね」
 そして、ここで漸く笑うのを止めて真顔になった真澄が、しみじみと言い出した。


「でも、これで叔母様の勝ちね。やっぱり叔母様は凄いわ」
「別に、香澄さんと何かの勝負をしていたつもりはありませんが?」
 不思議そうに問い掛けた清人に、真澄が小さく肩を竦める。
「叔母様はしていたつもりだったのよ。『絶対書かせてやるんだ』って意気込んでたわ」
 そう言われて、清人は例の由紀子への便りの事かと理解できたが、すぐに別の疑問が頭を掠めた。


「香澄さんは、どうしてそんなにあの人に連絡を取る事にこだわっていたんですか? 正直、俺には良く理解出来ませんが」
 自分にしてみればあまり意味の無い行為に映っていたそれへの香澄のこだわりを、改めて考えさせられた清人だったが、それに真澄は淡々と答えた。


「叔母様はね、清人君に復讐させてあげたかったのよ」
「復讐? …………ああ、そう言えば、初対面の時に、確かにそんな事を言ってましたね」
 予想外、かつ物騒な単語が出て来た為、一瞬戸惑った清人だったが、すぐに香澄本人が口にした時の状況を思い出して頷いた。それに真澄も頷き返す。


「叔母様曰わく、『嫌いな相手より遥かに幸せになって、上から目線であざ笑ってあげるのが最高の復讐でしょう? だから由紀子さんに『あなたがいなくてもこれだけ幸せになりました』って書かせてやるのよ』って豪語してたわ」
「確かに、『清人君が大嫌いなお母さんに復讐させてあげる』って、満面の笑みで言われましたね。親父から再婚するからと言われた次の台詞がそれですよ。もうどういうリアクションをすれば良いのか皆目見当がつかなくて、頭の中が真っ白になりました」
 そう言って当時の状況を思い返した清人が深々と溜め息を吐くと、真澄が心底同情する表情で問い掛けた。


「その時、叔父様は何か言わなかったの?」
「香澄さんの横で、ただ苦笑いしてました」
「叔父様らしいわ」
 これには真澄も苦笑いするしかなく、清人も小さく笑いながら話を続けた。


「正直に言うと……、親父と二人で暮らしていた頃は、確かにあの人の事を恨んだり責めたりしてましたが、香澄さんが家に来てから色々な事が有り過ぎて。殆ど忘れていた、と言うか、些細な事に一々こだわっている暇も精神的余裕も有りませんでしたから」
 実感が込められたその台詞に、思わず真澄が謝罪の言葉を口にする。


「何か血が繋がっている身としては、微妙に肩身が狭いわね。ごめんなさい、色々突き抜けた叔母で」
「そんな事、今更ですよ」
 しかし清人がそれを明るく笑い飛ばした為、真澄は話を進めた。


「実はその復讐云々の話、どうして叔父様と結婚する気になったのかって叔母様に質問した時に聞いたの」
「そう言えば……、初対面のインパクトが強すぎて、うっかりその手の事は聞き忘れてました。香澄さんは何て答えたんですか?」
 僅かに身を乗り出し、興味津々で尋ねてきた清人に、真澄はすこぶる冷静に告げた。


「その時、叔母様は『清吾さんと清人君に復讐させてあげる為に結婚した』って言ったの」
「はい?」
 意味が良く分からず、思わず間抜けな声を上げた清人に、真澄は淡々と続けた。


「だから、『清吾さん達の境遇を聞いて、同情したり時たま手助けするのは誰でもできるけど、一緒に居て幸せにしてあげられるのは私だけよ。だから清吾さんが死ぬ直前に人生を振り返って、由紀子さんの事を微塵も思い出さないで私のお陰で幸せだったって言わせる事ができたら、由紀子さんに対する最高の復讐じゃない?』って」
「香澄さんらしいと言うか何と言うか……、ある意味ぶっ飛んだ思考回路ですね」
 半ば呆れながら清人が呟くと、真澄も同様の口調で応じる。


「確か、こうも言ってたわ。『清吾さんの最初の女にはなれなかったけど、最後の女としては「お前のお陰で幸せだった」って言わせられなかったら女が廃るわよ』って」
「香澄さん……。あの人に対して、何か変な方向に対向意識を燃やしてたのか?」
 思わず額を抑えてうなだれた清人に、真澄は思わず失笑した。


「そんな事を堂々と言われたら、黙って引き下がるしか無いわ。勿論、復讐云々は口先だけの事で、本当は由紀子さんの方と円満に付き合って欲しいと思っていたのは、私にも理解できていたし。だからそれを聞いて、叔母様には敵わないって、その時、心の底から思ったのよ」
「真澄さん?」
 台詞の後半、急に口調が沈んだものに変わったのを不審に思った清人が声をかけたが、真澄はそれには構わずそのままの口調で続けた。


「男の人だったら『負けた』とか『敵わない』と感じた人は何人も居るけど、女性に対してそんな敗北感や劣等感を覚えた相手は、後にも先にも香澄叔母様だけなの」
 そう告げた真澄に、清人が怪訝な顔を見せた。
「別に、真澄さんが香澄さんに対して引け目を感じる必要は無いでしょう?」
「それが、そうでも無いのよね」
「………………」
 真澄が小さく肩を竦めて自嘲的に笑うと、それを納得できかねる表情の清人が無言で見詰めた。すると何を思ったか、真澄がソファーから立ち上がる。


「さて、と」
「真澄さん?」
 真澄がそのままローテーブルを回り込み、自分が座っている長椅子の方にやってきたのを見て、清人は座ったまま不思議そうに真澄を見上げた。すると真澄は清人のすぐ横に腰を下ろし、僅かに体を斜めに向けて清人に右手を伸ばす。それに清人が何をする気かと一瞬身構えたが、次の瞬間清人の頭をその手が撫で始めた。


「良くできたわね、清人君。偉い偉い、誉めてあげるわ」
 如何にも満足そうなその呟きに、怪訝な顔になった清人の声が続く。
「……一体、何の真似ですか?」
「あら、分からない? 叔母様の代わりよ。生きてたら絶対こうしてたと思うし」
 頭を撫でるのを続けたまま、真澄が笑いを含んだ声で続けると、清人が表情を消してボソッと呟いた。


「清香と同じ事をするんですね……」
「清香ちゃんと?」
 真澄が手を下ろして怪訝な表情を見せると、清人が淡々と続けた。


「清香から聞いていませんか? あの人が初めてここに来た時に、ちゃんと対応できたと頭を撫でて誉めてくれたんですよ。『お母さんが生きてたら絶対こうしたから』と言って」
「そう言えば……、あの時家へ向かう道すがら、車内で聞いた様な気がするわ。まあ従姉妹同士だし、行動パターンが似ててもおかしくは無いわね」
「そうですね」
 にこやかに笑って事も無げに言った真澄だったが、そこで先程から表情を消していた清人が、いきなり行動に出た。


「……っ、きゃっ!」
 右手を伸ばして真澄の左腕を捕らえ、力を込めて自分の方に引っ張ると同時に、素早く左腕を真澄の背中に回して彼女を抱き止める体勢になった。
 いきなり引き寄せられたのと、そのまま微動だにしない清人に対し、流石に真澄が固まって声を掛けてみる。
「ちょっと、清人君?」
 すると、自分の頭の横に清人のそれが有る為、真澄には表情が窺い知れないものの、清人が静かに口を開いた。


「ずっと香澄さんにこうしてみたかったんです」
「え?」
「でも当時、幾ら義理の親子だと言ってもそんなに年の離れていない香澄さんには、こんな事気恥ずかしくて出来なかったし、第一、香澄さんは親父のものでしたから……」
(本当は、香澄さんに対してこんな事をしたいだなんて、思った事は一度も無いが……)
(叔母様の代わり、か。そんな事だろうとは思ったけどね)
 抱き合ったまま、互いにそんな考えを巡らせてから、真澄は笑いを含んだ声で窘めた。


「女性を誰かの付属物扱いする発言なんて……、人権団体の怖いおばさま方に知られたら、作品の不買運動を展開させられるわよ?」
「構いません。俺は自分の作品は真澄さんだけ読んでいてくれれば、満足ですから」
 淡々とそう述べた清人に対し、真澄が無意識に眉をしかめる。


「とっくの昔にデビューしてる作家が言う台詞とは思えないわね。プロ失格よ?」
「そうかもしれません」
 そこで微かに笑った気配を伝えてきた清人に、真澄が素朴な疑問をぶつけた。


「それに……、どうして私が清人君の本を読んでいると思うの?」
(まさか本を購入し続けているのを、玲二がバラしたわけじゃ無いでしょうね?)
 ある可能性を考えて居心地悪そうに少し真澄が身じろぎすると、清人は真澄を抱き締める腕に若干力を込めながら口を開いた。


「本に入れてある感想カードを、毎回書いて出版社宛てに送ってくれているでしょう?」
(ああ、なんだ、そっちの方ね。確かに書き送ってはいるけど)
 清人の言葉に一瞬安堵したものの、真澄は更に頭の中に浮かんだ疑問を口にした。


「だから、どうしてそれが私が書いたって分かるのよ?」
「真澄さんが書いた物に、毎回俺が目を通してますから」
「でも……」
(私、いつも名前は書かないで出してるのに)
 そんな真澄の戸惑いを読み取った様に、清人が冷静に話を続けた。


「真澄さんは、いつも無記名で出してますよね?」
「だったら尚更、どうして私が書いた物だって分かるのよ。矛盾してない?」
 呆れて指摘した真澄だったが、清人は平然と言い切った。
「分かりますよ。真澄さんが書いた物を、俺が見間違える筈ありません」
 それを聞いた真澄は、今度こそ呆れ返った声を出した。


「何なの? その変な自信」
「綺麗に整っていて読みやすくて、結構きつい事を遠慮無く書いてありますが、どんなくだらない作品でも最後は必ず良い所を書いてくれてます」
 淡々と説明を加える清人に内心たじろぎながらも、真澄は当然の反論をしてみせた。


「そんな風に書く人は、世間に何人も居るんじゃない? 東野薫には熱烈なファンが多いもの。職場でも何人か知ってるわよ?」
「確かに居るかもしれませんが……、あれは全部真澄さんが書いた物です。何だったら自分の目で見て、確認してみますか?」
「見てって……」
 問い掛けの言葉に真澄が当惑した声を出すと、ここで清人が予想外の事を告げた。


「各出版社に届いた感想カードやファンレターの類は全て貰って目を通しているんですが、真澄さんの物だけは個別にファイリングしてますから、見ようと思えばすぐに見られますよ?」
(ちょっと、まさか本気じゃ無いわよね? それに万が一、本当に私のだけ選んでたりしたら、相当恥ずかしいんだけど)
 内心で激しく動揺しながら、次に何て言い返せば分からなかった真澄が固まっていると、その場に沈黙が満ちた。すると少ししてから、徐に清人が声を掛けてくる。


「そうだな……、真澄さん」
「な、何?」
 一体何を言われるのかと精神的に身構えた真澄に、清人が顔を見ないまま静かに話を続けた。
「ファイルしてある物が、もし俺が言った通り全部真澄さんが書いた物だったら、何かご褒美をくれますか?」
「ご褒美って……、何が欲しいの?」
 当惑して真澄が尋ね返すと、清人は一瞬何か言いかけてから、彼女の背中で小さく息を吐いた。そして何事も無かったかの様に囁く。


「いえ、ちょっと言ってみただけです。別に欲しい物は無いので、今のは聞かなかった事にして下さい」
「どうして? そんなに物欲が無いわけでも無いでしょう?」
 幾分茶化す様な口調で言われた為、清人も笑いを含んだ声で答えた。


「大抵のものは、努力すれば自分で手に入れられますし、今までもそうしてきました。だから他人から貰わなければいけない様な物は、何も有りません」
「正直ね」
「何がです?」
 間髪を入れず真澄が返してきた言葉に対し、(皮肉か?)と清人が怪訝な表情で問いを発した。それに真澄が真面目くさって答える。


「『大抵のものは』って、幾ら努力しても手に入らない物がある事を、負け惜しみとかじゃなく素直に認めてるじゃない」
 それを聞いた清人は(そういう意味か)と、深い溜め息を吐いた。


「さっき真澄さんが言ったんですよ? 俺が『大人になった』って。現実は現実として、受け入れられる様になったと言うだけの事です。いつまでも子供でいられるわけ無いんですから」
「じゃあ子供の頃は、欲しい物がもっと有ったの?」
「……ええ」
(忘れたふりや、意識的に考えない様にしていても、そうそう消せるものでは無いな。俺が望んでいたのはただ一つ、ずっとこの人の傍に、一番近くに居たいと思っていた事だったから……)


 清人が答えるまでに躊躇った様に若干間が空いたのと、自分の身体に回している腕の力が僅かに強くなった気がしたが、真澄はそれらの事については特に言及しなかった。その代わり、自分も清人の背中に両手を回し、腰の辺りで軽く握り合わせる。
 清人がその感覚を捉えたのか、ピクリと身じろぎした。しかし変わらず無言を貫いた為、些か皮肉っぽく真澄が話を続けた。


「清人君にとって『大人になる』事は、『諦めが良くなる』事と同義語みたいね」
「真澄さんがそう思うなら、そうなんでしょう」
「……つまらない男」
 本当に心の底からつまらなさそうに言われてしまった為、清人は思わず失笑した。


「酷い言われようですね。ところで、そんなに呆れたのは俺の人生についてですか? それとも俺自身についてですか?」
「勿論両方よ。決まってるでしょ?」
 情け容赦なく断言した真澄に、思わず清人の笑みが深くなる。
「そんな風に、遠慮無く断言する真澄さんが好きですよ」
「ありがとう」
 真澄が小さく肩を竦めながら素っ気なく言ったところで二人とも無言になった。しかし清人は真澄を抱き締めたまま動こうとはしなかったし、真澄も清人の背後に回した手を解かなかった。
 そして少しの間そのまま様子を窺ってから、徐に真澄が口を開く。


「ところで、清人君」
「何でしょうか?」
「色々話しているうちにお茶が冷めちゃったわ」
「……そうですね」
「だから今度はダージリンをお願い」
 依然として抱き合ったまま、すこぶる冷静に次の茶葉を指定してきた真澄に、清人は幾分名残惜しそうに、しかし小さく笑いながら腕を離した。それとほぼ同時に真澄も組んでいた手を解く。
 そしてゆっくり立ち上がった清人は、真澄を見下ろしながらいつも通り優しく笑いかけた。


「分かりました。少し待っていて下さい」
「美味しいのをお願い」
「相変わらず厳しいですね」
 そう言って笑顔を深くした清人が台所に姿を消すと、それを確認した真澄は無言で立ち上がり、壁際のリビングボードに近付いた。


 そこには電話と並んでキーボックスが備え付けてあり、その傍らに普段清人が持ち歩いている手帳や万年筆が、所定の位置に纏めて置かれていた。更にその横に家族写真が入ったフォトフレームが飾られていたが、真澄はそれから不自然に視線を逸らしつつ、清人の手帳に手を伸ばす。
 僅かに躊躇う素振りを見せた真澄だったが、慎重にその表紙を開くと、フォトフレームに入っている物と全く同じ写真が、カバーの折り返し部分に挟まれているのを認めた。


 真澄は変わらず無言のまま、反対側を上にして裏表紙部分を捲る。すると何年も前にこっそり見た時と同じく、カバーの折り返し部分には笑顔の清人と香澄が二人で写っている写真が目に入ってきた。
「やっぱりね。笑っちゃうわ」
 それを何秒か眺めてから真澄は手帳を閉じ、表に返して元通りに戻した。そして台所に居る清人に聞こえない程度の声で毒吐く。


「どこが諦めが良くなったって言うのよ。相変わらずの癖に……。本当に頭は良いのに、叔母様に関する事だけ物分かりが悪くて、素直じゃなくて、とことん馬鹿なんだから」
 そんな事を口にしてから何かに気が付いた様に、真澄は一人、自嘲気味に笑った。


「あれは死ぬまで治らないわね。まあ、馬鹿なのはお互い様だから、私もそうでしょうけど」
 苦笑いをしながら小さく首を振って真澄がソファーに戻ると、タイミング良く両手でトレーを持った清人が戻って来た。


「真澄さん、お待たせしました」
「ありがとう」
 そうしてお互いに何事も無かったかの様に、向かい合って二杯目の紅茶を飲み始めたが、ここで清人がさり気なく尋ねてきた。


「真澄さん、今日も車で来たんですか?」
「ええ、柴崎さんに送って貰ったわ。帰りが何時になるか分からなかったから、迎えの時間は決めて無かったけど」
「それなら帰りは俺が車で送って行きますよ?」
 その台詞に、真澄はカップを持ち上げる手の動きを止め、意表を突かれた様に清人を見やった。


「構わないの?」
「ええ。今日は暇ですし」
 飄々とそう言ってのけた清人に、真澄は思わず笑いを堪えながら、少し意地悪く指摘してみる。
「あら、今日は多忙だからって、どこぞの誘いを断ったくせに」
「……つまらない事を蒸し返さないで下さい」
 途端に憮然とした顔になった清人に、とうとう真澄は小さく噴き出した。


「ごめんなさい。じゃあお言葉に甘えて、送って貰って良いかしら?」
「ええ、構いません。遠慮しないで下さい」
「じゃあ美味しいお茶をご馳走になったし、家でもお茶を一杯飲んでいかない? 良いお茶が有るのよ。これも良いけど、知り合いから貰った珍しいブレンドで、結構美味しいのよ?」
「それは……」
 笑いながらさり気なく真澄が口にした内容に、反応が一瞬遅れたものの、清人は直前の笑顔を崩さないまま応じた。


「残念ですが、もう少ししてから行って帰ってだと、それだけで清香が帰ってくる時間になるかもしれませんから。お茶は頂かずに門の所で失礼します。夕食は俺が作る事にしていますし」
 それを聞いた真澄も、内心はどうあれ、傍目には笑顔のままで鷹揚に頷く。


「そうね、じゃあ門の所までお願い。もう少ししたら帰る事にするわ。清香ちゃんに宜しく伝えてね?」
「分かりました」
「そう言えば『晩秋の雲』を読んだけど、私、あれで部下に文句を言われたの」
「どうしてですか?」
 僅かに責める口調で話題を変えた真澄に、思わず清人が心配そうに尋ね返した。それに真澄が真顔で問い返す。


「だってあれ、どう見ても清人君と清香ちゃんと聡君がモデルでしょう?」
「はあ……、確かにそうですが。それが何か?」
「実状を知っている身としては失笑物でしかないから、休憩時間に自分の机で笑いながら読んでたら、部下の女の子に『そんなに面白いんですか? 本の題名を教えて下さい』って言われたから貸したの。そうしたら返して貰った時、『課長! 私、涙が止まらなかったのに、あんな感動作で笑うなんてあんまりです!』って怒られたのよ」
「それは申し訳ありませんでした」
 憮然とした顔で肩を竦めた真澄に、清人は苦笑いしながら小さく頭を下げた。


 それから暫く、いつも通りの笑顔でそんな当たり障りの無い世間話をしていた二人だったが、その心の奥底では呼び起された色々な感情が、静かに密かに渦巻いていた。



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