夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

第24話 某作家の多忙な一日(5)

「あんな強面の親父、普通だったら怯えるか敬遠するのに、俺の家に来始めた当初から彼女はあっさり父に懐いてたんです」
 きっぱり断言した清人に、翠が呆れ果てたと言わんばかりに言い返した。
「清人君、自分の父親に対して何て言い草よ。それにあの真澄が、多少顔が怖い位で怖じ気づくものですか!」
「それに……、電話がかかってきたんです」
「はあ? そりゃあ、行き来があるんだから電話位するでしょう?」
 段々思い詰めた口調で告げてくる清人に、翠が怪訝な表情を見せた。すると相手を真正面から見据えながら、清人が真剣な表情で話を続ける。


「父は小さな洋食レストランをやっていたので、平日の午後はずっとランチタイムやその片付け、夕方からの分の仕込み等で店に居たんです。真澄さんは香澄さんや俺に内緒で親父と話がしたかったから、その時間帯に自宅ではなく店の方に電話を掛けてたんですよ。親父は携帯は持たない主義でしたので」
 若干俯き加減に語った清人に、翠は眉を寄せて問い質した。


「どうしてそれを清人君が知ってるの? お父さんから聞いたわけ?」
「いえ……、俺が高校二年の時、偶々早く下校した日に、親父に頼まれた物を店に届けに行ったら、店の電話が鳴ったので『はい、楓亭ですが』と出たら、『間違えました、申し訳ありません!』ともの凄く慌てた様子で切られたんです。あれは真澄さんでした」
 力を込めて断言した清人だったが、周囲の人間は何とも言えない顔を見合わせた。そして全員を代表して、翠がすこぶる冷静に指摘する。


「ちょっと待って。妙に確信してるみたいだけど、話を聞く限りでは名乗ったわけじゃ無いのよね?」
「ええ、そうです」
「それなのにどうして真澄からの電話って分かるわけ? 似た声の人が、単なる間違い電話を掛けてきた可能性は?」
 しかし清人はそんな指摘にも自説を撤回する事無く、真顔で翠に告げた。
「あの声は絶対に真澄さんの声です。どんな喧騒の中でも、俺が真澄さんの声を聞き分けられない筈がありません」
「……それは凄いわね」
 半ば匙を投げた感じで翠が頷いてみせると、他の面々も(あまりそうは見えないが、こいつ、絶対に酔ってるよな?)と密かに目線を交わし合った。その目の前で清人の訴えが更に続く。


「その後、真澄さんが家に来る事になった日、俺が用事を済ませて予定より先に帰ると、真澄さんが親父から何か貰ってました。静かに入ったので、二人とも俺が居るのに気が付かないで話してて、そこをこっそり覗いたんですが……」
 そこで苛立たしげに言葉を区切った清人に、翠は多少好奇心を刺激されて尋ねてみた。


「一体何を貰ってたの?」
「そこまでは見えなかったですが、真澄さんが『一生大事にしますね!』ってもの凄く嬉しそうに笑ってて……。親父が『こんな物で良かったらいつでもあげるから、遠慮無く言いなさい』とか言いながら真澄さんの頭を撫でてました」
「何かしらね? そんなに真澄が喜ぶ物なんて」
 そこで翠を含めた全員が色々想像しかけたが、清人がすかさず釘を刺す。


「断っておきますが、当時の家計状況から考えて親父が高価な物を渡した筈は無いですし、親父は真澄さんを可愛がってはいましたが、それはあくまで香澄さんの姪だからで、彼女に対して変な恋愛感情とかは皆無でしたから」
「あ、あら、そんな変な誤解はしてないわよ?」
 軽く睨まれた翠が引き攣った笑みを返すと、清人は溜め息を吐いて続けた。


「だからそれは、どんな取るに足らない物だったとしても、真澄さんにしてみれば好きな相手から貰った物だったから、嬉しかったんですよ」
「それで? そんなやり取りを見て、どういう事なのか二人に直接聞かなかったわけ?」
 翠にしてみれば当然の疑問だったのだが、何故か清人は翠から視線を逸らしつつボソボソと呟いた。


「それからこっそり家を出て、予定した時刻に再度入ったら、何食わぬ顔で出迎えてくれました。後日、さり気なく親父に、何か真澄さんに渡した物とかあるかと尋ねてみましたが、そんな物は無いがとあっさり否定されてそれきりです」
 清人がそう語ると、翠のこめかみに青筋が浮かんだ。
「あんたね……、煮え切らないのもいい加減にしなさいよ? はっきりきっぱり本人に聞けば良いでしょうが!?」
 しかしそんな翠の叱責など耳に入っていない様子で、清人は独り言を続けた。


「後から聞いたら、香澄さんは真澄さんに留守番を頼んで妹と近所まで買い物に出掛けてたそうで、家の中に二人きりになったので安心して受け渡ししてたんです。あれほど来る時間を教えて下さいと言ってたのに、わざわざ時間を遅らせて伝えておくなんて、そんなに俺が邪魔だったのか……」
 そう言って無意識に歯軋りした清人に、若干怖じ気づきつつも、翠は気丈に問い掛けた。


「清人君。真澄があなたのお父さんが好きだって言う根拠はそれだけ?」
「他にも幾つか気になった事はありますが、最大の理由は親父と香澄さんが一緒に事故死した時に、告別式で号泣した事です」
「号泣って……、あの真澄が?」
 本気で驚いた表情を見せた翠に、清人は真顔で頷いた。


「普段冷静な真澄さんがあの時は泣き通しで、周りがこぞって心配した位でした。俺以外の皆は、香澄さんと姉妹の様に仲が良かったからだと納得してた様ですが」
「えっと……、本当に仲が良い叔母さんが亡くなって、悲しかったんじゃないの?」
 一番あり得そうな理由を口にした翠に、清人は溜め息を吐いてからきっぱりと言い切った。


「確かにそうだったかもしれませんが、絶対それだけではありません」
「だから、そう言い切る根拠は何?」
「俺の勘です」
「ああ、そう……」
 もはや(処置無し……)と呆れた表情をその顔に浮かべた翠が、座卓を囲んでいる夫や同僚達にチラリと目を向けると、彼らも同様の表情を浮かべているのを認めた。
 そこで居住まいを正してから、改めて清人に声をかける。


「清人君、今まで真澄とお父さんとか支社長とかに関わる話を聞かせて貰ったけど、要するに清人君は二人に嫉妬してるのよね? って事は清人君は真澄の事をずっと前から好きなのよね? この期に及んで誤魔化そうとしたら許さないわよ?」
 そう一気に畳み掛けると、清人が一見冷静に口を開いた。
「翠先輩、他の人間には絶対口外しないでくれますか?」
 その問い掛けに(ここに他人が居るんだけど)と至近距離に居る他の面々が心の中で突っ込んだが、翠は皆を目線で黙らせ、清人に愛想笑いで応じた。


「勿論よ。秘書なんて口が固くなくちゃ務まらないんだから。いわば機密保持のプロよ? この際、洗いざらい吐き出しちゃいなさい」
 そう促された清人は、若干考える素振りをみせながら再度念を押す。


「鹿角先輩に聞かれても、黙っていてくれますか?」
「安心して。幾ら達也さんに聞かれても、しらばっくれてあげるから!」
 そう言って胸を張った翠に、他の面々は(だから横で本人が聞いてるし……)と呆れたが、清人は幾分表情を緩めて話し始めた。


「分かりました。もしこの話を内緒にしていた事で鹿角先輩と揉めてしまったら、腕の良い弁護士を雇って慰謝料を分捕って協議離婚に持ち込んだ上、先輩より顔も稼ぎも良い再婚相手を紹介しますから安心して下さい」
「あら、ありがとう」
「おいっ! 清人、てめ、むぐっ……」
 さすがに腰を浮かして怒鳴りつけようとした達也だったが、左右から晃司と雅文に腕を取られて元の様に座らせられ、裕子に口にお絞りを押し付けられて発言を封じられた。そんな小さな騒ぎなど耳にしてもいない様子で、清人が真顔で翠に語り掛ける。


「実は……、この手の類の事は、これまで妹にも浩一にも話した事は無かったんです。話した瞬間、真澄さんに筒抜けになりますし」
「うんうん、そうよね~。それで?」
 見る者が見ればそれは悪魔の微笑みだったのだが、理性やら平常心やらをどこかに置き忘れてしまったらしいその時の清人は、常にはしない行動に出た。つまり、「ええ、先輩の仰る通り、俺は真澄さんの事が好きです」と淡々と言ってのけたのである。
 いつもとは異なるその反応に、当然周囲は色めき立ったが、一気に瞳を輝かせたギャラリーを無言の睨みで抑え、翠は笑顔で清人に話しかけた。


「やっぱりねぇ、そうじゃないかと思ってたのよ。因みに、これまで散々聞かされて来た、あなた曰わく『俺の天使』で『超絶に可愛らしい』妹さんと真澄を比べると、どちらがより好きなのか教えてくれる?」
 半ば笑いながら、清人が真剣に迷う姿を見たいと思って意地悪く問い掛けた翠だったが、次の瞬間質問した事を激しく後悔した。


「真澄さんです。妹の清香は俺の天使ですが、真澄さんは出会った時から俺の女神ですから」
「……ごめん、変な事を聞いたわ」
「気にしないで下さい。余人に俺の考えがそうそう理解出来るとは思えません」
「………………」
 臆面も無く言い切られて、翠は思わず会話を続ける気力を無くし、目の前の畳に両手を付いて項垂れた。そんな二人の様子を見て、他の面々が囁き合う。


「おい、聞いたか? 女神だとよ」
「完璧に酔ってんな~、こいつ」
「これを妹さんが聞いたら、下手したらグレそう」
「こんなのまともに聞いていられるか。安酒を飲んだら悪酔いしそうだから、とっておきの奴を持って来るぞ」
 そう言い捨てて憮然とした表情で立ち上がり、台所に向かった達也だったが、何故かすぐに空の四合瓶を手にして戻り、清人に向かって絶叫した。


「清人! お前って奴は! さっき冷蔵庫にビールを取りに行った時、俺の《氷結山》純米大吟醸を全部飲みやがったな!?」
 仁王立ちになった達也が憤怒の形相で怒鳴りつけると、他の面々は驚いて清人に目を向け、当の本人は涼しい顔で達也を見上げ、小さく頭を下げた。
「はい、大変美味しく頂きました」
「一気飲みしやがったくせに、何が『美味しく』だ馬鹿野郎! 俺が封を切らずに大事に取っておいた、《氷結山》税込4985円を今すぐ返しやがれっ!」
「それで、俺がいつからどれだけ真澄さんの事が好きかと言うと……」
「無視かよ!?」
 頭を下げた直後、何事も無かったかの様に翠に向き直り話を続行させた清人に、達也は怒り心頭に発して吠えた。それを先ほど同様、晃司達が宥めつつ押さえ込む。


「まあまあ、落ち着けって、達也」
「この機会を逃すと、清人君の恋バナなんて聞けないわよ?」
「ここはグッと堪えて聞こうぜ? 酒は後から清人の奴には倍返しさせれば良いし。なっ!」
「……分かった」
 かなりの不満を残しながらもしぶしぶ達也も腰を下ろし、残っていたビールに手を伸ばして、清人と翠のやり取りの傍観者を決め込む事にした。


「そうなんだ~。真澄の家にお父さんと乗り込んだ時、出会ったわけね」
「はい、会長や社長三兄弟に袋叩きにされて、親父は全身打撲と肋骨骨折で全治二カ月、俺は左腕を折られました。その時会長を殴り倒して、助けてくれたのが真澄さんです」
「…………」
 清人が淡々と真澄との初対面の時の状況説明をすると、あまりの内容に他の面々は顔を強ばらせて固まった。裕子は箸を取り落とし、雅文はビールを零しそうになったが、翠は取り敢えず気を取り直して話を進める。


「随分ハードな出会い方をしてたのね。ある意味、劇的と言えば劇的かもしれないけど……。その時優しくして貰ったから、好きになったわけ?」
 その問い掛けに、清人が僅かに考え込んだ。
「それもありますが、立ち姿が凛としていて、会長を殴り倒した後の後ろ姿が素敵でした」
「……へえ、そう」
「その時『こんな所にのこのこ付いて来るなんて考え無しだ』とか『男なら受け身位取ってかわしなさい』とか叱責されて、その一件の後、もし万が一また会える事が有った時叱責されたく無かったので、強くなる為に道場に通って一生懸命頑張りました。今の俺が有るのは、真澄さんのおかげです」
 きっぱりと言い切った清人だったが、翠を含めたその他全員は(怪我人に容赦無さ過ぎ……)と当時の清人に同情した。続けて現在の清人にも同情する。


「真澄に言われて努力したって、それ……、当の真澄は知ってるの?」
「知らないと思いますよ? それから香澄さんは実家と絶縁して、再会まで四年以上経過してましたし。でも再会直後に俺に喧嘩をふっかけてきた彼女の従兄弟達を、問答無用で殴って蹴って踏みつけたのを見た時には、全然変わってなくて嬉しくなりました」
 そう言って当時を懐かしむ様に表情を和らげた清人に、翠が常識的な突っ込みを入れた。


「清人君……、殴る蹴るの話で和むのは間違ってない?」
「ですが、これが俺の偽らざる本音なので。浩一が平手打ちされて地面に転がった時は、一瞬俺もあの手で殴られてみたいと思いましたし」
 そこで頬杖を付きつつ話を聞いていた達也が、肘を座卓上で横に滑らせて器に顔を突っ込み、裕子がグラスを取り損ねてビールを零した。それを横目で見ながら、翠が引き攣った笑みを浮かべる。


「あ、あのね? 清人君」
「断っておきますが、殴られて喜ぶ趣味は俺にはありません。俺を殴って良いのは、後にも先にも真澄さん唯一人です」
「そうでしょうね、良かったわ」
(ふっ……、もうどうにでもなれ、だわ)
 どこまでとんでもない話になるのか想像が付かないまま、翠は諦めの境地で清人が話し続ける内容に耳を傾けた。


「再会しても香澄さんは実家と和解する気はサラサラ無かったので、主に子供同士で遊ぶ事が多くて。でも他の皆は遊び慣れてる事が俺にとっては初体験な事が多くて、真澄さんの前で無様な姿を晒さない様に必死でした」
「例えばどんな事?」
「スキーやスケート、サーフィンにダーツやテニス、ビリヤードにボーリングとかです。開始三十分で何とかモノにしました」
「……どの程度モノにしたのか、怖くて聞けないわね」
 列挙された内容の事を学生時代に清人と一緒にした経験があり、その腕前は把握していた翠が呻いた。それには構わず、清人が冷静に続ける。


「真澄さんは良い家のお嬢さんですが、偉ぶった所は無いし周囲の心配りとかを欠かさない女性です。それは翠先輩だってご存知でしょう?」
「勿論分かってるわよ? そうでなかったら長年友人付き合いなんてしてないし」
 問われた翠が真顔で同意を示すと、清人は自分が誉められた様に嬉しそうに笑った。
「そうですよね。普段は控え目で、滅多に周囲に我が儘を言いませんし。言ったとしても、相手が出来る範囲内の可愛いものです」
「そうねぇ、確かに真澄が無理難題を口にしたって記憶は皆無だわ。大抵の事は自分で解決するし」
 記憶を振り返りつつ頷いた翠に、清人は真剣な表情で言葉を継いだ。


「だから真澄さんに『清人君、お願い』と言われた事は、他人から見て多少無茶な事でも全てこなしてきました。弟や他の従兄弟達では無く、俺の力量を判断した上で頼ってくれたんですから。真澄さんを失望させる訳にはいきません」
 力強く言い切る清人に、翠は何気なく尋ねてみた。
「多少無理って、例えばどんな事?」
「そうですね、例えば……、地上十メートル位の高さの枝に引っかかった風船を取るとか、複数のヤクザっぽい連中に絡まれた従兄弟達を助けるとか、海の中に落としたブレスレットを探すとか、食べきると無料になるジャンボパフェを食べるとか」
「清人君、それ、普通無理だから」
「そうですか?」
 頭痛を覚えた翠が思わず清人の台詞を遮って指摘したが、清人は不思議そうに見返したのみだった。そして思い出した様に付け加える。


「普通の人にできても、真澄さんには無理って事も有りましたね。真澄さんの家には使用人の方が何人も居ますから、家事は殆どできませんから」
「ああ、それは確かにね」
「皆でピクニックに行った時、俺が山ほど弁当を作って行ったら『清人君のお弁当は家のシェフの物より美味しい』って手放しで誉めてくれましたし、家に来たとき服にジュースを零して染みになった時、預かって染み抜きをして返したら『跡形も無いわ。凄い、魔法みたい』と感動してくれました」
「なるほどね」
 半ば呆れつつ相槌を打っていた翠だったが、清人が尚も嬉しそうに話を続けた。


「真澄さんの高三の夏休みに課題として出された浴衣も、俺が縫って真澄さんに渡しましたし」
「ちょっと待って。どうして真澄の課題を、清人君が代わりに引き受けるわけ?」
 流石に道義上聞き流せない内容を耳にした翠が、幾分表情を険しくして清人に問いただしたが、清人は翠以上に険しい顔で訴え始めた。


「本当に非常識にも程がありますよ! 幾ら良妻賢母教育を売りにしている名門女子校だからって、受験の追い込み激しい高三の夏休みに、浴衣を縫えだなんて! 第一、針で指を刺した所から化膿でもしたらどうしてくれるんですか!?」
「そう言われても……、エスカレーター式の女子大に進学する他は、受験生なんて数える程しか居なさそうだもの。それに化膿とかは」
 清人の剣幕に驚いて幾分体を後ろに引いた翠に向かって、清人が真剣に言い募る。


「それにしたって人数が少ないなら余計に、そういう生徒に配慮してくれても良いのでは? 真澄さんが『予備校の講習に通ったり予習復習で時間が取れないから、潔く諦めて不提出でE判定を貰うわ』って笑って言ったので、浴衣の生地と教科書を送って貰って縫ったんです。俺の真澄さんにE判定を取らせるなんて、真澄さんが納得したとしても俺が我慢できません!」
「ふぅん……、頑張ったわね~、エライエライ」
 思わず棒読み口調になってしまった翠には構わず、清人は当時の事を思い出しながら小さく笑った。


「その後『清人君のお陰でA判定だったの』と喜んで貰えましたし、翌年の夏はそれを着て家に遊びに来てくれました。……とても似合っていて、素敵でした」
 既に酒を飲むのを止めて、用意しておいたご飯と味噌汁で黙々と食べていた面々は、そこまで聞いて深い溜め息を吐いた。


(そこで、一人で頬を染めて照れるなよ……)
(年下男子高校生に課題丸投げ……。お前には女としてのプライドは無いのか、柏木)
(あの名門女子校でA判定って、どんだけ凄いのを作ったんだよ)
(威嚇するドーベルマンから、尻尾揺らしてる柴犬に見えてきたわ)
 もはや何を言うのも馬鹿馬鹿しくなった面々の前で、延々と清人が真澄にして来た事を語り続けた。


「……こんな風に色々してきたんです」
「凄いわね。その勢いで、これまで散々真澄に貢いで来たわけ?」
 一区切り付けた清人に、翠が皮肉っぽく、些か突き放す様に尋ねると、予想に反して清人は首を振った。
「いえ、実はこれまで真澄さんに、プレゼントらしいプレゼントを渡した事はありません」
「はあ? どうして?」
 本気で驚いてみせた翠に、清人は真顔で理由を述べた。


「真澄さんの家はさっきも言った様に相当な資産家ですから、大抵の物は持っています。加えて真澄さん自身物欲があまり無い人なので、プレゼントしたら取り敢えず笑って受け取ってくれるとは思いますが、陰でこっそり捨てられたり、迷惑に思われたりしたら堪えられません」
「そうよね。親との仲を疑っても、問い詰められないチキンだったわね、清人君って」
 清人が真剣に理由を説明すると、翠は遠い目をしながら呟いた。それを半ば無視して清人が話を続ける。


「ああ、でも今年の真澄さんの誕生日には、欲しがってた作家の絵を贈る事にしたんです。あれなら絶対喜んでくれる筈ですから」
 そこで満面の笑みを清人が浮かべた為、翠は思わず尋ねてみた。
「へぇ、良かったわね。因みに誰の作品?」
「来生隆也の作品です。国内であまり出回ってなくて、納得できる作品を探していたら、最近良い出物がありまして。四百万強で購入しました」
 そう言って変わらずニコニコ笑っている清人から、他の面々は静かに視線を逸らした。


(馬鹿決定だ、こいつ)
(何だか柏木が、年下男を弄ぶ稀代の悪女に思えて来た)
(その金、マンション購入の頭金に無利子で貸してくれ)
(真澄、もうちょっと清人君に気を配ってあげても……)
 そこでその場全員を代表して、翠が疲れた表情で問い掛けた。


「清人君、真澄の事を好きなのは良く分かったし、清人君が真澄に対してどんな事をして来たのかも随分聞かせて貰ったけど……、それならどうして真澄に告白して付き合ったりしないで、他の女性をとっかえひっかえしてるわけ?」
 そう言われて、清人は流石にたじろいだ様子を見せたが、すぐにその理由を口にした。
「真澄さんは……、俺の事を義理の従兄弟、良くて弟みたいにしか思ってませんよ。さっきも言った様に親父の系統が好みですから、親父が死んだ九年前以降、目に見えて家を尋ねてくる回数も減りましたし……」
 ボソボソと告げられた内容に、翠は思わず考え込みながら指摘した。


「その時期って、入社して三年目よね? 仕事がぐっと忙しくなる頃だから仕方が無いんじゃない?」
「それに……、会長は元々俺達親子に対して良い感情を持っていなかったんですが、父と真澄さんが事故死した時に『あんなろくでなしに騙されたせいで、貧乏暮らしの末に早死にさせられたわ!』と激昂して」
「ちょっと待って。会長が清人君に面と向かってそんな事を言ったの?」
 聞き捨てならない台詞に翠が驚いて問いただすと、清人は淡々と続けた。


「いえ、通夜に出向いた時に停めた車の中で取り乱して、思わず喚いてしまったみたいです。ですが偶々そこを通りかかった近所の人が耳にして、親父が結婚する前に嫌がらせを受けた事も知ってましたから、『例の香澄さんの身内らしい人が、葬式をぶち壊してやるとか喚いてた』と血相を変えて俺に報告してくれまして」
「それで、どうなったの?」
 思わず心配になって尋ねた翠に、清人はただ小さく肩を竦めた。


「会長の立場としては無理の無い言葉とは思って聞かなかった事にして、近所の人達には『偶々虫の居所が悪かっただけだろうし、そんな非常識な事はしませんよ』と説明しましたが、通夜と翌日の告別式では『葬儀をぶち壊そうと考える輩なんか許せないわ!』と近所の奥様方達が、物々しい雰囲気で警戒に当たって下さいました」
「大変だったのね……」
 しみじみと述べた清人に対し、翠が心から同情する声を出した。すると色々振り切る様に、清人が話題を元に戻す。


「そういういきさつがあった俺が真澄さんに言い寄ったりしたら、会長が激怒するに決まってます。俺はそれでも構わないと思ってますが、真澄さんは基本的に家族思いですから、間に挟まれたら可哀想です。香澄さんの事もありますから、やっぱり家族に祝福して貰う結婚をして貰いたいですし。それに」
「悪いけど、要は、真澄にきっぱりざっくり振られるのが怖くて、それらしい御託を並べてる様にしか、聞こえないんだけど?」
 言葉を並べる清人の台詞を翠が鋭くぶった切ると、清人は如何にも気分を害した様に相手を睨みつけた。


「意外にきつい性格をしてたんですね、翠先輩」
 その睨みにも怯むことなく、翠が言い募る。
「はっ! 悪いけどチキン野郎に睨まれても、怖くも何ともないわね。それで? 大方真澄の代わりになる女を求めて、あっちにふらふらこっちにふらふらってとこでしょう? その挙げ句、どれも違うってあっさり別れてばかりで。真澄といままであんたが付き合って来た女性達全員、双方に失礼だと思わないの!?」
「自分で積極的に口説いた覚えは無いです……」
 翠から視線を逸らしながら弁解がましく清人が呟くと、翠が傍らにあったお盆に腕を伸ばして取り上げ、清人の頭を力一杯それで殴りつけた。
 そしてガコンという間抜けな音と共に、清人の抗議の声が上がる。


「って! 何するんですか!?」
「そんな事が言い訳になるかっ! ぶち当たって玉砕する勇気も無いヘタレ野郎に、跨がせる敷居は無いわよっ! 達也さん、この馬鹿さっさと叩き出して!!」
 これまで我慢強く諸々を聞いていた翠だったが、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしく、憤怒の形相で一喝した。それに思わず溜息を吐いて、達也が取り成そうとする。


「翠、あのな……」
「ぐずぐずしてるとそのヘタレと纏めて叩き出すわよ? 慰謝料と陽菜の養育費は、給料天引きにして貰うから宜しく」
 すこぶる冷静に妻に脅しをかけられた達也は、無言で立ち上がって移動し、清人の腕を取って立たせた。


「清人、お前、悪酔いしてるからもう帰れ」
「なんですか先輩。女房の尻に敷かれて恥ずかしくは無いんですか?」
「うだうだして未だに告白すらできないお前にだけは、言われる筋合いは無い」
 憮然としながら清人が文句を言ったが、達也は静かに言い返した。それに他の面々も声を被せる。


「おい、今タクシー呼んだから。五分ぐらいで来るとさ、下で待ってろ」
「ほら、鞄持って。今日はさっさと休めよ?」
「はい、ジャケット羽織って。暫くお酒は控えた方が良いわね。気を付けてね~」
 清人はそんな生温かい目に見送られ、半ば達也に強引に連行されて鹿角邸を後にした。
 そして清人が居なくなった後で、一同がうんざりした表情で密談を始める。


「どうするよ? 今の話」
「どうもこうも、うっかり口滑らしたら即制裁ものだろ? あの様子だと、絶対本人喋った事覚えてないぜ?」
「そうよね……、今まで頑として口を割らなかったんだし。面白半分で真澄にチクったりできないわ」
「怖い事考えないでよ!」
「取り敢えず、秘密にしておくしかないよな?」
「そうだよな、取り敢えず本人が動かないと、フォローのしようがないし」
 そうして柏木会の面々は、陰鬱そうな顔を見合わせて深い溜息を吐いたのだった。



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