夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

第19話 秋の始まり

 無事羽田に到着した一行が手荷物を受け取り、一階の到着ロビーに抜けると、真澄が思い出した様に一歩前を歩いていた清人に声をかけた。
「清人君、ペーパーウェイトをありがとう。早速職場で使わせて貰うわね」
 そう言われて、振り返った清人が一瞬驚いた表情を見せてから、僅かに顔を綻ばせる。


「ああ、もう中を見てくれたんですか」
「ええ、スーツケースに詰める前にね」
「気に入って貰えたなら良かったです」
「でもあれは、別に遠慮して買わなかったわけじゃ無いんだけど?」
 含み笑いで言った真澄に対し、清人も僅かに皮肉っぽく笑いながら言い返す。


「それなら重過ぎて、持ち歩きたくなかったからですか? 以前プリザーブドフラワーを重くて持てないとか言ってましたし、言ってくれれば喜んで荷物持ち位しましたが」
「あら……、意外に根に持つタイプだったのね?」
「万事において目端の利く、真澄さんが知らなかったとは意外です」
 一見和やかにそんな会話を交わしている二人を、少し離れた所に集まって見やっていたその他の面々は、溜め息を吐きつつコソコソと意見を述べ合っていた。


「何かさ、本当に自然なんだよな~」
「確かに仲が良いって言えば良いんだけど……」
「聡君が直撃しても、微塵も動揺しなかったらしいし……」
 そこで大方の人間が難しい顔で考え込んだが、このバカンス会の発案者であった正彦が、最後も締めくくった。


「取り敢えず多方面から二人に対する情報収集はできたし、それだけで良しとするか。だけどこのまま傍観してたら、一生このままなのが確実だし、今後は二人が顔を合わせる名目をなるべく作る様にして、その都度さり気なく働きかけてみる事にするぞ」
 その意見に、特に異論を唱える者は居なかった。
「俺達にできるのはそれ位かな?」
「ああ、どちらも積極的にお互いを誘ったりしてない筈だし」
「じゃあそういう事で解散だな」
「ああ。しかし今回は色々あって、それなりに楽しめたな、久々に清香ちゃんとも遊べたし」
「約一名は命の洗濯どころか、寿命をすり減らしたかもしれないけど」
「……お気遣い無く」
 聡が盛大に顔を引き攣らせながら明良の皮肉に応じたところで、真澄が携帯を片手に弟達に呼び掛けてきた。


「浩一、柴崎さんが駐車場に到着したそうだから移動しましょう。玲二も、今日はうちに泊まるって言ってたわよね?」
「ああ、アパートまで帰るのが面倒だし」
「駐車場への連絡通路は三階だったな、じゃあ上がるか。……それじゃあ聡君、失礼するよ」
「はい、こちらこそ色々ありがとうございました」
「じゃあ清香ちゃん、またね?」
「はい」
 浩一が聡に別れを告げるのとほぼ同時に、真澄も清香に向かって手を振って来た為、二人は小さく頭を下げた。そして三人がエレベーターに向かうのを見送ってから、他の面々も動き出す。


「じゃあ俺はタクシーを使うから、ここから出るから」
「あ、俺もリムジンバスだからここで」
「じゃあ清香、地下に降りるぞ。川島さんもですよね」
「はい」
「俺も都内までご一緒して良いですか?」
 好き勝手に言い合っていた面々の声に聡の声が混ざった瞬間、その場に微妙な沈黙と緊張感が満ちた。しかし周囲から一斉に視線を向けられた清人は一瞬僅かに眉を顰めたものの、普通の調子で言葉を返す。
「……勝手にしろ」
「ありがとうございます」
 そのやり取りに清香と聡は胸を撫で下ろし、他の面々は面白がっている気配を隠そうともせず、三々五々に散って行った。


 駐車場に姉弟で移動し、待機していた迎えのリムジンに乗り込んだ真澄は、首都高で都内へと向かう車内で旅行中の話題で盛り上がっている弟達を尻目に、窓際に頬杖を突いてぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。
 大抵は味もそっけもないコンクリート製の壁が見えるのみだったが、都心に近付くに従って向こう側に見えてきた眩く光っているビル群を認めて、少しの間だけ意識下から追い出していた内容を思い返す。


(……いっその事、こっちから移動願を出そうかしら? 結婚でもしてくれたら、幾ら何でも諦められると思うのに、いつまでもフラフラしてるんだもの。そんなのを傍で見てたら、いつまでも変な期待してしまうし)
 そんな事を考えてから、真澄は昼に言われた内容を思い出した。
(確かにN.Y.に行ったら、清人君に言われた通り、気楽に帰ってくる事もできないわね……)
 そこで真澄は無意識に声を出した。


「……玲二」
「うん? 姉貴、どうかした?」
 その声に、玲二は兄との話を中断して真澄に問い掛ける。対する真澄は自分が声をかけた事に気が付いて僅かに動揺しながらも、それは面に出さずに玲二に顔を向けて静かに言葉を継いだ。


「この前、何となく家に帰りにくいとか、帰っても落ち着かないとか言ってたでしょう?」
「ああ、確かに言ったけど。それが?」
 何故今その話を蒸し返すのかと怪訝な顔をした玲二に、真澄は優しく顔を緩めながら言い聞かせた。
「自活してるのに一々干渉されたくないっていう気持ちも分かるけど、もう少しマメに顔を見せる様に努力してね? お父様とお母様が口うるさいって感じるかもしれないけど、いつまで経っても親にとって子供は子供なんだから」
「まあ、それは……、分かっているつもりだけど……」
 曖昧に頷いてみせた玲二だが、真澄はそれ以上強くは言わずに話を終わらせた。


「分かっているなら良いわ。都内在住で、帰ろうと思えば一時間以内に帰れるんだし」
「……そうだね、心掛けるよ」
 そして再び無言で窓の外に視線を向けた真澄を眺めながら、浩一と玲二は密かに物言いたげな視線を交わし合ったのだった。


「……今戻りました」
 電車とタクシーを乗り継いで聡が帰宅すると、リビングでは両親が揃って待ち構えていた。
「ああ、戻ったか」
「お帰りなさい、聡。それじゃあ食べましょうか」
 笑顔で由紀子が立ち上がると、聡は怪訝な顔をした。


「え? 二人とも夕食をまだ食べていなかったの?」
「ええ、ちょっと外出先からの帰りが遅くなったから。もうすぐ帰るって電話があったし、聡の話を聞きながら一緒に食べようと思って待っていたの。作って貰っているから、今温めるわ」
 そう言って笑顔で台所に向かった由紀子の背中を黙って見送り、聡はスーツケースを放置して無言のままドサリとソファーに体を沈めた。それを僅かに眉を寄せながら眺めた勝が、息子に探る様な視線を向ける。


「……どうした。随分疲れた顔をしているが」
「まあ、ちょっと、色々あって……」
 旅行の主旨と目的を予め両親に話してあった聡だったが、旅行中の出来事をどこからどう話せば良いかと、この期に及んで苦悩している聡だった。しかしそんな聡に、勝が追い打ちをかける。
「ああ、そう言えば、お前旅行先で、柏木真澄さんと何か険悪な状態にでもなったのか?」
「どうしてですか?」
 もの凄く嫌な予感を覚えた聡が僅かに引き攣った顔を父親に向けると、勝は無言で立ち上がり壁際の机に向かったと思ったら、何かを手にしてすぐ戻ってきた。


「今日の午後、家にこれが届いたそうだ。由紀子も首を傾げていたぞ?」
「…………」
 差し出された自分宛ての“それ”を見て、聡は思わず黙り込み、深い溜め息を吐いた。
 官製葉書のそれには、定規で線を引いた様に僅かな歪みも無く黒マジックで縁が塗られた上、
《この手紙は不幸の手紙です。直ちに同じ文面で五人の知人に出さないと、あなたに災いが降りかかります》
と滑らかで綺麗な筆跡で書かれており、どこからどう突っ込んで良いやら咄嗟に判断ができなかった為である。


(消印から見ると初日に書いてホテルから出したのか……。余程腹に据えかねたらしいが、あのメールといいこれといい、やる事が意外に可愛い上マメですよね。なかなか達筆ですし……)
 行為に対する直接的な論評を避け、無意識のうちに現実逃避を図った聡だが、目の前の父親はそんな聡の内心を見透かした様に問いを発した。


「これはどういう事か、お前には説明できるな? 最初柏木さんの名前をかたった嫌がらせかとも思ったんだが、これまでにうちと彼女との接点は皆無だったから、全く意味が分からなくてな」
 言葉の端々に言い逃れや適当な誤魔化しなど通用しない厳しさを感じ取り、聡は素直に頭を下げた。


「お騒がせしてすみません。これは真澄さん本人が、俺に送りつけた物で間違いありません」
「お前、旅行先で一体何をしてきた? 清人君と彼女の仲を確認しに行ったんじゃなかったのか? 嫌がらせをされるとはどういう事だ」
「それはですね」
 ある程度予測はしていた為驚きはしなかったものの、勝は若干険しい目を向けた。それに対して聡が口を開こうとした所で、由紀子が戻ってきて声をかける。


「お待たせ。準備が出来たからまず食べましょう? 話は食べながらでも良いわよね?」
「ああ、そうだな」
 笑顔で促した由紀子に勝は素直に応じたが、ここで聡がきっぱりと断りを入れた。
「いや、詳しい話は食事が終わってからの方が良いと思う」
 その言葉に、思わず由紀子と勝は顔を見合わせる。


「……食事が不味くなる様な話か?」
「あまり美味しくは食べられないと思う」
 眉間に皺を寄せながら不機嫌に応じた勝に臆する事無く、聡は努めて冷静に告げた。その息子の様子を見て勝はそれ以上何も言わず、踵を返して食堂へと向かう。


「そうか。じゃあ詳しい話は後だ。食べながら取り敢えず支障が無い話だけすれば良い」
「そうするよ」
 そして怪訝な顔をする由紀子を促しながら、聡は食堂へと足を向けた。


 夕食が始まってからは、聡は努めて明るく清香達との旅行中、どんな所に行って何をしてきたのかを語って聞かせた。
 当初の目的であった清人と真澄に関わる話題は慎重に避けつつ、触れても当たり障りのない内容しか話さない息子に、由紀子も勝も異常を感じたものの特に口を挟まず、穏やかに微笑んで相槌を打つ事に専念する。そんな風に終始和やかに食事を終える頃には、頭の中で考えを巡らせていた聡は、比較的冷静に話す内容と段取りを決めていた。
 そしてリビングに移動して両親と向かい合わせに座った聡は、お茶を飲みながらゆっくりと本題に入った。


「結論から言うと……、旅行中の行動パターンから推察する限り、兄さんと真澄さん、双方がお互いの事を好きなんじゃないかと思う」
 そう告げた聡に由紀子は「あら、そうなの?」と嬉しそうに笑みを零し、勝は「ほう?」と興味深げな顔をした。


 続けて聡は、旅行中いかに清人がまめまめしく真澄の世話を焼いていたかに言及したが、それを聞いた勝は何とも言えない表情で黙り込み、対する由紀子は同様の事をされ慣れているせいか、(それが何か意味があるの?)とでも言いたげな怪訝な顔をした為、横に座る父の心境を思って聡はさっさと次の話題に移った。
 《くらた》で集まった時に聞いた、清人の隠し持っている物については、旅行前に両親に話して驚かれてはいたが、浩一から旅行中に聞かされた真澄の話を教えると、二人揃って感嘆の声を漏らした。


「発売される毎に二百冊購入して図書館にって……、そんな事考えつきもしなかったわ……」
「東成大入学を賭けの対象にするとは……、凄い度胸だな……」
 更に恭子から聞いた、清人が柏木物産株式の総発行数の約2%を保持している話をすると、流石に二人とも絶句した。


「あの年で、一個人で、良くもまあ揃えたものだな……」
「それもやっぱり、真澄さん絡みって事なの?」
 そんな風に経過を一通り話し終わったところで、聡が覚悟を決めて口を開いた。


「それで……、真澄さんの事で、母さんに言っておかないといけない事があるんだ」
「あら、なあに? 聡」
 急に改まった表情で告げられ、由紀子が怪訝な顔を向けると、聡は言いにくそうに話を続けた。
「実は、真澄さんは母さんの事を嫌ってるんだ」
「……え?」
 その決定的な一言に由紀子の顔が僅かに強張り、勝も鋭い視線を聡に向ける。


「どうしてだ? 彼女は由紀子と面識は無かった筈だ。例の騒ぎの時、柏木の車に同乗させて貰って顔を合わせた位だろう?」
「それが……、直に会ったわけでは無いけど、真澄さんが高校生の頃に母さんを見た事が有ったらしくて、旅行中その時の話を聞かされたんだ」
「……詳しく話して貰おうか」
 父に促されるまでも無く、聡は予め考えていた様に、真澄から聞いた話を包み隠さず全て語って聞かせた。
 その間由紀子は微動だにせず聡の話に耳を傾け、勝は時折そんな彼女に気遣わしげな視線を送ったが、特に口を挟んだりはしなかった。そして聡は最後に、若干真澄を擁護する台詞を付け加える。


「……勿論真澄さんは、母さんの事情は分かっているけど、未だに納得できないから今でも嫌いだとはっきり言われた。そして息子の俺が、自分の目の前で清香さんに纏わり付いているのが腹に据えかねたと言われて、無神経と言われても仕方がないと反省したし」
 一通り話を聞いた勝は、腕組みを解きつつ確認を入れた。


「だから“あれ”か?」
「“あれ”だけでは無いですが」
「……ご苦労だったな」
 勝が心底同情するような視線を息子に向けると、聡は再び黙りこくっている由紀子に顔を向けながら、優しく言い聞かせる様に告げた。


「母さん、だから兄さんが真澄さんと結婚しても、真澄さんが兄さんと母さんの間を取り持つとか、友好的に接してくれたりはしないと思うんだ。だから残念だと思うかもしれないけど、そこの所は諦めて欲しい」
 しかしその懇願に対する由紀子の反応は、全く聡の予想外だった。


「聡? 私、元々そんな図々しい事、清人の結婚相手の人に期待していなかったわよ? 寧ろ真澄さんがそういう人だという事が分かって、安心したわ」
「え?」
 この話をしたらてっきり母親が泣き出すか、良くてがっかりして落ち込むかと思い込んでいた聡は、穏やかな笑みすらその顔に浮かべている由紀子に本気で面食らった。横に座る勝も同様だったらしく、黙ったまま意外そうな顔を向ける。そして由紀子の反応に納得出来なかった聡は、素直に疑問をぶつけた。


「それならどうして、兄さんの縁談を進めるのに、あんなに乗り気だったわけ?」
 それに対する由紀子の答えは、全く迷いが無いものだった。
「それは、単純に清香さんから清人に関する相談事を持ち掛けられたのが嬉しかったのと、清人が幸せになる為に少しでもお手伝いできたら嬉しいと思ったからよ」
「本当にそれだけ?」
 まだ疑わしげに尋ねた息子に、由紀子は小さく笑った。


「確かに気心の知れた女性と清人が結婚したら嬉しいけど、その場合にはその人とは、実家の人も含めて交際するのは止めようと思っていたし」
「は? 一体どうして」
「どういう事だ?」
 更に予想外の言葉を告げた由紀子に、聡だけではなく勝も驚いて問い質した。しかしそれにも由紀子は僅かに首を傾げただけで、淡々と主張を続ける。


「どういう、って……。だって結婚した人がなまじ私の知り合いでそれまで交流があった人だったら、清人と私の両方に挟まれて気を遣う事になるでしょう? そんな状態はその人に悪いから、以後のお付き合いは止めようと思っていたの。万事私より清人優先に考えて欲しかったし」
「お前、縁談の話をしながら、そんな事を考えていたのか?」
 呆れた表情を隠そうともしないで勝が告げると、由紀子は些か自信なさげに言葉を継いだ。


「そんなにおかしいかしら? ……でも真澄さんが私に対してそんな風に怒っているなら、今更私に気を遣ったりして、清人と気まずくなる事も無いわよね?」
「いや、確かにそうかもしれないけど……」
(息子と結婚するかもしれない相手から毛嫌いされてるのを喜ぶって、どうかと思うんだが……)
 些か釈然としないまま、しかしどう話を続けて良いか分からずに聡が口ごもると、由紀子が穏やかな口調で言い聞かせた。


「それに、真澄さんが私に対して怒っているのは、清人を蔑ろにされたと思ったからでしょう?」
「それはそうだけど……」
 冷静に指摘してくる由紀子に僅かにたじろぎながら聡が頷くと、由紀子は穏やかに微笑みながら男二人に向かって告げた。


「真澄さんに嫌われているのは残念だけれど、そんな風に以前からずっと清人の事を大事に想ってくれている人なら、結婚したら一生清人の事を大事にしてくれると思うの。だから聡の話を聞いて安心したわ。私の事とかは気にしなくて良いから、できるだけ二人が纏まる様に手助けしてあげてくれないかしら?」
 その台詞を聞いた聡は、無言で母親を凝視した。そして数秒後に慎重に確認を入れる。


「……母さんは、本当にそれで良い?」
「勿論よ」
 本心からの言葉の様に、気負う事無く自然な動作で頷いてみせた由紀子に、聡は静かに言い出した。
「それなら、ちょっと俺に協力して欲しいんだ」
「協力?」
「何をさせる気だ? 聡」
 怪訝な顔をした由紀子だが、ここで何となく不穏なものを察した勝が会話に割り込んだ。しかし聡は半ば父親を無視して話を続ける。


「九月に入ってすぐ母さんの誕生日になるから、来週末いつも通り家族で祝う事になってたけど、今年は兄さんと清香さんを招待しようかと思う」
「聡? それは……」
「清香さんはともかく……、幾ら何でも、彼が気軽に招待に応じるとは思えんが……」
 流石に由紀子が顔色を変え、勝も難しい顔になる。それに真面目くさって聡が応じた。


「勿論、誘っても十中八九、兄さんは来ないと思う」
「だったらどうして」
「だけど春からこっち、家に清香さんだけ招いていた事に関して、真正面から嫌味をぶつけてきた真澄さんだから、今回も清香さんだけ家に来る事になったら、絶対行動を起こすと思うんだ」
 由紀子の問い掛けを遮って聡が断言した内容に、勝が露骨に顔を顰める。
「……あの手の嫌がらせか?」
 それに聡は思わず苦笑いで応じた。


「それで済んでしまう可能性が無きにしも非ずだけど、母さんが乗り込んで直に話を持ち出した事を清香さん経由で伝え聞いたりしたら、怒るか心配するかで兄さんの様子を見に来るんじゃないかと。清香さんは腹芸の出来るタイプじゃないし相手が相手だから、さり気なく耳に入れる様、俺が何とか誘導するから」
「お前に自虐趣味があったとは知らなかったな。去年の事を忘れたか?」
 肩を竦めた勝に、聡は溜め息を吐いてから言い返す。


「……何とでも言って下さい。清香さんと彼女の従兄弟達に話を聞いたけど、昔はともかく、清香さんの両親が亡くなって今居るマンションに二人で暮らし始めてからは、あの二人、ちゃんとした用事がない限り、特に顔を合わせたり連絡を取り合ったりしてないそうなんだ。清香さんと真澄さんは割と頻繁に連絡を取ってるみたいだけど」
「そうなの?」
 意外な顔を見せた由紀子に小さく頷いてから、聡は話を続けた。


「逆に言えば、何か重要な用件やイベントがあれば、当日や前後には必ず顔を出していたって。清香さんの中学の卒業式や、高校の入学・卒業式にまで、兄さんと一緒に参加してたみたいだし」
「……それはなかなか凄いな」
「以前の団地より、今のマンションの方が互いに行き来し易い筈なのに、どうしてかしら?」
 感心しながらも何となく納得出来ない表情の両親に向かって、聡は畳み掛けた。


「だから、取り敢えずあの二人が顔を合わせたり連絡を取り合う様な機会を、これからなるべく作ろうという事で、他の皆とも話が纏まったから。…………もうこうなったら、嫌がらせだろうが妨害だろうが、どこからでもかかって来やがれ」
 最後は小声でブツブツと、やさぐれた口調で呟いた聡を眺めた勝は、溜め息を吐いてから息子を窘めた。


「聡……、お前ヤケになってないか? 清人君との仲を取り持とうとしている彼女相手に、喧嘩を売ってどうする」
「高く買ってくれるなら、幾らでも売りますよ。真澄さんが積極的に兄さんと接触してくれるなら、嫌がらせの類も甘んじて受けようと、この旅行中で腹を括りました」
 そう開き直って言い切った聡を、勝は知らない物でも見る様な目つきで眺めた。


「また随分と、彼に入れ込んだものだな……。旅行中に弟扱いして貰って、一気に絆されたとかか?」
 その問い掛けに、聡は思わず失笑した。


「そんな訳無いし、未だに風当たりは強いよ。強いんだけど……、何事も自信満々で、行動力もある筈のあの人が、真澄さんの事に関してだけ後ろ向きで、何年もずっと足踏み状態なのを見るのが嫌だからかな?」
 聡としてはかなり正直に自分の心情を述べたのだが、それを聞いた勝は思わず茶化してしまった。
「そんな事を面と向かって言ったら、それこそ『人の勝手だ』と激怒されそうだな」
「分かってる。だからあくまでも、さり気なく事を進めるつもりだから」
 些か気分を害しながら父に応じてから、聡は母に向き直った。


「そういう訳だから母さん。兄さんの気が向いて来てくれるなら幸い、嫌な顔をされて頭から断られる事前提で、兄さんの家に乗り込んで話を出して欲しいんだ。これ以上嫌われる事は無い、位の気持ちで行って来て欲しい」
 そう言って頭を下げた聡に、忌々しげな勝の声が降ってくる。
「お前……、身も蓋もない言い方だぞ」
「この場合、下手に慰めを言っても意味がないだろう?」
 頭を上げた聡と勝が軽く睨み合っていると、由紀子が静かに口を開いた。


「……分かったわ。私の誕生日祝の席に、清香さんと清人二人を呼びたいと、顔を合わせて話してくれば良いのね?」
 冷静に確認を入れてきた由紀子に、聡も再度念を押す。
「ああ。それで今話した内容だけど、兄さんには一切話さないで欲しい」
「勿論分かっているわ。明日か明後日、早速電話して都合を聞いてみるから。電話自体切られたら、また考えるわね」
「そうしてくれると助かるよ。宜しく」
 取り敢えず話を進められた事に安堵した聡は漸く顔を緩め、由紀子もそれを受けて穏やかな微笑みを見せていたが、そんな二人を眺めていた勝は、顎に手を当てて一人で何やら考え込んでいた。



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