夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

第14話 怒りの理由

「ちょっと待って下さい。この前の騒動で、母が清香さんに連れられて兄さんの家に行く時、柏木の車に同乗させて貰った折、母があなたと初対面の挨拶をしたと聞いてますが、その時何か真澄さんの気に障る事でもあったんですか?」
「別に不快な言動は無かったし、直接言葉を交わしたのはあれが初めてで間違い無いわ。だけど私の方は、ずっと前からあの人の事を知ってるの」
「どういう事です?」
 怪訝な顔で先を促した聡の目の前で真澄は足を組み、聡を見据えながら話を続けた。


「あれは……、私達が清人君の家に出入りする様になってから、初めてのお正月だったから高二の時ね。お父様からあるパーティーに同行する様に言われたの」
「パーティー、ですか?」
「ええ。経済団体の親睦を目的とした新年会。あなたも社長令息として、何回かは顔を出した事が有るんじゃない?」
「ああ……、あれですか」
 毎年恒例の、会場で社交辞令が飛び交う自分にとってはかなり居心地が悪かった場所を思い出し、聡は我知らず渋面になった。それを冷やかすでもなく、真澄が淡々と続ける。


「そこで小笠原社長夫妻を見つけてね。両親が紹介してやるからと、私を引き連れて近寄ったの」
「どうして柏木社長は、わざわざライバル会社のトップに娘を引き合わせようと思ったんですか?」
 素朴な疑問を覚えて思わず口を挟んだ聡に、真澄は小さく苦笑した。


「参加する様に父に言われた時、私が『小笠原社長夫妻も参加しますか?』と尋ねたからよ。当時、既に清人君の母親が誰なのか聞いていたから、純粋な好奇心からだったんだけどね」
「それで顔を合わせたと?」
「……いえ、さっきも言った様に直接会わなかったわ」
「何故ですか?」
 益々訳が分からなくなった聡が当惑した顔をすると、真澄は彼から微妙に視線を外し、聡の背後の壁を見ながら説明を加えた。


「あなたの両親に近寄っていった時、同じ様に娘を連れたどこかの社長夫妻と話をしていてね。割り込むのも失礼だから、話が一段落するまで近くで様子を窺ってたの。そうしたら……」
 そこで何故か言葉を途切れさせた真澄に、聡が訝しげに問い掛ける。
「何か問題でも?」
 その声に、真澄が何かを振り切る様に再び話し出した。


「その時、あなたの母親が、相手のご令嬢を見ながらこう言ったのよ。『綺麗なお嬢さんがいらして羨ましいわ。私は体があまり丈夫じゃなくて、息子を一人しか授からなかったので』って」
「……え?」
 その台詞の言外に含む意味を悟って、聡ははっきりと顔色を変えた。しかし真澄はそれには構わず、一度口にしてしまった事で抑制する事が出来なくなった様に喋り出す。


「相手の社長さんが取りなそうとしたのか、『息子さんがお嫁さんを貰ったら、その人を着飾らせてあげる楽しみができますよ?』とか何とか言ったら、『でも息子はまだ小学生なので、まだまだ先の話ですわね』って笑ってたのよ。……ええ、私が見ても惚れ惚れする位、終始上品な笑顔だったわね。もう一人の息子の事なんて存在すら忘れた、みたいな顔をして!!」
「あの、真澄さん! 腹を立てるのは尤もですが、母さんにも色々事情が!」
「ふざけないで! 事情なんて嫌と言うほど分かってるわよ! 第一、あの場であなたの母親に一言文句を言おうとしたけど、それと察した両親に会場から引きずり出されて説教されたんだから!」
「…………」
 最後は怒鳴り声になった真澄に吐き捨てる様に言われて、聡は次に続ける言葉を失った。そんな聡の顔見てから真澄は顔を横に向け、面白く無さそうに静かに口を開く。


「昔も今も、頭では理解してはいるわ。あなたの母親と佐竹の叔父様の結婚は、世間一般には知られていないし、当然清人君の存在も同様だから、あの場でそんな事を口にしたら、口さがない連中に話のネタを提供してしまうもの。加えて騒ぎ立てても、柏木と小笠原双方にとって何の益もないしね」
「そこまで分かっているなら」
「だけどね、頭で理解するって事と、心で納得するって事は全然別物よ。清人君を蔑ろにしてるみたいで気分が悪かったし、今でもそうだわ。はっきり言ってその印象しかないのよ」
 そうきっぱりと言い切られて、聡は小さく溜め息を吐いた。


「だから母が気に入らないと?」
 その指摘に、真澄が淡々と続ける。
「正直、二人の外見と言うか雰囲気があれほど似てなければ、何とか他人だと割り切って、それ程腹も立たなかったかもしれないけどね。……彼、母親似だもの」
「……そうですね」
 そこで少し双方が黙り込んでから、真澄が再び話し始めた。


「だけどあなたが目の前に現れるまで殆ど忘れかけてたし、清香ちゃんの周りをうろちょろしてても、直接害は無いと思って放っておいたのよ。さっきの話の様に、あなたや母親に対しても、思う所は色々あってもこれまで最低限の礼節は保ってきたしね」
「ありがとうございます」
 思わず神妙に頭を下げた聡だったが、ここでいきなり真澄が口調を変えてきた。


「それなのに何? この旅行中、清人君の前で殊更ベタベタして! イチャイチャしたいなら別に止めないから、どこぞにさっさと引っ張り込んで、二人だけの場所で好きなだけやってれば良いでしょう? わざと見せ付けて他人の神経を逆撫でするんじゃないわよ。この心が狭い上、鈍感で無神経かつ甲斐性無し男がっ!!」
「ちょっと真澄さん! それはあんまりな言いぐさじゃありませんか!?」
「お黙り! 全部本当の事じゃない!」
「あのですね!」
 いつの間にか怒鳴り合いになり、そこで反論しようとした聡は、ふと気が付いた内容を口にしてみた。


「あの……、真澄さん、一つ確認をさせて下さい」
「何?」
 最早険悪な空気を隠そうともしない真澄に、聡は恐る恐る尋ねた。
「旅行が始まって以来、真澄さんが俺に対して怒っているのは、兄さんの前で清香さんとベタベタしてる行為についてですよね?」
「思ったより相当頭が悪いのね。さっきからそう言ってるでしょうが」
(……落ち着け、腹を立てるな、俺)
 そんな風に自分自身に言い聞かせながら、聡は慎重に質問を続けた。


「その事によって兄さんが不快になるから、真澄さんはそれを止めさせようとしたんですよね?」
「今でも邪魔する気満々だけど?」
「じゃあ兄さんが嫌がる事をされるのは、真澄さんが嫌なんですよね」
「さっきから、何禅問答みたいな事言ってるのよ!」
「じゃあそんな風に心中を慮る相手である兄さんは、真澄さんにとってどんな存在なんですか?」
「…………は?」
 その質問は真澄の予想の範囲外の内容だったらしく、真澄は軽く目を見開いて固まった。しかしそれも一瞬で、足の上で両手を組みながら事も無げに答える。


「どんな存在って……。そうね、清人君は香澄叔母様が可愛がってた義理の息子で、清香ちゃんのお兄さん。そして必然的に、私の義理の従兄弟になるわね」
 軽く首を傾げながら、あたかも「明日の天気は晴れよね」位の軽さで述べた真澄の顔を、聡は凝視した。


「……それだけですか?」
「それだけよ。それ以上でも以下でもないわ」
「良く分かりました」
「じゃあ、今後は私と彼の前で、清香ちゃんとベタベタするのは止めなさい」
「……善処します」
(流石と言おうか何と言おうか……、全く心を読ませないな、この人)
 表情からは全くその内面を窺い知る事が出来ない相手を、これ以上追及する事を聡は諦めた。すると真澄がここで話題を変えてくる。


「ところで……、あなたが清香ちゃんと知り合ってから、自宅に招いた事が有るそうね」
「え? あ、はい。そうですが、それが何か?」
「それは清人君とあなたが異父兄弟の関係って分かった前? それとも後?」
「えっと……、前に一回、後に四回です」
 頭の中で回数を数えた聡は慎重答えたが、それを聞いた真澄は皮肉気に口元を歪めた。
「へえ? 清香ちゃんはよっぽどあなたのご両親に気に入られたみたいね」
「それが何か?」
 些か気分を害しながら聡が睨み返したが、真澄は面白く無さそうな顔で立ち上がった。


「別に? ただあなたは私と同種の人間だって事よ」
「どういう意味です?」
 淡々と言って背中を向けて歩き出しかけた真澄に声をかけると、彼女は一瞬足を止める。
「……生まれてこの方、最後に戸締まりをしたり、誰も居ない部屋に帰った事なんか無い、お幸せな人間だって事」
「は?」
「そっちの話は終わってるわよね、それじゃあ」
 振り返らないまま述べた真澄はそのまま歩き去り、それを大人しく見送った聡は、一気に緊張から解放されてソファーの背もたれに寄りかかった。


(今までに無い位疲れたな。取り敢えず彼女が腹を立てている理由は分かったけど、兄さんの事をどう思ってるのかとか、最後の言葉の意味が良く分からない……)
 そのまま考え込んでいると、微かな足音と共に清香がやってきて聡に声をかけた。


「聡さん、お仕事の電話は終わったんですよね? なかなか戻って来ないから心配になって……。具合が悪いんですか?」
 聡が携帯など手にしておらず、ぐったりとソファーに身を預けている事で清香はそう判断したのだが、聡は力無く笑った。
「具合が悪いわけじゃ無いけど、ちょっとね。真正面から言われると、結構堪える言葉ってあるから……」
「そう言えば……、真澄さんの姿もありませんでしたけど、何か言われました?」
 益々心配そうに問われて、聡は(これ以上心配はかけられないな)と気を引き締め、清香に笑顔を見せた。


「大した事じゃないから大丈夫だよ。それよりちょっと聞きたい事があるんだけど」
「何ですか?」
「『最後に戸締まりをしたり、誰も居ない部屋に帰った事なんか無い幸せな人間』ってどういう意味だと思う?」
 それを聞いた清香は、変な顔をした。


「それは……、言葉通りの意味じゃないですか? うちはお兄ちゃんと二人暮らしですから、どちらかは相手が出て行くのを見送って戸締まりをして出ますし、先に帰った方が誰も居ない部屋に戻るでしょう? 他に大勢家族が居たり使用人の方が居る聡さんや真澄さん達なら、そんな事は滅多に無いでしょうけど」
 それを聞いた聡はストンと納得した。
(そうか、そう言う事か。確かに兄さんは今と、父親と二人暮らしの時はそんな生活だったんだよな。そうすると、ひょっとしたら……)
 ふと思い付いた事を、聡はそのまま口にした。


「清香さん。以前くらたで皆で話した時、柏木の家に呼ばれて出向いたって言ってたよね?」
「はい、言いましたけど」
「その時、誰から誘われるの?」
「えっと……、真澄さんかお祖父ちゃんです」
 素直に答えた清香に、聡は慎重に問い掛けた。


「それって……、総一郎氏が個人的に清香さんを呼びつける時には総一郎氏から電話が来て、何かの行事に兄さんと一緒に招待される時には、真澄さんから連絡があるんじゃない?」
「え? ……ああ、言われてみればそうかもしれません。でも、それが何か?」
 指摘された内容にキョトンとして見返した清香だったが、聡はそれで得心がいった。


(そうか……、できるだけ兄さんが疎外感を感じない様に、恐らく真澄さんが気を遣ってくれてたんだな。結局兄さんは顔を出していないが。そして俺の家云々の話をしたのは、兄さんとの関係が明らかになってからも、端から兄さんを無視して清香さんだけ招待してるのを暗に非難したって事か。誘っても来てくれないだろうと思って無理に声をかけていなかったが、確かに真澄さんから見れば自分の事しか考えていないと思われても仕方がないし、その上目の前で神経を逆撫でされたら、怒りも増幅するか……)
 そんな事を真剣に考え込んでいると、清香が身体を屈めて聡の顔を覗き込む様にしながら、再度心配そうに声をかけてきた。


「聡さん、本当に大丈夫ですか?」
 それに真顔で聡が応じる。
「ごめん、今ちょっと考え事をしていただけだから心配要らないよ。でも……、そうだな、一つ提案があるんだ」
「何ですか?」
「兄さんの前でベタベタするのは止めて、いつも通りにしようか。恥ずかしい以上に、周りの人間を不快にする可能性の方が高いしね」
 そう言われて、清香もどこかホッとした様に表情を緩めた。


「そうですね。お兄ちゃんが全然反応しませんし、やっても無駄ですから」
「勿論、俺としては、こういう人気の無い場所でベタベタするのは、一向に差し支え無いんだけどね?」
「ぅきゃあっ!」
 聡が小さく笑いながら清香の腰に両腕を回し、幾らか力を入れて引き寄せると、前屈みになっていてあっさりバランスを崩してしまった清香は、膝を曲げて聡の膝にお尻を乗せて座る体勢になってしまった。


「さて、これからどうしようか?」
「さささ聡さんっ! ど、どうしようって!?」
 至近距離に有る、そんな狼狽著しい清香の顔をを苦笑しながら眺めていると、聡が薄々予想していた通り、ここで冷え切った声がかけられた。


「……こんな所で何をしてやがる。場所をわきまえろ、このクソガキが」
「おおおお兄ちゃん! いえ、あの、これはっ!」
 慌てて聡の膝から飛び降りた清香だったが、聡は座ったまま平然と笑い返す。
「色々しようかと考えてましたが、未遂ですので多目に見て下さい」
「そうか……、それなら報復は五割減で勘弁してやる」
「なかなか厳しいですね」
 互いに薄笑いでそんな会話をしてから、清人が真顔で問い掛けた。


「ところで、真澄さんを見なかったか?」
「先程、例の会議室に戻った筈ですが。兄さんと入れ違いになりましたか?」
 予想に反した問い掛けに聡が怪訝な表情をすると、清人が小さく舌打ちした。
「それなら良いが……、まさか館内で迷子になったわけじゃあるまいな?」
「流石にそれは無いんじゃ……」
 半ば呆れつつ聡が口を挟んだが、清人は小さく首を振った。


「あの人は昔から、時々突拍子もない事をしたり、とんでもない事に巻き込まれたりするんだ。俺はもう少し付近を見てから行く。お前達はさっさと戻れよ?」
「分かったわ」
「そうします」
 そう言い捨てた清人に聡と清香は素直に頷き、清人の背中を見送ってから、卓球で熱く盛り上がっている部屋へと連れ立って戻って行った。



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