夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

第9話 姉と弟達

 ある土曜日の午後、外出先から帰宅して早々母親から一人暮らしをしている弟が戻っていると聞いた浩一は、珍しいものだと思いながら当人を探して家の中を歩き回っていた。
 当初すぐ見つかると思っていたが、玲二はかつての自室にも居らず、心当たりを一通り当たってから首を捻った浩一は、携帯を取り出して玲二の携帯に電話してみる。すると割と至近距離から着信音が微かに聞こえてきた為、意外に思いながらある部屋のドアを開けた。


「ここに居たのか、玲二。探したぞ?」
 予想に違わず真澄の部屋に居た弟に浩一が呆れ気味の声をかけると、玲二は僅かに驚いたものの、相手を認めて小さく溜め息を吐いた。
「うぇ……っと、何だ兄貴か。驚かさないでくれよ」
「帰って来たと聞いたのに部屋に居ないから、どこに雲隠れしたかと思いきや、どうして姉さんの部屋に居るんだ?」
 その当然の疑問に、玲二が肩を竦めながら答える。


「俺の部屋に居たらすぐ見つかるし、第一俺の部屋って言っても、出て行った所だから何となく落ち着かないんだ。応接間に居ると母さんが『ちゃんと食べてるのか』とか『彼女は居るのか』とか五月蠅いし」
「それでコソコソ姉さんの部屋に隠れてたって訳か? 偶に帰って来た時位、甘んじて質問責めを受けろ。気にして貰ってる証拠だろう?」
「分かってはいるんだけどさ……、もう少ししたら降りるから。姉貴の部屋だったら滅多に人は寄りつかないし、もう少しだけ目を瞑っててくれよ」
「しょうがないな……」
 浩一は苦笑いしたのみでそれ以上小言は言わず、玲二の雲隠れに付き合うが如く真澄の部屋に足を踏み入れた。そして部屋の中央寄りにある、小さな丸テーブルを挟んで向かい合っている二脚の椅子の片方に腰を下ろす。
 対する玲二も浩一と反対側の椅子に座って、テーブルに肘を付きながらしみじみと言い出した。


「まあ……、姉貴や兄貴に比べたら、さっさと家を出た俺は殆ど干渉されてないって分かってるさ。二人ともそれこそ毎日の様に、『結婚しろ』だの『見合いしろ』だの言われてるんだろう?」
「……それなりにな。ところでお前、今日はどうして帰って来たんだ? 今日明日は何も無いよな?」
 何か家族で集まる予定を忘れていたのかと、不思議に思って問い掛けた浩一に、玲二は笑って理由を説明した。
「兄貴この前の電話の時、今日の夜にでも姉貴にバカンス会の事を話して、参加を促すって言ってたじゃないか。微力ながら援護射撃をしようと思って、馳せ参じたってわけ」
「それは心強いな。頼りにしてる」
 思わず苦笑して応じた浩一に、ここで玲二は真顔になり、心配そうに確認を入れてきた。


「それで……、正直、姉貴の日程って空きそうなのかな?」
 そう問われた浩一も、瞬時に難しい顔付きになる。
「期間中は比較的何も無さそうだが……、やはり前後がキツそうだな。企画会議やお盆明けで商談とかも重なってる。俺だったら躊躇う所だが……」
「微妙、ってとこか」
 そうして男二人で溜め息を吐き、見るとも無しに室内の様子を眺めていたが、本棚の方を見ていた浩一が、不意にクスクスと小さく笑い出した為、玲二が怪訝な顔をした。


「ん? 何一人で笑ってんだよ、兄貴」
「いや、すまん。ちょっと思い出した事があって……」
「何を?」
 首を傾げた弟に向かって、浩一はまだ幾分笑いを含んだ表情で話し出した。


「以前に教えただろう? 清人と聡君が異父兄弟なのが清香ちゃんにバレた時の顛末」
「ああ、姉貴と兄貴も巻き込んで、清人さんの家で凄い騒ぎだったらしいね。それが?」
「自分の部屋に閉じ籠もった清香ちゃんにドアの鍵を開けさせる為、姉さんがカマかけたんだ。後から姉さんに聞いたら『年頃の女の子は家族に見られたく無い物の一つや二つ、クローゼットや机の引き出しの奥とか、本棚の後ろの方に隠しているものよ』とか言ってたから……、その本棚の奥とかに、姉さんが清人の写真とか隠してたら笑えるな、と思って」
 壁際に並べられていた重厚な造りのスライド式書棚を指差しながら浩一が言った内容に、玲二は小さく噴き出した。


「兄貴……、幾ら何でも、あの姉貴がそんな事するわけ無いだろ?」
「だろうな」
 苦笑いの表情を浮かべた浩一に笑い返しながら玲二が立ち上がり、スタスタと書棚に歩み寄った。そしてその目の前に立って笑いを堪えながら、前面の棚を横に移動しつつ話を続ける。


「そうだよ。そんなベッタベタな話、笑うのを通り越して引くぞ? 第一、もう年頃の女の子って言う年でも無い…………、は?」
 話の途中で唐突に玲二が黙り込んだ為、浩一は不審に思って声をかけた。
「玲二? どうかしたのか?」
「……いや、兄貴、……これ。もしかしたらこっちもか?」
 玲二が体をずらしてテーブルに座っている兄に自分の目の前の物が見える様にすると、それを認めた浩一が思わず無言で立ち上がった。更に玲二が三列式の所から前後二列の部分に移動し、前列の棚を横に移動させると、先程と同様に最奥の棚全体に東野薫の本が並べられている光景を目にして固まる。
 気がつくと横に浩一が並び、同様に唖然とした表情でそれらを眺めていた。


「……写真は無かったな」
 思わず、といった感じで浩一が呟くと、玲二が兄の方に向き直って尋ねる。
「兄貴……、これ、ひょっとして、今まで清人さんが出した作品が全部揃ってる?」
「俺は全作品は揃えていないが、ここにデビュー以来知る限りの作品がある様だな……」
 そして少しの間その場に沈黙が漂ってから、玲二が無言で書棚を元の様に戻し、浩一に静かに声をかけた。


「……なあ、兄貴」
「何だ」
「今の……、見なかった事にして良いか? 何だか親が隠してた浮気の証拠を見つけてしまったみたいに、もの凄く気まずいんだけど?」
「玲二……、言うに事欠いて、どういう例えをするんだお前は?」
 思わず額を押さえて深い溜息を吐いた浩一に、玲二が弁解しかけた。
「いや、だってさ! あ、ちょっと待て、兄貴」
「何だ?」
「清人さんの本について、今、思い出した」
「だから何を?」
 唐突に言い出した弟に浩一が怪訝な顔をすると、玲二は何かを思い返す様な素振りをしながら、慎重に話し出した。


「兄貴は覚えてるかな? 昔、家で通いの家政婦をしていた節子さんが、去年亡くなったんだ。保育士の資格保持者だったから、主に俺に付いててくれた人」
 それに浩一は素直に頷いて見せる。
「……ああ、居たな。十年前位まで働いてたよな。確か一番世話になってたお前が、弔問に出向いたんじゃ無かったのか?」
「ああ、そこで喪主の息子さんに話を聞いたんだ。姉貴がずっと清人さんの本を購入してた事」
「どういう事だ? 詳しく話せ」
 瞬時に真顔になって詰め寄った浩一に、玲二も真剣な顔付きで話を続けた。


「節子さんが体調を崩して、仕事を辞めて息子さんの所に引き取られたんだけど、当時息子さんが経営している本屋が、色々な要因が重なって傾きかけてたそうなんだ」
「初めて聞いたぞ、それは」
「辞めて少しした頃、体調を心配した母さんの代理で姉貴が節子さんを訪ねた時、その事を四方山話のついでに聞き出したらしくて。そうしたら清人さんの本が出版される度に二百冊購入するから、それを各都道府県庁所在地や政令指定都市の公立図書館、及び都内の区立図書館から満遍なく二百カ所を選んで、一冊ずつ寄贈書として送付して欲しいと申し出たんだって」
「二百冊って、おい!?」
 咄嗟に一冊の金額を二百倍した金額を弾き出し声を荒げた浩一に、玲二が更に仔細の説明を続ける。
「しかも配送代と手数料として一冊当たり千円、一回に付き二十万を本代に上乗せするって言ったそうだよ」
「なんだってそんな事……」
 最早唖然とするしかない浩一に向かって、玲二は肩を竦めてから聞いた話の内容を伝えた。


「姉貴は、清人さんが香澄叔母さんの義理の息子って事を話した上で、『デビューしたてだから作品が少しでも多くの人の目に留まる様に助力したいけど、あからさまにやったら本人のプライドが傷付くかもしれないし、未だに佐竹さんに良い感情を持っていないお祖父様やお父様に知られたらどんな妨害をするか分からないでしょう? だから口が固い協力者を探してたの』と言ったんだって。節子さん親子は『ただ金銭を援助するのでは私達が気を遣うだろうと、こんないかにもな理由を付けて下さって』って涙を流して感激してたそうなんだけど……」
 そこまで言ってチラリと兄の顔色を窺った玲二の目の前で、浩一は若干渋い顔をした。


「……どっちが第一の理由なんだろうな」
「全くだね。それで息子さん達は清人さんの本が出る度に臨時収入が入り、溜めた余剰金で店舗を改装したり、姉貴に紹介された経営コンサルタントに業務の見直しを依頼して、書物の選別や配置を変えたりして売上を順調に伸ばして、傾きかけた店を立て直しだけに止まらず、三店舗に増やしたとか」
「それは凄いな……」
 もう溜息しか出ない話の顛末に、玲二も疲れた様に頷く。
「俺も聞いて驚いたよ。節子さんは『これも真澄お嬢様が気にかけて下さったお陰だから、お屋敷のある方に足を向けて寝られない』と言って、最後の入院中も大部屋で一人だけ反対方向に足を向けて寝てたとか。葬儀の時に丁重に礼を言われたよ。今でも本の購入は続けてる筈だし」
 そこまで淡々と言った時、浩一が玲二の胸倉を掴んで盛大に揺す振りつつ文句を言った。


「玲二! お前って奴は~!! どうしてそんな大事な事を、今の今まで言わないんだ!」
「ごめん、悪い、すっかり忘れてた! だって、清人さんを理由に節子さんの家族をさり気なく援助するなんて、流石姉貴だな~って感心してて。姉貴にそう言ったら『節子さん達が気にするかもしれないから他言無用よ?』って口止めもされてたし。第一、清人さんを密かに援助する為に、傾きかけた本屋を利用するなんて思ってなかったから!」
 焦って弁解してきた弟を見て、逆に気持ちが落ち着いたのか、浩一は手を離してしみじみと思った事を口にした。
「まあ……、この場合、一石二鳥って事だとは思うがな。節子さんの家の事情は、渡りに船って所じゃないのか?」
「……どっちにしても、流石姉貴だよな」
「同感だ」
 そんな風に兄弟で想いを共有してから、真正面に置かれていた机に目を向けた玲二は、つい最近耳にした話を思い出した。


「そう言えばさ……、この前の川島さんの話では、清人さんは机の引き出しに姉貴の物らしいハンカチを隠してたんだろ?」
「らしい、って話だがな」
「姉貴も、本棚の“あれ”みたいに、何か引き出しの奥に清人さんの物とか隠してないかな?」
 早くも衝撃から立ち直り、ウキウキと机に近寄っていく玲二を見て、浩一は控え目に窘めた。
「お前って奴は……。流石にプライバシーの侵害だろう? これ以上は止めておけ」
 そう言っている傍から、躊躇う事無く机の引き出しを開け始める玲二。


「う~ん、別に怪しい物は無いよな~」
「あのな……」
 ゴソゴソと物色している玲二の行為を止めさせようと浩一が歩み寄ったが、中段の引き出しを漁っていた玲二が、気になる物を見つけたらしく、何やら引っ張り出して来た。
「あれ? 何だ? これ」
「綺麗な寄せ木細工の箱だな」
 取り出した箱を玲二が机の上に乗せ、思わず浩一もしげしげとそれを眺める。すると玲二は悪乗りしている様子で、その蓋に手をかけた。


「お? 何か“宝箱”って感じがしないか? 兄貴」
「確かに如何にもな感じがするが、あの姉さんがそんな所に何を隠すと……」
 そう言いながらも何となく気になってしまった浩一が、それ以上強く引き止めないのを良い事に玲二が蓋を開けると、中に純白のハンカチに包まれた沢山のお守りが出て来た。


「あれ? 何か御守りが一杯……、学業祈願のばかりだ。それに普通の白いハンカチ?」
 予想外の物が出て来て首を捻った玲二の横で、浩一は何かが引っ掛かったらしく記憶の底を漁ってから、一つの結論を導き出した。
「……思い出した。そのお守りは姉さんが高三の時に、清人が集めた奴だ」
「はぁ? それどういう事だよ、兄貴」
 訳が分からないと言った風情で問いかけた弟に、浩一が淡々と説明を始めた。


「叔母さんの家に届け物に行った時、今年姉さんが受験だから渡してくれと叔母さんから預かったんだ。その時『清人君が体張って集めたのよ?』って笑って言ってたんだ」
「体張ってって? 益々意味が分からないんだけど?」
 益々怪訝な顔をした玲二に、浩一がその手元を指差して注意を促す。
「良く見てみろ。それ、都内だけじゃなく、全国の有名処の御守りを集めてあるだろ? 清人が団地の奥様方を仕切ってる三人組に頼んで、方々に声をかけて貰ったそうだ」
「はあ?」
「全国に支店、支社が点在してる会社とかだと、そこに学業祈願で有名な神社とかがあると、毎年受験シーズンに学業祈願の御守りを、支店同士で頼んだり頼まれたりするらしいな。その他に出張時に頼まれたりとか」
 そこまで説明を聞いて、玲二は漸く得心がいった様に頷いた。


「それで団地の人達に御守り代を渡して頼んで、かき集めたってのか?」
「らしいな。そのヌシの奥様方は揃って清人の私設ファンクラブの会長副会長の面々で、お礼代わりにそこの家の子守を引き受けたり、子供の誕生パーティーを取り仕切ったり、買い物に付き合ったりと、叔母さんが言うには文字通り相当体を張ったらしい……」
 当時の清人の姿を想像したのか、そこで何となく遠い目をした浩一を見て、玲二も思わず涙が出そうになった。


「清人さん……、涙ぐましいよな……」
「姉さんにはあれだけくれたのに、俺が受験の時は一つもくれないのかとチラッと思ったりもしたが……。あいつ自身も受験生だからしょうがないかと、自分自身に言い聞かせて納得してた」
 そう言って何となく荒んだ空気を醸し出した浩一を見た玲二は、今度は兄の心情を思って項垂れた。
「……それ、姉貴以外には、くれる気は皆無だった事だよな?」
「今考えれば多分な。昔も今も、はっきりした奴だ」
 そこで浩一が重い溜息を吐きだすと、玲二が恐る恐るといった感じで話を切り出した。


「あの、さ……、兄貴。受験に関して、たった今思い出した事があるんだけど……」
「……今度は何だ?」
 どことなく不機嫌そうな浩一に、玲二は唾を飲み込んでから思い切って口を開いた。


「姉貴が高三に進級する直前、父さんと押し問答してるのを廊下でこっそり聞いたんだ。『お前も十七だし、そろそろ将来の事を考えろ。高校を卒業したら見合い話の一つや二つ来るからな』って。そしたら『今時、お嬢様学校を卒業して即永久就職なんて有り得ません!』って怒鳴ってて」
「それで、どうなったんだ?」
 無意識に目つきを険しながら続きを促した浩一に、玲二が困惑気味に話を続けた。


「色々言い合った末、父さんが『それなら男に負けずに社会でやっていける事を証明してみせろ。東成大に現役合格してみせたら、今後一切お前に縁談は勧めんし、他からの話も断ってやる』と言ったら、姉貴が『その言葉に二言は有りませんね?』って」
「ちょっと待て、玲二。すると姉さんは難関の東成大に現役合格する事で、自分への縁談をバッサリ切り捨てる事を父さんに確約させたのか!?」
 玲二の話の途中で相手の腕を掴みつつ、浩一が焦った様に問い質した。それに小さく頷いて玲二が話を続ける。


「そういう事だよな。しかも姉貴が合格後に『母さんに聞いたけど、最初は模擬テストで合格率がD判定だったのに良く合格できたね』って聞いたんだ。そうしたら苦笑しながら『実は高二までの模擬テストは、わざと間違えて平均で十点以上低くしておいたの。学校のテストは全力で受けてたからいつも満点だったけど、お父様は所詮お嬢様学校だからと油断したのよね』って言ってた」
 これまでの人生で、姉の狡猾さは十分理解していた筈の浩一だったが、その話を聞いて思わず唸った。


「それは……、どうせ合格なんて無理と親に思わせておいて、受験時にできるだけ自分に有利な条件を引き出そうって、高一の頃から狙ってたってことか?」
「恐らくは……。姉貴の合格発表後、父さんが喜ぶどころか頭を抱えてただろう? 俺は賭けの内容を知ってたから、一人で納得してたけど」
「そう言えば……、今にして思えば、周りから姉さんが合格した事について祝いを言われる度に、父さんの顔が引き攣ってた様な……。じゃなくて玲二! お前はどうしてそんな重大な事を黙ってるんだ!!」
 今度は両腕を掴んで怒りの形相で揺さぶってきた兄に、玲二は必死に弁解の言葉を繰り出した。


「いや、だって! 気の進まない縁談をシャットアウトする為に、親を引っ掛けて難関の東成大合格で賭けをするなんて、流石姉貴、度胸と根性が半端じゃないなってひたすら感心してて! まさかその時点で意中の人間が居たなんて、夢にも思ってなくて!!」
 そう玲二が叫んだ瞬間、浩一はピタリと手の動きを止め、気まずそうにしている弟と見詰め合った。
「……やっぱりそう思うか?」
「……そうなんじゃないか?」
 二人で何とも言い難い顔を見合わせてから、浩一は現実問題を口にした。
「とにかく、それを元通り片付けろ。いつ姉さんが戻るか分からないぞ?」
「そうだね」
 そうして玲二が素直に箱を元通りに引き出しにしまってから、兄に向き直って尋ねた。


「それで、どうする? 兄貴」
 その問いかけに、浩一が肩を竦める。
「どうもこうも……、姉さんの本心を確認しない事にはな。動きようがない」
「だけどさ、清人さんの方は何となく分からないでもないけど……。どうして姉貴は清人さんに対して意思表示しないんだ?」
 どこか不満そうに訴えた玲二に、浩一が片方の眉を僅かに上げながらある考えを口にしてみた。
「女性の方から言い寄るなんて、はしたないと思ってるとか?」
「…………あの姉貴が?」
「そう言われても困るんだが……」
 そこで兄弟二人で困惑した顔を見合わせていると、本来のこの部屋の主がドアを開けて入って来て、目を丸くした。


「あら、二人とも……、他人の部屋で何をしてるの?」
「お疲れ様、姉さん」
「お帰り姉貴。帰って早々に母さんに捕まってさ。ちょっとここに隠れさせて貰ってた」
 声をかけられて少々焦ったものの、浩一は平然と挨拶をし、玲二は先程浩一に告げた内容を再び口にした。それを聞いた真澄が、小さく笑って言い聞かせる。


「飛び出して自活してる末っ子が、心配でしょうがないのよ。清香ちゃんみたいに、あんたに知られない様に付き纏って、物陰からこっそり監視されないだけマシじゃない。家に帰ってきた時位、構われ倒しなさい」
「はは……、分かってはいるんだけどさ」
「じゃあ私はちょっと着替えるわね」
 笑顔のまま奥の寝室に歩き出した真澄の背中に、玲二が反射的に声をかけた。


「姉貴! ちょっと話が有るんだけど」
「何? 玲二」
 足を止めて振り向いた真澄に、(何も今、ここで言わなくても)と横の兄が目線で訴えているのは分かっていたが、衝撃の事実が重なってある意味テンパっていた玲二は、今日ここに来た当初の目的を口にした。
「えっと……、正彦兄発案で、来月末に皆で沖縄に行こうかって話になってるんだけど……」
「所謂《バカンス会》復活って事。姉さんも一緒に行かないかな?」
 諦めて横から浩一が補足説明をすると、真澄は鞄から手帳を取り出してスケジュールを確認し始めた。


「具体的にはいつなの?」
「八月の二十四日から、二十八日までだけど……」
 その玲二の台詞に、真澄が引っ張り出した手帳を見下ろしながら少しの間考え込む。
「土日を挟んで四泊五日ね。……どうかしら? 難しいわね。…………直前にキャンセルするのも悪いし、残念だけど不参加って事にしておいてくれる?」
 しかしあっさりと悩むのを止めたらしく、手帳を手にしたまま再度奥へ向かって歩きかけた真澄に、玲二が食い下がった。


「あのっ! 姉貴! 今回は清人さんも参加するって言ってて!」
 その声を耳にして、真澄は再び足を止めて振り向いた。そして二人に怪訝な顔を向ける。
「……へぇ? 自由業なら自由業なりに、それなりに忙しいかと思ってたんだけど。手広く副業もしてるみたいだし」
「副業?」
 真澄は首を傾げた玲二から浩一に視線を移しつつ、確認を入れた。
「玲二は知らなかったのね。浩一は当然、知っているでしょう?」
「確かに知っているけど……、姉さんはどこからそれを……」
「最近は恭子さんから。それ以前からも漠然と、把握だけはしてたけど。……全く、どこまで……」
 そこで何やらぶつぶつと呟き始めた真澄を、玲二が怪訝な顔付きで眺めた。


「姉貴?」
 その声で、真澄は我に返った様に顔を上げて応じる。
「ああ、ごめんなさい。何でもないわ」
「それで姉さん、やはり無理そうかな? 清香ちゃんも楽しみにしてるから、できれば……」
 そう浩一が誘いの文句を口にすると、真澄はまた数秒考え込んでから、先程とは異なる答えを返した。


「……考えておくわ。一応参加にしておいてくれる?」
「分かった」
「じゃあ姉貴、俺達先に下に行ってるから」
「ええ、私も着替えたら降りるわ」
 手を振った玲二に機嫌良く応じてから、真澄は奥の寝室に姿を消した。そして浩一と玲二は顔を見合わせてから、部屋を出て一階の応接間に向かって歩き出す。


「兄貴、どう思う? 姉貴のさっきの反応」
 コソコソと周囲を窺いながら玲二が囁いてくると、浩一は顔を顰めながら考え込んだ。
「微妙だな。清人が来るって所に反応したのか、清香ちゃんが楽しみにしてるって所に反応したのか……」
「あまり乗り気って感じでも無かったしな」
 そこで浩一は何かを振り切った様に、淡々と結論を出した。


「まあ、これまでも自分の内心をあからさまにするタイプじゃ無かったから、俺達も気付かなかったと言えるし。取り敢えず、実際に参加する様なら脈あり、位の考えで良いんじゃないか?」
「そうだね。じゃあ正彦さんには、俺から予定通り三人参加って伝えておくよ」
「そうしてくれ。……本当に今年の夏は、色々大変そうだ」
 そんな事をしみじみと言ってうんざりした表情を見せる浩一に、玲二は思わず苦笑で応じた。





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