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いつか王子様が……

篠原皐月

本音と建前~真澄、二十四歳の初秋~

「……ここ、よね?」
 車を降りてから送って貰ったそれを見送り、住所を控えていたメモを再度確認してから、真澄はとあるマンションのエントランスホールへと足を踏み入れた。管理人室からの視線に、反射的に愛想笑いをしてから各部屋との連絡用パネルの前に立って部屋番号を押すと、すぐに応答があって安堵する。
 静かに左右に開いたドアを通ってエレベーターで上に上がると、タイミング良く玄関の扉を開けて廊下に顔を出した清人から、笑顔での歓迎を受けた。


「いらっしゃい、真澄さん。どうぞ、中に入って下さい」
「お邪魔します」
 そうして部屋に上がり込んだ真澄が通されたリビングを興味深そうに眺めてから、幾分控え目に申し出た。


「あの……、ちょっと他の部屋も、見せて貰って良いかしら?」
 その申し出に、清人が鷹揚に笑って頷く。
「ええ、まだ少し片付いていませんが、勝手に見て貰って構いませんよ? 今のうちにお茶を入れておきます」
「あ、じゃあこのケーキを出してくれる?」
「分かりました。頂きます」
 そうして清人は差し出された紙袋を受け取って台所に引っ込み、真澄は嬉々として室内の小さな探検に出掛けた。そして五分程でリビングに戻って、大人しくソファーに腰掛ける。ちょうどその時、両手でトレーを持った清人がやって来た。


「ありがとう、一通り見せて貰ったわ」
「こちらも支度が出来ましたから、どうぞ」
「ありがとう」
 そして切り分けたロールケーキと、清人に淹れて貰った紅茶を少し味わってから、徐に真澄が切り出した。


「ねえ……、清人君」
「何でしょうか」
「独立するって聞いた時も驚いたけど、それで賃貸じゃなくていきなりマンションを購入するってどうなの? 流石に驚いたんだけど」
 その言葉に、清人は思わず苦笑いを漏らした。


「確かにそうでしょうね……。偶々出版社の社長さんと意気投合した時、独立の話をしたら『私が連帯保証人になるから、どうせなら購入したまえ』と言われたもので。そのご好意に甘えさせて貰いました」
 そこで真澄が半ば呆れた様に口を挟む。
「随分気に入られたものだわね。でも返済の方は大丈夫なの?」
「無理の無い範囲で、順調に返済してますから。五年……、いえ、三年以内に完済してみせます」
 やけにきっぱりと言い切った清人に、真澄は幾分気遣うような視線を向けた。


「三年って……。何もそんなに急がなくても良いんじゃない?」
「いえ、借金持ちなんて論外ですし。それに……、グズグズしてると真澄さんが三十になってしまいますから」
「え? 今グズグズしてたら何って言ったの? 後の方が良く聞こえなかったんだけど」
「……いえ、何でも無いですから、気にしないで下さい」
「そう?」
 怪訝な顔をしながらも、真澄は取り敢えずそれについての話を終わらせた。そして部屋を見て感じた、根本的な疑問を口にする。


「でも……、一人暮らしなのに、どうして3LDKの物件を買ったの? 現に荷物を入れても余っている状態でしょう? 一部屋毎の広さも十分だし、贅沢な気がして……。清人君らしくないって思ったんだけど」
「それは……」
「何?」
 真顔での問い掛けに清人は何かを言いかけて口ごもり、真澄は益々不思議に思いながらその答えを待った。すると、少しの間言いよどんだ清人が、微妙に真澄の顔から視線を逸らしつつ、弁解するようにある理由を口にする。


「その……、将来親父が店を畳んだら、呼び寄せても良いかなと思いましたから……」
 それを聞いた真澄は、本気で驚いた。
「叔父様は、まだ五十になるかならないか位でしょう? それはちょっと気が早くない?」
「それはそうなんですが……。ずっと団地暮らしで店も賃貸物件ですし、何かあった時にすぐ暮らせる場所を確保しておこうかと……」
「まあ、確かにそうできれば、それに越した事はないでしょうね」
「それに……、ここは駅に近くて付近の商店街も繁盛してますし、もしこっちでも親父が働きたかったら、その場所を確保するのも可能かと思いましたから……」
 それを聞いた真澄はすっかり感心し、しみじみとした口調で清人を誉めた。


「……流石清人君ね。気配り方や、配慮の仕方が違うわ。浩一や玲二だったら何かあった時に親を引き取る為に、無理して広い物件を購入したりはしないわよ? 絶対自分の都合優先だと思うし」
「まあ、それが普通でしょうから……」
 何故か後ろめたさを感じたように清人が歯切れ悪く応じてから、さり気なく話題を変えた。


「ところで真澄さん。ここには電車で来ましたか?」
「いいえ、家の車で送って貰ったわ。友達の家に遊びに行くからって言って。運転手の柴崎さんは、清人君がここに住んでる事は知らないし、堂々と前で降ろして貰ったけど」
「そうですか……」
 僅かに気落ちしたように清人が応じたが、それには気付かないまま真澄が幾分腹を立てながら話を続ける。


「全く……。同年代の知り合いの中で、運転免許を持っていないのは私くらいなのよ? 働く条件として『通勤や休日の外出時は運転手に送迎させる』なんて条件、飲まなければ良かったわ。流石に仕事で出歩く時は、公共交通機関を使って構わないと言われているけど」
「社長も会長も、真澄さんの事が可愛くて仕方がないだけですよ」
 苦笑しながら清人が宥めたが、真澄は怒りが収まらないまま話を続けた。


「あんなのを庇わなくても良いのに……。『運転させんから免許は要らん』って取らせても貰えなくて、身分証明書を提示しなくちゃいけない時、保険証やパスポートを出すと怪訝な顔をされるのよ?」
「それは確かに、少し煩わしいかもしれませんね」
「でしょう?」
 清人に同意して貰って、取り敢えず怒りが静まったらしい真澄がカップを手にとって中身を飲んでいると、清人が僅かに考え込む様な素振りを見せてから確認を入れた。


「……友達の家に行く事にしたと言う事は、真澄さんは浩一達にも今日ここに来る事は言ってないんですね?」
「ええ。だってそんな事を言おうものなら『じゃあ俺達も一緒に行く』って五月蝿いもの」
(せっかく清人君と二人っきりで過ごせるのに、邪魔されてたまりますか)
 そんな本音は表に出さずに言ってのけると、清人が納得しながら小さく笑った。
「そうですか。確かに五月蝿くなりそうですし、呼ばれなくても押し掛けてきそうですね」
 そして清人も紅茶を味わっていると、真澄が再びしみじみと言い出した。


「……だけど、仕事を頑張ってるのも、これのせいだったのね。新人にしては立て続けに本を出して、順調な売れ行きみたいじゃない。あちこちの雑誌に寄稿してるみたいだし」
「マンションの事だけでは無いですが。書きたい物が色々あるので」
「それは作家としては良い事なんでしょうけど……、体調管理はきちんとしないと駄目よ? 特に今は、一人暮らしなんだし」
 本気で気遣ってくれていると分かる真澄のその口調に、清人は嬉しそうに表情を緩めた。


「ええ。分かってますから、大丈夫ですよ? 寧ろ……、実家の方が心配です。親父が居るから大丈夫かとは思いますが……」
 ついうっかり口にしてしまった内容に、清人が表情を消して黙り込む。何となく気まずくなってしまった空気を何とかしようと、とっさに真澄が口を開いた。
「え、えっと……、清香ちゃんももう六年生でしっかりしているし、大丈夫じゃない?」
「そうですね」
 両者とも半ば意図的にある人物の名前を出さなかったのだが、それには触れずに清人が話題を変えた。


「それで……、春から本格的に仕事を始めて、色々慣れない打ち合わせとかで忙しくて、夏以降は引っ越しの準備やら手続きとやらで忙殺されていましたから、声を掛けるのが遅れましたが、真澄さん、どこかに行きませんか?」
「え? 何が?」
 いきなり問い掛けられ、何の事を言っているのか捉えかねた真澄が問い返すと、清人は微笑んで事情を説明した。


「実は、柏木さんには連絡を取って、今年の夏のバカンス会からは俺が費用の全部を負担してるんです」
「え? そうだったの? お父様ったら、そんな事一言も……」
「別に一々言う事でもありませんから、俺も言いませんでしたし。『自力で稼げるようになりましたから、これからはお返しするつもりで費用を負担させて貰います』と言ったら、まだ気分を害されているようで『稼げなくなったら遠慮無く言いなさい。清香ちゃんに退屈な思いをさせたく無いのでね』と半分嫌味を言われましたが」
「……ごめんなさい」
(お父様の馬鹿! 無神経! 清人君は頑張って働いてるのに!)
 真澄は思わずうなだれて心の中で父親を罵倒したが、清人は気を悪くしたりはせず冷静に話を進めた。


「真澄さんが謝る事はありませんよ。それで……、以前話していたように、真澄さんには随分お世話になっているので、お返し代わりに費用は全面的にこちら持ちでデートしようかと思いまして。どこか行きたい所はありませんか?」
「え、えっと……」


(デートって……、確かに昔、そんな事を言われた事が有ったけど……。嬉しいけど……、それは清人君が過去に支払って貰った費用を律儀に返したいだけで、別に私だからどうこうってわけじゃ無くて……)
 話の流れは分かったものの、嬉しさと戸惑いが半々の状態で真澄が考え込んでいると、その様子を眺めていた清人が、多少心配そうに声をかけてきた。


「真澄さん? 俺と一緒に出歩くのは嫌ですか?」
 その言葉を耳にした真澄が、弾かれた様に反応する。
「そんな事は無いから! ただ……、清人君は働き出したばかりで忙しいそうだなって思って。付き合わせるのは悪いかな、と……」
 真澄が殊勝にそんな懸念を口にしたが、清人はそれを一笑に付した。


「そんな事は無いですよ。俺は自由業ですから時間はどうとでもなりますし、寧ろ就職して三年目の真澄さんの方が色々仕事を任されるようになって、大変じゃないんですか?」
「それは、まあ、それなりに……」
「ですから俺が、幾らでも真澄さんの都合に合わせますよ? だから変な遠慮なんかしないで下さい」
 そう明るく笑って言われた為、真澄も嬉しくなって思い付いた事を少しずつ口にしてみた。


「そう? それなら……、今ちょっと見に行こうかと思ってる展覧会があって、その近くに裕子お薦めの店があるの」
「じゃあのんびりと鑑賞しつつ、帰りに食事でもして来ましょうか。先輩お薦めなら外す事は無いでしょうし」
「あと……、久しぶりに水族館とか行ってみたいわ」
「良いですね。どうせなら景気良く、全館貸切にしますか?」
 清人が茶化す様にそんな事を提案してきた為、真澄が慌てて思いとどまらせようとする。


「ちょっと止めて! 流石に2人きりで見て回るのは恥ずかし過ぎるわよ!」
「冗談ですよ」
「もう。何かやりかねない顔付きだったから、一瞬本気にしちゃったわ」
 思わず恨みがましく呟くと、清人がまだ笑いを含んだ声で答える。


「そうですか?」
「そうよ。本当にタチが悪いんだから」
 そう言って拗ねたように紅茶を飲む真澄を笑顔で眺めてから、清人は尚も促した。


「他にはありませんか?」
「そうね……、もう少ししたら紅葉狩りに行かない?」
「ええ、車も買いましたから足は心配ありませんし」
 さり気なく言われた台詞に、真澄が当惑した表情で問いかける。
「買った、……って。清人君、免許は?」
「在学中に自動車学校に通って取っておきました」
 サラリと言われた内容に、真澄は呆れたように溜め息を吐いた。


「……もう何を聞いても驚かないわね。全く、陰でコソコソ何をやってるんだか」
「呆れましたか?」
 苦笑しながらのその問い掛けに、真澄が小さく肩を竦める。
「半分はね。半分は誉めてるのよ?」
「それは良かった」
 真面目くさって頷いた清人に真澄は思わず笑いを誘われ、それを見た清人も笑顔になり、室内には終始穏やかな空気が満ち溢れていたのだった。



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