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いつか王子様が……

篠原皐月

小さな隠し事~真澄、十八歳の初夏~

 真澄が叔母一家に合格祝いをして貰ってから約二ヶ月後。色々と悩んだ末、真澄は午後の講義の休み時間に、廊下の隅でコソコソと人目を憚るようにして電話をかけた。
「はい、楓亭です」
「……あの、真澄です。叔父様、今、お時間は大丈夫ですか?」
 すぐ出て貰えた事に安堵しながらも、相手の都合を気遣う台詞を真澄が口にすると、電話の向こうの清吾が幾分当惑した口調で返してきた。


「真澄さん? ええ、私は大丈夫ですが……」
「その……、叔母様は近くに居ませんよね?」
 注意深く念を押す真澄に、益々不思議そうに清吾が答える。
「はい、今店には私一人です。どうかしたんですか? わざわざ店の方に電話をしてくるなんて」
 そこで真澄は気合いを入れ、本題を口にした。


「あの……、叔父様に折り入ってご相談したい事がありまして」
「相談、ですか? 香澄ではなく私に?」
「はい。叔母様や清人君には内緒にしておいて欲しいので、ご迷惑かとは思いましたが、お店の方に電話をさせて貰いました」
「それは構いませんが……、何でしょうか?」
 一応納得した口調で促してきた清吾に、真澄は慎重に問い掛けた。


「お尋ねしますが、先月の私の合格祝いって、清人君が言い出したんじゃないんですか?」
 そう尋ねると、電話の向こうから一瞬遅れて苦笑いの気配が伝わってくる。
「……ああ、やっぱり分かりましたか」
「その……、合格発表の日に清人君がお祝いの電話をかけてきてくれた時、私が少し愚痴を零してしまったので、そうじゃないかと思ったんです」
 真澄が(やっぱり清人君が提案してくれたんだ……)と嬉しく思いながら、そう推察した理由を説明したが、何故か清吾は怪訝な口調で呟いた。


「は? 清人が前日に電話? していたかな……」
「はい。コンビニに行く途中で、公衆電話からかけてくれたみたいでしたが」
 それを聞いた清吾は、多少驚きながらも納得した様な口調で応じる。
「その話は初耳でしたね。てっきり香澄から真澄さんが合格した話を聞いて、考えたと思っていたんですが……。そうか、俺達に内緒でこっそり電話してたんですか……、あいつもなかなか……」
 何やらボソボソと呟いてから小さく笑っている清吾を、真澄は怪訝に思って声をかけた。
「どうかしましたか?」
「ああ、すみません。何でもありませんから。それで、どうかしましたか?」
 そう問われた真澄は、再度問いを重ねた。


「その……、お店を閉めて貸切みたいになってたのも、清人君が言い出したからですか?」
 それに清吾が楽しそうに笑って答える。
「確かにあいつが『香澄さんや清香にする時と同様にして欲しい』と言いましたが、私も香澄も同意見でしたよ?」
「……ありがとうございます」
 嬉しくなって素直に礼を述べると、清吾は明るい口調のまま続けた。
「いいえ、香澄が真澄さんの事を妹みたいに思っているなら、私にとっても家族同然ですから、あれ位当然ですよ?」
 流石にちょっと照れくさくなった真澄は、これ以上礼を言うのを繰り返すのは止めて、話を進めようとした。


「えっと、それで、今日お電話したのは……」
「はい」
「…………」
「真澄さん?」
(うぅっ、やっぱり恥ずかしい……。叔母様には何となくバレてる気がするんだけど、これを言ったら叔父様に気付かれそうで……)
 恥ずかしさで怖じ気づいた真澄が黙り込んでしまうと、清吾は口調を一変して、些か焦ったように声をかけてきた。


「真澄さん、急に具合でも悪くなりましたか? 大丈夫ですか? 周りに人が居ないなら、電話を切って救急車を」
「だ、大丈夫です! 体調は絶好調ですから! その、清人君が好きなお料理のレシピを頂けないかと思いまして、お電話しました!」
「はい?」
 慌てて勢いに任せて真澄が電話をかけた最大の理由を説明すると、予想に違わず清吾は当惑した声を返してきた。それに構わず、真澄はその勢いのまま考えていた事を一気に言ってのける。


「えっとですね……、清人君がこの前のお祝いを発案してくれたみたいなので、これから何か清人君に関してのお祝い事とかあったら、その時はお返しに私が何かお料理を作ってお祝いしてあげたいな、とか思いまして……。それならやっぱり清人君の好きな食べ物の方が良いんじゃないかと思いましたので、叔父様に聞いてみようかと……」
 段々勢いが失せて最後は消え入る様な声になってしまったが、清吾は納得したように嬉しそうに返してきた。
「ああ、なるほど……。そういう事ですか、良く分かりました。しかし、わざわざこちらにかけなくても、家にかけて香澄に聞いても良かったのでは?」
 その素朴な疑問に、真澄は溜め息を漏らしながら理由を説明する。
「その……、叔母様にこんな事を聞こうものなら、冷やかされてからかわれた挙げ句、清人君にバラしそうですから……」
 そう告げると、電話の向こうで清吾が小さく噴き出した。


「ははっ……、確かにそうですね。安心して下さい真澄さん、私は口が固い方ですから。実際にご馳走してくれる日まで、清人にも香澄にも内緒にしておきたいんですよね?」
「はい。恥ずかしいんですが、私は殆ど料理はした事が無いもので。実際に作れる様になるには時間がかかるかと思いますし……」
 益々肩身が狭い思いをしながら真澄が正直に告げると、清吾は穏やかな声で宥めた。


「そんな事、気にしなくて良いですよ? 分かりました。二人には内緒で、あいつが好きな料理のレシピを用意しておきましょう。今度いつ来られますか?」
「月末辺りに伺おうかと思っていました」
「じゃあ、それまでには準備しておきます。勿論、ずっと黙っていますから安心して下さい」
「ありがとうございます!」
 そうして二・三の事柄を確認してから電話を切った真澄は、深々と安堵の溜め息を吐いた。


「良かった。やっぱり思い切って電話してみて正解だったわ。叔父様ってやっぱり見掛けによらず紳士よね。馬鹿にしないで話を聞いてくれたし」
 そう言って上機嫌で講義室に戻って行った真澄は、(今度清人君の家に行くと時は、何を着ていこうかな~)などと呑気な事を考えていたのだった。




 そして月末、約束通り訪問時に清吾からこっそりとレシピを貰った真澄は、満面の笑みで礼を言い上機嫌で帰宅した。しかしそれから一ヶ月程経過したある日、真澄は以前と同じ様に店が準備中の午後の時間帯を狙って、再度楓亭に電話を入れる事態に陥っていた。


「はい、楓亭ですが」
「……っ!? すみません、間違えました。ごめんなさい。失礼しましたっ!」
 いきなり電話越しに聞こえた声に、真澄は一瞬心臓が止まりそうになり、狼狽しまくりながら何とか間違い電話を装って電話を切った。そして変な動悸を覚える胸を片手で押さえ、もう片方の手を壁に付いて必死に呼吸を整える。


「なっ、何で清人君が電話に出るのよ? 心臓に悪すぎるわ……」
 予想外過ぎる出来事に、真澄の疲れ切った呻き声が漏れた。
「……今日は高校がお休みだったのかしら? 何かドッと疲れが……。少し休もう」
 そして深呼吸を何回か繰り返して気持ちを落ち着かせた真澄は、再度電話をかけて電話の向こうの反応を慎重に待った。


「はい、楓亭です」
「すみません、叔父様。まだ店内に清人君が居るなら速攻で切りますので、教えて頂けませんか?」
 清吾が出てくれた事に安堵しながらも、側に清人が居るなら迂闊な話はできないと真澄は慎重に確認を入れたが、清吾は笑ってその懸念を否定した。
「清人ならもう家に帰りました。今日は短縮授業の上部活も無くて早く帰って来たそうで、忘れ物を届けて貰うように頼んだだけでしたから。ひょっとして、さっきの間違い電話は真澄さんだったんですか?」
「はい。いきなり清人君が出たので、焦って切ってしまいまして……」
「ひょっとしたらそうかなと思っていたんですが。それで今日はどうしたんですか?」
 小さく笑ってから清吾が問い掛けてきた為、真澄は勢い良く頭を下げながら電話の向こうに詫びを入れた。


「その…………、すみません叔父様! 私、叔父様のレシピを燃やしてしまいました! 本当にごめんなさい、申し訳ありません!!」
(うぅ……、本当に最低。せっかく叔父様が書いてくれたのに……)
 電話をかけている場所は前回同様大学の校舎内であり、いきなり喚くように謝罪して壁にもたれかかったり、電話したまま壁に向かって勢い良く頭を下げている真澄を、通りすがりの者達は不審人物を見るような目つきで遠巻きに眺めていたが、そんな事を気遣う余裕は真澄には無かった。電話越しにもその切羽詰まった様子が伝わったのか、清吾が困惑した口調で宥めてくる。


「あの……、真澄さん? そんなに謝らなくても良いですよ?」
「でもっ!」
「真澄さんが人から貰った物を、わざと燃やしたりするような人ではないのは分かっていますから」
「確かにわざとではありませんが……」
「取り敢えず落ち着いて。差し支えなければ、レシピが燃えてしまった経緯を教えて頂けませんか? まさかとは思いますが、自宅が火事で全焼したわけではありませんよね? それなら流石に香澄の所に連絡があるかと思いますし」
「ちっ、違います。家は大丈夫ですから!」
 そこで無用な心配までかけられないと、真澄は正直に事の次第を伝える事にした。


「それは良かった。それなら何が起こっても大した事はありませんよ」
「はぁ……」
(却って叔父様に心配かけちゃった……、と言うか、落ち着かせて貰っちゃったわね)
 何とか冷静さを取り戻した真澄は、言い難そうに話し始めた。
「あの……、実は、レシピの中の料理を幾つか作ってみようとして、うちのシェフに頼んで厨房を貸して貰ったんです」
「ああ、早速作ってみてくれたんですか」
 思わず嬉しそうに口を挟んできた清吾に、心の底から申し訳ないと思いつつ、真澄は話を続ける。


「それが……、ゆで卵を作ろうとして、卵をレンジに入れたら爆発しまして……」
「はい?」
 清吾が困惑した声を出した事は分かったが、真澄は敢えて無視した。
「その時、偶々揚げ物用のお鍋を熱くして、そこに油を注ごうとしていた所だったので、驚いて手元が狂って大量に零してしまいまして……」
「あの……、真澄、さん?」
 恐る恐る問い掛けてきた清吾の声を、真澄は聞かなかったふりをした。
「そうしたらそれに引火して鍋の中と周囲が派手に燃え上がりまして。横に置いていたレシピ集にまで、燃え移ってしまいました……」
「……本当に、お家は炎上しなかったんですか?」
 もの凄く疑わしげに尋ねてきた清吾に、ここで真澄が項垂れながら答える。


「はい、何とか……。その時、燃え上がってるお鍋の中に葉物野菜を入れれば鎮火するみたいな事をチラッと聞いた覚えが有ったので、手元にあった白菜を使おうかと」
「いえ、それも結構危ない方法ですが……」
 殆ど唖然としながら呟いた清吾に、真澄が弁解する様に続けた。
「でも大きな白菜でしたから、切らないと鍋から転がり落ちて危険かと思って、それを半分に切って入れようと思ったら、焦っていたので包丁を振りかぶった瞬間後ろにすっぽ抜けて、ちょうど水を飲みつつ進行具合を見ようとしてやってきたシェフが、慌てて消火器で火を消そうとして屈んだ所を、鼻先を掠めて包丁が壁に突き刺さって彼が気絶してしまいまして……」
 そこで清吾がすこぶる冷静に問い掛けてきた。


「その方の命に別状は?」
「大丈夫でした。でも救急車と消防車が来る騒ぎになってしまいまして……。当面厨房への立ち入り禁止を申し渡されてしまいました……」
 言うだけ言って面目なさそうに項垂れた真澄が黙り込むと、清吾が真剣な口調で問い質してくる。


「……真澄さん」
「はい」
「火傷とかはしませんでしたか?」
「……一応無傷です」
「それは良かったです……」
 それから電話の向こうとこちらと双方で沈黙が続き、真澄は居たたまれなくなった。
(うっ……、沈黙が胸に痛いわ。絶対叔父様に呆れられたわよね? あんな普通なら有り得ない状況で、レシピを燃やしてしまうなんて……)
 激しく自己嫌悪に陥っていた真澄だったが、ここで清吾が予想外の事を言い出した。


「……真澄さん、申し訳ありません。その騒動は、全面的に私の配慮不足から生じた事態です」
 如何にも悔恨が込められたその口調に、真澄は完全に面食らった。
「え? どうして叔父様に非があるんですか?」
 すると清吾は真面目に真澄に問い掛ける。


「真澄さん……。学校の家庭科で調理実習の時、同じ班の人達から『黙って料理をしているふりをしていれば良いから』と言われてその通りにして、周りが全部やってくれたでしょう?」
「……確かにそうですが、どうして叔父様にそれが分かるんですか?」
「香澄がそう言ってましたから。そうですよね、真澄さんは香澄の姪ごさんですから、いきなり普通に料理をしようとしたら、どういう状況になるかは十分察せられた筈なのに……。しかも一人でだなんて……、危険極まりない。私が渡したレシピが原因で真澄さんが大怪我したり、柏木さんのお宅が全焼しなくて良かったです……」
(叔母様……、あなたは叔父様の目の前で、一体どんな事をしでかしたんですか?)
 しみじみと悔いる口調で呻く清吾に、真澄は過去の叔母がしたと思われる所業について思わず考え込んだ。すると口調を改めた清吾が、力強く言い切った。


「分かりました。真澄さん、レシピの事は本当に気にしなくて良いです。寧ろ一般向けの、分かり難い物をお渡ししてすみませんでした」
「そんな! 叔父様に謝って頂く理由は有りませんから!」
 慌てて再度頭を下げた真澄だったが、清吾は誠実な口調で続ける。
「いえ、今度来るまでに新しいレシピを準備しておきますから、受け取って下さい」
「叔父様、そんな事……」
 流石にこれ以上迷惑はかけられないと躊躇した真澄だったが、ここで清吾は笑いを含んだ口調で優しく言い聞かせてきた。


「せっかく清人の為に作りたいと言ってくれたんですから、私としては真澄さんに簡単に諦めて欲しくないんですよ。本当にご迷惑なら止めますが」
 そこまで言われた真澄は、ありがたくその好意を受け取る事にした。
「いえ、是非頂きたいです。ありがとうございます!」
「どういたしまして。じゃあまたお待ちしてます」
 そうして最初悲壮な顔付きで電話をしていた真澄だったが、笑顔で会話を終わらせる事ができた。そして心の底から安堵しながら、携帯を見下ろして呟く。


「叔父様が優しい人で、本当に良かったわ。正直に謝って良かった。叔母様が好きになったのも分かるわね……。未だに毛嫌いしている、お祖父様の気が知れないわよ。全く」
 最後は不愉快な事を思い出して渋面になったものの、正直に清吾に告げるかどうかここ何日か悩んでいた真澄は、その懸念が払拭されてすぐに笑顔に戻ったのだった。




「お帰りなさい、叔父様。お邪魔しています」
「やあ、こんにちは、真澄さん。香澄と清香は首尾良く外に出せたんですね。清香が真澄さんから離れないと思ったんですが、どうやったんですか?」
 家に帰ると一人で留守番をしていた真澄を認めて、清吾は怪訝な顔をした。すると真澄は多少視線を彷徨わせてから、恐縮気味に口を開く。


「その……、『ちょっとお留守番というものをしてみたい』といったら、あっさり清香ちゃんを連れて買い物に行ってくれまして……」
「お留守番、ですか?」
 僅かに当惑した表情を向けて来た清吾に、真澄は幾分恥ずかし気に言葉を継いだ。
「すみません、私、実際に一人でお留守番をした事がないものですから、試しに叔母様に言ってみたら『これも一種の社会勉強よね』と納得して出かけてくれました」
 それを聞いた清吾は、呆れ半分、感嘆半分の呟きを漏らす。


「……それであっさり納得して、客人を放り出して買い物に行く香澄も香澄ですが、それを見越して話題を振った真澄さんは流石です」
「叔母様とは同じ環境で育っていますから、そう言ったら一人にさせてくれるかなと思いまして……。それで清人君は……」
「予め真澄さんが到着時刻を一時間遅く香澄に連絡しておきましたから、清人はまだ当分部活から帰らない筈ですよ?」
 そう保証して貰った真澄は、漸く安心した様に表情を緩めた。


「良かった。この前は受け渡しの時、三人に見られるんじゃないかとヒヤヒヤしましたから」
「私も流石に今度の物は、他の皆に気付かれずに素早く渡せるかどうか不安でした」
 そう言いながら清吾は整理箪笥の引き出しを開けて、A4判の茶封筒を引っ張り出すと真澄に手渡した。
「じゃあ早速お渡しますから。これです、真澄さん」
「え? こんなに?」
 中身を確認しようと封筒から引っ張り出してみた真澄は、厚さ二センチ近くは有りそうな紙の束を見て驚愕したが、清吾は苦笑いしながら解説した。


「色々詳しく書き込んでいったら、結構な分量になってしまいまして……。レシピの数としてはそんなに多く無いんですよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。それに前回渡した分は、何も考えずに清人の好物を選んだので、ちょっと手の込んだ物が多かったんです。それで今回は、清人の好きな物で比較的作りやすい物を足しておきましたから、まずそちらの赤い丸を付けておいた方から試してみて下さい」
 そんな説明を受けて、真澄は一通り中身に目を走らせてみた。そして清吾が言った内容を理解する。


(本当だわ……。赤い丸を付けてあるのは、比較的手順とか工程が少なくて簡単そうな物ばかり。それに前回書いて貰った料理のレシピも、凄く分かりやすく書いてある。切り方とかは名称だけじゃ無くて一々図解してあるし、分量や火の通し方も『適宜』とか『少量』とかじゃなくて、具体的に書き直してあるわ。それにその作業をする意味とか理論上の事まで書いてあるから、理論的に納得できて覚えやすいかも)
 清吾が時間を見つけてコツコツ書き溜めてくれたであろうそれを両手で抱え込み、真澄は嬉しさと申し訳無さで胸が一杯になった。


「何だか余計に気を遣わせてしまって、申し訳ありません。それに、その……」
 そこで口ごもった真澄だったが、清吾には彼女の言いたい事が手に取るように分かっていた。
「分かっていますよ。台所使用禁止令が出ているんですよね?」
「はい」
「清人にご馳走して貰うのは真澄さんが台所を使えるようになって、じっくり練習できてからで構いませんよ? 十年後でも二十年後でも、あいつは絶対喜びますから。焦って練習して怪我や火傷をされたりしたら、それこそ私の立場がありません」
「ありがとうございます。下手したら本当に十年位かかりそうですけど、絶対清人君にご馳走しますね。お約束します」
 恥ずかしそうに笑いながらそう誓ってくれた真澄を、清吾は微笑ましく見やった。


「そんなに喜んで貰えるなら、準備した甲斐があったな。私も嬉しいです」
「あの、今度は絶対に同じ事は繰り返しませんから。叔父様が手間暇かけて準備してくれた物ですから、一生大事にしますね!」
 心からの笑顔でそう告げると、清吾も優しい笑顔になって右手を伸ばし、真澄の頭を軽く撫でながら言い聞かせた。


「真澄さんとは血が繋がっていませんが、香澄の姪なら私の姪でもあるんですから……。こんな物で良かったらいつでもあげるから、遠慮無く言いなさい?」
「はい、ありがとうございます!」
 そうして笑顔で笑い合ってから「誰かが帰ってくる前に、それをしまっておきなさい」と清吾に促された真澄は、慌ててガサガサと音を立てながら持参した大きいショルダーバッグに封筒を詰め込んだ。間一髪、そこで「ただいま~、ますみお姉ちゃん、おるす番どうだった~?」との声と共に清香と香澄が現れ、真澄は安堵の溜め息を漏らし、それから更に三十分程して清人が帰宅した。 


「……ただいま」
 どこか不機嫌そうな制服姿の清人が、学生鞄とスポーツバッグを手に挨拶してくると、ババ抜きをしていた四人が笑顔で出迎える。
「おう、お帰り清人」
「お帰りなさい」
「お兄ちゃんおかえりなさい。ますみお姉ちゃん、もう来てるよ?」
「……ああ」
 そしてチラリと清人が真澄に目を向けると、真澄は見慣れない清人の制服姿に僅かに動揺しながら笑顔を向けた。


「お帰りなさい、清人君。お邪魔してます」
「いえ……」
 しかし黙ったまま、何やら物言いたげな表情で真澄の顔を見ている清人に、真澄は首を傾げる。
「どうかしたの?」
「……何でもありません。向こうで着替えてきます」
(どうしたのかしら?)
 さり気なく視線を逸らして奥の和室に消えた清人を不思議そうに見ていると、清吾が腰を上げて真澄に声をかけてきた。


「真澄さん、私はそろそろ店の方に行きますので、失礼します」
「いえ、お仕事頑張って下さい」
「はい」
 笑顔で挨拶を交わし、清吾が台所を抜けて玄関に向かうと、トランプを集めていた清香が真澄に声をかけた。


「ますみお姉ちゃん、こんどはさやかが切っておくね?」
「ええ、ありがとう」
 香澄は出掛ける間際の清吾と何やら話をするため部屋を出てから、そのまま台所で何かしていて戻らず、二人きりの部屋で清香が唐突に言い出した。


「そういえば……、ますみお姉ちゃんがふつうの日に来るって珍しいね」
「そ、そうね……。ちょっと時間が空いたから、清香ちゃんの顔が見たくなっちゃって。夕飯前には帰るから慌ただしいけど」
(だって、土日とかだと清人君やその他大勢が周りに居る可能性が大だから、叔父様と安心してレシピの受け渡しできないもの……)
 多少後ろめたい思いを抱きつつ、真澄がそれらしく理由を説明すると、清香が部屋の隅に置かれたバッグに目を留めた。


「あれ、ますみお姉ちゃんのかばんだよね?」
「え、ええ、そうよ?」
「きょうは大きいねぇ……。いつもかわいい物ばっかりなのに」
「ちょ、ちょっとここに来る前に買い物をしてね。中に入る様に大きい物を持って来たから」
(無意識? 無意識よね? 何だか尋問されているような気が……)
 冷や汗を流しながら弁解すると、清香は真澄の背後に目を向けて無邪気に笑った。


「あ、お兄ちゃん、いっしょにトランプしよう!」
「……ああ、分かった」
 いつの間にかTシャツとジーンズに着替えて、背後に立っていた清人に驚きつつも、真澄はこれ以上清香に追及される事は無いだろうと安堵した。
 それから三人でババ抜きを再開したが、清人が清香の視線を追ってわざと清香の手札からジョーカーを引いたり、神経衰弱では直前に出たカードをわざと取らずに清香の番に回したりと、本人には分からない様に巧みに手加減してやっているのを見て微笑ましく思った真澄は、思わず感想を口にした。


「清人君ってお父さん似よね?」
「はぁ? いきなりなんですか。それにそんな事を言われたのは初めてですよ?」
 自分が耳にした内容が信じられない様な顔で振り向いた清人に、真澄は笑い出したいのを堪えながら話を続けた。
「だって面倒見が良くて優しいし、言葉遣いが丁寧だし」
 ニコニコと笑いながらそう指摘したが、何故か清人は微妙に真澄から視線を逸らしながら、控え目に否定した。


「それは……、俺も父さんも真澄さんの前だからですよ? 家族だけとかならもっと砕けた話し方です」
 それを聞いた真澄は、不思議そうに清香に尋ねてみた。
「そうなの? 清香ちゃん」
「う~ん、そうだね」
「ふぅん? でも言葉遣いはそうでも、優しくて面倒見が良いのは変わらないわよね?」
「そうだよね~」
 清香と二人、にっこり笑い合っていると、清人が唐突に言い出した。


「真澄さん、父さんと仲が良いですよね?」
 その質問に些か驚きながらも、真澄は素直に答えた。
「それは……、叔母様の結婚相手だし。悪い人じゃないとは思ってたけど、実際にお話してみたら楽しいし、色々親切にしてくれるし。嫌う方がおかしいんじゃないの?」
「そうですか……」
(本当に、お祖父様ったら石頭なんだからっ!)
 そんな事を考えて総一郎に対して密かに腹を立てた真澄は、次にしみじみとした声で告げた。


「そうよね……、叔父様の様な人と結婚できた叔母様が羨ましいわ」
 それを耳にした清人が、僅かに驚いた顔で控え目に問い掛ける。
「俺が言うのもなんですが、結婚相手がかなり年上のバツイチ男でも良いなんて、香澄さん位奇特な人はそうそう居ないと思いますが」
「あら、年上だから色々頼れて良いんじゃない。私が言える立場じゃ無いけど、香澄叔母様って世間知らずのお嬢様だし、丁度良かったと思うわよ?」
「そうかもしれませんが……」
 そこで口ごもって再び視線を逸らした清人に、真澄は不思議そうに問い掛けた。


「どうかしたの?」
「いえ、何でもありません。気にしないで下さい」
「そう?」
 そこで香澄が清人と真澄のお茶を持って来たことで会話が途切れ、真澄がその感じた疑問は、うやむやになったのだった。

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