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世界が色付くまで

篠原皐月

第59話(最終話) 色鮮やかな世界

 宿泊先のホテルでソファーに収まって本を読んでいた明良は、ふと顔を上げてデジタル表示の現在時刻を確認し、軽く眉を顰めた。
「フロントに鍵は預けてあるんだが……、浩一さん、随分遅いな。結構厳しい職場なのか?」
 そんな独り言を零してから、顎に手を当てて考え込む。


「困ったな。真澄姉にどう報告したものか……。お、やっと来たかな?」
 奥のドアの方から物音と気配がしたと思ったら、勢い良く手前のドアが開いて漸く待ち人が姿を現した為、明良は座ったまま笑顔で手を振った。
「お疲れ様です、浩一さん。でもちょっと遅いですよ?」
 しかし怒りの形相で足早に歩み寄った浩一は、明良の服の喉元を掴み上げつつ、盛大に叱りつける。


「明良! お前って奴はぁぁっ!! ここまで遅くなったのは、一体誰のせいだと思ってやがるんだ!?」
「あはは、すみません。半分は俺のせいです。でも結構厳しい職場なんですか? 就職早々、こんな時間まで拘束されるなんて」
 前半は苦笑いで、後半は懸念顔で明良がそう口にすると、浩一は明良の服から手を離し、微妙に視線を逸らしながら、落ち着いた口調で告げた。


「指示した仕事を今日中に終わらせたら、明日休みを取って良いと部長に言われた」
 それを聞いた明良は、ちょっと感動した。
「おおぅ、目一杯私用なのに、いきなり休みを取らせてくれるなんて、何て理解のある上司さん。同僚の人達は容赦の無い人達ばかりみたいだけど」
「あいつらが、明日俺が休みを取れる様に、部長に掛け合ってくれた」
 それを聞いた明良は、とうとう我慢できずに噴き出した。


「ははっ! そうだったんですか。それはそれは。すこぶるノリが良くて、フレンドリーな職場なんですね。俺も真澄姉に良い報告ができそうで、良かったです」
「そうだな」
 そして男二人で苦笑いの顔を見合わせてから、真顔になった浩一が尋ねてきた。
「ところで恭子は?」
 その問いに、隣の部屋に続くドアを指差した明良は、小さく肩を竦めながら答えた。


「奥の寝室で熟睡してます。浩一さんの会社を出てから、早めの夕飯を食べさせて、すぐに休んで貰ったんですよ。初めての十二時間以上のフライトに加えて、時差ボケに極度の緊張でバタンキューでした」
 しみじみとした口調で説明されて、その場の状況が目に浮かんだ浩一は、明良の向かい側のソファーに腰を下ろしながら申し訳無さそうに礼を述べた。


「今回は本当に世話をかけたな。すまなかった」
「いえ、本当は到着した翌日に浩一さんの所に行こうと考えていたんですが、本人が『余計な事を色々考える前に、とっとと行きます!』と強硬に主張して。結局押し切られて、午後に到着後すぐ移動して、夕方に会社に押しかける強行軍になってしまったものですから」
「面倒をかけたな。職場で明良まで、変な目で見られたと思うし」
 申し訳無さそうに告げた浩一に、明良は苦笑いした。


「俺はもう行く機会は無いから、構わないですよ。それより浩一さんはどうなんです? 休み明けが大変じゃありませんか?」
 それに浩一は、溜め息を吐いて応じる。


「……この際、自分の忍耐力の限界を試そうと思う」
「頑張って下さい。ああ、そういえば、真澄姉から伝言があったんです」
「何だ?」
 怪訝な顔になった浩一が何気なく尋ねると、明良は慎重に思い返しながら口を開いた。


「ええと……、『柏木家の男は呪われているから、息子が生まれたら子供のうちから言い聞かせておきなさい』だそうです」
 それを聞いた浩一は、何とも言い難い顔付きになった。


「明良……、できれば詳しい解説を頼む」
「それが……、真澄姉の考えでは『おそらく結婚話を反故にして女を捨てたご先祖様がいて、その女の恨みを買って肝心な所でヘマをする呪いが、柏木家の子孫にかけられているに違いない』だそうです」
「悪い。益々意味不明なんだが?」
 本気で頭を抱えてしまった浩一に、明良はここで真顔で告げた。


「取り敢えず浩一さん。国際線のチケットを渡すなら、相手がパスポート保持者かどうか位は、確認しておいた方が良いと思います」
「……え?」
 真剣そのものの表情でそんな事を言われてしまった浩一は、驚愕の顔付きで固まった。そして数瞬の後、呆然とした口調で問い返す。


「彼女、持って無かったのか?」
「……今の発言、聞かなかった事にします」
「すまん」
 思わず片手で顔を覆って、項垂れた浩一を気の毒そうに眺めやってから、明良はわざと明るい口調で声をかけつつ立ち上がった。


「それじゃあ、俺はめでたくお役御免と言う事で、これで失礼します」
 突然そう言われて、浩一は慌てて顔を上げた。
「明良、お前こんな時間にどこに行く気だ? もうじき日付が変わるぞ?」
「このスイートルームとは違う階のシングルを、俺用に押さえてあるんですよ。これ以上、野暮な真似はしません」
 そう言って笑った明良に、浩一も立ち上がって右手を伸ばした。


「そうか。本当に色々ありがとう」
「いえ、お疲れ様です。俺は早速明日か予定の撮影場所に飛びますが、二週間位でまたN.Y.に戻りますので、戻ったら連絡を入れます」
「分かった。気を付けて」
 そして握手をして明良をドアまで見送ってから、浩一は部屋に入るなり放り出した鞄を回収しつつ、寝室へと向かった。


 静かに室内に入ってみると、ダブルベッドの上は人一人分こんもりと盛り上がっており、先程明良が述べた様に疲れ切って熟睡しているのか、浩一が入って来た事にも全く気が付かない風情で、身動き一つしていなかった。


「……恭子?」
 ベッドまで歩み寄って、小さく声をかけてみてもそれは変わらず、浩一は小さく笑う。
「熟睡してるか。無理もないな」
 そう呟いてから、ベッドの端に腰掛けた彼は、上着のポケットからリングケースを取り出しつつひとりごちた。


「それじゃあ、先に済ませておくか」
 そのケースから、彼女の誕生石であるガーネットを中心に据え、その左右に小粒のダイヤが対称的に数個ずつ配置された指輪を取り出すと、浩一は毛布の下から恭子の左手を引き出し、その薬指に指輪を嵌めた。
 引っかかりもせず、また緩くて回ったりもせず、彼女の指にぴったり収まったそれを見て、浩一は満足そうに微笑み、元通り腕を毛布の中に入れて立ち上がった。
 その後、暫くしてバスルームからバスローブ姿で戻ってきた浩一は、恭子が眠っているベッドに入ろうとして、少し考え込んだ。そして笑いを堪える表情で、未だ眠ったままの恭子に小声で語りかける。


「よくよく考えてみたら、君が寝ているベッドに、俺が後から入り込むのは初めてか?」
 そしてクスッと小さく笑ってから、自身の身体を布団の中に滑り込ませた。
「確かに君と一緒にいたら、俺もこの先、たくさんの初めての事を経験できそうだ」
 楽しそうに呟いた浩一は、一向に目を覚ます気配が無い熟睡中の恭子の身体を、慎重に両手で引き寄せる。


「これからする事が山積みで、忙しくなるな。諸手続に申請書類の作成……、もう少し広い部屋も探して貰わないと。だけど……」
 そんな独り言を呟きながら、浩一は恭子をしっかりと腕の中に抱き込んで、翌日の予定を決めた。
「取り敢えず明日は君の補充と、マリッジリングを買いに行かないとな」
 そして満足そうに微笑んだ浩一は、僅かに両腕に力を入れて、ゆっくり目を閉じた。


「……おやすみ、恭子」
 そうして未だ問題や懸案事項は山積みな浩一ではあったが、その夜は久しぶりに全く不安を感じずに、穏やかな眠りにつく事ができたのだった。




 ※※※




 梅雨の時期に入ったにも関わらず、珍しく晴れ上がったある日。朝食を済ませて柏木産業に雄一郎と清人を送り出した柏木邸に、客人が一人やって来た。


「真澄様。明良様がいらっしゃいました」
「こちらに通して頂戴」
「畏まりました」
 使用人と孫娘のやり取りを聞いて、広い応接室で真一をあやしつつ談笑していた総一郎は、怪訝な顔になった。


「何だ? 明良が来る用事が有ったのか?」
「ええ。ちょっとした事を頼んでいまして」
「そうなの?」
 玲子も真由子を抱っこしながら不思議そうな表情になったが、真澄は惚けてそれ以上は語らず、自身のカップの中身を飲み干した。するとすぐに、案内されてきた明良が顔を見せる。


「こんにちは、お祖父さん、玲子伯母さん。真澄姉、頼まれた物を持って来ました」
「ご苦労様。色々面倒をかけて悪かったわね」
「とんでもない。真澄姉と清人さんの命令なら、どこへでも行きますよ」
 労いの言葉をかけた真澄に、明良は笑って応じながら彼女の隣に座り、持参したショルダーバッグの中から、大判の封筒を取り出した。


「じゃあ取り敢えず、これをどうぞ」
「ありがとう」
 差し出されたそれを受け取り、早速中身を取り出してみた真澄は、その写真を見て感嘆の声を漏らした。
「あら、やっぱりプロね。綺麗に撮れてるじゃない」
「そりゃあ、これで飯を食ってるんですから」
 明良が苦笑しながら言葉を返すと、テーブルの向こうから玲子が不思議そうに声をかけてくる。


「あら、それは何?」
「浩一の結婚式の写真です。お母様も見ますか?」
「まあ! そんな物があるの? 見せて頂戴!」
 嬉々として腰を浮かせた玲子から、すかさず明良が真由子を受け取り、真澄は母親に手元の写真を手渡した。そして年齢も肌や瞳の色調も雑多な集団の中にあって、新郎新婦が揃いの白い衣装に身を包んだ集合写真を眺めた玲子が、しみじみと感想を述べる。


「やっぱり綺麗ねえ、恭子さん。浩一も我が息子ながら、なかなかの男ぶりじゃないの」
「そうですね」
「全く、息子の結婚式だっていうのに、親が出席できないなんて……。あの人のせいで」
 そこでブチブチと夫の悪口を呟き出した玲子の手元を横目で眺めながら、総一郎が不機嫌そうに口を挟んできた。


「仕方あるまい。相手が相手じゃからの。大体、浩一も浩一じゃ。あんな女に誑かされおって」
「お祖父様」
「そういえば真澄。後からお金を渡すから、清人さんに渡してくれないかしら?」
 祖父に文句を言おうとした所で、玲子が突然脈絡の無さそうな話を持ち出してきた為、真澄は目を丸くしながら尋ね返した。


「お母様? 清人にお金を借りていたんですか?」
「いいえ。私が借りた訳ではないし、返す筋合いも無いのだけれどね。ちょっとした年寄りの尻拭いよ。銀行振込手数料七回分と言えば分かるわ」
「振込手数料、七回分ですか?」
 真澄はまだ意味を捉えかねて不思議そうな顔になったが、玲子から意味深な視線を向けられた総一郎はギクリと全身を強張らせた。


「ええ。把握するのがちょっと遅くなって、申し訳なかったと伝えて頂戴」
「はぁ……、分かりました」
「その、玲子さん。儂は電話をかける用件を思い出したから、少し離れに戻っておるからの」
「はい、どうぞごゆっくり」
 そして真澄に真一を渡し、ほうほうの体で離れに逃げ帰った総一郎を見送ってから、真澄は玲子に鋭い視線を向けた。


「お祖父様が何かしたんですか?」
 その追及に、玲子が苦笑いで応じる。
「ちょっとね。でもあなたを必要以上に怒らせたくなくて、清人さんも黙っていたと思うから、今の事はこれ以上聞かないで頂戴」
 こういう時の母親が口を割らない事を知っていた真澄は、あっさりと話を変えた。


「分かりました。そうします。でも私も知らない事を、どうしてお母様がご存じなんですか?」
「基本的にお金の流れをきちんと把握していれは、その人がどんな生活をしているか、自ずと分かるものよ。これでも銀行家の娘ですからね」
「なるほど。そういう事ですか」
 真澄が素直に感心した所で、今度は明良が疑問を呈した。


「ところで真澄姉。式で恭子さんが着たウェディングドレス、真澄姉が送った物ですよね?」
「そうよ。もう浩一に愛想尽かされてるってぐずぐず言うから、彼女と賭けをしてね。浩一が彼女を受け入れたら私の勝ちで、ある物を一つ受け取って貰う。本当に浩一が愛想を尽かしてたら彼女の勝ちで、貰った指輪は私が責任を持って引き取るって事にしてたの」
 それを聞いた明良は、かなり無茶苦茶な内容に呆れながら、話を続けた。


「それで押し付けたんですか。でもあのドレス、ひょっとしたらかなり前から準備してませんでしたか? 彼女がサイズがピッタリだと喜んでましたから」
 そこで真澄は、如何にも狡猾そうな笑みを、その顔に浮かべた。


「去年の私達の結婚披露宴で、彼女に新郎側の受付を頼んだ時、清人が『貧相な格好をされたら俺の恥だ』と難癖を付けて、フォーマルドレスを購入して着させたの」
「ああ、確かにそんな事を言ってましたね」
「その店、ウェディングも取り扱っててね。購入する時に、より身体に合うものを探すとか適当な理由を付けて、必要なサイズを全部採寸して貰って、セミオーダーでウェディングドレスを作らせておいたのよ」
「真澄姉、相変わらず太っ腹ですね。だけど一年以上経ってて、サイズが合わなくなるって考えなかったんですか?」
 明良の当然の疑問に、真澄が平然と答える。


「彼女『体型が変わったら服が着られなくなります』って、これまで何年も体型を崩さなかったもの。一度サイズを測っておけば大丈夫の筈だし、その点は心配して無かったわ」
「なるほど」
 納得して明良が頷くのとほぼ同時に、何枚ものスナップ写真を見終わって、封筒にしまい込んだ玲子が、静かに声をかけてきた。


「ところで真澄」
「何ですか? お母様」
「あの子達は戻って来るのかしら?」
 その問いかけに、真澄は余裕の笑みを浮かべながら頷く。


「勿論、戻って来ますよ。二人とも律儀な性格ですから。十年先か二十年先になるか、それは現時点では分かりませんが」
 真澄がそう保証すると、玲子は満足そうに頷いた。


「戻って来るなら良いのよ。いざとなったら、こちらから様子を見に行けば良いしね」
「訪ねる前には、一応連絡を入れてあげて下さい。それと、お父様とお祖父様をいびるのも、ほどほどにしてあげて下さいね?」
「真澄に免じて、ほどほどにしてあげるわ。それじゃあ明良君、ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
 そして微笑みつつ優雅な動きで立ち上がった玲子が応接間から立ち去ると、二人取り残された室内で、真澄が幾分心配そうに問いを発した。


「それで、どんな感じ?」
 その省略しまくった質問にも関わらず、明良は笑って相手の望む答えを返した。
「なんとか上手くやってるみたいですよ? その式も、職場の皆さんが全面的に取り仕切ってくれてましたし」
 それを聞いた真澄が、嬉しそうに顔を綻ばせる。


「それなら良かったわ。少し安心できたわね。全く……、落ち着いたら皆に、葉書の一枚でもくれるでしょうね? 清香ちゃんにも何も言って無かったみたいで、凄く驚かれたのよ?」
 安堵した後、急に怒りがぶり返したらしい真澄に、明良は苦笑しながら進言した。


「寄越さなかったら、是非とも真澄姉から教育的指導をして下さい」
「絶対そうするわ」
 そう口にしつつも(恭子さんが付いているんだから、そんな事は無いでしょうけど)などと考えていた真澄は、内心で同意見だったらしい明良と顔を見合わせて苦笑した。


 それから暫くの間、真澄は大きな窓から澄み渡った青い空を見上げた。そして全てのしがらみを解き放って広い世界に飛び出して行った弟夫婦の事をほんの少しだけ羨ましく思いつつ、これからの事を考えて一時を過ごしたのだった。




【完】

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