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世界が色付くまで

篠原皐月

第58話 支離滅裂な懇願

「そのですね、どうしても直にお渡ししたい物と、お話ししたい事がありまして、明良さんにここまで連れて来て貰いました」
「あ、ああ、そうなんだ。それで? 直に渡したい物って何?」
「ちょっとお待ち下さい」
 静かに話し出した恭子に、まだ幾分動揺したまま浩一が応じると、彼女はショルダーバッグのファスナーを開けて中から二つの物を取り出した。


「これです。どうぞ、受け取って下さい」
「…………」
 恭子が頭を下げながら、浩一に向かって重ねて差し出したそれは、鑑定書が入った冊子とリングケースであり、詳しい事情を知らない者でも、浩一が彼女から指輪を突っ返されたのが一目瞭然だった。対する浩一は固まったままそれを見下ろしていたが、その光景を目の当たりにした明良は、心の中で悲鳴を上げた。


(恭子さん、ちょっと待って! それってエンゲージリングですよね!? しかもご丁寧におそらく鑑定書付きって、一体何を考えてるんですか!!)
 そして相変わらず微動だにしない二人を眺めながら、本気で頭を抱える。


(失敗した。やっぱり事前にどんな話をするつもりなのか、聞いておくべきだった……。周囲の視線も、恭子さんへの好奇心と俺への怒りを通り越して、浩一さんへの憐憫の眼差しに変わってきてるし)
 さり気なく周囲を見回しながらそれを察した明良は無言で項垂れたが、この間前傾姿勢を保っていた恭子がさすがにきつくなってきたらしく上半身を起こし、問題の物を有無を言わさぬ口調で浩一に押し付けた。


「浩一さん。さっさと受け取って貰えませんか? 話を進められませんので」
「あ、ああ……、悪い」
(浩一さん! そこで素直に受け取っちゃ駄目でしょうが!? 何だかフロア中から不憫がる視線が、浩一さんに集まってる気が……)
 反射的に両手で受け取ってしまった浩一に、静まり返った周囲から微妙な視線が集まっていたが、当人達はそんな事には全く気付かないまま話を続行させた。


「それで、話と言うのはですね……。甘やかされたと言うのとは違いますが、やっぱり浩一さんは良いお家のお坊ちゃん育ちだなって事なんです」
「……否定はしない」
「当然です。ここで真顔で否定されたら、話の前に一発殴ります」
「…………」
(恭子さん、どうしてここで説教モードになるんですか? なんか浩一さんが気の毒過ぎて、見ているのが辛い)
 憮然とした表情になりながらも、取り敢えず大人しく彼女の話を聞いている浩一に、明良は心の底から同情した。しかし強張った表情の恭子の話は、容赦なく続く。


「大体ですね、先生も真澄さんもはっきり言いませんでしたが、大金を工面して私をお屋敷から引っ張り出したのは、浩一さん主導だったんですよね?」
「……ああ」
「それなのに、その後は先生に押し付けるって何ですか? そのせいでこれまでさんっざん、とんでもない苦労をさせられてきたんですが。後から浩一さんが裏で糸を引いていたかもと思い付いてからじっくり考えてみたら、何かもうムラムラと怒りが湧き上がってきてですね」
「いや、それは本当に悪かった。心から反省してる。しかし清人も完全な悪意から、やらせていた訳じゃないから。預かって貰った以上、俺としては余計な口は差し挟まない様にしていたんだが、今にして思えば無責任だったと思うし」
 その非難を真っ当に受け止めて浩一は頭を下げたが、恭子は未だ怒りが収まらない口調で続けた。


「全くです。まあ、浩一さんが躊躇したのも分かるんですけどね。一番手っ取り早いのが、デキ婚のパターンでしょうがそれは浩一さんにしてみれば無理だったでしょうし、かといって私の経歴が経歴なので、どう転んでもご家族に結婚相手として認めて貰えないのは明白でしたし。それなら開き直って愛人扱いでも、別に私は不平不満は訴えなかったと思いますが」
「それは!」
 さすがに顔色を変えて反論しようとした浩一だったが、恭子はすかさずそれを封じた。


「浩一さんが納得できないのは分かりますが、そこから初めても良かったんじゃないかと言ってるんです。例えセックスレスな愛人関係でも、他に何か変な性癖があるのかもと敬遠するほど、私は小心者じゃありません」
「…………」
 真顔でとんでもない事を断言されて、浩一は口を閉ざした。そこで恭子は多少皮肉っぽく「ふっ」と笑ってから、呆れ気味に言い放つ。


「挙げ句に私の事で父親と大喧嘩して、家も会社も飛び出した? それってまるっきり、癇癪を起こした子供の行動パターンですよね? あれですか? 浩一さんは素直に育って反抗期なんか皆無で過ごして、ここに来て一気にそれが出た感じですか?」
「子供の癇癪と同レベルで考えないで貰いたいな。これでも色々考えた結果なんだ」
 そこで地を這う様な声で答えた浩一に、明良は本気で肝を冷やした。
(ああぁ、とうとう浩一さんが怒りだした。お願いですから冷静に!)
 そんな明良の願いとは裏腹に、恭子は浩一の怒りを更に煽るような発言を繰り出す。


「自分所有の株式や不動産を先生達に押し付けたと聞いたのには唖然としましたけど、これまでの給与で貯めていた分は保留したと聞いて安心しました」
「そうか」
「だってどこで生活するにしても、ある程度の纏まった現金と資格は必要ですけど、日本国内ならともかく、アメリカでは東成大卒で畑違いの柏木産業で勤務してた経歴なんて、全く役に立たないと思いますし」
「……それは俺が一番良く分かってる」
 傍目にも段々表情が険しくなってきた浩一だったが、恭子はそれに気が付いているのかいないのか、真顔で話を続けた。


「大体、『贅沢はできないだろうけど』とか何とか言ってましたけど、貧乏舐めてません?」
「そんな事は」
「無いとか言いそうですけど、積立金が学校に払え無くて修学旅行にも行けなかった身としては、正直『何を寝言ほざいてんだ。この坊ちゃん育ちが』って感じなんですけど」
 そうあっさりぶった切られた浩一の表情と声音が、ここでさすがに険悪な物に変化した。


「……へぇ? そうなんだ。どうやら俺は、君の神経を随分逆撫でしてしまったみたいだな。悪かった」
「今、私が浩一さんの神経を逆撫でしていますので、これでおあいこです」
「それはどうも」
 そこはかとなく物騒な空気を醸し出し始めた二人に、明良はとうとう我慢できずに悲鳴じみた声を上げた。


「恭子さん! あの、他に何か言う事は無いのかな!?」
「本題はこれからなんです! 部外者は黙ってて下さいっ!!」
「はい……、すみません」
 しかし憤怒の形相で恭子に怒鳴り返されて、大人しく引き下がった。すると何を思ったか、恭子が何回か深呼吸を繰り返したかと思ったら、先程までとは打って変わった神妙な顔付きで口を開く。


「それで、ですね。今まで言った事を踏まえて、なんですが……」
「ああ、何?」
 急に言葉を濁した相手に、浩一が怪訝な顔をしながら応じると、恭子は勢い良く頭を下げて一気に言い切った。


「あのっ! 先程お返ししたその指輪、鑑定書抜きでもう一度私に下さい!!」
「…………え?」
 当事者の浩一は勿論、側で聞いていた明良も咄嗟に言われた意味が理解できず、思考停止状態に陥ったが、恭子は頭を下げたまま訴え続けた。


「その……、だから私、貧乏なんか平気ですから。お屋敷に居た頃はともかく、それ以外ではずっと赤貧生活でしたから、貧乏なんか怖くないです。寧ろドンと来いって感じで」
「…………」
 そんな事を真剣に語る恭子を見下ろしながら、浩一は黙って何回か瞬きした。その間も恭子は床を見ながら、独り言の様に話を続ける。


「ですからそれを頂けるなら、どんなに貧乏な生活を送っても売り払ったりしないで、ずっと一生大事にします。だから鑑定書は要りませんから。……なんか売り払うのを前提の口振りで、鑑定書を一緒に渡された時、ちょっと傷付いたんですが?」
 そこで唐突に思い出した様に、いきなり頭を上げて非難がましく見つめてきた恭子に、浩一は幾分たじろいだ。


「……それは悪かった」
「確かに思い返してみれば、先生に引き合わされてから暫くの間、何やかやと理由を付けて押し付けられたブランド品を悉く現金化していましたけど。でも明らかにエンゲージリングだと分かる代物を、要らないからって即行で売り払うって、私はそんな人でなしだと思われてたんですか?」
「いや……、人でなしとか、そこまでは……」
「じゃあ守銭奴とかですか?」
「…………」
 そこで微妙に視線を逸らした浩一を見て、恭子の口元がピクリと引き攣った。そこで慌てて、明良が再度会話に割り込む。


「ちょっと待って恭子さん! 逆プロポーズかと思いきや、何でまた喧嘩売ってるんですか!?」
(う……、またやっちゃった。だって思い付くまま口にしてたら、収拾が付かなくなってきて)
 明良の指摘に即座に反省しつつ、自分が相当動揺している事を再認識した恭子は、罵倒される事を覚悟しながら、体の前で両手を重ねて俯きつつ、一番言いたかった事を口にした。


「色々考えてみましたけど、私やっぱりあなたと一緒に生きてみたいんです。浩一さんとはこれまで人生初めての事を色々してきましたし、浩一さんと一緒なら、何があっても後悔なんかしないと思いますから。でも、あの……、待ち合わせをすっぽかした挙げ句、1ヶ月以上も音沙汰無しで、今更こんな事を言うのは、随分虫が良いと思われるのは分かってます。第一、浩一さんがこちらでもう好きな方ができたのなら、迷惑極まりない話ですし、今の一連の話は聞かなかった事にして貰えれば」
「ふざけるな!!」
「きゃあっ!」
 いきなり至近距離で怒声が響いたと思ったら、強い力で腕を掴まれて乱暴に引き寄せられた為、足元しか見ていなかった恭子は前方に傾いだ。そこに背中に腕を回されて、しっかり抱き込まれる体勢になる。


「冗談じゃないぞ! そっちこそ俺の事を、1ヶ月やそこらであっさり他の女に乗り換える程度の、軽薄な人間だと思ってたのか? 片想い歴何年だと思ってる。あまり見くびるな!」
「……すみません」
 顔が見えないまでも、浩一が本気で怒っているらしい事はその口調や腕に込められた力からも分かり、恭子は彼の胸に顔を埋めたまま素直に頷いた。それを聞いた浩一が、頭の横で溜め息を吐いた気配が伝わると同時に、僅かに腕の力が緩んだのを感じる。


「言っておくが、他の女に指輪を贈るなんて事、微塵も考えて無かったから」
「分かりました」
「だから、君にもう一度渡す。今度は鑑定書抜きで指輪だけ。それなら受け取ってくれるんだろう?」
「はい。もし浩一さんが仕事に失敗しても、生活に困窮する事だけはさせませんので安心して下さい」
 恭子が真面目にそう告げると、浩一は腕を解いて彼女の身体を少し離し、苦笑の表情で彼女を見下ろした。


「そこまで甲斐性無しでは無いつもりだから、安心してくれ」
「そうですか。それなら良かったです」
 そう言って恭子が微笑み返した所で、これまで傍観を決め込んでいた明良が二人の間に強引に割り込み、力付くで左右に引き剥がした。


「はいはい、お二人で盛り上がってる所、誠に申し訳無いんですが、取り敢えずここまでにしておきましょうか」
「明良さん?」
「明良! お前、いきなり何をする!?」
 突然の乱入に恭子は目を丸くし、浩一は憤怒の形相で食ってかかったが、明良は大袈裟に溜め息を吐いてから、浩一に言い聞かせた。


「浩一さん、ここがどこか忘れてますよね? 自分の職場のド真ん中ですよ。しょ・く・ば」
「……う」
「あ……」
 明良の指摘で漸く我に返った二人は周囲を見回し、浩一の同僚達から生温かい視線が送られている事に気が付いた。その間に明良は、浩一が先程恭子を引き寄せた時に床に放り出してしまったリングケースを拾い、それを彼の上着のポケットに入れながら、しみじみとした口調で述べる。


「本当は、こんな馬に蹴られて死にそうな事、俺だってしたく無いんですけど。今後、浩一さんが職場で気まずい思いをしない様に心を鬼にしますから、恨まないで下さい」
「おい、明良。お前何をする気だ」
 果てしなく嫌な予感を覚えながら明良に問い質した浩一だったが、その予感は的中した。


〔皆さん、ご心配おかけしました! ご覧の通り、この二人は取り敢えず纏まったので、今の彼はやる気十分ですから! 面倒な仕事とか、どんどん押し付けちゃって下さい!〕
 いきなり英語で周囲に向かって声を張り上げた明良に、浩一はさすがに狼狽した。


「おい、明良! お前、いきなり何を言い出すんだ!?」
〔皆さんのお仕事の邪魔をした分、彼はこれから馬車馬の様に働くと言ってますので、遠慮無くどうぞ!〕
「お前、何を勝手にほざいてる!」
 慌てて明良に詰め寄り、その口を塞ごうとした浩一だったが、背後から右肩を軽く掴まれながら、笑いを堪える口調で声をかけられて固まった。


〔そうか、それはなかなか感心だ。取り敢えずお前がさっき取り落として、今現在踏みつけている、その書類を出し直そうか、コゥ?〕
 人の悪い笑顔でそんな事を言われてしまった浩一は、盛大に顔を引き攣らせた。


〔キャス、悪い。それは今すぐやるから〕
〔それと、マテリクス・ジョスパー社の新規事業のレポートも、コゥに頼もうかな?〕
〔おい、アーチャー!〕
 左肩を叩かれながらそんな事を提案されてしまい、浩一ははっきりと顔色を変えた。そこで更に、一人の女性が浩一の前に立ちはだかり、にこやかに手元の書類を差し出してくる。


〔それから、ヘミングストーン社の株価動向もね〕
〔カレン! ちょっと待ってくれ!〕
 狼狽しきった声を上げた浩一を呆然と眺めていた恭子は、明良から無言で肩を叩かれて我に返った。そしてその場の空気を読んで、周りに呼びかける。


〔お忙しい中、お邪魔しました。失礼します〕
 そして頭を下げた彼女の横で、明良は手近な男性を捕まえ、ポケットからメモ用紙を取り出して、浩一を指差しながらそれを手渡す。


〔すみません、これに彼女の宿泊先が書いてあるので、彼の仕事が全て終わったら、渡して貰えますか?〕
〔了解。確かに預かった〕
〔お願いします。俺達はこれで失礼しますので〕
 ニヤリと意地悪く笑って請け負ってくれた相手に明良も含み笑いで返すと、いつの間にか周囲を同僚達に包囲されていた浩一が声を荒げた。


〔おい、ディーン! それを渡せ! 恭子! 明良! ちょっと待て!〕
〔さあ、仕事仕事!〕
〔中断した分を取り返さないとな?〕
〔馬車馬並みに働いてくれるんだろう? 期待してるぞ〕
 背後で叫んでいる浩一の声を聞きながら、二人はそのフロアを立ち去ったが、エレベーターホールまで来て恭子が控え目に明良に尋ねてきた。


「あの……、良かったんですか?」
 チラッと背後を振り返りつつの問いかけに、明良は笑いを堪えながら言葉を返した。


「構いませんよ。職場に仕事中にお邪魔したんだし、あれ以上続けたら後から居たたまれませんから。特に浩一さんが」
「確かにそうかも」
「それに浩一さんに言い逃げされて、ちょっとムカついてたんでしょう? ちょっとお預け食らわせる位当然です」
「はあ……」
 何とも言えない表情で曖昧に頷いた恭子に、明良は楽しげに笑った。


「それよりホテルに戻って休みますよ? 恭子さん、色々な意味で疲労困憊みたいですし。結構支離滅裂で、いつもの半分も頭が回ってないんじゃ無いですか?」
 結構失礼な事を言われたものの、全く反論できなかった恭子は、その提案に素直に頷いた。
「そうですね。そうさせて貰います」


 そしてやってきたエレベーターに乗り込んだ二人は、今現在浩一が、彼の職場でどういう状態になっているかについては考えない事にして、宿泊先のホテルへと向かったのだった。





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