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世界が色付くまで

篠原皐月

第50話 恭子の疑念

 ちょっとした恭子の困惑は、ある日浩一が抱えて帰ってきた、大きな花束から始まった。
「ただいま」
「お帰りなさい、浩一さ……。どうしたんですか? その花束は」
「偶には良いかと思って、買って来たんだ。はい、どうぞ」
 一抱えもある色とりどりの花を纏めて作った華やかな花束に恭子が驚いた表情になると、浩一は無造作にそれを彼女に手渡した。反射的にそれを受け取った恭子だったが、流石に怪訝な顔で問い返す。


「はぁ……、私にですか?」
「勿論、そうだけど。嫌い?」
「いえ、頂ければ嬉しいですが……」
「全然、嬉しそうじゃないけど。『結婚してくれ』って言われると思って警戒してる?」
 苦笑しながら浩一がそんな事を口にした為、恭子はこの間ほぼ忘れかけていた事を思い出した。


「……違うんですか?」
「違わない。結婚してくれる?」
「お断りします」
 幾分硬い表情で答えた恭子に、浩一は気を悪くした素振りも見せず、笑いながら軽く手を振る。
「冗談だよ。それ抜きであげるから、どうぞ」
「……ありがとうございます」
(何なの? 最近浩一さんの言動が、益々読めなくなっているんだけど……)
 そんな事を漠然と考えながら恭子は浩一を眺めていたが、彼が一度床に下ろした荷物を再度持ち上げて自室に向かおうとした所で、思わず問いを発した。


「浩一さん、今日は何だか随分荷物が多いんですね?」
 すると浩一はいつものビジネスバッグに加え、何やらそれなりに重量が有りそうな紙袋を二つ手に提げながら、軽く振り返って答える。
「ああ、いつの間にか会社で資料とかを溜め過ぎてね。少し整理しようかと思って」
「そうですか。じゃあ食事の準備をしておきますので、部屋に荷物を置いて着替えて来て下さい」
「ありがとう。頼むよ」
 そしてその姿が消えてから、再び考え込む。


(ただでさえ荷物が多い日に、どうしてわざわざこんな大きな花束を、帰り道で買って来たのかしら? 何かの記念日じゃないわよね?)
 しかし少し考えても結論が出なかった為、恭子はすぐに食事の支度に取り掛かった。
 そして最初はいつも通り、他愛の無い世間話などしながら食べ進めていたが、半分ほど食べ終えた所で、浩一が思い出した様に言い出した。


「……ああ、そうだ。恭子さん、明日からお弁当は要らないから」
「え? どうしてですか?」
 驚いて思わず箸の動きを止めた恭子に、浩一があっさりとその理由を口にする。
「これから少し勤務時間が不規則になったり、外に出る事が多くなりそうでね。予定もはっきりしていないから。その都度一々断りを入れるのも面倒かと思って」
「はあ……、そうですか」
「明日も朝は直接商談先に出向くから、遅く出て良いんだ。俺の事は起こさずに、先に出て行ってくれて構わないから」
「分かりました。そうさせて貰います」
(何か釈然としないんだけど……、嘘を吐いてるようにも見えないし)
 平然と食べ進めている浩一の様子を窺いながら、恭子は一人密かに考え込んだが、とうとうその日結論は出なかった。


 翌日、宣言通りこれまでの出勤時からは大幅に遅い時刻に起き出した浩一は、人気のないリビングに入って思わず苦笑いを漏らした。そして恭子が一応準備しておいた朝食を食べ終えて、ある所に電話を一本かけてから、手早く荷物を纏めて外出する。
 恭子には未だ話してはいないものの、昨日で柏木産業の勤務を終えた浩一は有給消化に入っており、時間を無我にする事無く、諸手続きの為に役所回りを始めた。そしてあっと言う間に午後になり、都心から少し離れた場所まで移動した浩一は、夕刻に近い時間にとある山門の前に佇んでそれを軽く見上げた。


(ここか……。本当に、もっと早くに来るべきだったな)
 少しだけ感慨に浸った浩一はその山門をくぐって境内に入り、本堂とは別に敷地の片隅に建てられている住職用の家屋の玄関で、インターフォンのボタンを押した。


「失礼します。午前中にお電話した柏木と申しますが、ご住職はいらっしゃいますか?」
「お待ちしておりました。主人から話は聞いております。どうぞ、お上がり下さい」
「失礼します」
 応対に出て来た年配の女性に会釈して、浩一は礼儀正しく上がり込み、通された先でその寺の住職に来訪の目的を伝えたのだった。




 同日、帰宅して夕飯の支度をしながら、恭子は顔を顰めつつ前日の事を改めて考えていた。
(浩一さん、絶対何か変よね。こういう場合十中八九、裏で糸を引いているのは先生だわ)
 殆どそう確信していた恭子は、夕食の準備に目途が立ったのを幸い、気になっている事を解消すべく、携帯を取り上げて清人に電話をかけ始めた。


「先生、今お時間は大丈夫ですか?」
「まだ職場の机で、絶賛仕事中だがな。なんだ?」
 如何にも楽しそうにそう返された為、恭子は引き下がろうとした。
「……また今度にします」
「さっさと吐け。ちょうど退屈していたところだし、二度手間は面倒だ」
(全くもう……、柏木産業内で、変な噂になっても知らないわよ?)
 やんわりと脅迫された恭子は、半ばヤケになりながら質問を繰り出した。


「それではお言葉に甘えてお聞きしますが、先生は最近、絶対浩一さんに何かしましたよね? 浩一さんが変なんですけど」
 その問いに笑って答えるか、はぐらかすかと思った恭子だったが、相手はその予想に反して怪訝な口調で問い返した。


「……変とは、具体的にはどういう事だ?」
「先週、大きな花束を買って帰宅した後から変なんです。妙に出勤退勤時間がずれたり、お弁当も要らなくなりましたし、いつの間にか妙に部屋の中がすっきりしてますし」
 淡々と気になっている事を恭子が列挙すると、電話越しに清人が低く唸る様に言ってきた。


「お前……、この期に及んでも、あいつから何も聞いてないって事だよな?」
「だから何をですか? どうせまた先生がろくでもない事をやらかして、浩一さんを巻き込んで尻拭いさせているんですよね? いくら親友だと言っても、物事には限度という物がありますよ!?」
「あの馬鹿……、リストラされたのを家族にひた隠しにする中年親父かよ」
 そこで清人がボソボソと疲れた様に呟いたが、あまりにも小声で不明瞭過ぎた為、恭子には聞き取れなかった。


「は? あの、今、声が小さくて聞こえなかったんですが、何と仰ったんですか?」
「やっぱり仕事中だからかけてくるな」
「え? あの、ちょっと!」
 いきなり不機嫌そうに言われたと思ったら、次には不通になった事を伝える無機質な電子音のみが聞こえた為、恭子は怒るのを通り越して面食らった。
「なんでいきなり切るわけ?」
 しかしここで終わらせてしまっては益々気になってしまう為、恭子はすぐに再度事情を知っていそうな人間に電話をかけ直す事にした。


「真澄さん、今お時間は大丈夫ですか?」
 神妙に都合を尋ねると、電話越しに真澄の楽しそうな声が伝わってくる。
「ええ。今ちょうど子供達を父と母に渡したところ。二人がデレデレ顔で面倒を見てくれている間に、ちょっとのんびりしようと思っていたところだから大丈夫よ」
「良かったです。ちょっと聞いて頂きたい事があるんですが」
「あら、なあに? 遠慮なく言ってみて?」
「実はですね……」
 機嫌良く応じてくれた事に恭子は安堵しながら、先週からの浩一に対する違和感と、先程の清人の対応について一通り述べた。その間真澄は黙って聞いてくれていた為、話を終わらせた恭子が意見を求める。


「……という訳なんです。先生ったら何も言わずに電話を切るし、よほど後ろ暗い事があるんじゃないかと思うんですけど、真澄さんは何かご存じではないですか?」
 その問いかけに、真澄はすこぶる真面目な口調で返した。


「恭子さん……」
「はい、何でしょうか?」
「第三者的立場からすると、浩一を殴り倒すべき所なんだろうけど……。私、自分が思っていた以上に、姉馬鹿だったみたいなの」
「はい?」
 言われた意味が分からずに、思わず間抜けな声を上げた恭子だったが、真澄はそれには構わずに淡々と落ち着き払った口調で続ける。


「これは本人が自力で何とかするべき問題だし、甘過ぎると思われそうだけど、浩一なら十分できると思っているわ。そういう訳だから、この話はここで終わりと言う事で。それじゃあね」
「いえ、あの、終わりと言われましても、真澄さん!?」
 そこでいきなり話を打ち切られてしまった恭子は慌てて呼びかけたが、先程の清人の時と同様、携帯からは無機質な電子音が伝わってくるのみだった。
「……どうなってるわけ?」
 普段の真澄らしくない反応に恭子は本気で首を捻ったが、ここで浩一が帰宅した為に慌てて料理の仕上げを済ませ、手早く料理を並べたのだった。




 結局根本的な解決を見ないまま何日か過ぎて、恭子はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、職場で時を過ごしていた。すると今現在直属の上司である真弓が、不思議そうに声をかけてくる。
「恭子さん、何か心配事でもあるの? 朝から難しい顔をしているけど」
「あ、いえ、大した事じゃないんですけど、この何日か気になる事がありまして……」
「気になる事って?」
 斜め前の机から不思議そうな顔で尋ねられた恭子は、ふと思いついた。
(早川会長だったら人生経験豊富だし、ひょっとしたら浩一さん達の変な行動の意味が分かるかしら?)
 そんな事を考えた恭子は、駄目もとで聞いてみようと口を開いた。


「会長、ちょっと個人的な事を、お尋ねしても宜しいですか?」
「ええ、何かしら?」
「その……、ごく親しい知人から聞いた話なんですが、最近ご家族の様子が変なんだそうです」
「具体的にはどんな風に?」
 自然な口調で問い返してきた真弓に、恭子は固有名詞をぼかしながら事情を説明した。


「そんな訳で、本人は勿論、その姉兄も何か隠しているみたいなんですけど……。幾らなんでも、これだけじゃ分かりませんよね」
 自分で尋ねたものの自嘲的に笑ってしまった恭子だったが、真弓は事も無げに告げた。
「あら、分かるわよ。その知人のご家族は、リストラされたんでしょう?」
「……え?」
 さも当然の様に言われて恭子の笑顔が引き攣ったが、真弓は淡々と自分の考えを説明する。


「だって、記念日じゃないのに、そんな大きな花束なんてそうそう買わないんじゃない? 最後の勤務日に、同僚の方達から貰ったと考えるのが自然じゃないかしら。それにその日荷物が多かったのは、会社の机に置いてあった細々とした私物を持って帰って来たからじゃない?」
 真顔でそう言い切られてしまった恭子は、冷や汗を流しながら何とか反論しようとした。


「……いえ、ちょっと待って下さい。だってまさか、辞めさせられるなんてありえないと思うんですが」
「もしくは短気を起こして、自分で辞めたか? それを家族に言えなくて、退職後も出勤している様に見せかけてるとかじゃないのかしらねぇ」
 そう言って首を傾げた真弓を見ながら、恭子は辛うじて内心の動揺を押し隠した。


(ちょっと待って……、だって浩一さんは社長令息なのに、肩叩きとかされるわけないじゃない! でもそう言えば……、浩一さんのお祖父さんが私に引導を渡しに来た時、社内で浩一さんとお父さんの仲が悪くなってるって言ってたような……。まさか本当に二人の仲が、この間に修復不可能なまでに拗れて退社して、先生と真澄さんも知ってて私に内緒にしてたとか!?)
 果てしなく嫌な予感がしてきた恭子は、ここで勢い良く立ち上がった。


「すみません、会長! ちょっとお手洗いに行って来ます!」
「はい、言ってらっしゃい」
 笑顔で了承をくれた上司に背を向け、恭子は会長室から廊下に走り出た。そして人気の無い所まで行ってから、もどかしげにスーツのポケットから携帯を取り出し、浩一に電話をかけ始める。
「……この番号は、只今使われておりません。番号をお確かめの上、お掛け直し下さい」
「え?」
 しかし予想外のアナウンスに、恭子の目が限界まで見開かれた。


「ちょっと待って。確かに最近、浩一さんの帰りが早いから、電話やメールのやり取りってしてなかったけど、まさかあのスマホを解約してたとか? 一体どういう事よ?」
 呆然と携帯を見下ろして呟いた後、我に返って何回か挑戦したものの、一向に電話もメールも通じなかった恭子は、顔色を無くして仕事場に戻る事になった。


「……戻りました」
「お帰りなさい……、恭子さん、具合でも悪いの? 顔色が良く無いけど」
「いえ、大した事はありませんから」
 怪訝な顔で問いかけてきた真弓に、恭子は笑顔を貼り付けて応じたが、相手はそう易々と丸め込まれてはくれなかった。
「今日はあと三十分で終業時間だし、もう帰ったら? 具合は悪くは無さそうだけど、辛気臭い顔で側に居られるのも鬱陶しいのよね」
 ニコニコと、表面的には笑顔で告げてきた真弓の指示に、恭子は従う事にした。


「それでは申し訳ありませんが会長、お先に上がらせて頂きます」
「はい、ご苦労様でした」
 そして真弓に一礼した恭子は、ロッカーからバッグを取り出して会長室を出て、そのまま足早にマンションへと向かった。



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