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世界が色付くまで

篠原皐月

第43話 清香の来訪

 休日の朝。二人顔を揃えて朝食を食べ終え、食後のお茶を飲んでいた浩一は、できるだけさり気なく、向かい側に座る恭子に声をかけてみた。


「恭子さん、今日の予定は?」
 唐突に話しかけられて、僅かに驚いた表情を見せたものの、恭子はすぐに冷静に自身の予定を口にした。
「外出する予定は特にありませんが、新しい職場で必要な資料を、集中して読み込んでおこうかと」
「ああ、今度はカルディの会長秘書業に就いたんだったね」
 納得した様に頷いた浩一に、恭子が苦笑気味に肩を竦める。


「秘書と言っても、会長は表向きは第一線から退いていらっしゃるので、お守兼暇潰しお手伝い要員ですが、会長は今でも社内外のお付き合いはされていますので。主にそちらの方を」
「そうだろうね。一代であそこまで事業を拡大させた女傑だから、社長に権限を譲っても交友範囲はそれなりだろう」
「そうですね……」
 そしてそこで不自然に会話が途切れ、二人で申し合わせた様に湯飲みの茶をすすった。


(あの時以来、微妙に会話が続かないわ。殴ったのはお互い様だし、勘違いしたのも尤もだと思うし、気にしてないって言ったんだけど……)
(あの後、一応謝ったが、何となく気まずい。現実問題として、こんな事でうだうだしてる状況じゃ無いんだが……)
 普通であればいかようにでも場を和ませられるタイプの両者は、この時お互いにそんな事を考えながら、この場に漂う微妙に気まずい空気をどうする事もできず持て余していた。そんな中、テーブルに置いていた浩一のスマホが着信を知らせる。


(誰だ、こんな時に……)
 苛立たしげに湯飲みを置き、それを取り上げた浩一は、発信者名を見て首を傾げた。


「清香ちゃん?」
 思わず、といった感じで恭子が視線を向けてきたが、それには気付かないまま急いで電話を受ける。
「もしもし? 清香ちゃん、どうしたの?」
「こんにちは、浩一さん。今日って何か予定はありますか?」
 挨拶に引き続いての唐突な問いかけに、浩一は思わず口ごもった。


「いや……、別に、これと言って決まった予定は無いけど……」
「えっと、それじゃあ、午後からそっちにお邪魔して構わないですか?」
「あ、ああ、俺は構わないけど……、ちょっと待って」
 そして浩一は一応スマホを耳から離してから、恭子に尋ねてみた。


「恭子さん、清香ちゃんが午後からここに来たいって言ってるんだけど、構わないかな?」
「え、ええ……、私は構いませんよ?」
 それを受けて、浩一が再びスマホを耳に当てる。


「俺達は構わないから、好きな時間においで。大歓迎だよ」
「ありがとうございます。じゃあ二時頃、お邪魔しますね」
「ああ、分かった。それじゃあ」
(清香ちゃん……、よりにもよってどうしてこんなタイミングで訪ねて来るの……。でもせっかくの休日に朝から微妙に空気が重いし、一日こんな調子で過ごすより、良かったかもしれないわ)
 困惑と安堵とが入り交じった心境で、恭子がぼんやりと眺めていると、通話を終えた浩一が短く告げた。


「二時頃に来るそうだよ」
「分かりました。それなら、お昼も早めに済ませておきましょう」
「そうだね」
(清香ちゃん……、どうして急に来る気になったんだか。どうもあの子とは、俺が弱ってる時に顔を合わせる運命らしいな)
 そうしてお茶やお茶菓子をどうするかとブツブツ呟き出した恭子を眺めながら、浩一は密かに一つ溜め息を吐いた。


 午後になって、清香が予告時間通りマンションを訪ねて来たが、出迎えてくれたのが浩一だけだった為、清香は玄関口で挨拶もそこそこに首を傾げた。


「浩一さん、今日は恭子さんは外出していたの?」
「いや、ちょっと急に買いに行きたい物ができたそうでね。そんなに遅くならずに戻って来ると思うよ?」
「そうなんだ」
 この一年近く、訪ねた時は毎回二人で出迎えてくれていた為、清香は違和感を感じたが、それには触れずに上がり込んだ。そして浩一が出してくれたお茶とお菓子に手をつけながら、来訪の目的を話し始める。


「浩一さん、卒業祝いをどうもありがとう。それから四月から、宜しくお願いします」
 そう言って頭を下げた清香を、浩一は感慨深げに見やった。
「そうか……。来月から、清香ちゃんは柏木産業勤務になるんだったね。あの小さかった女の子が、もう社会人で職場の後輩か。時の流れって早いな」
「浩一さん、ちょっとおじさん臭い」
「清香ちゃんから見たら、三十代はおじさんじゃないのかな?」
「浩一さんだったら、四十代になっても五十代になっても、お兄さん扱いしてあげます」
「それは嬉しいな」
 にっこり笑いながら清香が口にした内容に、浩一は久しぶりに心の底から笑い、幾分救われた気持ちになりながら話題を変えた。


「それはそうと、この入社直前の時期になってから聞くのはなんだけど、清香ちゃんの中では柏木産業に入社する事について、ちゃんと納得しているのかな? もともと司書を目指してたんだし」
 その問いかけに、清香は軽く頷いて答えた。


「勿論、なれなかったのは残念よ? でもきちんと自立する事がまず第一だし、これまで大学で学んだ事が活かせる職場であれば良いかなって思ってるの。それにどんな仕事かなんて、やってみなければ分からないでしょう?」
「確かに、それはそうだね。因みに、どういう職場への配属を希望してるのかな?」
「色々な部署の事を調べてみたんだけど……。初期研修が終了したら、生活環境ビジネス部かメディア情報事業部に配属して貰えたら、嬉しいと思っているの。こればかりはどうなるか分からないけど」
 そう言って苦笑した清香に、浩一は納得した様に頷く。


「なるほど。どちらの部も、事業のほんの一部ではあるけれど、人材派遣・教育・フランチャイズビジネス等の海外展開に係わったり、通信やネットワーク事業を含む幅広いライフスタイル・リテイル事業に携わっているね。そこら辺に興味があるんだろう?」
「はい。でも浩一さん、凄い。営業部の事じゃないのに、他の事業部の業務内容の事まで頭に入れてるの?」
 感心した様に目を丸くした清香だったが、浩一は事も無げに応じた。


「それは当然だよ。専門性を高めた営業部だとしても、そこだけで完結して仕事ができる事の方が少ないんだ。流通部門とは常に連携を取らなくちゃいけないし、複数の部で協力して商談を進める場合だってある。各部署の業務内容、得意分野を頭に入れておくのは、最低限の事だよ?」
「そうなんだ……。うぅ、何だかプレッシャーを感じてきた」
 そこで項垂れて溜め息を吐いてしまった清香に、浩一が優しく声をかける。


「最初からそこまでは要求されないから。初年度は取り敢えず一つずつ、確実に覚えていけば大丈夫だよ?」
「うん。ありがとう浩一さん。やっぱり浩一さんって、優しくて頼りになる良い人だよね?」
「……良い人?」
 気を取り直した清香が思った事を素直に口にしたが、そこで浩一は表情を消して問い返した。その反応を訝しく思った清香が、問い返してみる。


「うん、そう言ったけど……。どうかした?」
「いや……、何でも無いんだ……」
 そこで浩一が無言でカップを口に含んだ為、清香も相手を注意深く観察しながら、静かに紅茶を口に含んだ。


(何でもないって顔付きじゃ無いんだけど……。私、何も気に障る様な事は、言ってないよね?)
(良い人か……。総じて俺に対する評価は、どうしてもそんなものなんだろうな……)
 そんな事を密かに考えながらも、それからは近況を報告しあったり、柏木産業内の話でそれなりに楽しく時間を過ごしていると、リビングのドアを開けて、紙袋を手に提げた恭子が顔を出した。


「浩一さん、戻りました。いらっしゃい、清香ちゃん」
「お邪魔してます」
「ああ、恭子さん、丁度良かった。ちょっと明日までに揃えておかないといけない物を思い出したから、これから清香ちゃんの相手をして貰えないかな?」
「え?」
「それは構いませんけど……」
 今の今までそんな素振りは全く見せていなかった為、清香は驚いて目を丸くしたが、恭子も二人を交互に眺めながら怪訝な顔をしつつ了承の返事をした。すると浩一が清香に向き直って、苦笑の表情になりながら謝ってくる。


「ごめんね? 清香ちゃん」
「う、ううん! 急に押し掛けてきたのはこっちだし。お仕事頑張ってね?」
「ああ、ゆっくりしていって」
 慌てて手を振った清香に再度笑いかけながら立ち上がった浩一は、そのままリビングから出て行った。それを清香が呆然としながら見送ると、荷物を片づけるついでにお茶を淹れ直してきた恭子が、新しいカップを清香の前に置きながら微笑みかけた。


「ごめんなさいね、清香ちゃん。せっかく来てくれたのに、今まで席を外していて」
「それはいいの。でも浩一さんって、随分忙しそうなのね。ひょっとして年度末だから?」
「それは……、良く分からなくて。先月から、何かと忙しそうにしてるけど。あまり顔を合わせてないし」
 恭子が思わず正直に答えてしまうと、清香は途端に怪訝な顔になった。


「合わせてないって……、一緒に暮らしてるのに?」
「ええ、まあ……」
 自分の失言を悟った恭子は曖昧に言葉を濁したが、その反応を見て清香は益々困惑した様だった。


「喧嘩でもしたの? 二人とも大人だから、そういうのって想像できないんだけど。因みに、どんな事が原因?」
「一緒に暮らしていれば、意思疎通の齟齬とかは、どうしても出てくるものよ。でも大した事じゃないし。ちゃんと謝って貰ったし」
「ということは、浩一さんが何か拙い事をしたの?」
(なんだか、今日は妙に、清香ちゃんが鋭い気がするけど)
 話を終わらせようとした恭子だったが、清香に鋭く突っ込まれて思わず溜め息を吐いた。しかしこれ以上、それに関する話をするつもりは無かった為、やや強引に言い切る。


「ちょとね。でも本当に些細な事だから、気にしないで」
「ありえない……、あの超気配り人間の浩一さんが、そんな失態をするなんて。お兄ちゃんならともかく」
 ブツブツと何やら兄に対する悪態を口の中で呟きつつも、恭子のこれ以上聞いて欲しくないという空気はきちんと察したのか、清香はそれ以上蒸し返したりはしなかった。そんな彼女の様子を眺めた恭子は、微笑しながら無意識に口にする。


「清香ちゃんは本当に良い子ね……。私そういう所、大好きよ?」
「あ、ありがとう」
 面と向かってにこやかに言われた事で、清香は一瞬動揺し、次いで少々照れ臭くなって僅かに頬を染めた。それを微笑ましそうに眺めた恭子は、今度は穏やかな表情でしみじみと告げる。


「真澄さんの事も好きなのよね。あの竹を割った様な性格とか、頭の回転が速い所とか、いざという時の行動力とか、口が堅くて人望が厚い所とか」
「うん、私もそう思う」
「唯一、最大の欠点は、男を見る目が無かった事だけどね。男運のなさっぷりで、数多くの美点と幸運が、打ち消されてしまっているわ」
「…………はぁ」
(どういうコメントをすれば良いんだろう、私)
 その唯一、最大の欠点の結果である真澄の夫が自分の兄である清香は、本気でコメントに困ったが、恭子の主張はまだまだ続いた。


「先生もね。数々の才能は認めるわよ? 才能だ・け・は。あ、一応顔もだけど」
「え、えっと……」
「清香ちゃん想いで、きちんと面倒を見てきたのも、過保護過ぎる事には目をつむって褒めてあげるわ。だけど、だけどね! やっぱり世間に野放しにしていて良いタイプの人間じゃないと思うのよ! これは良い人間とか悪い人間とかの範疇で語る問題じゃなくてね!」
「う、うん。それは私も分かってるから、落ち着いて恭子さん」
(そう言えばさっき、浩一さんも……)
 それから滔々と清人に関する問題点をあげつらっていった恭子だったが、清香はふと先程浩一も、真澄や清人の事を話題に出しても、恭子に関する話題を全く出してこなかった事に気が付いた。そして先程聞いた喧嘩らしき事の内容も気になってきた為、思い切って尋ねてみる事にする。


「恭子さん、聞いて良い?」
「何? 清香ちゃん」
「浩一さんの事はどう思うの?」
「……え? 浩一さん?」
 途端に勢いを無くして当惑した声を出した恭子に、清香は問いを重ねた。


「うん、どう思ってるのかなって。好きだよね?」
「自分は、毛嫌いしてる人間と同居するほど、自虐的じゃないと思っているけど」
(あ、あれ? いつもの恭子さんらしくない反応なんだけど……)
 微妙に自分から視線を逸らしつつ、直接的な返答を避けたとしか思えない恭子の態度に、清香は困惑しつつ慎重に再度尋ねてみた。


「えっと、それじゃあ、恭子さんは浩一さんの事をどう思う?」
「……良い人ね」
「良い人? それだけ?」
 ぽつりと呟かれた内容に、清香は意外な思いを隠せないまま思わず口にした。すると恭子から静かに反撃される。


「悪い人ではないでしょう?」
「……うん、そうですね」
(何か変。絶対浩一さんと何かあったよね? そして現在進行形っぽいんだけど)
 取り敢えず相手をこれ以上下手に刺激しない為、清香はそれからは浩一の話題を避けて会話をし、それなりに楽しい時間を過ごした。そして夕刻になってマンションを出る時は、恭子から声をかけられた浩一が部屋から出て来て二人揃って玄関で見送ってくれた事に少し安堵しつつも、エレベーターに乗り込むなり携帯を取り出して清人に電話をかけ始めた。


「お兄ちゃん、ちょっと聞きたい事が有るんだけど?」
「どうした?」
 自宅の机で仕事中、清香からの電話でいきなり問いかけられた清人は多少驚いたが、何食わぬ顔で対応した。すると電話越しに、如何にも「疑ってます」と言わんばかりの口調で、清香が詰問してくる。


「今日、マンションに行って来たんだけど、浩一さんと恭子さんの様子が変だったの。何か知らない?」
 それを聞いた清人は思わず盛大に舌打ちし、独り言っぽく悪態を吐いた。


「あの馬鹿共が……、あれから二週間以上経ってるってのに、まだグダグダしてやがんのか?」
「やっぱり何か知ってるわね? と言うか、絶対何かやったわよね!? 真澄さんに言い付けて、叱って貰うから!!」
 電話の向こうで清香がいきり立って叫んだが、清人は平然と言い返した。


「清香、悪いがこれに関しては、真澄公認なんだ。言っても無駄だ」
「え? それ、どういう事?」
「話はそれだけか? それじゃあ切るぞ」
「あ、ちょっと! お兄ちゃん!」
 清香が当惑した隙に、清人は一方的に会話の終了を告げ、抗議の声を聞き流してさっさと通話を終わらせた。清香がしつこくかけ直してくるかと思いきや、これまでの経験上こうなった時の清人は絶対に口を割らないと察したのか、自分のスマホが沈黙を保っている事に、清人は密かに安堵した。そして机上のカレンダーに目をやりながら、恨みがましく呟く。


「全く……、お前にはそんなに時間に余裕が有るわけじゃないし、それはこっちも同様だってのに、どこまで手間をかけさせるんだ。ど阿呆が……」
 そうして清人は肘掛け椅子にもたれかかり、人知れず疲れた様に溜め息を吐いた。





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