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世界が色付くまで

篠原皐月

第39話 飴と鞭

「何年前になるかしらねぇ、ある時楓が『最近、店に変な客が来ている』と言い出したの。詳しく聞いたら『椿の事をいつも見てるくせに、絶対指名しない変な若造』だそうで」
(俺の事……、だよな?)
 そこで再びクスクスと笑われ、当然その人物について心当たりが有り過ぎた浩一だったが、桜が特に自分の意見を求めてはいないだろうと判断し、黙って話の続きを聞く事にした。


「その話を聞いた数日後、楓からその男が来店していると連絡があって、急遽蓮を連れてこっそり店に様子を見に行ったの。そして楓に教えて貰って、その若造とやらを見たんだけど……、私、全然気に入らなくてね。だってあの頃のあなただったら、間違っても私達に頭を下げる様な真似はしなかったでしょう?」
(ばっさり切り捨てられたが、不思議と反感は感じないな。この女性から見たら、当時も今も、俺なんかは青臭いガキに過ぎないだろうし)
 含み笑いでそんな事を言われてしまった浩一だったが、表情を変えずに無言を貫き、桜は機嫌良く話を続ける。


「私が『あんなのは問題外よ』と言って帰ろうとしたんだけど、蓮が『確かに現時点では無理でしょうが、十年後はどうなるか分かりませんよ?』と言ったの。正直、私は十年経っても無理だと思っていたのだけれど……。そうしたらその後、その人じゃなくてお友達が椿を『アシスタントにくれ』と言って来たでしょう? もううちの人と爆笑しちゃったわ。あんなに笑ったのは何年振りだったかしら。自分の存在を下手に隠そうとするのも、お友達の無茶な頼みをきいてしまうのも、可愛くて馬鹿馬鹿しくてね。若いって良いわねぇ」
 そうしてまたひとしきり笑ってから、桜は急に顔付きを変えて言い出した。


「それでうちの人が『どうしたものだろうな?』と私に意見を求めてきたので、先の蓮の意見を踏まえて十年間、時間をあげてみる事にしたの」
「……十年?」
 言われた意味が分からずに浩一が怪訝な顔をすると、桜は真顔で続けた。
「ええ。屋敷を出て十年経っても椿が独りだったら、二億で買い戻す約束で外に出したの。お断りしておくけど、うちの人が死んでも私が生きている限り、その約束は有効よ」
(……ああ、そうか。そういう事か)
 桜の告白を聞いて、浩一は去年から清人が仕組んだあれこれの理由が、漸く腑に落ちた。そして黙り込んだ彼に、幾分からかう様に桜が問いかける。 


「聞いていなかった?」
 その問いに、浩一は素直に頷いた。
「はい」
「怒った?」
「ええ……。自分自身に、ですが」
「そう……」
 薄く笑って応じた桜だったが、ここで思い出した様に付け加えた。


「ああ、そうだわ。あなたのお姉さんに、何かの折にお礼を言っておいて貰えるかしら?」
「姉に、ですか? 何の事についてでしょう?」
「あの子と随分仲良くして貰っている様だから。それと、この前の件は確かに承りましたと、伝えて貰えれば分かるわ」
「分かりました、お伝えします」
 戸惑いつつも了承した浩一だったが、ここで桜が話を終わらせようとしているのを感じ取り、慌てて問いを発した。


「あの、ついでに一つ教えて頂きたい事が有るのですが……」
「何かしら?」
「毎年、彼女の誕生日に、あのケーキ皿で全員でチーズケーキを食べていましたよね? どこのお店の商品でしょうか?」
「あら、椿から聞いたの?」
「はい。あれだけ美味しいチーズケーキは、食べた事がないと言っていましたので」
「……そう」
 そこで桜は何故か苦笑いしてから、申しわけ無さそうな顔になって、軽く頭を下げてきた。


「ごめんなさいね。それは売り物じゃないの。毎年屋敷の厨房で作っていたのよ」
「そうでしたか。それでは厚かましいのですが、レシピを頂けないでしょうか」
「それも無理なの。主人のお棺に入れて、一緒に燃やしてしまったから」
 それを聞いた浩一は、不思議に思った。
「燃やしたって……、どうしてですか?」
「実はうちの人が作ってたのよ、そのケーキ」
「は?」
(今、『うちの人』って言ったか? まさか加積老の事じゃないよな? 何か聞き間違ったか?)
 当惑しながら必死に考えを巡らせた浩一だったが、そんな心中を読んだ様に、桜は盛大な溜め息を吐いてから重ねて説明した。


「聞き間違ったんじゃなくてよ? あれを作ったのは、正真正銘、私の夫の加積康二朗。これはね、私達だけの秘密。蓮も楓も椿も知らないわ。似合わないでしょう? あんなナリでお菓子作りが趣味だなんて」
「いえ、その……、どんな趣味を持つかは、個人の自由かと……」
 半ば呆然としながらも、何とか事実として受け入れようと努力を続ける浩一の前で、桜が愚痴を零した。
「使用人や出入りしてる者達に示しが付かないからって、ずっと私が作った事にしてたのよ。だからあの人がお菓子作りに精を出している間、私は一緒に厨房に缶詰になって、他の人間が覗かないように監視してなくちゃいけなくて。私は料理なんかに興味は無いし。全く、毎回いい迷惑だったわ」
「……ご苦労様です」
 料理に対する執念が皆無な母を持つ浩一としては、何となく桜のその反応に既視感を覚え、思わず神妙に頭を下げた。それを見た桜が小さく笑いながら、当時の状況を告げる。


「あの子が屋敷に来て初めての暮れに、色々ケーキを取り揃えて反応を見たのだけど、あの子ったら一番地味なケーキを選んでね。あの子の考える事なんてお見通しよ。それであの人が『他にも色々美味そうな物が有るのに、一番ありふれた物を選びおって』と大層怒ってね。だから『意地でも美味いと言わせてやるぞ』って、何種類か試作して一番美味しくできた物を、あの子の誕生日に出したのよ」
「そう、でしたか……」
「八等分にカットして一つずつ銀紙に乗せて、箱に詰めてさも貰い物という体裁を装ってね」
 そこで浩一は確信しながら問いかけた。
「彼女は美味しいって言ったんですよね?」
「いいえ? そんな事、一言も言わなかったわ」
「……え?」
 さらっと言われた内容に浩一は首を傾げたが、桜は説明を加えた。


「ただ、一つ食べ終わった後で、こう言っただけよ。『余っている様なら、もう一つ頂いても宜しいでしょうか?』って。……初めてだったのよ」
 急にしみじみと感慨深く語った桜に、浩一は訝しげに尋ねた。
「何が初めてだったんですか?」
「あの子は自分の生活に必要な物や、自分の立場上必要な事柄については、勿論それまでにも口にしていたけど、『何がしたい』とか『これが欲しい』とか、本当に自分の為だけの要求を口にしたのがよ」
「…………」
 そう言われて、恭子の普段の生活や思考パターンを思い返した浩一は、それが相当珍しい事であったのだろうと納得して黙り込んだ。その考えを裏付ける内容を、桜が付け加える。


「いつも他人の顔色を窺って、私の影すら踏まない様に、常に三歩下がって歩いている様な状態でしたからね。『味はどうだ?』なんて感想を聞かれない限り、あの頃の椿だったら美味しいとも不味いとも口にしないでしょう。それがかなり恐る恐るだったけど『もう一つ下さい』と言ったのよ。もううちの人が大層喜んでね。勿論、顔になんか出さなかったけど、仏頂面のまま『じゃあ年寄りは要らんから、若いので分けろ』と言って、残っていた三切れを蓮と楓と椿に一つずつ分けたの。その翌年からは、最初から私達夫婦には一切れずつ、あの子達には二切れずつ配ったわ」
 その話を浩一は黙って聞いていたが、桜は急に首を振り、残念そうに話を続けた。


「でも……、そういった事はその時一度きりでね。椿は屋敷に居る間、万事大人しく私達の言う事に従って、とうとう自分の意思を表に出す事はしなかったの。だからうちの人は、そのレシピを余計に大事にしていてね。誰にも、私にすら触らせないで、あの世にまで持って行っちゃったわ。全く……、屋敷には世間に流出したら拙い物がごまんと有るって言うのに、そんな物だけ後生大事に持って行って、後始末は丸ごと私に押し付けるなんて最低の亭主だわ。そうは思わない?」
「あ、いえ……、その……」
 どうやら本気で怒っているらしい桜に、浩一は何と言えば良いかと困惑したが、彼女はすぐに笑って謝ってきた。


「だからそのレシピは、もうこの世に存在していないの。ごめんなさいね?」
「いえ、良く分かりました。ありがとうございました」
 そこで釣られた様に僅かに顔を綻ばせた浩一に、桜は満足した風情で頷き、別れの言葉を口にした。
「それでは失礼します。もうお会いする事は無いと思うけど、お元気で」
「そちらもご壮健で」
 そしてスルスルと窓ガラスが上がり、桜が命じたらしくリムジンは緩やかに発進した。それに向かって浩一は深々と頭を下げて見送ったが、再び顔を上げた時には、その車は彼の視界の中には影も形も見当たらなかった。


 重い溜め息を吐いてから、浩一は偶々帰宅した住人と一緒にエントランスの自動ドアを通り、部屋へと戻ったが、ここで鍵を持たずに出た事に気付いてオートロックで無かった事と、先程他の住人が居合わせた事に感謝した。本来であれば自動ドアの前で恭子を呼び出して、中からロックを外して貰えば良いのだが、なんとなく応答してくれなさそうな気がしたからである。
 案の定リビングに、恭子の姿と桜が持参した箱は無く、彼女の部屋に向かってみた浩一はドアをノックしようとして躊躇い、次に軽くドアノブを回してみて内側から施錠されている事を確認してから、無言のままリビングに戻った。
 色々有り過ぎてとてもこのまま食事を続行する気分になれなかった浩一は、脱いでおいた上着のポケットからスマホを取り出し、ソファーに向かった。そして乱暴に腰を下ろしてから、迷わず親友兼義兄の携帯番号を選択する。するといつも通りの、皮肉げな声が返ってきた。


「浩一、どうかしたのか?」
「今、平気か?」
「ああ、構わないが」
「さっき加積夫人が来た。昨年暮れに加積老が亡くなったそうで、彼女に形見分けにな」
 いきなり用件を切り出した浩一に、清人は一瞬絶句してから、しみじみとした口調で感想を述べた。


「そうか……、あのじいさん、くたばってたか。百を過ぎても死なない感じがしてたんだがな」
「……清人」
「何だ?」
「俺は今、好き放題に生きた挙げ句、あっさりくたばった年寄りに、もの凄く嫉妬してる」
「どうしてだ?」
 静かに尋ねてきた清人に、浩一はスマホを耳に当てたまま、中空にぼんやりとした視線を向けながら答えた。


「俺が死んでも、彼女はあんな風に泣いてくれないと思う。精々『良い人だったのに残念ね』程度の事を言ってお終いじゃないかと」
「てめぇ、ふざけんなよ?」
「自虐的過ぎるか?」
 いきなり地を這う様な声音で自分の台詞を遮ってきた清人に、浩一は自嘲的に笑ったが、そんな彼に清人の本気の怒声が浴びせられた。


「違う! あいつを一人で残して、ぽっくり早死にする気かお前は!? そんな気構えしか無いなら、荷物を纏めて今すぐそこを出ろ!!」
 その鋭い口調の叱責に、浩一は目を見開いて固まった。そしてすぐに目を伏せて、自分の不見識について詫びる。
「……悪い。口が滑った」
「二度と言うな。不愉快だ」
「ああ」
 それから少しの間沈黙が漂ったが、再び浩一が口を開いた。


「清人」
「何だ?」
「夫人から、十年契約の事も聞いた」
「それは……」
 それを聞いて、今度は清人が何か言いかけて口を噤んでから、控え目に尋ねてきた。
「……怒ったか?」
 それに浩一が苦笑で返す。


「夫人にも同じ事を聞かれたが、俺に怒る権利があると? お前には感謝してる。どうしてここまで手助けしてくれるのか、正直分からないな」
「お前の事は、真澄と清香の次に好きなんだよ。お前が男で、俺がその気の無いノーマルな男で良かったな」
「いきなり何を言い出すんだ、お前?」
 唐突に清人が言い出した内容に浩一は呆気に取られたが、清人は更に斜め上の発想を口にした。
「そうじゃなかったら、真澄が正妻でお前が愛人で、姉妹か姉弟の泥沼の骨肉相食む昼ドラばりの展開だった」
 そう清人が言い放った瞬間、思わず素直にその情景を想像しかけた浩一は無言で固まった。そして目を閉じてがっくりと項垂れながら、電話の相手の清人に謝罪する。


「…………悪い。今言われた内容、俺の想像力の限界を越えた」
「そこから更に一歩進んで、想像の翼を広げられるか否かが、作家になれるか否かの別れ道だな」
「俺は作家になる気は皆無だから、一歩たりとも踏み出すつもりはない」
「そうか。それは残念だ」
 そうしてどちらからともなく忍び笑いが漏れ、両者でくつくつと笑ってから、浩一はいつもの調子を取り戻し、相手に謝罪した。


「つまらない愚痴を聞かせて悪かった。あと、夫人から姉さんにお礼を言ってくれと言付かった」
「真澄に?」
「『彼女が仲良くして貰っているから』だそうだ。『頼まれた件は承りました』とも言ってた」
「分かった、俺から伝えておく。それじゃあな」
 そこで通話を終わらせた浩一は、気を取り直して残したままの食事に再び手を付け始めたが、その一方で、清人は自室で携帯を手にしたままひとりごちた。


「さて……、それじゃあもう少し、あいつの尻を叩いてやるとするか」
 そして直ちにアドレス帳から該当の番号を探し出し、電話をかけ始める。
「清人ですが、葛西先輩ですか?」
「ああ、どうした? 珍しいな、こんな時間に。嫁と仲良くしなくて良いのか? それとも子供ができたら、種馬はもう用無しか?」
 挨拶もそこそこに皮肉をぶつけてきた相手に(相変わらずだな……)と苦笑しつつ、清人は顔を引き締めて単刀直入に切り出した。


「先輩との会話が済んだら、すぐに仲良くしますよ。ところで、悪者になるつもりはありませんか?」
「誰に対しての悪者かによるな」
「浩一に対しての、です」
 そう清人が口にした途端、電話の向こうから嬉々とした声が返ってきた。
「遅いぞ! この悪党が、これまで散々じらしやがって! 俺はどんな事に一枚噛めば良いんだ?」
「今からご説明します」
 完全にやる気満々の葛西に向かって事の次第を説明しながら、清人は(今度こそ完全に、あいつを怒らせる事になるかもしれないがな)と密かに覚悟を決めていた。
 そして大して長くも無い話を終わらせ、詳しい日時は後から相談と言う事にして葛西との通話を終わらせると、タイミング良く授乳後に子供達を寝かしつけた真澄が寝室から出て来た。


「真澄、ちょうど良かった。さっき浩一から電話が有った」
「あら、何か用事が有ったの?」
 何気なく尋ねてきた真澄に、清人が端的に告げる。
「加積夫人が暮れに旦那が死んだ事を伝えに来て、川島さんに形見分けして行ったそうだ」
 それを聞いた真澄は驚いた様に目を見張ったが、次の瞬間神妙に頷いたのみだった。


「……そう。亡くなったの」
「それから夫人からお前に伝言だ。何だかは分からんが、頼まれた件は応じてくれるそうだぞ?」
「それは良かったわ」
 真澄が加積サイドに頼んだ内容に関して薄々察してはいたものの、清人はそれには触れずに携帯をテーブルに置いて椅子から立ち上がった。
「じゃあ俺は風呂に入ってくる」
「ええ」
 そして清人が部屋を出て行くのを見送ってから、真澄は自分のスマホを取り上げた。しかし逡巡する素振りを見せてから、思い切った様に番号を選択して電話をかける。そして応答があると、如何にも申し訳無さそうにお伺いを立てた。


「もしもし、柏木ですが。鶴田先輩、今お時間は大丈夫ですか?」
 その問いかけに、真澄が営業三課時代の先輩であり、現在は浩一の下で係長の役職に就いている鶴田が、怪訝な声で応じた。
「ああ、平気だが……、一体どうしたんだ? 直接電話を貰うのは、三課時代以来だよな?」
「その……、鶴田先輩に、折り入ってお願いがありまして……」
「それは構わないが……、何か仕事上の事か? この事を旦那は知ってるのか?」
 益々困惑した様に返してきた鶴田に、真澄は思い切った様に口を開いた。


「これは一人の課長としての依頼ではなくて、柏木浩一の姉としてのお願いなんです。公私混同だと言う事は重々承知していますが、これは主人に頼んでも、どうにもならない問題だと思いますので……」
 そこで真澄は言葉を濁したが、逆に鶴田は腹を据えた様に力強く請け負う。
「分かった。何でも言ってみろ。昔から無駄な事とどうしても不可能な事は、一度も口にした事がなかったお前だ。どんなに無茶な事を言っても、何でも言う通りにしてやろうじゃないか」
「ありがとうございます、鶴田先輩」
 心から安堵した声を出した真澄は、それから電話越しに手短に事情を説明し、依頼した内容を暫くの間口外しない事を念押しした上で、彼にやって欲しい事について恐縮しながら語ったのだった。





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