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世界が色付くまで

篠原皐月

第32話 招かれざる客

(今日は予想外に早く帰れたわね。暫くお夕飯は手抜きしたり浩一さんに作って貰っていたし、気合い入れて作ろうっと)
 気分良くスーパーの買い物袋を下げて帰宅し、エントランスの隅にある管理室に居る警備員に会釈しつつ、自動ドアのロックを外そうとバッグからキーを取り出そうとした所で、恭子は斜め後方から声をかけられた。


「こんばんは、川島さん」
 顔覚えには自信があったが、どう見ても初対面としか思えない二十代半ばの女性に、恭子は警戒しながら尋ねた。
「……どちら様でしょうか」
 その問いに、相手は何かを含む様な口調で述べる。


「あら、浩一さんから話を聞いていないのかしら? 表向き柏木家に関係の無いあなたなら、知らなくても無理も無いかもしれないけど。私は永沢亜由美。永沢地所の会長が父で、現社長が兄なの」
「はぁ……。その永沢さんが、私に何のご用でしょう?」
 会長や社長がどうしたと、全く感銘を受けなかった恭子が気のない返事をすると、笑顔だった亜由美は些か気分を害した様に強い口調で恭子に迫った。


「浩一さんに話が有るから、開けて下さる? あなたとこちらに住んでいるのは、もう調べが付いているのよ。隠したって無駄よ」
「別に隠しているつもりはありませんが……」
 いきなり押し掛けられた上、喧嘩腰になりそうな気配を察知して、恭子は取り敢えず対策を練っておく事にした。


「あら、浩一さんだわ。意外と早かったのね」
「え? ……どこ?」
 恭子がさり気なくマンションのガラス張りの入口から見える街路を歩く人影に目を向けると、亜由美も釣られて視線を向ける。その隙に視線を外に固定したまま、恭子はジャケットのポケットに手を突っ込み、手探りでICレコーダーのロックを解除して録音モードにした上、ポケットの縁に固定して外部の音が拾える様にした。


「……と思ったら別人だったみたいですね」
「あなた、ふざけているの?」
 間違いと言われて再び亜由美が恭子に視線を合わせたが、当然相手の動きに気が付かないまま苛立たしげに声を上げ、恭子は素知らぬ顔で言い返す。


「浩一さんから、ここに今日お客様が来るとは聞いていませんが?」
「四の五の言わずにさっさと開けなさい。私は浩一さんの婚約者よ!」
「婚約者?」
「ええ」
 命令口調で、勝ち誇った様に告げた亜由美だったが、恭子は小首を傾げてから頗る冷静に話を続けた。


「生憎ですが、本人から一切その手の話を聞いておりませんので。単にそう思い込んでいる不審者と言う可能性も有りますし、部屋に入れる訳にはいきませんね。お引き取り下さい」
「不審者ですって!? 人が下手に出ていればいい気になって、愛人の分際で生意気な! 人がわざわざ挨拶に出向いてあげたっていうのに、これだから氏素性の知れない女って、無教養で手に負えないわね!」
 口答えされたのが癇に障ったのか亜由美が盛大に喚き散らしたが、恭子の冷静な声音は崩れる事が無かった。


「むやみやたらに他人を誹謗中傷するのは、止めた方が良いと思いますけど? 第一、私が誰の愛人だと仰るんですか?」
「浩一さんのに決まってるでしょう? 殊勝な態度を取るなら、浩一さんの相手をするのを認めてあげても良いと思っていたけど、結婚する前に清算して貰いますからね!!」
「浩一さんは独身ですよ? 世間一般的に、既婚者ならともかく、独身者が付き合っている女性の呼称は愛人ではなく恋人では? 第一、確かに私達はルームメイトですけど、別に恋愛感情とかは持っていませんし、二重の意味で認識がおかしいと思うんですが?」
「厚顔無恥も甚だしいわね。どこまで白を切る気!?」
「第一、結婚前から愛人前提って、『自分はなんて寛大だ』と自己陶酔に浸っている様ですが、単に自分に夫を引き止めておく魅力が無いって公言してるのと同じでは? もしくは少し頭が足りないと思われるのがオチですから、あまり声高に叫ばない方が良いですよ?」
「何ですって!? あちこち男を乗り換えてきた、汚らしい愛人風情が生意気な! 東野薫の前は死に損ないの爺に纏わりついて、他のばばあ達の残飯を貰ってきた女の癖に!」
 怒り狂って自分を指差しつつ亜由美が叫んだ内容に、恭子は怒るどころか心底呆れ果ててしまった。


「……なんて突っ込みどころ満載の台詞。先生や加積様より、奥様達が耳にしたら血を見るわ」
「何をブツブツ言ってるのよ!」
「まあ、一応浩一さんに聞いてみますか」
 小さく独り言を呟いてから恭子は携帯を取り出し、自称婚約者が来訪してマンションの入口で捕まっている旨を簡単に纏めてメール送信してみた。


(せっかく今日は早く帰って来れたっていうのに……。最近は運に見放されてるわね)
 うんざりしながら返信を待つ事三分程。着信を知らせるメロディーが鳴り響き、返信された内容を確認した恭子は携帯をバッグにしまい込んでから、この間殺気の籠もった視線で自分を睨み付けていた亜由美に向き直った。


「永沢さん、残念ですが、やはり浩一さんは『自分に婚約者は居ない』と返答してきました。加えて『その女性の相手をする必要は無い』とも言ってきましたので、お引き取り下さい」
「はっ! 雌犬なんかに用はないわ。引っ込んでるのはあなたよ。部屋で待たせて貰うから、さっさと開けなさい!」
 引き下がる気など皆無らしい亜由美が横柄に言い放つと、恭子は小さく息を吐いて首を振った。


「やっぱり日本語が通じていませんね。じゃあ浩一さんが戻るまで、勝手にそこら辺で待ってて下さい。私は得体の知れない不審者を、自分の住居に入れるのは御免です」
「……っ!」
 そう言って半ば亜由美を無視し、エントランスに来客に対応する為に設置されているソファーセットに向かって、恭子は歩き出した。するとマンションの住人が帰ってきて、奥の共有スペースに繋がるドアを通り抜けて行ったが、その人物と一緒に中に入っても部屋の前で立ち往生するだけだと分かっている亜由美は、忌々しげに恭子を睨み付けながら、彼女から一番離れた位置のソファーに無言で腰を下ろす。


 取り敢えず静かになった事に安堵しながら、恭子は先程から揉めていた二人を、困った様に眺めていた管理人に愛想笑いを見せた。それで相手は何とか自分が出たり警察を呼ばなくても大丈夫そうかと判断したらしく、軽く頷き返して来たが、それを見た亜由美が「節操無く媚び売って。これだから恥知らずは」などと嫌味ったらしく呟いた。しかしそれは聞かないふりで、恭子は持っていた文庫本を広げる。


(この人、浩一さんが戻るまで本気で居座る気ね。浩一さん『会議を抜けられないが手を打つ』って送ってきたけど、一体どうする気かしら?)
 送信されてきた文面を思い返して恭子は密かに首を捻ったが、浩一が打った『手』の内容が、それから二十分程して女二人の前に現れた。


「……え?」
 駐車場へと抜ける出入り口の開閉音が聞こえたと思ったら、自分達の座るソファーの横を通り抜け様として立ち止まった真澄に、恭子は本気で驚いた。しかし真澄は余裕の笑みで挨拶してくる。


「あら、恭子さん。こんな所でどうしたの?」
「はあ、ちょっと色々ありまして……」
「ちょうど良かったわ。ドアを開けて頂戴。二人にお土産を持って来たのよ」
「はい、今すぐ開けます」
 反射的に立ち上がった恭子に悪気は全く無かったが、完全に自分を無視して話を進めている目の前の女二人に、亜由美は勢い良く立ち上がりつつ鋭い声をかけた。


「真澄さん!」
「あら、どなた?」
 そこで漸く自分に気付いた様に振り返り、悠然と微笑んで見せた真澄に、亜由美は何とか怒りを抑え込みながら名乗った。


「永沢亜由美です。柏木産業創立六十周年記念パーティーで、真澄さんにご挨拶した事がありますが」
 どうして忘れているのかと軽く非難を込めた物言いだったが、真澄はそれをあっさり受け流した。


「それは失礼しました。ご無沙汰しております。ところで永沢さんは今日はどうしてこちらに? お知り合いがこのマンションにいらっしゃるとか?」
「真澄さん……。この女と浩一さんの事、ご存じなんですか?」
 にこやかに話しかける真澄に、亜由美の表情が徐々に険しくなる。口調も咎める様な物になってきたが、真澄は一向に頓着しなかった。


「勿論知っています。恭子さんは私の友人で、浩一は私の弟で、二人は同居人ですが。それが何か?」
「大したものね。浩一さんだけじゃなくて、真澄さんまで丸め込んでいるなんて」
「何の事かしら。分かる様に説明して頂ける?」
 平然と言い切った真澄に、亜由美は今度ははっきりと冷笑と分かる表情を見せた。


「真澄さんは、流石にあの柏木家の方ですね。自分の夫の愛人なら気心が知れているからと、弟にあてがうなんて。なかなかできる事ではありませんわ。ですが少々躾がなっていないのでは? 愛人なら愛人らしく陰に引っ込んでいろと、言い聞かせた方が良いと思いますが」
 それを真正面から受け止めた真澄は、未だに笑顔を浮かべつつも目は全く笑っていないという、恭子からするとかなりの危険ゾーンに突入した。それを見た恭子は、思わず溜め息を吐く。


(うわ……、墓穴堀ったわね。完全に真澄さんを怒らせたわ。独身時代ならともかく、真澄さんが居るのに先生が浮気する筈無いじゃない。……って、この人に言っても理解できないと思うけど。知~らないっと)
 そんな事を考えてすっかり傍観を決め込んだ恭子の前で、薄笑いを浮かべていた真澄が反撃に転じた。


「愛人、ねぇ……。でも永沢さん? 赤の他人のあなたに、柏木家のプライベートに関して、色々口出しして頂く必要も権利も無いと思いますが?」
「権利だったらあります。私は浩一さんの婚約者ですから。未来の夫の身辺に付いて、言及するのは当然でしょう!? 特に変な女が纏わり付いていたら尚更です」
 昂然と胸を張った亜由美に、真澄は小さく噴き出してから笑いを堪える表情で話を続けた。


「あらあら、随分気が早いのね。その話は見合いをするかどうかの話だったし、三が日にこちらから見合い自体を断ると言う事で、父と浩一の間で話は付いているわ。まだそちらに話が伝わっていないみたいだけど。とんだ先走りね」
「何ですって?」
 はっきりと顔色を変えた亜由美に対し、真澄が鼻で笑いながら続ける。


「第一、連絡も無しにここに押し掛けて変な勘ぐりをするなんて、見合いの話があった年内中から、早速浩一の身辺調査をしていたのよね。それで愛人が居ても良いと公言するなんて、あなた、そんなに貰い手が無くて焦っているわけ? 見かけは悪く無さそうなのに、中身が無いか、余程質が悪いのかしら?」
 明らかに嘲笑と分かるクスクス笑いの真澄に、亜由美は怒りで顔を紅潮させつつ反論しようとした。


「なっ……! そんな訳無いでしょう!? ただ単に私を始めとして、父も兄も変な害虫が纏わりついたら大変だと《柏木》を心から心配して、これから必要と思われる処置を」
「聞き捨てならないわね」
「何がです?」
 鋭く自分の声を遮ってきた真澄に、亜由美が不満げな顔を見せたが、ここで真澄は愛想笑いの欠片も無い冷酷な表情で亜由美を見下ろしつつバッサリ切り捨てた。


「いつ《柏木》が《永沢》に心配されるほどに弱体化したのかしら? たかがこの二・三十年で『合法なら何でもあり』で多くの人から取り上げた土地を転がして成り上がった、薄汚いハイエナ風情に心配される程、柏木は落ちぶれてはいないわ。第一そんなハイエナの脛をかじっている輩が何寝言を言っているのよ。身の程知らずにも程が有るわ」
「……何ですって?」
「それに、二百年程前に祖先が稼業を興して以来、家には『付き合う人間は金の有無では無く、心掛けで厳選すべし』との家訓があるの。だからさっさと帰って頂戴。目の前をうろうろされるだけで目障りよ」
「このっ……」
 昂然と胸を張った真澄の辛辣極まりない言葉に、亜由美は顔色を無くして憤怒の形相になったが、その二人のやり取りの一部始終を見ていた恭子は、思わず軽く拍手してしまった。


(うわぁ……、見下しっぷりが凄いわ。流石真澄さん、完全に女王の風格です。勘違い小娘風情では、逆立ちしたって太刀打ちできないわ)
 心底感心して拍手している恭子を殺気の籠った視線で睨み付けつつ、亜由美は捨て台詞を吐いて踵を返した。


「覚えてらっしゃい! 父に言って、絶対後悔させてやるんだから!!」
「理解可能な日本語を喋る様になったら、またいらっしゃい。可哀相だから、相手をしてあげてよ?」
 最後まで皮肉を忘れない真澄に、亜由美は鬼の様な顔で真澄を一度振り返ったが、歯軋り一つでエントランスホールを出て行った。そんな彼女を見送ってから、真澄は苦笑いで恭子に向き直った。


「帰宅早々、災難だったわね」
 そう言ってクスクス笑った真澄に、恭子は半ば確信しながら問いを発した。


「あの、真澄さんは浩一さんから頼まれたんですか?」
「ええ。浩一からメールでSOSを受けてね。清人共々会議で動けないから、マンションに居座ってる女を追っ払ってくれって」
 それを聞いた恭子は素直に頭を下げた。


「ありがとうございました。でも大丈夫なんですか? 柏木産業のパーティーで顔を合わせたなら、あの人は取引先とかお仕事で関係がある方の娘さんですよね?」
「まあね。でも気にする程の事では無いわ。それよりメールを貰ってすぐに子供を母に預けて何も食べずに出て来たから、お腹が空いちゃたわ。夕飯をご馳走して貰えない?」
「すみません、気が利かなくて。取り敢えず中に入って下さい」
「ありがとう」
 そうして恭子は急いでキーを取り出し、ドアを抜けて真澄と一緒に奥のエレベーターに乗り込んだが、ボタンを押しながら調理に必要な時間を概算し、申し訳なさそうに背後を振り返った。


「すみません、急いで作りますので、少しだけ待っていてくれますか?」
「恭子さん。私、ピザが食べたいの」
 そこで唐突に、悪びれない笑顔を向けてきた真澄に、恭子は完全に面食らった。


「え? いえ、あの、でも……。お詫びにご馳走するのがデリバリーのピザって、どうかと思うんですが……」
「だって家では絶対食べさせて貰えないんだもの! 清人が『授乳中なんだから、栄養が偏ったり、刺激物が入っている物なんか駄目だ』って頑として譲らなくて。シェフの中村さんを丸め込んで毎日毎日薄味料理……。私はとろけるチーズの上に、目一杯ブラックペッパーとタバスコをかけて、コーラをがぶ飲みしながら食べたいのよっ!!」
 笑顔から一転して鬼気迫る表情で恭子の肩を掴み、切々と訴えてくる真澄に、恭子は思わず遠い目をしてしまった。


(何か心の叫びっぽい……。そうよね。乳幼児がいるから真澄さんの性格からして、そうそう外出して出先で食べる機会無いでしょうし。よほどストレスが溜まっているとみたわ。迷惑をかけたお詫びとして、先生に睨まれたり嫌味を言われる位甘んじて受けようじゃないの)
 そう腹を括った恭子は、力強く頷いた。


「分かりました。真澄さんがお好きなピザのLサイズを二つと、コーラの2Lボトルを頼みましょう。偶にはジャンクフードもいいですよね?」
 その途端、真澄が満面の笑みで、両手が荷物で塞がっている恭子に抱き付く。


「うわぁ~ん恭子さん、大好き! 愛してるわ!」
「それは先生の前では、言わないで下さいね?」
(ピザ位、偶に食べさせてあげなさいよ。本当に真澄さんと清香ちゃんに関しては、融通が利かない頑固者なんだから……)
 心の中で苦笑していると、真澄がスルリと恭子のポケットからICレコーダーを抜き取りつつ体を離し、恭子の目の高さまでそれを持ち上げた。


「それと……、配達を待ってる間にこれを聞かせてね?」
「……何も入っていませんよ?」
 思わず僅かに顔を引き攣らせた恭子がしらを切ろうとしたが、真澄は愛想よく笑いながら確信している口調で告げる

「あの女、上っ面だけ良くて結構えげつなさそうな顔をしてたし、最悪手を出してきたら正当防衛を主張する為に、やり取りを録音位しておいたわよね? 恭子さんならそれ位するでしょう?」
 微笑みながら返事を待っている真澄に、恭子は頭痛を覚えながら諦めきった台詞を口にした。


「お耳汚しかと思いますがどうぞ。それからできればこれは、先生や浩一さんの耳に入らない様にお願いします」
「勿論分かってるわ。部屋で一回聞いたらすぐに返すから。……うふふ、思いっきりピザを食べられるなんて久し振り。嬉しいわぁ」
 そんな上機嫌な真澄を伴って、恭子は漸くマンション内に帰り着いた。



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