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世界が色付くまで

篠原皐月

第16話 『紳士』の条件

 仕事帰り、約束の時間丁度にアンダーリサーチ社品川本社を訪れた浩一は、いつも通り応接室の一つに通されて担当者が来るのを待った。そして出された茶碗に手をつける間もなく、何年に渡る付き合いの担当者が万事心得た様子で、社名入りの封筒を手に応接室に現れる。


「柏木さん、こちらがいつもの物になります。いつも御足労頂いて、申し訳ありません」
「いえ、こちらも家に送りつけられたら色々差し障りがありますので、受け取りに来ているだけですから。それでは一通り拝見します」
 長野から手渡された封筒の中身を取り出し、その内容の確認を始めた浩一は、すぐに吐き捨てる様に独り言を漏らした。


「……どいつもこいつも相変わらず、ろくでもない暮らしをしてやがるな」
「その様ですね」
 一応長野は相槌を打ってみせたが、それを聞いているのかいないのか無反応のまま浩一は読み進めていたが、ページを幾つか捲った所で皮肉っぽく口にした。


「へぇ? 彼女、また結婚が決まったのか。それはそれは……。また直前で、破談になる羽目にならなければ良いがな。……これで何度目だったかな? 一、二、三」
「四度目です」
 指折り数え始めた浩一に、長野が無表情のまま説明を加える。


「そうでしたか。それに相手が……」
 そこで報告書に視線を落としたまま、突然くつくつと笑い出した浩一に、長野は内心怖気づきながらも問いかけてみた。


「相手の方がどうかしましたか?」
 その問いかけに、浩一は長野の方に視線を移しながら穏やかに微笑む。
「いえ、偶々仕事上で、ちょっとした面識があった相手でしたので。せっかくだから祝いの言葉でも、贈ろうかと思いまして」
 そう言ってにこやかに笑っている浩一を見て、長野は心底肝を冷やし、報告書に名前が載っている女性の、近い未来を悟った。


(あの作家先生の笑顔は壮絶だが、この人は一見穏やかに見える分、別の怖さを感じる……。これで『彼女』の結婚話は、また潰れたな。これも仕事だから恨まないでくれよ?)


 以前より柏木家御用達の興信所であるここは、柏木家の面々や雄一郎から紹介を受けた清人が利用しており、それなりに後ろ暗い、裏のある調査案件などもこなしていた。そのデータをどう使おうと依頼人の自由であり、長野達が関知するところではないのだが、浩一が毎回そのデータを元に調査対象の人間の就職や結婚について、裏で様々な妨害工作している事は自明の理であり、どうしても気が重くなる。
 かといって守秘義務や職業倫理を放棄する真似はできない長野が黙りこくっていると、一通り書類に目を通し終えた浩一がそれを元通り封筒に入れ、鞄に入れて立ち上がった。


「それではお邪魔しました。引き続き宜しくお願いします」
「畏まりました」
 真面目に頭を下げ、応接室を出た所で浩一を見送っていると、彼とすれ違ったらしい同僚の桑原がやって来て、長野に声をかけた。


「柏木の総領息子、帰ったんだな。何だお前、そんな不景気な面して」
 その声に一瞬不快そうに顔を歪めてから、長野は自分の机に向かって歩き出しつつ真顔で問いかけた。


「なぁ、柏木さん、何で大金を払って、何人もの素行調査させていると思う?」
「ああ、例のあれか? そんな事俺が知るか。第一、そんな事を気にしてたら、この仕事はやってけんだろうが」
「そりゃあ、そうなんだがな……」
 思わず項垂れながら溜め息を吐いた長野に、桑原が面白くなさそうに告げる。


「一つだけ、はっきり分かっている事を言ってやろうか?」
「何だ?」
「この連中、何をやらかしたかは分からんが、怒らせては拙い人間を怒らせたな」
「ちょっと見には善良過ぎる位、善良に見えるもんな……。あの人」
 分かり過ぎるくらい分かる事を断言され、長野は更に落ち込みながら自分の机に戻った。


「……ただいま」
 浩一がいつもより幾分暗めの声で帰宅の挨拶をすると、ソファーで新聞を読んでいた恭子が立ち上がって、挨拶を返した。
「お帰りなさい。着替えて来る間に、温め直しますね」
「いや、このまま食べるから、食べられる物からすぐ出してくれる?」
「分かりました」
 浩一のいつもとは違う行動を、多少不思議に思いながら恭子はキッチンに向かった。しかし背後で鞄をソファーに投げ落とす様に置き、ジャケットを脱ぎ捨てネクタイを外す気配を感じた恭子は、振り向かないまま首を傾げる。


(何? 浩一さん、何となく不機嫌?)
 そう感じた恭子はなるべく待たせないようにと、てきぱきと食事の支度をし、浩一の前に並べた。そして「いただきます」と律儀に手を合わせた浩一が、見た目は普通に食べているのを新聞を読んでいるふりをしながら観察した恭子は、時折浩一が苦々しい顔付きをしているのを見て、自分の勘が正しかった事を確信する。
 そして食事を済ませてから、未だ着替えないままソファーに腰を下ろし、傍らに置いてあった鞄から封筒を引っ張り出した浩一は、黙って中の書類に目を通し始めた。それから少しして沈黙に耐えかねた恭子が、新聞を畳んで恐る恐る声をかけてみる。


「あの……、お茶を淹れますか?」
 すると浩一が書類から顔を上げ、幾分申し訳なさそうに応じた。
「お願いできるかな?」
「良いですよ?」
 いつもの口調で答えがあった事に安堵しながら、恭子は立ち上がって二人分のお茶を淹れて戻った。そして出された湯飲み茶碗の中身を一口飲んだ浩一が、如何にも感心した風情で称賛する。


「……うん、やっぱり恭子さんが淹れた方が美味しいな。俺も結構気を配って淹れているつもりだけど、なかなか上手くいかない」
「そうですか? 浩一さんが淹れてくれた時も美味しかったですよ?」
「そうかな、ありがとう」
 互いに笑顔になってほっこりとその場が和んだ為、恭子はかつて自分に手ほどきしてくれた人物に対して、心の中で礼を述べた。


(奥様、お茶の淹れ方を叩き込んでくださって、ありがとうございます。でも……、浩一さんが仕事を家に持ち込んで、不機嫌な顔をしてるなんて初めてかも。仕事を持ち帰っても、いつもは部屋でしていたから、公私の区別はしっかり付ける人だと思ってたんだけど……)
 恭子にしてみれば些細な疑問だったのだが、気まずい雰囲気が一掃できてつい気が緩んだのか、その時何となく、浩一に尋ねてしまった。


「浩一さん、随分難しい顔で書類を睨んでいますけど、相当面倒なお仕事なんですか?」
 そう言われた浩一は、一瞬捲りかけた手を止めてから、笑顔で言い返した。


「いや、これは仕事じゃないんだ。プライベートでね」
「そうですか……」
(プライベートって……、それなら益々見当が付かないんだけど。あ、早速職場で先生が何かやらかしたとかかしら?)
 新たな疑問が生じ、自然と渋面になってしまった恭子を見て、浩一が冷静に付け足す。


「別に会社で、清人が何かやらかしたわけじゃないから」
 それを聞いた恭子は、何とも言えない顔つきになった。


「……私、そんなに読み易い顔をしていましたか?」
「そういうわけじゃ無いけど……、何もそんなにショックを受けた顔をしなくても」
 そう言って堪えきれなくなった様に、口元を押さえてクスクス笑い出した浩一を見た恭子は、(ちょっと引っかかる所はあるけど、浩一さんの機嫌は良くなったみたいだし、まあ、良いか)と自分を納得させた。そしてお茶を飲んでいると、何を思ったか浩一が手にしている書類を差し出してくる。


「気になるなら見てみる? 別に見ても構わないし」
「そうですか? それでは拝見します」
「どうぞ」
 無碍に断るのもどうかと思った恭子は、素直に受け取ってそれに目を走らせた。その結果、再び困惑する事になる。


(何? これって興信所の報告書? しかも複数人分? 取り立てて共通する所は無いし、浩一さんと接点なんて無さそうだけど。だけど、この報告書の表紙の通し番号は……)
 わけが分からないまま考え込んでしまった恭子に、浩一が試すように問い掛けた。


「恭子さん、それから読み取れる事は何かある?」
 その声に、恭子は僅かに躊躇してから、思うところを告げた。
「そうですね……。取り上げられている人物に目立った共通点は見当たりませんが、取り敢えずこの人達は浩一さんの潜在的な敵か、現在進行形で許せない事をした集団だと思います」
 淡々と告げた内容に、浩一は軽く驚いた表情を見せる。


「どうしてそう思う?」
「年齢、性別、職業、住所もバラバラ。それなら共通項は浩一さん側にある筈です。先程プライベートと仰いましたし」
「なるほどね。それで?」
「報告書のナンバーを見ると、これまでかなりの数、長期間に渡って調べさせているのが分かります。直接的、近日中に攻撃を受ける危険性のある相手なら、そんな悠長にこっそり調査させたりせずに、即座に叩き潰します。浩一さんは意外にそういうタイプではないかと、最近考える様になりましたので」
 そこで浩一は、ある意味満足そうな笑みを浮かべた。


「なるほど。自分の事を理解して貰ってありがとうと言うべきなのかな?」
 そして笑うのを止めた浩一は、背もたれ部分に寄りかかりながら、真顔で恭子に告げた。


「そうだよ。この連中は昔、俺が許せない事をしてね。敵認定するには小者でくだらない連中だけど、未だに身辺を調べさせてるんだ」
「報復措置の為に、ですか?」
 話の先を読んで口を挟んできた恭子に、浩一は思わず小さく笑う。


「今日は、お互いに質問ばかりだな。どうしてそう思うのか、聞いても良いかな?」
「転職回数が半端じゃなかったり、無職だったり、服役中だったり、何度も婚約解消してますので。先生じゃあるまいし、全てが浩一さんが手を下したわけでは無いと思いますが、結構裏から手を回していたりとかは……」
「さあ……、どうかな?」
(絶対やってるわよね。浩一さん、お家のツテだけでも半端じゃない筈だし。お金は有り余っている筈だし)
 さすがに断定して良いかどうか分からず、言葉を濁して相手の様子を窺った恭子に、浩一は苦笑で応えた。それで確信しつつも、恭子は引っかかった事柄を口に出す。


「でも分からないのは、ただ一人だけ、普通にお勤めして結婚して一児の父になって、真っ当に生活していらっしゃる方が居るみたいですが……」
「それがおかしい?」
「おかしいというか……、腑に落ちません」
「そうか」
 真顔で訴えた恭子に薄く笑って頷いてから、浩一はどこか遠い目をしながら話し出した。


「……そいつはね、一応謝ってきたんだ。自分の行為をね」
「その謝罪を受け入れたわけですか?」
「いや? 俺には関わり合いの無い事だからね。何をわけの分からない事を言っているのかと、追い返したが」
「『わけが分からない行為』でも、この中でそういう行為をした人はこの人だけだったと」
「そういう事」
 そこで何となく無言になったのを誤魔化す様に、恭子は冷めたお茶を飲んだ。同様に、浩一もお茶で口を湿らせてから話を続ける。


「だけどそんな人間でも、全然反省なんかしていなくて、聡い周りの誰かに言い含められただけかもとか、これから俺にとって不利益になる事をするかもとか考えて、しつこく身辺調査は続けていてね」
「そうですか」
「結構俺は、自分で思っていたより猜疑心の強い、心の狭い人間らしい。この報告書をみる度そう思うよ。恭子さんは俺の事を『紳士』と言ってくれるけど、そんな事は無い事が分かっただろう?」
 そう言って自虐的に笑ってみせた浩一に、恭子は一瞬どう返せば良いか迷ったが、すぐに冷静に言い返した。


「『紳士』の定義なんて正直、良く分かりませんが、自分の事を『紳士』と公言してる人間に限って品性下劣で、周囲からどんな目で見られているか分かっていないものですよ。浩一さんはそんな事はありませんし、自分のしている行為はきちんと理解していますから、そんな連中よりははるかにマシだと思いますが?」
「そうかな?」
「そうですよ。第一、聖人君子なんて気味が悪いです。浩一さんは人当たりが良いし誰にでも優しいのが、この連中にだけ集中して悪意を向けているせいだと納得できました。浩一さんがそこまで怒ってるなんて、どうせ相当ろくでもない事をした連中なんですよね? 浩一さんの周りの全ての人の為にも、この人達に思う存分怒りと悪意をぶつけちゃって下さい。それが世の為、人の為です」
 恭子がはっきりきっぱり断言した内容を、浩一はポカンとした表情で聞いてから、口元を押さえて低く笑い出した。


「そうか……、聖人君子って、……気味が悪い、か。嫌がらせするお墨付きを、貰ってしまったし……」
「誰だって自分の身が可愛いですし、心の平安は欲しいですよ。ろくでなし連中がろくでもない目にあったとしても、良心は痛みません」
 そう言って浩一に向かって突き返す様に書類を押し出した恭子はふんぞり返って胸を張り、それを受け取った浩一は目元と口元を緩ませて微笑した。


「分かった。じゃあこれからもしつこくこいつらに陰から嫌がらせをして、毒抜きする事にするよ。それじゃあお休み」
 そう言って、手早く鞄や脱ぎ捨てたジャケットなどを手にして立ち上がった浩一に、恭子は些か慌てた様に声をかけた。


「浩一さん? あの、お風呂とかは……」
「明日の朝、早めに起きて、シャワーで済ませるから気にしないで」
「そうですか。お休みなさい」
「お休み」
 そう言って笑いかけてきた笑顔はいつも通りの物で、恭子はそれ以上何かを言うことも引き止める事も出来ずに、黙って浩一を見送った。そしてリビングがその姿が消えてから、ソファーの背もたれに上半身を預け、中空を見つめながらひとりごちる。


「もっと他の言い方が、あったかしらね? それにお酒の方が良かったかしら? 調子狂うな。失敗、したかなぁ……」
 加積の元を出てからの、それなりに長い間。対人関係には不和も軋轢も生じさせない様に、上手く立ち回ってきたと自負していた恭子だったが、浩一に関してだけは計算ずくで上手く対応出来ているかどうか自信が無い事に、その時の恭子は既に気が付いていた。





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