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世界が色付くまで

篠原皐月

第11話 宴の陰影

 清人と真澄の挙式が終了し、チャペル前に広がる広々とした中庭でブーケトスとガータートスを終えてライスシャワーに移行しようとした時、大半の出席者が予想外だったその騒動は勃発した。
 お約束の様に清人が真澄を横抱きに抱え上げたと同時に、会場のホテルのスタッフがいつの間にか中庭に運び込んでいた段ボール箱の蓋を浩一が開け放ち、中身を掴み取りながら打ち合わせしていたらしい弟や従弟達に向かって声を張り上げる。


「よし、予想通り清人が姉さんを抱え上げたから皆やるぞ! 好きなだけ持って行け!」
「それ! このチャンスを逃すか!」
「清人さんを狙い撃ちだぜ!」
 他の参加者からは普通に米粒が降り注がれる中、浩一が恭子と共にこつこつと作成した布袋を背中や脚目掛けて投げつけられた清人は、悪ふざけをしている面々を叱り付けた。
「って! こら! お前ら何しやがる!! それは米じゃ無いだろう!?」
 しかし浩一を初めとする面々は、各自その手にピンポン玉大の包みを山ほど掴みながら、どこ吹く風で言い返す。


「中身はれっきとした米ですよ?」
「ライスシャワーならぬ、ライスボムですけどね~」
「俺達の祝福、全身で受けて下さい、清人さん!」
「ほら、両手が塞がってる今がチャンスだ! 目一杯普段の鬱憤晴らしといくぞ! なぁ清人? まさかお前、今更姉さんを下ろして一緒に走らせて逃げたり、姉さんを置き去りにして一人で遁走なんて、甲斐性無しと思われる事はしないよなぁ?」
(うわぁ……、浩一さん、凄く楽しそう……。混ざれるものなら混ざりたい……)
 右手で小さな包みをわざとらしく弄びつつ、にこやかに、しかし嫌味たっぷりにそう言い放った浩一を見て、少し離れた場所から事の成り行きを見守っていた恭子は、浩一に羨望の眼差しを送った。そんな恭子に清人は一瞬(お前、黙ってやがったな!?)と怒りの視線を向けてから、浩一に向き直って怒鳴りつける。


「お前ら~! 首謀者は浩一、お前か!?」
「はっ! 人を嵌めてくれた報復措置にしては、可愛いもんだろうが!! ほら行くぞ! 気合い入れて背中向けて逃げやがれ! ぐずぐずしてると姉さんに当たるぞ?」
「っのやろう!」
 盛大に舌打ちして清人が真澄を抱えたまま庭を突っ切って本館内に逃げ込もうとしたが、浩一が煽った悪友達がその行く手を阻む。それを避けて右往左往しながら的になっている清人を見て、恭子は半ば呆れた。


(先生ったら、あの温厚な浩一さんを、どうしてそこまで怒らせたのかしら? ……でも浩一さん、子供みたいな笑顔で、本当に楽しんでるわよね)
 そうしてどうなる事かと事態の推移を見守っていた恭子だったが、清人が真澄を抱きかかえたまま根性で生け垣を飛び越えて遁走し、中庭には無数の落下した包みが残された。
(どうするの、これ? ホテルの迷惑よね……)
 そんな心配をしてしまった恭子だったが、ここで浩一がすかさず「中身は魚沼産コシヒカリです。ご希望の方はお持ち帰り下さい」と声をかけながら、それなりに強度の有るホテルのロゴ入り紙袋を参列者に配って歩いた為、主に既婚女性を中心に結構激しいブランド米争奪戦が始まった。そしてみるみるうちに芝生の上の包みが無くなっていく。


(……お見事。さすがに如才が無いわね。さて、それではこちらは受付の準備に向かいましょうか)
 思わず失笑してから恭子は中庭を離れ、ホテルの本館に入って予め説明を受けていた場所へと向かった。そして指定の時間前に、披露宴会場の扉の前で受付担当のスタッフと、新婦側からの受付役を依頼された女性と顔を合わせる。


「鹿角さんですね? 川島です。今日は宜しくお願いします」
「川島さんですよね? こちらこそ宜しく。披露宴の受付の経験は有るけど、ここまでの規模の物はした事が無いのよ。ちょっと大変そうね」
 二人が笑顔で初対面の挨拶をする横で、ホテルのスタッフが手際よく机を並べて真っ白なテーブルクロスを引いた上に、必要な物を山積みにしているのを見た真澄の友人である翠は、その分量に些か辟易した様に述べた。それに恭子も苦笑しながら宥める。
「確かに両家合わせると、出席者が二百人近いですからね。でもスタッフの方も控えてくれていますし、何とかなりますよ」
「まあ、それはそうなんだけど」
 苦笑しながら椅子に座り、芳名帳や筆記用具などをセットしていると、何気なく席次表を開いてみた翠が些か強張った顔で恭子に声をかけた。


「川島さんは、清人君のアシスタントをしてるのよね。招待客のリストとか、もう目にしてます?」
「いえ、全く。先生が全て自分で整えていましたので」
(そうなのよね。絶対、細々した物は丸投げされると思ってたのに……)
 疑問に思った事を再確認していると、そんな恭子の目の前に翠が席次表を差し出した。
「この席次表を見て? 新婦側もそうだけど、新郎側の招待客はそれ以上のそうそうたる顔ぶれよ? 川島さんは知っている人達?」
「招待客、ですか?」
(……加積様に、奥様まで?)
 そしてそれに目を落とした瞬間、恭子は軽く目を見開いて固まった。しかしすぐにいつもの口調で言葉を返す。


「ええ。先生に言われた取材の過程でお知り合いした方や、紹介の紹介とかで面識がある方が殆どですね」
「そうなんだ……。相変わらず無駄に顔が広い、天然タラシよねぇ」
「本当ですね」
(どうしてあのお二人が? それにしても……、先生は人が悪過ぎるわよね。やっぱり少し真澄さんに同情するわ)
 しみじみと清人を評した翠に笑いを誘われつつ、恭子は早くも驚きから立ち直り、目の前の事に集中する事にした。


 そして受付開始時間になり、披露宴の招待客が少しずつ受付を訪れ始めた。
 披露宴開始まで十分時間があり、来客層が名士と呼ばれている人物中心である事や、会場の手前に幾つもソファーが配置された広々としたロビーが広がっている事など合わさって長い行列など出来ず、ホテルスタッフの手を借りながら恭子たちは笑顔で来客を捌いていた。そして正装した人々があちこちでソファーに座り、または佇んで思い思いに挨拶を交わし談笑している中、何故か不意に不気味な沈黙が開放感あふれる空間に満ちる。
「ねえ、急に静かになった? 何かあったのかしら」
「でも何かあったのなら、却って騒々しくなると思いますが」
「それはそうよね」
 手が空いた翠に声をかけられ、恭子も招待客に席次表を渡して頭を下げてから不思議そうに応じたが、続けてロビーに目をやってその理由が分かった。


(本当に、いらっしゃったわ……)
 その視線の先に、驚愕しているロビーの人々の視線をものともせず、護衛役の黒スーツの屈強な男に押させた車椅子に乗っている総白髪の老人と、その傍らを優雅に進む薄紫の訪問着を纏った上品な老婦人が存在していた。
 予め席次表で二人の出席を確認し、その時には既に落ち着き払っていた恭子とは対照的に、偶々受付に並んでいた何人かの者達は夫婦の顔と名前を見知っていた者ばかりだったらしく、動揺したせいか無意識に後退してしまう。その為不自然に受付前の空間が空き、夫婦が意図しなかったにも係わらず、待たされずに受付する事になった。


「お久しぶりです、加積様」
 恭子は音も立てずに椅子から立ち上がり、目の前の人物に向かって深々と頭を下げた。そして再び頭を上げて真正面から目を合わせて来た恭子に、加積は軽く口元を歪めてから低く、しかし不思議と周りに響く声を発する。
「息災の様だな。相変わらずあの人でなしに、こき使われているらしいが」
「いい加減、もう慣れましたので」
「そうか? 何やら愚痴やら悪態を吐くのが、常になっているようだがな。あちらこちらから聞こえてくるぞ?」
 幾分茶化す様に言われてしまった恭子は、苦笑いする事しかできなかった。


「お耳汚しな事を考え無しに放言して、申し訳ありませんでした」
「まあ、程々にしておけ。あのろくでなしもみすみす死なせる様な真似はさせんと思うがな」
「そうします。ところで、最近お体の調子が優れませんか?」
 加積の車椅子姿などは目にした事が無く、しかしそんな風に介護されている割には眼光の鋭さも皮膚の血色の良さも、以前と同じく実年齢の八十過ぎには到底見えない為、そのギャップが気になってつい尋ねてしまったのだが、それを聞いた加積は楽しそうに笑った。


「やっぱりお前も似合わないと思うだろう?」
「はぁ……、似合わないと言いますか、らしくないと言いますか……」
「俺だってごめんだったが、こいつが聞く耳を持たん」
 渋面で加積が横に立つ妻を指差すと、彼女は呆れ顔で言い切った。
「当たり前です。お酒に酔ってうっかり転んで立てなくなったりしたら、騒ぎになって披露宴が台無しですよ? 流石にもう足腰が弱って居るんですから、大人しくしていらっしゃい」
「ほらこれだ。俺は杖だけで良いと言ったのに……」
「五月蠅いですよ。それに車椅子が邪魔ですから、さっさと中に入って下さい」
「五月蠅いのはお前の方だろうが……。それではな。桜、後を頼む」
「はい、分かりました」
 ブツブツと愚痴る夫を連れの男に指示して追い払った彼女を見た恭子は、(相変わらずみたいね)と密かに笑いを噛み殺した。そして目の前の芳名帳に夫婦の名前と住所を流麗な字体で記載を終えた彼女が、筆を起きながら恭子に静かに声をかける。


「椿」
(え? どうしてここでその呼び方……)
「……はい、奥様。どうかされましたか?」
 顔を上げて視線を合わせて来た相手から『椿』と呼び掛けられて僅かに動揺したものの、恭子はそれを面には出さずに言葉を返した。すると予想外の話が続く。
「これまでも、あの人から逐一話は聞いていたのだけれど、人使いが荒い主人を見限って、そろそろうちに戻って来る気は無い?」
「は?」
 本気で面食らった恭子に、相手は淡々と話を続けた。


「あれ以降もあなたの部屋は、出て行った時のままにしてあるのよ」
 言われた意味を頭の中で考えた恭子は、そこで素直に頭を下げた。
「お心遣いありがとうございます。ですがその必要はありませんので」
「あら、そうなの? 椿の今の主人は、あなたを女扱いしないどころか、人間扱いすら怪しい鬼畜男じゃないの?」
 心底不思議そうに尋ね返した女性に、恭子は苦笑いしながら理由らしきものを述べた。


「確かに先生は性格が悪過ぎて、選り好みが激しくて、容赦がなくて、時々もの凄く馬鹿で面倒で大変ですが……。その分それなりに、毎日楽しく過ごさせて頂いていますので」
「……そう、楽しいの」
「はい」
 何を思ったのかうっすらと笑った女性を、恭子は落ち着き払った表情で見返した。すると相手は満足した様に軽く頷いて移動を始める。


「それなら無理にとは言わないわ。聞かなかった事にして頂戴」
「畏まりました」
 そして一歩二歩足を踏み出した所でその女性は足を止め、振り向かないまま独り言の様に恭子に話し掛けた。
「ただ……、あなたが、変わり映えしなくて死にそうに退屈でも、『外』に居るのが辛くなって、何も考えずに済む生き方がしたいと思ったら、いつでも戻っていらっしゃい」
「ありがとうございます」
 再度頭を下げて恭子が老婦人を見送り、その姿が披露宴会場内に消えると、先ほどから無言で固まっていた翠が、漸く解凍された様に恭子に向かって焦った声を上げた。


「あ、あのっ! 川島さんっ!」
「どうかしましたか?」
「これっ! このご祝儀袋……」
(そうきましたか。加積様に常識を期待しても無理よねぇ……)
 どうやら先程加積が車椅子で前を通り過ぎた際、翠の目の前に無造作に置いて行ったらしい非常識な代物を見て、恭子は思わず溜め息を吐いた。一応白い和紙で包んだ上に豪奢な水引を飾り付けてはあるが、明らかに一般のご祝儀袋とは異なる立体感有り過ぎのそれに、一瞬遠い目をしてしまう。


「……現金じゃなくて、小切手とかにして頂いたら、ここまでかさばらなかったんですけどね。五百万位ですか? この厚みからすると」
「ごひゃっ! ど、どうしっ……」
 完全に舌が回らなくなっている翠や動揺しているスタッフを宥める様に、恭子は慎重に口を開いた。
「別に間違いとか、爆弾とか入っていませんから大丈夫ですよ? 中身を確認したら、後から纏めてフロントで預かって貰うようにスタッフにお願いしますし、こんな人目がある所で強盗する人も居ないでしょうから落ち着いて下さい」
 それで何とか判断力を取り戻した翠が、素朴な疑問を口にした。


「そ、そうよね。だけどあれ、清人君側の招待客よね? 五百万をポンとご祝儀によこすなんて、一体どんな関係者なのかしら?」
 翠の疑問は尤もなのだが、流石に正直に(かつて裏の世界を牛耳ってた、ヤバ過ぎるお爺さんです)などとは口にできず、恭子は笑って誤魔化した。
「それより、皆さんお待ちですから、急いで他の方の対応をしましょうか」
「え、ええ、ごめんなさい、そうよね! ……申し訳ありません、お待たせしました。こちらにお名前を御記入願います」
「本日はおめでとうございます」
 加積夫妻がその場を去ってからロビーにもざわめきが戻り、それまで以上に噂話に花が咲いた様だったが、恭子達はそんな事に意識を向ける暇も無く、再度受付に並び始めた招待客の対応を手早くこなしていった。
 一方で、加積の来訪を偶々ロビーの隅で認めた浩一は、間違っても相手をホテルから叩き出すなどの暴挙はできず、憤慨しながらホテルの廊下を駆け抜けていた。


「清人!」
「何だ舞い戻って来やがって。どうした?」
 先程新郎控室から従兄弟達と連れ立って行ったばかりの浩一が、血相を変えて戻ってきた事に清人は一応驚いたふりをしてみせたが、付き合いの長い浩一にはそれが上辺だけの物だと分かり、歯軋りしながら清人を睨み付けた。そしてその場には大学時代の先輩であり、同じ柏木産業に勤める鹿角、広瀬、桜庭が清人をからかいにやって来ていたが、浩一が押し殺した声で彼等に要請する。
「……先輩、申し訳ありませんが、外して頂けますか?」
「あ、ああ……」
「分かった……」
「ごゆっくり……」
 浩一のただならぬ形相と雰囲気に恐れをなした三人があっさりと出て行くと、浩一はドアに鍵をかけてから清人に近寄り、自分自身を落ち着かせる様に静かに問いかけた。


「清人。お前、何で披露宴に加積夫妻を招待してるんだ?」
「ああ、見たのか?」
「『見たのか?』じゃあ無いだろうが!?」
 そこで五つ紋の着物に羽織袴姿の清人に詰め寄った浩一は、険しい表情になって怒鳴りつけた。しかし清人は浩一の怒りを、平然と受け流す。 
「別に支障は無いだろう? 単に久し振りに顔を見たかっただけだし、そもそも俺の結婚披露宴だ。出席者について、お前にとやかく言われる筋合いは無い」
「…………っ! 貴様!?」
 無意識に両手で清人の胸倉を掴んで迫った浩一だったが、そんな彼を至近距離で見据えながら、清人が静かに問い掛ける。


「それに……、あいつは加積夫妻と顔を合わせたとしても、今更動揺したりしないだろう。見たか?」
「……しっかり見て来なかったが、おそらくは」
 忌々しそうに答えた浩一に、清人は冷静に頷いてみせた。


「そうだろうな。それ以前と比べると、初めてまともに人間扱いしてくれたご主人様だ。それなりに恩義は感じているだろうし、非礼な真似はしないだろう」
「しかしだな!」
「だから、披露宴の最中に挨拶がてら酌の一つをしに行っても睨むなよ? これ以上喚くな。それからさっさと手を離せ。皺になる」
 尚も言い募ろうとした浩一の言葉を遮り、清人は横柄とも言える口調で浩一の手を着物の襟から半ば力ずくで引き剥がした。そんな清人を少しの間睨みつけてから、浩一は無言のままその部屋を立ち去った。その姿がドアの向こうに消えてから、清人が小さく呟く。


「これ位で一々動揺してるなよ。全く……」
 そして、苦笑いしながら姿見の前に移動した清人は襟の乱れを直すと、そのまま見るともなしに鏡の中の自分の姿を見詰めた。
「だが……、本当に来るとは思わなかったな。そろそろなのか?」
 そう物憂げに呟いた清人だったが、間を置かず続けて控室に乱入してきた自称『ちょっと年上の友人』達に対応する為、笑顔で意識を切り替えたのだった。


 そして加積の件以外は大したトラブルもなく受付は進み、披露宴が始まってからも何人かが遅れてやって来たが、開始後二十分を経過した所でスタッフに後を頼み、緑と恭子は静かに会場内に入って行った。そして席が準備されていた新郎側親族席のテーブルに、清香と小笠原一家に挨拶しながら座る。
 小笠原社長夫妻とは入社前に自宅を訪ねて面識があり、清香を交えて和やかに会話をしつつ、時折聡をいびりながら一時間程を過ごた恭子は、再び腰を上げた。


「少し失礼して、知り合いの方々にご挨拶して来ます」
「行ってらっしゃい」
 清香に見送られた恭子は、新郎新婦がお色直しの為に退出し、出席者が入り乱れて歓談している会場を進んだ。途中会場を行き交うボーイから烏龍茶の瓶を一本受け取り、中央寄りの一つのテーブルに辿り着いて控え目に声をかける。
「加積様、奥様、ご歓談中失礼いたします」
「おう、来たか」
 加積は淡々とその挨拶に応じたが、その横では些か茶化す様な声が返ってきた。


「あらあら、わざわざ来なくても良いのに。小者が怖がってこのテーブルに近寄って来ないから、皆さんと楽しくお喋りしていたのよ? あなたが来たせいで敷居が高くないと思われて、お追従ばかりの連中に群がられたりしたら嫌だわ」
 そんな台詞に、周囲から賛同する声が上がる。
「確かになぁ、今日は加積さんのお蔭でうざくない」
「こういう場所では、主役以上に纏わり付かれる事がままありますからな」
「ままあるだけか? 俺はしょっちゅうだぞ?」
「それは配慮に欠けました。申し訳ありません」
(う~ん、確かにこのテーブル、肩書が豪華過ぎるわ。結城化繊工会長で経興連会長の大刀洗会長、新興銀行頭取の佐倉知典氏、関西商工会会頭で日新光学会長の飛田幸之介氏、高見自動車工業社長の高見慧氏、富川薬工社長の村田修造氏に畑山酒造の寺本秀次会長だなんて。本当だったらお近付きになりたい烏合の衆が、纏わり付いて来るんでしょうね。旦那様の顔が知られているお陰で寄って来れないなんて、滑稽過ぎるけど)
 半ば呆れて小さく溜め息を吐いてから、遠目で加積のグラスの中身を確認していた恭子は、烏龍茶の瓶を加積の方に軽く差し出しながらお伺いを立てた。


「宜しければお注ぎいたしますが」
「ああ、頼む」
 短く促された恭子は、半分程になっていたグラスに注ぎ足しながら、密かに相手の様子を観察した。
(やっぱり老けたわよね。お屋敷を出た時も既にお年だったけど、もう少し気力が充実していた気がするわ)
 端から見ればとても実年齢には見えない加積も、何年も側で見慣れていた恭子にしてみれば、その姿は当惑するものだった。そんな感傷を打ち消す様に、恭子は続けて声をかけた。


「この様な賑やかな場所にお出ましになって、お疲れでは無いですか?」
 一応、恭子なりの気遣いだったのだが、それは夫妻に一笑に付されてしまう。
「偶には良いだろう。久し振りに本気で笑わせて貰った」
「本当に。辛気臭い老人の相手ばかりしていると、こちらまで腐りそうですもの。良い気分転換になったわ。招待して下さった新郎新婦にあなたの方からお礼を言っておいて頂戴。直接お礼を言ったら差し障りがあるでしょうからね」
「畏まりました」
 先程からの、流石清人と真澄の披露宴だと納得しそうな、桁外れで非常識なイベントの数々に対するコメントを飲み込み、恭子は真顔で頭を下げた。すると恭子と夫妻の関係をなんとなく推察しながらも、余計な口を挟まない聡い周囲の面々が、面白そうに口を挟んでくる。


「加積さん、あの二人なら直接礼を言っても別に気にはしないと思うが?」
「なかなか面白いものを見せて貰ったし、儂らも礼を言わんとな」
「そうそう、あの時手足の一本や二本取られるかと思った加積さん相手に、こんな話ができるとは夢にも思いませんでした」
「それに恐妻家だとは、些かも存じ上げませんでしたな。奥様を怒らせたくはないです」
「まあ、皆様酷い。そんな事ばっかり仰って」
「本当の事だからな」
「あなた?」
 軽く桜が夫を睨み、加積は妻の視線からさり気なく視線を逸らす。それを見て周囲の者達と同様、恭子は笑いを噛み殺したが、ふと背後から視線を感じた。


(誰かこちらを見てる?)
 何となく友好的とは言いかねる視線を受けた気がした恭子は、さり気なく加積の椅子の背後を周りながら会場を見回して視線の主を探した。すると予想外の人物に行き当たる。


(……浩一さん?)
 その浩一は恭子と視線が合うと、不機嫌そうな顔を不自然に見えない程度に逸らし、新婦側親族席にやってきた出席者と会話し始めた。それで恭子の中で、何となくもやもやした気持ちが残る。


(睨まれてた? でも式までは普通に話をしていたから、私の出で立ちが気に障ったとかじゃないわよね? どういう事かしら。それとも気のせい?)
 そんな内心を綺麗に押し隠し、笑顔で別れを告げて自分の席に戻って行く恭子を、そのテーブルに着いていた者達全員、何か物言いたげな視線で見送ったのだった。



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