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世界が色付くまで

篠原皐月

第9話 全て彼女の思うまま

 最近の恭子の朝は、爽やかな挨拶で始まる。


「おはよう、川島さん」
「おはようございます、高橋さん、角谷さん」
「……おはようございます」
 小笠原物産に出社して廊下を歩いていると、背後から声をかけられた恭子は笑顔で振り返って挨拶を返した。少し前から同僚となった高橋は満面の笑顔だが、父親が社長を努めている為、社内では角谷姓を名乗っている聡の笑顔は、どことなく引き攣っている。それを見ただけで恭子は(今日はどんな風にからかってあげようかしら)と嗜虐心をそそられたが、ここで素早く恭子の手荷物を見やった高橋が、不思議そうに声をかけてきた。


「あれ? 川島さん、今日は鞄だけ? お弁当は?」
「昨夜、炊飯器のタイマーをセットするのを忘れてしまって。朝焦りました」
 苦笑しながらそう返すと、高橋が並んで歩きながら聡に話を振った。
「そうなんだ。何事もきちんとしている川島さんにしては珍しいな。なあ、角谷?」
「あ、ああ……」
(駄目だ……。この人がここにやって来て以来、何を聞いても何を見ても、裏が有る様に思えて気が休まる暇がない……)
 辛うじて相槌を打った聡が、まるで生きた心地がしないままこっそり恭子の様子を窺っていると、話が予想外の方向に転がった。


「じゃあ今日の昼、一緒に食べに行きませんか? 社員食堂でも外でも、川島さんが好きな方で」
「実は……、ここに来る前に、六課の羽生さんと海外事業部の石橋さんにもお弁当を持っていないのを見られて、昼食を誘われまして。お二人とご一緒でも良いなら、私は構いませんが」
 それを聞いた高橋は、盛大に舌打ちしたい様な顔付きになった。


「俺は構わないけど……。全く、あいつらも手が早いな」
「いえ、以前お知り合いだった方と私の顔立ちが似ているから、お二人とも色々気を遣って下さっているだけですよ」
「その話を聞いた時は、俺も本当に驚いたな。ほぼ同時期に、その二人が川島さんに良く似た女性と付き合ってたなんて」
 話に出した二人を幾分庇う様に恭子が口にすると、高橋は思い出した様にそれに応じ、その一歩後ろで聡は全身を強張らせた。


「私も驚きました。世の中に顔がそっくりな人間が三人居るって言いますけど。そういえば、高橋さんも私に良く似た方とお付き合いしていた時期があるんですよね?」
「ええ。だから川島さんを初めて見た時、凄く驚いて。確かに話し方とか声が違うし、弓香の顔にはほくろも無かったから別人って分かるけど、本当に生き別れの姉妹とか居ないんですか?」
「本当に居ませんったら」
 そう言って自分からすれば白々しく笑っている恭子に、聡は本気で頭を抱えたくなった。


(平気でしらばっくれてる、この神経が凄い。俺が清香さんに近付いた当初に、高橋と付き合って一課の情報を引き出してたくせに、それを微塵も感じさせないで堂々と乗り込んでくるなんて。しかも他の二人とも同時進行だったのがバレもしないなんて……、この会社は大丈夫なのか?)
 聡が本気で小笠原物産の行く末を案じ始めた所で、恭子が聡をチラリと横目で見ながら思わせぶりに言い出した。


「でも……、偶然でしょうか?」
「何がです?」
「高橋さんと羽生さんと石橋さんって、組んでお仕事をする事も多いじゃないですか。そんな三人が同じ様な顔の女性と付き合った事があるって……。もう偶然って言うより必然って感じがしません?」
「え? どういう意味ですか?」
 それを聞いた高橋は不思議そうに尋ね返したが、聡は瞬時に顔色を変えた。


(ちょっと待て! まさかここで、俺を含めた一課の仕事を妨害する為に、三人と付き合ってた事をバラすつもりじゃないだろうな!? そうしたらその理由も聞かれるだろうし、せっかく川島さんとは初対面を装ってたのに、なし崩しに兄さんとの関係や俺が社長の息子って事までバレるかも!)
 焦ったものの下手な事は言えず、盛大に冷や汗を流し始めた聡だったが、恭子は平然と話を続けた。


「ですから、そんなに似た容姿の女性を好きになる位なら、三人の思考パターンや趣味志向とかが深層心理では一致してるんじゃないかと思うんです。だから仕事上では、これ以上はないベストパートナーですよね? 上から重要な仕事を、三人で任せられてるのが分かるなあと思いまして」
 そう言ってにこやかに笑った恭子に、高橋は一瞬虚を衝かれてから、面白そうに笑った。
「そうか。確かにそうとも言えるな。あの二人との仕事は確かにやりやすいですよ。うん、流石、一流作家の下で色々なタイプの人を見てきた人の発想は違うなぁ」
「ありがとうございます」
(ふっ、チョロいわ。なんとなく小笠原物産が柏木産業に一歩及ばないのが、分かる気がするわねぇ……)
(騙されてる……。何で皆、そんなにあっさり騙されるんだよ)
 半ば呆れながらも笑顔を保っていた恭子は、ここで唐突に一連のやり取りで脱力していた聡に声をかけた。


「そう言えば……、角谷さん。清香ちゃんはお元気ですか?」
「え?」
 いきなり奇襲されて今度こそ聡の顔が引き攣ったが、高橋は恭子に顔を向けていた為、その険しい表情には気が付かなかった。
「あれ? 川島さん、角谷の彼女と知り合いだったんですか?」
「ええ、私が付いていた先生の妹さんなんです。先生の活動休止に伴って離れてから、顔を見る機会が無くて。角谷さんのお話は聞いてましたが、直接お会いした事は無かったので、ここに来た時は初対面のご挨拶をしたんですが」
 微笑みつつ平然と言ってのけた恭子に、高橋は納得した様に頷いてから聡に顔を向けた。


「そうだったんですか。川島さんが付いてたのって、あの『東野薫』ですよね? お前、そんな有名どころの作家の妹と付き合ってたのかよ?」
「まあ、な。だが、わざわざそんな事を言う必要は無いだろう」
「それはそうかもしれんが」
(何だ? 何を考えているんだこの人。俺や清香さんとの関係を、わざわざ暴露するなんて)
 訝しく思いつつ辛うじて言葉を返した聡だったが、営業部のフロアに入ってからも恭子の話は続いた。


「清香ちゃんが最近下宿する事になったと聞いたので、それにもう慣れたかなとちょっと心配になって。一応連絡は取ってて『良くして貰ってる』とは聞いたものの、心配させまいと気を遣ってるんじゃないかと思いまして。角谷さんなら相談とか受けていないかと」
「え、ええ……。特に問題無く、過ごしているみたいですよ?」
(今度は何を言い出す気だ? もう勘弁してくれ!)
 聡の心中のそんな悲鳴が聞こえたかの如く、恭子は更に聡の心境を穏やかならないものにしていく発言を容赦なく繰り出した。
「それなら良かったわ。清香ちゃんの下宿先のお宅が、某大手総合商社の社長宅とお伺いして、ご夫妻とも周囲からの人望が厚い方と聞いてましたから、あまり心配はしていませんでしたが、安心しました」
 そう言って恭子はにっこりと微笑み、対照的に聡の顔からは表情が抜け落ちた。すると不思議そうに高橋が口を挟んでくる。


「へえ? 今時下宿なんて珍しいな。しかも大手総合商社って言うとどこだろう? 柏木、長久保、結城とかかな?」
「あら、高橋さん。肝心の小笠原を忘れていません?」
「え? まさかうちの社長宅なんですか?」
「かっ、川島さんっ!!」
 いきなり核心を突いてきた恭子に聡は狼狽しまくって声を荒げたが、恭子はしれっとして笑いを含んだ声で答える。
「いえ、違いますが、大手総合商社と聞いたら、自社名を挙げないと駄目ですよ?」
 恭子が茶目っ気たっぷりにそう告げると、高橋は照れくさそうに軽く頭を掻きながら笑った。


「これは失礼。入ったばかりの川島さんに、愛社精神の欠如を指摘されるとは面目ない」
「全くだな。そこでうちの名前を真っ先に出せ」
「減点1だな、高橋。新人の川島さんに負けず励めよ?」
「肝に銘じます」
 いつの間にか営業一課のスペースに来ていた為、三人のやり取りを聞くとも無しに聞いた周囲から冷やかし混じりの声がかかり、高橋は苦笑しつつ席に着いた。そして恭子も周囲に笑顔で挨拶をしながら席に着いたが、その後ろ姿を聡が恨みがましく眺める。
(絶対俺をからかって、いたぶって憂さ晴らししてるだろ、この人。もういい加減、勘弁してくれ……)
(さて、今の録音で、先生からどれ位貰えるかしら? 下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって言うし、どんどんデータを送っておきましょうっと)
 小笠原物産に潜り込んでまだ半月程度ではあったが、恭子はこんな趣味と実益を兼ねたOLライフを、心の底から満喫していた。




「……川島恭子さん?」
「はい、何か?」
 その日、一日の業務を問題無くこなし、帰途に付いた恭子を背後から呼び止めた声があった。
 反射的に振り返った恭子は、予め渡されてあった資料の中の顔写真と、目の前の五十代に見える一見上品な男の顔を合致させ、相手に分からない程度にほくそ笑む。
(この男……、小笠原社長のブラックリスト、上から五番目の成田章二。入社して一月しないうちに向こうから接触してくれるなんて、春から幸先良いわね)
 素早くどう対応しようか考えを巡らせていた恭子に、成田が穏やかに声をかけた。


「君、うちに最近入ったばかりだろう? 親交を深める為に、これから一緒に食事でもしていかないか?」
「そちらは私の事をご存じの様ですが、生憎と私、あなたの事を存じ上げていないんですが?」
 立ち居振る舞いは洗練されていたものの、付いて来て当然と言わんばかりの空気を醸し出す相手に、鼻で笑いたいのを堪えつつ恭子は胡散臭さそうに応じた。すると成田は幾分驚いた様に言葉を重ねる。


「それは失礼した。てっきり私の事を知っているものだと思ってね」
 そう言って差し出してきた名刺を受け取り、その内容を確認しても、恭子はまだ疑わしげに問い返した。
「経理部部長の成田章二さん……。これがあなた自身の名刺だと、証明できますか? 本人から貰った名刺を、さも自分の物の様に出す事はできますよね?」
「なかなか疑い深いお嬢さんだな。じゃあどうやって私が私である事を証明する? 社屋ビルはすぐそこだから、誰か捕まえて証言して貰おうか?」
 呆れ気味に小さく肩を竦めた成田に、恭子は静かに要求を繰り出した。


「そんな手間はいりません。ここに書いてある、あなたの机の直通番号を言ってみて下さい」
「え? それはちょっと……」
 そこで困惑した様に口ごもった成田だったが、その反応を見た恭子は納得した様に頷き、名刺をバッグにしまった。
「合格です」
「は?」
 予想外の反応に成田が思わず間抜けな声を出すと、恭子は淡々とその理由を説明した。


「普通自分でかける必要の無い、直通番号を暗記している人は滅多にいませんが、本気で騙すつもりなら、何を聞かれても良い様に頭に叩き込んでおくのが一般的なセオリーでしょう。尤も、プロの詐欺師ならそこら辺は織り込むと思いますが、あなたはどう見ても勤め人にしか見えませんし、成田部長本人だと結論付けて良いと思います」
 そんな事を真顔で言われた成田は、思わず失笑した。
「これはこれは……、なかなかどうして、思った以上に聡い人のようだな」
「ありがとうございます。因みに会社の代表番号は?」
「ここで更に抜け目なく聞いてくるか」
 益々笑みを深くした成田がスラスラと代表番号を告げると、恭子は真面目くさって頷いた。


「問題ありませんね。愛社精神もおありの様で、結構だと思います」
「一応信用してくれてありがとう。それで? 食事はどうだい?」
「管理職の方に声をかけて頂いたのですから、そちら持ちで良ければ」
「ここで割り勘などと言い出すケチくさい男で無い事を、証明しないとな。勿論奢ろうじゃないか」
「ありがとうございます。成田部長」
 互いに一癖も二癖もある様な笑顔で笑い合ってから、恭子は成田と並んで歩き出した。


(今日はとことんツイてるわ。まず一人、足掛かりをゲットできたし。焦って変な尻尾を出すわけにはいかないもの。まずはしっかりご馳走して貰おうじゃないの)
 そうして首尾良く調査対象の男と腹の探り合いをしつつの食事に持ち込んだ恭子は、トイレでこっそりと浩一に外で食事を済ませて帰る旨を連絡したのだった。


 翌日は土曜日だった為、いつもより若干遅い時間帯に恭子が起きると、既に浩一が朝食の支度を整え終わったところだった。そこで手早く着替えた恭子が早速浩一と一緒にテーブルに着くと、朝食を食べながらの話題に前夜の経過を持ち出した。
「……そういう訳で、昨日は夕飯を用意できなかったんです。すみませんでした、浩一さん」
「いや、小笠原物産に入る上で、小笠原社長から密命を受けていた話は聞いていたから、気にしないで良いよ。俺も残業だったから、仕事帰りに食べて帰ったし」
「それなら良いんですが。でも浩一さん、本当にお料理できたんですね。上げ膳据え膳って余計に美味しいです」
「……どうも」
 笑顔で褒め言葉を口にした恭子だったが、何故か浩一の反応は鈍かった。それを不思議に思いながら、恭子は小松菜の胡麻和えに箸を伸ばす。


(浩一さん、何か不機嫌に見えるんだけど。寝起きが悪いタイプじゃ無いのは、この間に分かっているんだけど、仕事で何か煮詰まってるのかしら?)
(彼女に悪気は無いんだろうが……、横領の片棒担いでるオヤジに、愛想振り撒いてベタベタ触られた云々の話を朝から聞かせられるとは……。これで平常心を保てって、何の拷問だ?)
 入社早々ちょっかいを出してきた成田と、それに嬉々として応じた恭子の両方に腹を立てながらも、浩一はその感情を押し殺して食事を続けた。すると恭子が何気なく言い出す。


「ああ、それと浩一さん」
「何か?」
「お洗濯、帰ってからこまめにしてますよね?」
「ええ、それが?」
「浩一さんの分も私が一緒にしますよ? 遠慮無く出して下さい」
 サラッと口にされた内容に、浩一が一瞬怯む。
「そう言われても……。全自動だから手間はかからないし、自分の分は自分でするから」
「水と洗剤と電気と時間の無駄です」
「……お願いします」
 きっぱり言い切られ、反論の余地が無かった浩一は素直に頷いた。するとそれを見た恭子が満足そうに笑う。


「はい。その代わりと言ってはなんですが、私が時間が無くて出来ないとか、取り込んだりとかは気が付いたら浩一さんがして下さって構いませんから」
「分かった。そうするよ」
「ついでにブラウスとハンカチのアイロン掛けをお願いして構いません? 浩一さんがワイシャツをプレスしてるのをこの前見ましたが、凄くお上手だったので」
「じゃあ後からするから、リビングに持って来て」
「はい、お願いします」
(本当に、意外とマメなのよね浩一さんって。『使用人の人達に仕込んで貰った』って言ってたけど。同じ社長令息でも浩一さんと比較すると、年下って事を考慮しても聡さんはかなり見劣りするわ。もし清香ちゃんが付き合ってるのが浩一さんだったら、邪魔なんかしないのにね)
(彼女が自分の下着を触らせたり俺が触っても平気って言うのは、一緒に暮らしている上では変に神経を使わなくて助かるんだが……。完全に男扱いされてないのが全面に出ていて……)
 互いにそんな事を考え、密かに溜め息を吐いて食事を再開した二人だったが、少しして恭子が何か思いついた様に口を開いた。


「……何か、ちょっと変な感じですね」
「何か気に障った?」
 思わず手の動きを止め、心配そうな顔を向けた浩一に、恭子は軽く首を振った。
「いいえ、そうじゃなくて。なんとなくこういうやり取りって、恋人同士とか新婚家庭で交わされていそうだなって思って」
 何気なく恭子がそんな事を口にした瞬間、浩一は持っていたご飯茶碗を取り落とし、テーブルの縁にぶつかった上そのまま床に落下したそれは、無残に数個の破片に成り果てた。そしてその鈍い衝撃音に、恭子が目を丸くして浩一に問いかける。


「浩一さん、大丈夫ですか?」
 その声で我に返った浩一は、後片付けの為無表情で立ち上がった。
「……ああ、何とか。俺が片付けるから、恭子さんはそのまま食べてて」
「はぁ……」
 制止されてそのまま食事を続けた恭子は、拾った茶碗の欠片を古新聞に乗せている浩一を眺めながら、不思議そうに首を捻った。
 そして朝食後、一日マンション内に居ると言っていた浩一が、宅配便の業者から大小数個のダンボール箱を受け取ると、恭子が玄関に顔を出しながら申し出た。


「浩一さん、運ぶのを手伝いますよ?」
「ありがとう。じゃあそっちの箱を書斎の方に運んで貰えるかな?」
「分かりました」
 指差された小さい箱を持ち上げたが、それは全くと良いほど重さを感じず、恭子は首を捻った。一方で浩一が苦も無く持ち上げた箱は重量感満載で、かつて清人が仕事部屋に使っていた部屋にそれらを運び込み、その中を開けてから恭子は納得したが、新たな疑問が生じる。
(どうしてこんなにお米が必要なわけ?)
 そこで小さな箱の中身を、机の上に上機嫌で並べている浩一に向かって、恭子は問いを発した。


「……浩一さん、これで一体、何をするつもりなんですか?」
「姉さんの結婚式での、ライスシャワーの準備」
「はぁ?」
 端的な答えではあったが、机の上に並べられた極小サイズのチャック付きビニール袋と、それが入るサイズのカラフルなリボン付き布袋を目にして、恭子は浩一が何をする気なのか正確な所を悟った。
(ライスシャワーって……、確かにお米だけど。それに魚沼産コシヒカリなんて、投げるより、寧ろ食べたい。やっぱり良いお家の人よね……)


「あ、ちゃんと俺達が食べる分も俺の支払いで買ってあるから、今日から食べよう。だから当日は血相を変えて拾わなくても大丈夫だから」
「……どうも」
 自分の考えがダダ漏れだったらしいと分かった恭子が、微妙な顔付きで浩一に礼を述べると、浩一は笑って付け足した。
「俺なりの祝福の形がこうなっただけだから、あまり気にしないで。それと……、当日驚かせたいから、あいつと姉さんには内緒にしていて欲しいんだが」
(あいつって……、当然先生の事よね? 大して害は無いと思うし、放っておいても良いかしら?)
 そんな事を言われて幾分困った表情になった恭子だったが、清人の狼狽したところを見たいという誘惑には勝てなかった。


「分かりました。私は何も見ていません」
「悪いね。後から恭子さんに文句を言わせない様にするよ」
 そうして浩一は椅子に座り、機嫌良く計量スプーンで米を掬い、それを詰めて封をしたビニール袋を、更に布袋に入れてリボンを結びつけるという、地味な作業に没頭し始めた。すると何となくそのまま五分程その作業を眺めていた恭子は、「何も見ていない」という前言を覆す様な行動に出た。


「えっと……、取り急ぎする事も無いので、お手伝いしましょうか?」
「ありがとう。助かるよ」
 そうして二人は、様々な事を考えながら黙々と単純作業に勤しんだ。
(人をあんな悪辣な方法で騙しやがって……。これ位の意趣返しは許されて当然だ。式当日に、一泡吹かせてやる)
(やっぱり浩一さんって、鈍いのか鋭いのか判別できない上、何を考えているか今一つ読めない人よね……)
 そうしてその日、二人はほぼ一日がかりで二十キロもの米を小分けし終えたのだった。



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